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「お待たせしました、連れてきましたよ」
「いやー話聞いた感じ、マジやっばいね、沙耶ちゃんのルシファーくん! あ、お帰りー藤田さん。お、ひでっち元気?」
程なくして戻ってきた藤田に声を掛けられ、花菜と沙耶は話を中断した。
藤田の後ろには詰め襟の学生服を着た少年がついてきている。中学生だろうか、高校生にしては体格が小さい。洒落っ気のない髪型は厳しい校則を想起させた。英樹は花菜に声をかけられ、少しびくついたように肩を強張らせたが、小さく頷く。
「じゃ沙耶ちゃん、お願いします!」
「うん、こっち」
全員揃ったところで沙耶は丘に向かって歩き出した。そういえば人に会うのを嫌悪しているようなことを言っていたが、人を連れて行って大丈夫だろうか。いきなり他の人に無作法を働かなければいいが。
沙耶がルシファーに降ろされた辺りまで戻ってきたが、ルシファーの姿がない。一瞬置いていかれたのでは、と焦ったが、丘の上にあった大きな岩の影からルシファーが顔を覗かせた。
「沙耶てめえ、遅えぞ。つーか何他の人間をぞろぞろと連れてきてんだ」
「うっわ! え、嘘、ルシファーくんめっちゃイケメンじゃん! 隷獣ってマジ?」
「あ? 女、気安く俺の名を呼ぶんじゃねえ」
「あは、でもほんとに性格悪いねー!」
ルシファーの容姿に驚きを見せた三人だったが、さっそく無礼をのたまうルシファーの様子に、物怖じしない花菜がけたけたと笑った。沙耶は苦悩するように眉間に手をあてた。
その時、ずっと押し黙っていた英樹が唐突に声を上げた。
「こんな……こんなのおかしいだろ!」
怒気を孕んだその大きな声に、驚くように三人が英樹のほうに振り返る。ルシファーは無関心そうに視線を遣った。英樹は震える声で続ける。
「ルシファーだって? そんなの絶対に超レアキャラじゃないか。こんなのもいるってのに何で俺には隷獣がいないんだよ! レベルは? ステータスは? スキルだって見当たらない! こんなの俺の知ってる異世界召喚じゃない!」
「ひ、ひでっち……?」
突如として怒鳴りだした英樹に、花菜が恐る恐る声をかける。
「隷獣出すのが普通で、俺には隷獣がいないんだったら、普通は何かあるだろ、特別なスキルがもらえるとか! なのに何にもないとかあり得ないだろ! 出てこいよ、召喚主!」
戸惑うように顔を見合わせる沙耶たち。花菜と藤田に至っては彼が何に対して不満を言っているのかもよくわかっていないのだろう。
沙耶は彼が、いの一番に「これは異世界召喚である」と言い切ったということを思い出した。彼は類似する話をよく知っていたのだろう。だがこれは物語でもゲームでもない。ただの現実だった。
喚き散らす英樹を侮蔑するように見下しながら、ルシファーが声をかけた。
「おい、餓鬼」
「くっそ、人型でルシファーって名前なら絶対強えじゃんか。なあ、あんた! あんた何レベなんだよ! そうだよ、あんた実は色々知ってんじゃないのか。実は自分だけ色々知ってて隠してますってやつだろ!」
大声で喚き散らしながら沙耶に詰め寄る英樹。思わず沙耶が後退る。
「あるだろ、ステータス画面とか、どうやって見んだよ――がっ!?」
英樹の胸ぐらをルシファーが片手で掴み上げていた。いきなり地面から浮かされた英樹は苦しげに足をばたつかせる。だかルシファーは意に介すことなく、淡々と言い放った。
「糞餓鬼、この俺が呼んでんだろ。何、自分勝手なことをギャーギャーと喚いていやがる。そういうのはてめえの妄想の中だけでやれ」
「ぐうっ! く、くっそ、離せよ! 所詮あんただって隷獣だろ! 召喚獣ごときが人間に楯突くのかよ――」
苦し紛れにそう言い放った英樹。
ルシファーの眼光が尖る。そして今までで聞いたことのない低い、凄みのある強圧的な声で英樹を遮った。
「人間。俺は主である沙耶だけは傷つけることこそできないが、他の人間に対してはその制約は有効じゃねえ。つまり言いたいことがわかるか、愚昧な人間。俺はいつでもお前を殺せる。一瞬でだ」
強烈な圧を感じる。ルシファーからほとばしるように気が発せられていた。今まで何度も怒鳴るところを見てきたが、今彼は本当に怒っているのだ。
英樹は恐怖で顔が引き攣り、呼吸も荒い。見れば花菜と藤田も腰を抜かしてへたり込んでいる。
とするとこのプレッシャーは実体を伴っているのではないか。苦しそうに顔を歪ませている彼らが、ただの恐怖心からそのような状態になっているとは思えなかった。そして沙耶が何ともないのは、ルシファーの主だからか。
“これ、まずいんじゃないの……!?”
沙耶は英樹を締め上げるルシファーに慌てて走り寄った。
「ルシファー! ルシファー、待って! ルシファーが怒るのもわかるけど、一旦落ち着いて!」
ルシファーの腕を掴んだ沙耶に、彼は目もくれない。
「黙ってろ、沙耶。俺はな、こういう自分じゃ何もできねえ、何もしねえくせに声だけでけえ餓鬼が心底嫌いなんだよ。こんな生産性のない奴はどうせ生き残れねえ。ならここで俺が殺しちまっても同じだろ」
そう言い放つルシファーの声に、冗談のようなものは一切感じられない。本気だ。沙耶は息を呑み、ルシファーの腕を強く引っ張った。
「そ、そんなの私もだよ! ルシファーを呼べたのだって、偶然で、自分で何かできたわけでも努力したわけでもない。私も彼と同じ! なのに私も会った時ルシファーに色々言っちゃったんだよ。ルシファーは私をちゃんと守ってくれてたのに……あ、あの時はほんとありがとね」
「……あ?」
ふと思い出したように謝辞を述べる沙耶に、ルシファーは肩透かしを食らったように眉根を寄せ、英樹を締め上げる腕を止めた。
「聞いたんだけど魔物って人を襲ってくるんだってね。なのに私には何もなかった。ルシファー、私が寝てた二日間ずっと見張っててくれてたってことでしょ。だから改めてお礼を言わなきゃなって思ってたんだよ」
「それは……殊勝な心がけだが。今言うか、それを」
「だって覚えてる内に言わないと忘れちゃうじゃん」
「いや、忘れんなよ。……はあ、もういい」
怒気の消えた顔のルシファーは、溜め息をつくと英樹を掴み上げていた手を離した。どさっと音を立て、英樹は腰から地面に落ちた。痛みに顔をしかめた英樹だったが、先程までのルシファーの様子に恐れをなして後退る。
ルシファーはもう英樹を見ることすらなかった。




