130
「ど、どうしよう……。さっぱり出来る気がしない」
魔結晶を握り締めすぎてすっかり跡がついた手でユキの長い毛並みに縋る沙耶。ユキは心配そうにその大きな身体で沙耶に寄り添うことしか出来ない。
今日も空は快晴で、沙耶とユキがいる中庭には朗らかな陽光が降り注いでいる。
ルシファーは沙耶の近くの木陰でずっと昼寝をしていて、天ノ間を出て行った竜巳もミカエルも足取りが軽かった。朝にすれ違った時の圭吾は充実感に晴れ晴れとした顔をしていた。天照と一緒に服を作るのがよほど楽しいのだろう。
今ここでこれほどに暗い顔をしているのは沙耶くらいなものだった。
「ちょっと……圭ちゃんの顔見に行ってくるね……」
ふらりと立ち上がり、そうユキに言い残す。ユキは耳をピクピク動かして了承の意を伝えた。
“ルシファーは……寝てるし、いいか”
風もないこの空間では、暖かな日の光だけが伝わる。この中で寝るのはさぞ気持ちよかろう。沙耶は恨めし気な視線をルシファーに投げつけて屋敷の中へと向かった。
完全に煮詰まっていて気分転換が必要だ。
そう心の中で誰に向かってか言い訳をするも、その実あまりの進展のなさに、このままでは自分の魔素の扱いが向上する前に天照たちの作業が終わってしまうのではないかと焦り、不安に駆られ、思わずその進捗を確認せずにはいられなかったのだ。
天照の作業部屋に入ると、二人とも真剣な表情で机に向かっていた。見れば部屋中、床の上まで大量の布と紙が散乱している。
沙耶が部屋に入ってきたことに気が付くと漸く手を止めた。
「ああ、沙耶ちゃん。どうしたの?」
「えっと……今二人はどんな感じかなって思って」
「ははっ、気晴らしにでも来たか。随分と苦戦しておるようじゃのう」
「う……はい」
「よいよい。では圭吾よ、折角じゃ。儂らもちと小休止としよう。ほれ、茶じゃ」
天照が指を鳴らすと、三人の目の前に湯呑に入った茶が現れた。ぱっと何もないところから現れたそれは温かく湯気が立っている。
こうして数日を一緒に過ごす内にだいぶ身近な存在になってきていたと思っても、こうしてふと隔絶した存在なのだと思い知る。
天照は山のように積み上げられていた紙束をばさばさとぞんざいにどけると、沙耶が座れる場所を用意した。沙耶も大人しくそこへ座る。
「これ、型紙ってやつ?」
座ったすぐ横に落ちていた紙を拾い上げた。直線で描かれた図形にいくつか数字も書き込まれているものが何枚も部屋中に落ちていた。
「そうだよ。いやー凄いね、天照様は。ちょっと教えただけで理解して今じゃこの通り。なんなら教えてる僕の知識が独学だから、どっか間違えて教えちゃってないか、僕のほうが不安になっちゃって」
圭吾が眉を下げて笑うが、当の天照は満足そうに書き上げられたばかりのそれらを眺めている。
天照は想像したものをそのまま創り出すことができる。地素を対象の形に固めて成型することで、天照は創造を成している。それは謂わば型に樹脂を流し込んでプラスチックで物を作り出すかのように。
しかしそれ故か、よく観察しないと気付かないが、出来た物はどこか作り物くさいところがあった。
「この意匠、この形状」と天照が定義して創造すれば、それはそのように出来上がる。出来上がってしまう。そこに物理的、技術的制約は存在しない。
例えば和服の帯のような形の、大きなリボンを服にあしらえたとする。
想像上ではリボンはピンと立ち、綺麗な形を維持し続けている。だが、本来なら現実的にそんなことはありえない。リボンはその大きさ故に形状を維持することなくぺたりと倒れるし、激しく動けば解ける可能性だってある。
天照の作り方ではそれがない。
現にウケから交換した沙耶の着る服には縫った糸が存在しない。それはそれで服を作る上で技術的、物理的制約を受けずに、自由にデザインを考えられるのだと圭吾は称賛するが、天照は圭吾の指摘を受け、本来的な服の作り方から知ろうとしたのだ。
「神は細部に宿るというじゃろ。なのに神たる儂が細部を疎かにしては神としての立つ瀬がない。一度基礎的な仕組みや作りを知ってから自由に発想するほうが意匠に深みが出るじゃろう」
天照は得意気にそう言うと、あまり味のしない茶を啜った。
「凄いなぁ。基礎的な仕組みか。でも何事も基礎からって言うし……。ああ、例えば走るのなんかも、ただがむしゃらに練習するんじゃなくて、どういう動きをすれば早く走れるか意識して練習したほうが速く走れるようになるって、そういえば陸上部だった子が言ってたなあ」
「お、部活の話? あったねえ、そんなの。沙耶ちゃんは何の部活に入ってたの?」
ぼんやりとした沙耶の呟きに、身体を伸ばしながら圭吾が懐かしそうな口ぶりで続けた。
「私? 私は家の仕事の手伝いがあったから部活はやってなかったんだよ。何か「青春!」って感じでちょっと羨ましかったなあ」
「ははっ、やってなかった子からするとそんな感じなんだ。僕は無理矢理サッカー部に入れられて毎日遅くまで練習だったから、放課後すぐに帰れる子たちが羨ましかったよ」
「え、圭ちゃんサッカー部だったの? み、見えない……」
「でしょー。僕もそう思う。小さい頃ちょっとやってただけでそんなに好きって訳でもなかったんだけどね」
その後、二人の会話は学生生活の話題へと移っていった。
天照はルシファーほど、唯物界のことを知っているわけではなかったようで、二人の会話を興味深そうに聞いていた。特に制服やユニフォームなど、特定の人間しか着ることのない服について強い関心を寄せ、終いには二人にどんな服を着ていたのか、どんな服があったのかを絵に描かせ始めた。
久々に思い出す唯物界での生活は、遠い日の思い出のように、もはや懐かしさを伴っていた。沙耶の脳裏に郷愁が僅かに顔を覗かせたが、それはすぐに別の思考で押し流されていった。




