126
「ただいまー」
「おう、沙耶にルシファー。何だ、もういいのか」
あの後、天照と圭吾に招集された沙耶と、それに付いていったルシファーだったが、小一時間もしない内に竜巳とミカエルのいる部屋へと戻ってきた。
天照の屋敷の一室、八畳程の床の間がついた畳敷きの小部屋だ。座卓の周囲に座布団が置かれて、竜巳とミカエルはその上に胡座をかいて座っていた。
部屋に入るなり、ぐったりと疲れ切ったような顔の沙耶が、膝から崩れ落ちるように竜巳の隣にあった座布団の上に座り込んだ。
「もういい……っていうか、段々二人が白熱し始めちゃってついていけなくなったんだよ。声掛けても聞こえてるんだか聞こえてないんだかって状態になっちゃって。だから戻ってきちゃった」
「ほう、あのメイド……じゃなかった圭吾とやら、あの天照殿と渡り合うとはなかなかの者だな」
「意気投合……みたいな。最後の方は何かファッションの歴史について語り出してたよ」
溜め息をつく沙耶に竜巳が「それは俺も逃げ出すな」と笑いながら茶を差し出した。ルシファーは座布団には座らず、沙耶の近くの壁にもたれて座る。
暫く会話もなく沙耶が茶を啜っていたが、竜巳が静かに口を開いた。
「天照殿は暫く圭吾との話し合いに夢中だろう。ならばその間、俺たちは天照殿から言われた課題に取り組むべきなのだろうな」
竜巳の言葉に、沙耶が口につけていた湯呑を離して机の上に置いた。ミカエルとルシファーも竜巳に視線を向けた。
「課題? 何のことだ」
ルシファーの問い掛けに竜巳が天照に投げかけられた言葉を掻い摘んで伝える。
曰く、本来なら隷獣への魔素供給量の調整は主の責務であり、竜巳と沙耶はそれが成せていないのだと、魔素量の増加手段は、命の危険を伴う魔素の枯渇という方法ではなく、枯渇の一歩手前までの極限を見極めて行うようにならねばならないのだと。そしてそれが出来るようになることが天照から情報を聞き出す為の最低条件であるのだと。
「んなこと……」
ルシファーが沙耶の横顔を見て言葉を呑む。沙耶も竜巳も覚悟を決めた顔をしていたのだ。
「とは言っても私も竜もどうすれば魔素の扱いを改善出来るのかわからないの。漠然と体の中を流れているな、くらいはわかってもそれを具体的に感じ取って扱えるようになるだなんて、さっぱりで」
「さっぱりってことはないだろ」
ルシファーが沙耶の戸惑いを否定した。沙耶が振り返る。
「あの魔物の肉体を残したまま倒す方法。あれは魔素がある程度扱えて初めて出来る行為だ。魔物の肉体を残すに足るだけの魔素を流し込まないと肉体は残らない。流し込む、という行為が魔素を扱うという行為そのものだ」
「あれが……」
驚いたように過去を振り返る沙耶。確かにあれは魔素の存在を意識しないことには再現性がなかった。
「だが」と前置き、口籠るルシファー。
「とはいえ、あれはざっくり魔素を扱っているに過ぎん。あー……特に沙耶は魔物に対して必要以上の魔素を流し込んでしまっているしな」
「うえっ! あ、う……」
思い返せば心当たりのある沙耶が、気まずそうに視線を揺らした。狼狽する沙耶に気遣うようにルシファーが続ける。
「要はあの行為を過不足なく行えるようになれば魔素を扱えるという状態に近付いたと思っていいんじゃないのか。今は必要以上の魔素を流し込んでいるが、それを無駄なく必要十分量で行うってことだ」
「とはいえそれは魔物の個体によって必要量は変わるだろう。その見極めまで出来るようになれというのは人間には無理がないか」
今まで黙って聞いていたミカエルだったが、言葉を挟んだ。反射的に言い返そうとしたルシファーだったが、それには同意見だったようで、考え込むように腕を組んだ。
沙耶も竜巳も何か考えを出したいが、どうにも魔素の扱いというのは門外漢だ。ここはルシファーとミカエルに頼るしかない。
「こういった小手先の細々としたものは魔族の専売特許だろう。何か方法があるんじゃないのか」
「あ、小手先だと? てめえら天族が脳筋の大雑把な魔素の使い方しか知らんだけだろ。それに俺たち魔族が得意なのは魔素の扱いってか……ああ、そうか」
「ルシファー?」
何か思いついたように組んでいた腕を解いたルシファー。
「沙耶、何でもいい。持ってる魔結晶を一つ出してくれ」
「う、うん」
言われるがままに小さな魔結晶を一つ取り出し、ルシファーに渡す沙耶。ルシファーはそれを受け取るとひとしきり考えを巡らすように小さく唸ると、魔結晶から少し離れた空間に指で何かを描き始めた。こうでもない、ああでもないといくつか魔結晶を使って同じような行為を繰り返す。
状況が読めない竜巳は座布団ごとずらして沙耶に耳打ちする。
「ありゃ何をやっとるんだ」
「えっと……魔結晶に何かを……あ、刻式ってやつかも」
「こく……ああ、何度か天照殿もそんな言葉を使ってたな。結局意味は未だにわからんが」
「何かこう、結界とかを張るための何かを魔結晶に刻む行為、的なことだと思うんだけど、そういえば私もちゃんと聞いたことないんだよね」
じとりとルシファーに視線を向ける沙耶。ルシファーはいくつめかの魔結晶に何かを施し終えると、満足したようにそれを沙耶へと投げてよこした。




