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以降、沙耶たちは当面の間この場所に留まり続けることとなった。
気を張っていた沙耶は安堵するように再び寝込んでしまったが、その間天照はうきうきと着付けの準備に邁進するだけで、沙耶の対応を急かすようなことはしなかった。「暫く滞在を許す」と言ったからには、早々に用を済ませて追い出す、ということはないようだ。
沙耶が体調を戻して動けるようになった時には、あれから一日が経過していた。
「もふもふ……何これ……ってユキか」
「バウ」
目覚めた沙耶が起き上がり、体を動かすと直ぐ傍に大きな白い塊、正しくは転変を済ませたユキが丸まっていた。
「成体になったんだから、少しは沙耶離れしろ。わざわざお前が入れるようでかい部屋に移る羽目になったんだぞ」
寝込む沙耶についていたルシファーが手で払うようにユキの体を軽く叩いた。ユキはぷいと顔を背ける。
「こいつ……」
「まあまあ。でも確かに今後どっかの拠点とか行った時にこのまま連れ歩くと迷惑になっちゃうかも。天照様に相談してみようかな」
「やめとけ。次は何をさせられるかわかんねぇぞ」
「あはは……」
「起きたか! もう大丈夫そうじゃな!」
部屋の障子が跳ね飛ばすように勢いよく開けられ、天照が入ってきた。
出会った時と異なり、襷掛けして袖を括り、腰には様々な道具の入ったエプロンのようなものをつけている。顔の所々が墨で汚れ、長い髪も動きやすいように一括りにされていた。
「よしよし、ならば早速採寸じゃ」
「待て。まずはこいつに何か食わせろ。また倒れるぞ」
沙耶の腕を掴んで部屋を出ていこうとしていた天照を、ルシファーが沙耶の反対の腕を引っ張って止める。
「ふむ、確かに。……ならば儂の部屋に用意しよう。勝手に測るで沙耶は食べておるがよい」
「用意するっつったって、ここに食料なんて置いてあるのか。ウケどもがいるわけでなし」
「ウケをわざわざ用意せんでも、あれに出来ることは儂が出来るに決まっておろう。あれは儂の眷属よ」
「なっ……」
ルシファーが絶句し、沙耶は目を丸くした。天照は驚く二人の様子に気を良くしたのか、ふふんと胸を張った。
「眷属ってことは、お前があれを生み出したってことか」
「生み出した……って、ええっ? そんなこと出来るものなの? ……あ、ウケの言う「生命維持を承る」って言葉、あれ天照様に、ってことなのか」
「そうじゃぞ。人間どもを呼びつけるはいいが、何もなしでは主らは生きてゆかれぬだろうと思うてな」
こともなげに言い放つ沙耶は信じられないものを目の当たりにしたように目を丸くする。ということは魔結晶と交換で出しているあれらの物品はウケが、ひいては天照が創り出しているということになるのだ。
味はともかく食料を、様々な物品を生み出すなど、そんなものはもはや神の御業だ。そう言いかけて、沙耶は天照が祖神を言っていたことを思い出す。
なるほど、確かに神だ。
「それより沙耶、姉様じゃろう!」
「あ、はい。姉様」
「うむ! では行くぞ!」
「あ、おい。待て!」
沙耶の腕を引っ張って出ていく天照を、慌てて追いかけるルシファー。ユキもそれに続くが、何せこの巨体だ。通れない廊下の前で動けなくなってしまった。ユキは尾を力なく垂れて項垂れる。
「早速問題発生だね。そもそもさっきいた部屋にはどうやって来たの?」
「儂が飛ばしてやったのよ。しかし、ふむ……。確かにいちいち飛ばすのはちと面倒じゃのう。おい、ユキ。お主、沙耶の隷獣になる気はあるかの」
「えっ!? なる気はあるのか……って後からなれるものなのですか?」
驚く沙耶が声を上げた。天照は首を傾げる。
「うむ……ウケにその情報は与えておったはずじゃが、言われなんだか」
「聞いてねぇよ。つーかあいつら、聞かなきゃ何も言ってこねぇだろ」
「むむ。確かに自分から喋るようには設定しなかったの。ま、とにかくそう具体的に聞けば答えるぞ。ほれ、主らも何処ぞかでウケから隷獣を交換出来るのを見たことがあるじゃろ。あれに近いものじゃ。今回、契約相手は用意済みじゃから、必要なのは隷属契約の式を刻んだ指輪だけ。なんならほれ、すぐ出せるぞ」
そう言うなり、天照はどこに持っていたのか、突然手の中から指輪を出すと、沙耶へと放り投げた。沙耶はたたらを踏みながらそれを辛うじて受け取る。受け取った指輪は、道中第二の隷獣を所持している人たちが持っていたものと同じ、黄色く透ける石の指輪だった。
沙耶の指には少し大きいそれは、指に通してみるとやはりぶかぶかだった。だが指の奥まで通した瞬間にその輪が縮まり、沙耶の指にぴったりとなった。
沙耶がびっくりして目を丸めていると、天照は「それくらい当然じゃろ」と鼻を鳴らした。
「式は刻んである。あとはユキが承諾すればそれで完了じゃ。そもそもこれしきの刻式、そこの黒いのは知らんだか」
「大雑把に色で呼ぶな。……俺は隷属契約なんぞに興味なかったから知らん」
「やはり貴様はシン派か。だろうとは思うたわ」
そう返す天照の顔はどこか白けて見えた。
“シン派……? 派閥があるのか? “
口まで出かかったその疑問は、突如光りだした指輪に驚き、引っ込んでしまった。見れば指輪の石から強い光が四方に放たれている。沙耶はその眩さに思わず目を瞑った。
そして目を開いた時、目の前にいたはずのユキの姿がなくなっていた。
「え、え!? ユキ!」
狼狽する沙耶だったが、ユキの名を呼ぶと直ぐに指輪が淡く光り、沙耶の目の前にユキが現れた。
「ユキ!」
急に消えたユキの姿を確認できると、安堵に顔を緩ませて勢いよく抱きついた。ユキも嬉しそうに顔を擦り寄せる。
「躊躇いなしか。ま、これで早速契約が成ったな。ユキはこれより沙耶の隷獣の一匹じゃ」
「ん……? おい、ということは何だ。今後は沙耶の魔素はこいつにもいくってことか」
ルシファーがユキから沙耶を引き剥がし、天照に詰め寄った。天照は鼻を鳴らす。
「当然じゃ。そういう契約じゃからの」
「な……! おい、ユキ! お前やっぱ今からでも契約止めろ!」
今度はユキへと詰め寄るルシファーに、ユキは顔を背けてそのまま指輪の中へと戻ってしまった。沙耶は初めて自分の隷獣が指輪に戻るところを見て感じ入るように「おお」と呟いている。行き場を失ったルシファーの感情は、怒声のような呻きに変わって消えていったのだった。




