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となりの世界の放浪者たち  作者: 空閑 睡人
第十一章:邂逅
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目を覚ましてまずその胸に去来したのは驚きと恐怖と無力感だった。襲いくるそれらの感情に打ちのめされ、打ちひしがれた後、己がいる場所に心当たりがないことに気がついた。


「起きたか」


低く、短いその声にはいつもの力が感じられなかった。

だがその悄然とした姿ですら、その姿を見つけただけでほっと一安心してしまう気持ちを自覚し、更に自己嫌悪に陥る。


そうではない。

己が目指すのは強者に頼らなくてはいけないような、非力な存在ではないのだ。


「う……」


くぐもった呻き声が聞こえ、そちらに慌てて駆け寄る。


そこには辛そうな表情で眠る、己が主人と認めた沙耶の姿があった。畳敷きの広い部屋の中央に一人分の布団が敷かれ、沙耶はそこに寝かされている。そのすぐ傍にルシファーが立て膝をついて座りこんでいた。


「まだ当分起きねえだろうな」


ユキに言ったのかそうではないのか、ルシファーは沙耶に視線を落としたまま独りごちた。


「こいつがこうやってぶっ倒れるのなんざ、もう何度見たかしらん。だが何で俺はこんな……」


ルシファーの言葉はそこで途切れた。やはりユキに話しかけていたわけではなかったのだろう、自問するような声音だった。そしてルシファーは何も言わなくなった。


ユキは再び沙耶を見遣る。血の気が引いた、青白い顔だ。


行き倒れかけたところを偶然にも出会い、拾われ、ユキという名を与えられたあの日から、ユキは沙耶を主と仰ぎ、常に傍にあることを志してきた。


傍にいたい。

だがそれは役に立つことで傍にいたいのだ。果たしてそれが今成されているとは思えなかった。


今回対峙したのは、その力の輪郭すら捉えることが出来ない程に強大すぎる相手だった。ルシファーが何も言ってこないのはそのせいかもしれない。だが誰に責められずとも、ユキ自身が己を責めていた。


ユキはただただ成す術なく眠らされていただけなのだ。手加減、といった次元ではない。暴れることで怪我をさせてはならない、と慮られて眠らされたのだとわかっていた。


惨めだった。あまりの惨めさに立ち上がれなくなってしまいそうな程に。


だが離れるという選択肢はありえなかった。


ならばもはや進むしかないのだ。何を失ったとしても。


ユキは大きく頭を振ってルシファーへと向き直る。真っ直ぐ向けられた視線にルシファーも気付き、目だけ動かしユキを見下ろした。


「なんだ、わんころ」

「ワン! ワンワン!」


精一杯に何度も鳴いた。目で訴える。


沙耶にはきっと通じないのだろう。だがこの男には何を訴えたいのかわかるはずだ。この男は己のことを、己の種族のことを知っている。

知っているからこそ問うてくるのだ。「何故そのままでいるのか」と。


「うるせえ、声を落とせ。その目……いい加減、腹ぁ決めたのか」


ユキは揺らぐことなく見つめ返すことで肯定の意を示す。ルシファーが苛立ったように眦を尖らせた。


「ならさっさとてめぇで片つけろ。何をこんなところで止まってやがる」


ユキがたじろぎ、視線が揺れた。驚き、そして落胆する。立てた尾が力なく垂れた。


「愚昧じゃな、小僧!」

「あ?」


小気味いい音を立てて、障子が勢いよく開いた。みれば片腕を腰に当てた天照がいつの間にか立っていた。そしてそのまま部屋の中へと入ってくる。ルシファーはじろりと睨みつけるように顔を向けた。


「そのわんこがその状態のままなのはあえてそうしとるのかと思うとったが、その様子じゃ気付いとらんかっただけか」

「何を言ってやがる。気付いてるに決まってんだろ、こいつの種族は――」

「ほれみい」


天照の呆れた声を聞いたと思った瞬間、ルシファーは額を指で弾かれたことに気付いた。額がじんと痛んで初めて、弾かれたと気付いたのだ。ルシファーが一瞬呆とした直後、かっと気色ばんだのを他所に、天照はひょいとユキを摘み上げた。ユキは驚きでされるがままに摘まれる。


「此奴に足りなかったのは覚悟と、そして何より命の危機じゃ」

「命の……危機だと? 隷属契約じゃあるまい」


ルシファーの態度が僅かに軟化する。天照はユキを摘んだまま沙耶の近くに腰を下ろした。


「それだから愚昧だと言うたのじゃ。下手な生兵法は時に無知よりたちが悪いぞ」


天照の言葉に眉根を寄せるルシファーだったが、言葉を堪える。天照は摘み上げたユキを下ろした。


「此奴……白狼どもはある程度成長すると転変する。貴様の認識はその程度じゃろう。だが実際は転変の条件は成長だけではない。命の危機、それを感じる程の戦いの経験が肝要なのじゃ」

「戦いの……」


ルシファーはこれまでの道中を思い起こす。


これまでユキが魔物を倒していたことはルシファーも知っていた。それは沙耶の手伝いだったり、足りない腹を満たす為であったりと様々だが、少なくない数の魔物を倒している。だがどれもが弱い魔物だった。


ユキの体格は小さい。沙耶が抱きかかえられる程しかない。そのため沙耶は強い魔物に遭遇した際はユキを守るように動き、ルシファーもそれに対して何も思うところはなかった。転変するまではその程度のものだろう、と思っていたのだ。


だがユキが転変出来ないでいたのは、沙耶の過保護とルシファーの知識不足も原因の一端だったのだ。


「魔界に生息している白狼は自然と強敵に遭遇することもあろう。そこで生き残ったものだけが転変を成し、生き残れなかったものはそこで消える。故に全ての白狼が転変するものだと思われておるのだろう」

「……何故そこまで知っている。地界の祖神であるお前が魔界に生息するものどものことを知る機会などないだろう」

「はっ、それこそ教える義理はない」


天照がせせら笑う。

だがふっと表情を和らげた。


「とは言えお主らはこの地界で儂の元まで辿り着けた初めての者どもじゃ。何もなしで返して儂が狭量だと思われるのも心外。それにあの男の言うことを真に受けるわけではないが……ま、この程度は手を貸してやろう」

「何を……」


つと天照が立ち上がり、上体を反らしてユキを指差した。


「おい、わんこ! お主この娘の役に立ちたいのじゃろう! 非力な庇護下にあるのではなく、守護者になりたいのじゃろう!」

「ワン!」

「うむ、その意気や良し! 儂がその機会をくれてやる! 試練に臨む覚悟はありや!?」

「ワン!」

「よかろう!」


一気呵成に天照とユキが言葉を言い交わした。ルシファーが思わず面食らう。


「お、おい。何勝手に決めてやがる。つーか何だ、試練て」

「頭の回りの悪い男じゃな。命の危機が必要だと言うたじゃろうが。ならば試練とは即ちそれよ」

「は!? おい、こいつに何かありゃ沙耶がキレるぞ」

「わんこの意志じゃ。主の機嫌は貴様が宥めよ」

「はあー!?」


ルシファーの叫びが部屋の外まで響く。騒ぎを聞きつけたのか、竜巳が部屋の中へ入ってきた。


「何だ何だ、盛り上がってるな。俺も混ぜろ」

「おお、丁度よい。お前、一応このわんこに付いてやれ。どうせあそこの隷獣は主の傍から離れんじゃろう」

「付く? よくわからんが、まあいいぞ。沙耶が起きるまで暇だしな」

「よくわからんのに承諾するな!」


誰にも届くことのないルシファーの訴えが、虚しくも消えていった。


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