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「ということは、貴殿はこの地界について……いや、俺たち人間が突然召喚されたこの事態について何か、核心に近いことを知っているんじゃないのか。というか――人間を召喚したのはまさしく貴殿なのではないか」
落ち着き払った竜巳の問いに、天照が肩をすくませた。
「そうさの。……まずこれだけは言うておくが、貴様ら人間をここ幻視界へ召喚したのは儂ではない」
固唾を呑む。
落胆したような、安堵したような心地だ。
この事態を引き起こした犯人には変わらず会うことは出来なかったが、その凶徒として目の前に立つ、神を名乗る御仁と相対せずには済んだということだ。世界とやり合え、などと言われるのは御免だ。
「それ以外については……ま、祖神たる儂のことすら知らぬそこの魔族や天族よりは、色々と知っとることもあるだろうな」
天照がいたずらっぽく笑みを浮かべた。
それを聞いた竜巳の顔色がさっと変わる。そして鬼気迫る気迫で天照に詰め寄った。
「ならば教えてくれ! 俺たちは……俺たちは渦中にいるというのに何も分かっていないのだ。皆、情報を欲している!」
「嫌じゃ」
「……は」
足元に転がる石を蹴飛ばすかのように、事も無げに返された答えに、竜巳は勢いを削がれて硬直する。天照はそんな竜巳の様子など意にも介することなく続ける。
「嫌じゃ、と言うておる。元はと言えば儂の領域近くで暴れ回っとる阿呆どもが目障りだった故、隔離空間に飛ばしただけだったのじゃ。そもそもむさ苦しい男どもがわらわらとこの空間に存在すること自体が本来ならば有り得んというに、それを儂との謁見が許されただけでも幸運であったと自覚せよ。――ああ、なんなら今すぐ元の場所に放り出してもよいのだぞ」
「ま、待て待て! そう早まるな!」
慌てる竜巳は、白くなる頭を必死で回し、言葉を、話を繋げようと模索する。
ミカエルは成り行きをただ見ているだけで関わってくる気配はない。ルシファーに至っては口を開けば一触即発の事態になりかねない。
“沙耶、お前何で今起きてないのだ”
竜巳が恨めしそうに沙耶を見遣る。その時ふと竜巳がはっと目を見開いた。
“そうか、沙耶か!”
竜巳は天啓を得たかのように、先程までの焦燥に駆られた表情と打って変わって余裕を感じさせる顔で天照に向き直った。
「天照殿よ! 今俺たちを放り出すということは、この状態の沙耶を放り出すということだぞ!」
竜巳はルシファーの腕に抱かれ未だ目を覚まさない沙耶を指し示す。天照は何も言わないが、ぴくりと瞼が揺れたのを竜巳は見逃さなかった。
「沙耶がこうなったのは貴殿が沙耶一人をルシファーの傍から拉致するという軽挙な振る舞いをしたせいだぞ。それも話を聞くに、俺達からわざわざ沙耶一人だけを呼びつける理由は貴殿の個人的な趣味嗜好に拠るものだろう」
竜巳はかなり攻め込んだ物言いをしているという自覚があった。だがここが勝負所だ。それに黙って言われるがままの天照を見るに、旗色は悪くない。
竜巳は下手に横槍を入れられる前に、と、間髪を入れずに続ける。
「となれば沙耶のあの状態は、貴殿にも原因の一端はあるはず。それだというのにこの寒空の下、顔を白くして今も意識のない娘を放り出そうというのか」
これまでの天照の態度や、男を毛嫌いしている割に沙耶には気遣うような姿を思い出す。それらを鑑みるに、この天照は沙耶、というより女には対応が甘くなるのではないか。何故天照が男嫌いなのかは不明だが、天照本人が言っていた、名前の由来となった唯物界の神話上の天照に影響を受けるというのが関係しているのではないかと予想する。だがその説が正しいのならば嫌うのは男全般ではなく弟ということになるのだろうが。
だが今は理由などというのは些末なことだ。
男嫌いで女に甘い。竜巳はその可能性に一縷の望みを掛けた。
そしてそれは見当違いではなかったと直ぐにわかった。
「……ならば沙耶だけここに置いていけばよかろう」
言葉に詰まる天照。竜巳はしたりと心のなかで拳を握った。
「んなこと許すわけねえだろ」
続けてルシファーが唸るような低い声で即座に言い返した。ルシファーに竜巳の意図が伝わっている筈もないが、折角なので乗らせてもらう。
「どこか場所を貸してもらえないか。沙耶を休ませてやりたいのだ」
顔では沙耶を気遣う表情をしてみせて、竜巳は暗に滞在の許可を取る。
天照もそれには気付いているのだろう、不服そうに口元を歪ませるが、不承不承ながら「ついてこい」と歩き出した。
竜巳は喜びの表情が出ないよう口を固く引き結んでその後を追い、ミカエルは無言で竜巳に続く。ルシファーは沙耶を抱き上げ、床で倒れるようにして眠るユキを拾い上げた。一人と一匹を抱え、釈然としない表情のままその後についていった。




