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道中、何人かの人たちとすれ違った。元気そうにしている者もいるが、殆どは疲れ切ったようにぐったりと座り込み、時折初めて見る沙耶にうろんな目をちらりと向けるだけだった。
子供の泣き声がした。目を向けると、周囲から隠れるよう部屋の隅に、母と思わしき女性と小さな子供が二人座っていた。小学生くらいだろうか。ぐずったように母を呼ぶその声がいやに響く。それを聞いた母親は慌てて子供を静かにさせようとなだめる。何人かが不快そうにそちらを見遣ったが、誰も何も言うことはなかった。
“く……空気悪っ!”
沙耶は思わず心のなかで呟いた。
そうなのだ。
この空間に人はたくさんにいるのに、活気が全くない。せっかく沢山の人に会えたというのに、これなら居丈高なルシファーと二人きりのほうがましとすら思えるほどであった。たまに話し声は聞こえるがどれも声を潜めて話しており、それも言葉は少ない。沈黙が耳に痛いとはこういうことか、と思わずにいられなかった。
沙耶も黙ってなるべく足音を立てないよう藤田の後ろにそっとついていった。
「つきましたよ。ここがウケのいる座です」
バスターミナルだった空間の一番奥にそれはあった。藤田はここを「座」と呼んだ。この空間に名称があるのか、藤田がそう呼んでいるだけなのかわからないが、何とも異様な光景だった。
上下左右コンクリートで囲まれた空間で、そこにだけ木造の小さな社のようなものが並んでいる。檜皮葺の屋根に細長いまるで小屋のような社。ひとつひとつは小さく、人一人入ればもう誰も入れそうにないほどの大きさだが、それがずらりと並んでいる。
周囲の景観など一切気にすることのないその風貌も異様だが、何よりもその社から顔を出す全く同じ顔の女性たちの姿が一際異彩を放っていた。皆一様に神社にいるような巫女のような垂髪をして、それこそ巫女のような服を着ている。髪型も服装も同じなら確かに似たように見えるものだが、そういった次元ではなかった。本当にそこに並ぶ何人もの女性は寸分違わず同じ顔をして並んでいた。伏し目がちに座り、口元は微笑んだように緩く結ばれている。その表情までもが同じだ。まるでたちの悪い合成映像を見ているかのような気分だった。
「彼女たちはいつの間にかこの場にいたんです。異変に気付いてから彼女たちを見つけるまでそれほど時間は経っていなかったのに、初めて見つけた時にはもうあの建物にあの人数がああして座っていたんです」
藤田は驚愕に固まる沙耶を見て苦笑しながら、そのうちの一人に話しかけた。
「すいません、よろしいでしょうか」
藤田が声をかけると、藤田の前に座っていた一人が顔を上げ、目を大きく開けた。
「人類種の生存維持を承りました、式のウケです。ご用件をどうぞ」
「これで食料品と交換を。ああ、これとこれでお願いします。コップはこれで」
機械的に返事をしたそのウケという女性に藤田は何かを見せて渡すと、空中を指差した。するとウケは小さく頷くと振り返って藤田に背を向けたかと思うと、すぐにまたこちらへ振り返った。
そして何かをやり取りをしたと思うと、藤田が何かを手に持って帰ってきた。
「ではこちらどうぞ」
「え!? これサンドイッチとお水? えぇ、今どこから……」
藤田は戸惑う沙耶にそれらを手渡した。その手にはサンドイッチがふたつ並んでいて、水は白い取手のついたプラスチックでできたコップに入っている。今の一瞬でこれらが用意されたのだろうか。
だが、サンドイッチのパンはふわふわとして柔らかく、野菜もハムもふんだんに挟まれている。水も淹れたばかりのようにひんやりとしていた。
「さあさあ、驚くのも無理ありませんがまずは食べてからです」
藤田に促されるまま、沙耶は恐る恐るそのサンドイッチに口をつけた。一瞬脳裏に「黄泉戸喫」の言葉が浮かんだが、口から溢れそうな唾液に、もう堪えることはできなかった。そしてあっという間に完食してしまっていた。
水をぐいっと飲み干し、ほうと一息つく。腹に食べ物が入ったことで、やっと沙耶は人心地つくことができた。
「えぇっと、本当にありがとうございます。サンドイッチ美味しかったです」
「……美味しかったですか?」
「え、それはどういう……?」
謝辞に返ってきた不穏な言葉に、沙耶は身を強張らせる。明らかに緊張の走った顔の沙耶に、藤田が慌てて手を振った。
「ああ、いえ、そんな物騒なことではないんです。藤原さんは極度の空腹だったから美味しく感じるんでしょうかね。私たちはもう何度かウケから交換してもらった食べ物を食べているのですが、その、なんと言えばいいのか、美味しくないんです」
藤田の言葉に沙耶は目を丸くする。
「ウケたちの交換できる食べ物の中には様々なものがあります。例えばカレーなんかもあるのですが、カレーの味、というよりはじゃがいも、人参、玉ねぎ、お肉、そして香辛料の味がするんです」
「……? カレーってそういうものでは?」
「ええ、そうなんですが、それらが混ざっていないというか、素材それぞれの味が混じり合うことなく、ただ見た目のみそれっぽくあるだけ、とでもいうのですかね。外見だけそれらしく作られた、偽物を食べているような気になるんです。ああ、藤原さんに渡したサンドイッチはそもそも素材の味そのままって食べ物だから特に違和感がなかったんでしょう」
沙耶は先程食べたサンドイッチの味を思い出す。空腹でただただ腹にものを入れることだけしか考えられていなかったというのもあるが、言われてみればサンドイッチのハムの味が少し変だったかもしれない。
ウケたちのいる建物は、どう見ても調理場があるようには見えない。そもそもこんな大人数を賄う量の食材すら置いておけるとは到底思えない。となると出てくる食べ物はどこからくるのか、なにからできているのか。考えれば恐ろしいが背に腹は代えられない。食べざるをえないのだ。
「今まで自分は味にこだわるほうではないと思っていましたが……実は恵まれていたんですね」
藤田が力なく苦笑した。沙耶は思わず口をつぐんだ。
味気ない食事、先行きの見えない不安、襲ってくる化け物たち。気鬱になる条件は十分すぎるほどだ。この空気の悪さにも納得がいった。




