蚊に、血を吸われれば
蚊に吸われた血の前の人の記憶にコネクト出来る女
「蚊に血を吸われれば」
山中千
プーン、とモスキートーンを空気中に散乱させて、一匹の蚊が大東時亜希の二の腕に止まった。
亜希は気付いていたが、殺さず、血液を献上した。
マックシェイクを啜る私みたいだ、と亜希は思った。
亜希は、その蚊の前に吸われたであろう人の記憶に繋がることができる。
マッチング成功。
前は、伊達真人の血を吸っていた。
真人は、27歳のサラリーマンだ。
記憶の中で、恋人のサラと揉めている。面白そうだわ、と亜希は思った。
「ご飯を食べたら、皿下げてっていったよね?」
サラは、堪忍袋の緒が切れたといった模様。雲行きは、かなり怪しい。
「分かったよ、やればいいんだろ?やれば」
真人の言い方は、まるでサラに非があるといった印象。
「なにその言い方、この際だから言うけど……真人ってご飯作っても美味しいもありがとうも言わないよね?ご飯も残すし」
真人は核心をつかれ、憤怒した。なんてダサい男、亜希は思った。
「その分、俺が多めに家賃払ってるだろ?そのくらい普通じゃね?」
短い言葉で、最低な言葉を発した。
「はあ?私はあなたの母親じゃないのよ。今のあんたに魅力を感じないわ。出てく。じゃあね。」
「……ちょ、待てよ」
その時だった。サラの携帯電話が振動した。
修羅場に、修復のチャンスが与えられる、と思っていたのだが……
「凪くうん、ほんとコイツ最低。え、今から?行けるけど……。え!行く行く。凪くんち始めてだ!ありがとう。凪くんは優しいね」
サラは、目に涙を浮かべている。
どれだけ真人がサラを苦しめたのがわかる。
凪は真人の同僚で、今や自社のエースだ。
また格の違いを見せつけられた。
真人は、いてもたってもいられなくなった。この女、この女を渡すわけには行かない、と。
キッチンへ行って、包丁を手に取り
「さようなら」
と囁くサラの綺麗な後ろ姿を刺した。
ぐ、グホォ、という生々しい声をあげ、サラは床に寝た。
血で玄関は、赤い朱に染まっていた……。
死んだサラの血の気の引いた青い唇に接吻した。
「サラは、俺のものだ!」
と激しく叫んだ。
記憶が、巻き戻る。
真人の幼少期だ。
校庭で、ドッチボールに入れてもらえないようす。
「僕も入れて」
と必死で声を出すが、皆黙りを決め込んでいる。
幼少児にしては、残忍な虐め方だ。
悪口を言われるということは、存在を否定されているものの、存在を認めているということ。
無視は、存在すら認めてもらえない……。
「ただいま」
散乱した玄関のアパート201号室に、泥だらけでボロボロの小さな靴を真人は脱ぎ捨てる。
リビングに入ると、母親が喘いでいた。
「あん、あぁん、あはぁ、あん、あん、あぁ❤」
「おい、ガキが帰ってきたぞ」
「ちょっと、今日は帰って来たら駄目っていったよね?龍コイツ引っ張り出して!」
「たく、いい所だったのに」
男はボクサーパンツを履いて、真人に近付いていった。
怖い、と真人と亜希は思った。
筋肉は隆々としており、スキンヘッド、身長はゆうに2倍以上はある。
ドガっ、頭を一発殴られた。
耳を掴まれ
「邪魔すんな、小僧」
と言われ、家から追い出された。
僕の家なのに……。
もう一度、校庭に行って、無視された。
無視は、痛くないので、ましかも。そう真人は思った。
気絶している亜希の足元に、もう一匹の蚊が血を吸おうとしている……。
読書がこういう感覚だと思います