第38話 神槍、呉鍾
今度は広げて威嚇していた、右翼を掠めた。
「ギャッ!」数枚の羽が舞う。
グリフォン側からはまだ来ない。これは抱卵しているって話はアリかもしれない。
今している威嚇は「こっちが動けないと思って遠くから狙うなんて卑怯だろ!」って言いたいのか、「早くどこかに立ち去って!」って言いたいのか。
まあ、後者だろうけど。
そうは言っても、ロバを襲ったのはそっちが先だ。やられたらやり返すのが掟ってもんだろう。やられたまま見逃してくれだなんて、考えが甘い。
三の矢でようやく刺さった。
儒教で知られる孔子が弓を引くと、それだけで遠くから見物客が来たとかいうけど、まあ、まあ、比べるのも酷でしょう。
「進むよ」と言って、盾を構えて歩を進める。ちょっと帯が後ろに引っ張られた。
グリフォンの叫びがさらにけたたましくなる。
四の矢。左翼の肩口に突き立った。相当痛いだろうに、翼はさらに広げられる。威嚇のために大きく見せようというのだろうけど、腹を括った人間にとっては的を大きくするだけでしかない。
また弦音に続いて矢が突き立ち、グリフォンの叫びが上がる。
暴れるので刺さった矢が折れて、壮絶だ。
まだ向かってくるのか。
腹を括るか。
盾をくくりつけた左手も槍に添え、両手でしっかりと構える。盾越しでは無くなったので、グリフィスの視線が刺さるようだ。
「いくよ」
ずい、と進むと、さすがに前脚を振り上げて穂先をはたき落とそうとする。爪が鋭い。とにかく動きが速いので、なまじの挑発程度では即座に対応されて突き立てるどころじゃない。
当然だけどもう、メルさんは弓を引いていない。すぐに引けるようにつがえてはいるけれど。
ここはカルルにも手は出させないよ。
す、すっと、穂先を突き出してはグリフォンの爪を誘う。
やつも爪で対応するだけでなく、巧妙に体をくねらせ、狙いを逸らす。本能だろうか、穂先を心臓からずらして、致命傷をたとえ負っても、一撃を食らわせんとしているのがわかる。
奴め、肋に突き立った槍を片腕で押さえつつ手前に引き、もう片手で頭を上から打ち据えるつもりに違いない。
そしておそらく、奴を即死させなくてはその狙いは成功する。心臓さえ破れば、振り下ろす一撃は力を失い、あたしがやられることはないはず。
一瞬、一瞬だ。奴の体は拍子を微妙に変えて、その一瞬を狙わせない。こちらがつつく穂先を払い除け、やつも一瞬を狙う。
と、払い除けられた穂先をその爪と爪の間に突き立て、すぐに抜く。
この一瞬の痛みにやつは反応してしまい、拍子が狂う。
引いた穂先が巨大なグリプスの胸に突き立ち、反撃を与えぬ間に引き抜かれた。
奴の胸からはドッと血飛沫が迸り、私を血まみれにする。
これが前世で「神槍」の名を轟かせた突きだ。
飛んだり跳ねたりで、この名を得たわけではない。そんなものに、前世の武術家はなんの価値も見出していなかった。
壁に止まった蝿を、壁に傷をつけずに槍で突き殺す。これが李書文を「神槍」たらしめた槍の技だ。派手にどったんばったん飛び回らない。そんな必要はない。
必要なところに必要なだけの力を必要な時に出す。それだけでいい。
思えば、八極拳の祖とも二代目とも言われる孟村の呉鍾は都会に出て腕試しをした際に、立ち会った武芸者の眉に、気づかれずに槍を使って麺粉、小麦粉をつけたと聞く。
これも派手な技ではなくて、細長くて不安定に揺らぐ槍の穂先をいかに精妙に制御するかという技になる。
呉鍾、李書文に次いで神槍の名を得んとするリーシアにとってはこの穂先の使い手は避けて通れぬ道となる。
「ケァ・・・」と叫びかけたグリフォンがリーシアに向かって倒れ込んでくるのを堤篭換歩で避ける。さすがにもう、追撃はいらない。




