第1話 覚醒
その日、リーシアは自分が何者であるかを知った。
リーシアはそれまで、地方の一農村の幼女でしかなかった。ようやくよちよち歩きから脱したばかりのいわば「小童」だった。
そんなリーシアが、実はそんな自分がただの小童ではないことをその日知った。
それまで、リーシアの1日は、朝目覚めれば畑にいく親兄弟についていき、草花をむしり、虫に驚き、腹が減ればパンをかじり、眠くなれば寝、日が暮れれば家族とともに家に戻って眠るだけだった。
生まれてから4年、毎日毎日をろくに考えるということなく過ごしてきたが、突然自分がなにものなのか、いや、なにものだったのかを知った。
リーシアはそう、「神槍」だった。
「神槍」。19世紀の末、東アジアの大帝国、清の末期に滄洲地方から出た武術家で、名を李書文という。
八極拳という凶猛かつ、古風な武術を能くし、八極門の名を轟かせた。
各地に出かけては数多の武術家を倒し、多くの弟子を育てた。
リーシアはこれらを思い出した。異世界の武術家の、70年にもおよぶ波乱にみちた一生は圧倒的だった。あまりの衝撃に棒立ちになったまま崩れ落ちた。
それから二晩、まさに知恵熱を出して寝込んでしまった。
二晩寝込んで、熱が下がった時には、意外なほどすっきりしていた。老武術家としての記憶や経験などは残っているが、だからと言って自分自身が年老いた男性という気持ちは全く残っていない。
まさに「前世の記憶」だ。
とはいえ、一人の人間の一生の記憶・経験というのは圧倒的なものだ。幼く、考えのいたらないリーシアが、一人の男の生涯を追体験することで「人生」を考えることができるようになってしまった。
おそらくこのまま何もしないでいれば、母と同じ人生を送ることになる。それはもう確信と言ってもいい。まあ、悪い人生ではない。ごく普通の農婦として成長し、夫を迎え、子を産み、育て、そして死んでいく。
李書文の母も、妻も、そして娘も同じような人生だったはずだ。彼女たちが不幸だったか、幸せだったかはわからないが、どうだろう、同じような人生を送る気にはならなかった。
農民として一生を過ごすのでなければ、明日からやるべきことは一つだ。というよりもできること、だ。
前世、神槍として名を成した時もそうだった。貧しい田舎の農村でできることなんてたかが知れている。
それならば、せっかく思い出したこの何十年にもわたって蓄積した知識や経験を活かさないという選択はないだろう。
やってみよう。そう思い立った。
明日からどうなることかはわからないが、ただ、今日のところはまだ眠るしかない。フラフラしてまともに立っていられない。