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恐らく人生で最も長く向き合うであろう真剣勝負

作者: 大橋 秀人

この作品は、『勝負』をテーマに字数制限3000字で書いています。

今年の春に出来たばかりのマンションの一室で、秀吉はついさっき美咲が出て行った玄関のドアを睨んでいた。

こんなにも早く、リアルな『実家に帰らせていただきます』を聞くことになろうとは想像もしていなかった。

これは戦いなのだ、と秀吉は思う。

『夫婦間主導権争奪戦』

秀吉はこの戦いにそう名前をつけた。それは夫婦間における、最初にある最大級の戦いだ。


「その勝負には負けられない。なにしろ今後の夫婦の関係性が決まってしまうからね」

同僚の柴田はビールの入ったグラスを勢い良く煽る。

静まり返ったマンションにいても落ち着かず、秀吉は夕食がてら去年の同じ時期に結婚した柴田を焼き鳥屋に誘い出したいた。

「やっぱり、はじめが肝心って言うからね、先に折れたほうが次も折れることになるだろうし」

「そうなったら最後、一生嫁に頭が上がらないへタレ亭主になっちまう」空になったグラスにビールを注ぎながら秀吉は頷く。

「最初が肝心」

「そう、その勝負の戦果が今、出ている。今日、突然の呼び出しにも家を出て、ここにこうしていられるって事なんだよ」

「だよなー。前田は当日の誘いには来たためしがないものな」

「だろ?あいつは勝負に敗れたのさ」

柴田は勢い良く飲みすぎて顔が早くも紅潮してきた。

「お前の奥さんは、家を出るとき何も言わないのかい」

ネギマに皮、砂肝も、といい、カウンターのオヤジに向かって掌で日本づつであることを伝える。

「言われることは言われるな。またか、とか、先週も行ったじゃないとか・・・」

「やっぱり言われるのか」

「・・・でも強くじゃないぞ? もうあなたのお好きにしてくださいって具合に・・・」

誤記を弱めてビールを啜りだした柴田を見て、秀吉はため息をつく。

串がカウンターに出され、代わりに日本酒を二合

頼んだとき、携帯電話が鳴った。


【今夜は帰りません】

メールには短い文章が打たれていた。

【わかった】

と秀吉も返す。

そもそも、幸せの絶頂であるはずの新婚生活が一週間目で早くも崩れたのは、なんのことはない、日常のありふれた些細な諍いからだった。

美咲はバスタオルを一度使ったら必ず洗いたいらしい。

秀吉は、三日は同じものを使わないともったいないと思う。

両人にとって各々の言い分があり、それは疑いようのない生活観の一つだった。

そう、この堂々たる主導権争いは、たった一枚のタオルが引き金になったのである。


「夫婦喧嘩ってのは、常に我慢比べみたいなもので、忍耐の勝負なんだな」

そういってヒヤ酒を啜ると、好物のはずが今日に限って口に苦く広がったりする。

【どこにいる?】

手持ち無沙汰にいじっていた携帯電話でそう打ってみる。

【いいじゃん、どこでも】

返事はすぐに返ってくる。

美咲の行くところなど、実際、秀吉には想像がつくのであった。

【夫婦なんだから、居場所くらいは知らせておくもんだ】

でも、そう打ってみる。

【じゃあ、そっちはどこにいるのよ】

気になる? そう打とうしてやめる。茶化すと強がって突き放すのが美咲だ。

【飲み屋で晩メシ】

だから正直に答える。隣で柴田は日本酒と睨めっこしている。

【キャバクラでしょ?】

【晩飯をキャバで食う奴はあまりいないな】

【じゃあ、飲み屋で合コン?】

【今日の今日でメンバーを揃えられるなら、俺もなかなか敏感だな】

【じゃあ、隣の子をナンパだ】

隣を見ると、柴田は無言でゴリゴリと砂肝を租借している。

秀吉は苦笑しながら、

【隣は残念ながら柴田だ】

と打つ。

【(笑)】

と携帯が震える。

秀吉は含み笑いを浮かべながら、コップを啜る。

息を吸い込みゆっくり吐くと、酒の甘い香りが鼻を抜けていくのがわかる。

その時、突然柴田が飛び起きた。

「どうした?」

秀吉の問いに答える間もなく、柴田はけ携帯電話を開くと席を立つ。

「うん、うん・・・」

同僚には聞かせたことのない穏やかな声で、柴田は受け答えをしている。

頬杖をついてその光景を見守っていると、柴田はこちらに謝りそそくさと帰っていってしまった。

テーブルには散らばった串と飲みかけの日本酒と、シワシワの千円札が二枚あるだけだ。


【迎えに行こうか?】

店内は喧騒の中にあったが、取り残された秀吉にはかえってその騒々しさが気持ちを落ち着かなくさせた。

実際、限りなくくだらない理由で始まったケンカだ。秀吉にはタオルのことなど、どうでもいいことなのだ。

できることなら、この単なる意地の張り合いにさっさと終止符を打ちたかった。

【居場所もわからないのに?】

返事はすぐさま返ってくる。

【当たったら仲直り?】

これは決して折れているわけではないと自分に言い聞かせつつ、秀吉はコップの酒を空にする。

【当たったらね】

メールのアドレスを見て、美咲がどこにいるかは分かっている。

【そう。じゃあ、今から帰る】

返事を打ち終えたと同時に携帯電話を閉じ、秀吉は勢い良く席を立った。


店を出ると、初秋の澄んだ夜気に綺麗な満月が浮かんでいるのが目に留まる。

深呼吸すると、いったい今まで何を怒っていたのか分からなくなった。

長い戦いは始まったばかりだ。

男と女、夫と妻の真剣勝負。

結婚生活。

それは終わりのない戦いだろう。

それならば、ここはひとまず休戦としよう。

足早に帰路をたどりながら秀吉はそう思うのであった。











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