悪魔と天使のケーキ ひめありす
使用お題『悪魔』『鞠』
皆様、ごきげんよう。はじめまして。
わたくしの名前は窪谷鞠愛。くぼのやまりあ、と申します。
マリア様の様に慈悲深く、貞淑に、と両親が付けてくれました。
おかげさまで、少々体が弱い他は、概ねよく成長していると思います。
さて、わたくしのクラスには悪魔、と呼ばれる子がいます。
勿論大っぴらに呼ぶことはありません。そんなことをしたらいじめになってしまいます。
けれど、ふとした拍子に
「ほら、悪魔だからさ」
と噂されてしまうのです。
クラスメイトの名前は、隈 美百合さん。
美百合さんと言うお名前は初めてお伺いしましたが、大変美しいお名前かと思います。
マリア様の心は、鳩、百合、サファイアと言うくらいですからね。
どうして彼女が悪魔と呼ばれているのか、わたくしは存じません。
季節外れのインフルエンザにかかって、始業式から休み続けていた十日ほどの間にどうやら始まってしまったようなのです。
そして更に困ったことに、彼女はわたくしのことが嫌いなようなのです。
始業式から休み続けましたので、登校した時にはすでにクラスの勢力図は固まっていました。ぶっちゃけ浮いてるのですが、これもいつものことですので大して気にはしていません。後ろのドアから教室に入り、誰と挨拶をすることもないまま美百合さんの席へと歩みより――と言っても、彼女の席はわたくしの後ろですから、自分の席へ着いたようなものです。
「ねえ、隈さんはどうして悪魔と呼ばれていらっしゃるの?」
は?と美百合さんはこちらを睨みつけました。
「よろしければ、理由を教えて下さらない?わたくしに何か出来ることがあればお手伝いしたいの」
マリア様のように、慈悲深く。
それがわたくしに与えられた命題ですから。
「てめえの」
一呼吸おいて、美百合さんは叫びました。
「てめえの、せいだろう!」
はて、とわたくしは首を傾げます。
わたくしが彼女に嫌われていることと、彼女が悪魔と呼ばれることに、どんなむすびつきがあるのでしょうか?
わたくしがぼんやりと考えを巡らせていると、美百合さんは
「その、名前のせいだよ!」
なるほど、合点がいきました。
わたくしの名前は、くぼのやまりあ。
彼女の名前は、くまみゆり。
席順からもわかる通り、名簿の名前も前後しています。
加えて、まだこのクラスになって呼名の機会は多くありません。ですから読み間違えて
くぼのや まり/あくま みゆり
それにうっかりと
「はい」
などと返事をしてしまった日には
「それで、悪魔」と。
不名誉な綽名の、出来上がりです。
運悪く、私が休み続けていたことも遠因となっているのでしょう。誰も訂正しませんから。
「美百合さんは、悪魔と呼ばれたままでよいのですか?」
「いい訳、ないだろう!」
クラスでの様子を見ると、あからさまに無視やいじめはありません。ただ、少しだけバリアが出来てしまっているようにも思えます。
「でも、これがあたしの名前なんだから、しょうがないだろう!」
美しく、素敵なお名前です。きっとご両親が大切につけて下さったのでしょう。それは分かります。わたくしもこのマリアと言う名前を、行動の指針にしていますから。
「そして、その原因はわたくしにあるという事ですね」
美百合さんが怒って立ち上がっていってしまうと、わたくしは一人呟きました。
「よかった」
え?え?と他のクラスメイトの肩が顔を見合わせます。
わたくしが原因だというのなら、わたくしが解決することが、ゆるされているのです。
さて、どのように解決したらよいのでしょうか。
放課後、ベッドにもぐりこみながらわたくしは考えます。
はしたない、と思われるかもしれませんが、人よりも伏せっている時間が長いもので、ベッドの中の方が落ち着いて物事を考えられるのです。
悪魔は、良くないものでしょう。でもこのご時世退治されるのは悪魔よりも、鬼の方でしょう。ですから悪魔は共存が許されるはずです。
では、悪魔がいても許されるのは、どんな状況でしょうか。
悪魔と友だちになればいいのでしょうか。
「むしろ、ハロウィンとかですと、悪魔の仮装をしたり、」
わたくしは参加したことがありませんが、ハロウィンに悪魔の仮装は定番だと聞いたことがあります。
ハロウィン。悪魔。お友達。お菓子。
思い付く単語を頭の中に浮かべたまま、ごろんと、寝返りを打ちます。
「デビルズ・ケーキ?」
美百合さんは力いっぱい不機嫌な顔でこちらを睨みつけます。
前回話しかけてから、三日後。
考えすぎて疲れてしまい、熱を出して、また学校を欠席していましたが、どうにか今日から登校できました。
わたくしは美百合さんに声を掛けて、放課後家に来てもらいました。
物珍しげにわたくしの家の中をきょろきょろと美百合さんは見ていらっしゃいます。
わたくしは用意してあったレシピブックを手に取り、ページを開きました。
中身を美百合さんに示します。
「ええ、デビルズ・ケーキ。悪魔的に、美味しいケーキなのですって」
悪魔的、と言うのは、非常に魅力的、と言う意味もあるのだと、レシピブックには書いてありました。
チョコレートケーキですが、そんなに難しいということもありません。
大人に手伝って貰えば、わたくしたちでも作れそうです。
まずは生クリームとチョコレートを溶かします。
急いで掻き回すと分離してしまうそうで、一分ほど待ってから、ぐるぐると掻き回します。混ざったら冷蔵庫へ戻します。
次にスポンジの準備です。今回はずるをして市販のココアスポンジを準備していただきました。そこにあんずのジャムをぬりぬりします。
あんずのさわやかな甘酸っぱさと、生クリームチョコレートのこってりした甘さ、ココアスポンジの軽やかさ。想像しただけでもワクワクします。
冷蔵庫から生クリームチョコレートを持ってきて、スポンジに伸ばして、スポンジを重ねて、また生クリームチョコレートをぬって伸ばして、全部で四枚重ねました。
全体に最後に生クリームチョコレートをぬって、後は冷蔵庫で固めたら出来上がりです。
半分に切って、持って帰っていただくことにしました。
本当はすぐに召し上がっていただきたかったので、残念ですが。
「これをお友達とのお集まりなどに、持っていってみたらいかがでしょうか?とてもおいしそうですし、悪魔とも仲良くなると、こんないい事があるんだよーって感じでいかがでしょうか」
元々わたくしと違い、クラスで浮いていた訳ではありません。ちょっとした掛け違いですから、すぐに元通りになると思うのです。クラスメイトの輪の中に、笑顔で駆け寄っていく美百合さんを想像し、あら、どうしてでしょう。
少しだけ、胸のあたりがざわざわします。また、熱が出るのかもしれません。
胸元を押さえていると、靴を履き終えた美百合さんがケーキを持ち上げます。
「なんか、いろいろ、ありがと」
「いいえ」
わたくしは答えました。
わたくしに解決することが出来て、本当に良かったです。
でも、と美百合さんはこちらを睨みました。
まるで、初めて声を掛けた時のように。
「あんたはやっぱり、あたしの事を悪魔だと思ってたんだな。あたしは、あんたが今日、家に呼んでくれてうれしかった。―――になれると思ってたのに!」
ばたん、と審判の門のような音を立てて、家の玄関ドアが閉じられました。
ぴゅっと、ケーキの紙ケースが、白い羽のように、一瞬だけ輝いて見えます。
もう動かなくなったドアを見つめてわたくしはしばし途方にくれました。
一体彼女は、美百合さんは、何になりたかったのでしょう。
お友達の中に、戻りたい。
悪魔だとしても、みんなと仲良くなりたい。
できるなら、悪魔とは呼ばれたくない。
だから、嫌いなはずのわたくしについてきてくださったはずですのに。
翌日、辛うじて熱を出さなかったわたくしはよろめきながら教室へ向かいました。
誰とも話をしないまま、後ろのドアから教室に入り、美百合さんがクラスメイトに控えめに声を掛けているのを見ます。
その姿に、ほっとしながら席に着きます。
机の上には、見慣れないレシピブックがありました。どなたか図書室から借りてきて、置いていってしまったのでしょうか。
小さな白い、花の絵のしおりが挟んであります。今にも零れそうなのを手に取って、きちんと挟んで直します。子どもの筆跡で書かれた、百合の絵でした。
そしてそのページのレシピは
「エンゼルスフード・ケーキ」
知ってらして?天使とマリア様は、お友達なのですよ。