悪魔証明書 ゲオルギオ・ハーン
使用したお題「悪魔」
容易に他人を排除する社会は誰でも排除される危険を伴う。
私は今、旧友に会うために大型船に乗っている。ヴェネト共和国の港から出る商船に乗せてもらっているため乗り心地はあまり良くない。行く先はルチェシリア海の東方のペロース半島の南部にある都市国家『セナム』という街だ。
セナムには妙な噂がある。
曰く、セナムはヒューマンや獣人などの区別なく、魔族でさえも一緒に暮らしているという。他の都市や国でも一緒に暮らす程度のことは珍しくないが、そういった場合は住むエリアを計画的に分けているし、魔族なんてまず暮らすことはない。
しかし、セナムではそういったことはせず、平等な街づくりが出来ているというのだ。
私は信じられなかった。商船の主に聞くが、商売上立ち寄ることはあるが、どういった文化なのか、商習慣以外のことは詳しく知らないという。
ペロース半島の港町『ピレウス』で降りた私は陽気な太陽の光を受けながら辻馬車を乗り継ぎ、時には旅の商人たちとも同行させてもらいながらセナムへと向かった。一週間ほどの旅だったが、祖国のフランシアと違って、未だに人類と魔族が小競り合いをしている地域だけあって道は整備されていないし、町も荒廃しているところが多かった。
だからこそ、街の周囲を見上げるような城壁で囲われた『セナム』の街には圧倒されてしまった。白亜の鉄壁には大砲の弾が当たった跡も少なく、城壁外に駐屯している傭兵団は精強なようだ。近くに村もあるそうだが、まずは旧友のアントンに会うことを優先することにした。城門の警備隊に身分証明書を見せる。すると、鉄兜を被った長身の狼男が口元を緩めた。
「ここまで大変だったんじゃないか、シャルル。いや、ヌーデル・ラフィン子爵の方がいいかな?」
よく見ると、彼は私が会う予定だったアントンだった。なんという偶然だろうか。私よりも三十センチ以上背の高い彼は私の間の抜けた顔を見るとまた笑って、周りの警備隊員を見る。彼らは鎧や武器こそ同じだが、種族はバラバラだった。ヒューマン(人間)もいれば、蛇人や宝石を額に埋め込んだ宝石人までいる。
「ファイフェル隊長のサプライズですよ、旅の人」
傍にいた蛇人の警備隊員が笑顔で言うと、私ははっとした。
「さて、それじゃあ、案内がてら手続きを進めようか」
「アントン、君、仕事中じゃないのか?」
私が驚いて尋ねると、アントンは頷いた。
「もちろん、仕事中だ。しかし、君は西方の大国フランシアの子爵様だろう。他国の貴人には相応の礼儀を見せねばセナムの誇りを傷つけることになる。我々は自由平等を信条としているが、他国の差別文化に対して非寛容ではないのだよ」
「どうやら、セナムが気に入っているようだな」
祖国には王族や貴族、聖職者、平民という分け方があるし、種族間、民族間の差別もあるのは事実だ。それを指摘されて怒ることもない、と私は思った。すると、アントンは仕事を副隊長に引き継ぐと私と一緒にセナムへと入った。
セナムの内部は城壁の堅牢さとは対照的に広大な広場を取り囲むように小さな家が並んでいた。祖国では縦に高く建てられた集合住宅ばかりだからセナム人が当たり前のように入っていく一軒家がとても羨ましかった。道もきれいに整備されていて、道沿いに植樹があり、馬車が通れるための轍もはっきりわかるから交通事故も少ないことが推測できる。
「商店街が見えないのは珍しいね」
歩道を歩きながら私が言うと、アントンは苦笑した。
「セナムに商店街はない。まあ、平等な街という奴の不便なところでね。家は計画的に立てているから、商売を始めたい連中は与えられた一軒家で勝手に商売を始めるのさ」
「勝手に? 空き家を借りたりしないのかい?」
「総裁府が空き家の割り当てを決めるからそれは無理な話だな。商店まわりをしたいのならばそこらにある案内図を見るといい。付近にある店が分かる」
「職人街もないのか?」
「いや、それは総裁府が上手くまとめている」
街づくりでそんな調子で聞いている時も私とアントンはいろいろな種族とすれ違った。鳥人もいたし、なんとゴブリンもいた。同じ種族で固まっているわけでもなく、いろいろな種族が集まって談笑している様子も見た。
「やはり、お前も気になるか」
アントンが街の説明を中断して尋ねてきた。
「噂は聞いていたからね。どうやら本当のようだね、平等な街というのは」
私が言うと、アントンは頷いた。
「もう少しで入国管理局に着く。少し、その辺りを話すとしようか」
旧友のアントンには私の好奇心の強さをよく理解していると思った。近くの公園に立ち寄り、大木の傍に座った。
「単刀直入に聞くけど、どうやってこの街はこんなにいろんな種族が一緒に暮らせているんだい?」
私の問いにアントンは苦笑した。
「いろいろな種族ね。それが君ららしい思考だと思うね。ヒューマンと他の種族を差別して社会秩序を保っている。いや、ヒューマンの中でも階層を作っていたな。まったく度し難い」
王宮の謀略の影響で追放処分を受けた彼のことを考えると迂闊なことも言えなかった。
「では、どうやっているんだ?」
「単純なことだ。『善人』か『悪魔』かと捉えれば良いんだ」
「それは差別ではないのか?」
悪魔と聞いて、私は魔族を連想した。しかし、とも考える。魔族も当たり前のように街中を歩いていた。
「差別ではないよ、シャルル。『悪魔』というのはこのセナムの社会に害を為す者、という意味だ。言うなれば、病の原因みたいなものだな。それを取り除かなければ社会は悪くなる。差別ではない、社会が悪くなるもとの発見だ。俺はその『悪魔』を取り除く警備隊の小隊長になっている。これほど誇らしいことはない」
なるほど、理屈としてはあるかもしれない。しかし。
「悪魔なんてどうやって分かるんだ?」
私が尋ねると、アントンは立ち上がって周りの家を見る。そして、何かを発見すると私をその家まで案内した。家の扉には羊皮紙が貼ってあった。文面はセナムの言語だろうか、私はどこの国の言葉か一考した。
「セナムの公用語はグレコ語だ」
すると、アントンが説明してくれた。内容は簡素なものだった。前置きこそ長いものの要はこの家の者なになには悪魔であることが証明されたという文面だ」
「誰がこれを発行するんだ?」
「それは知らない」
「なんだって?」
僕が驚いて尋ねると、アントンは頷いた。
「知らなくても問題はないだろう。羊皮紙の真偽は鑑定できるし、文面もルール通りだ」
「偽造されないのか?」
「誰ができる? 上質の羊皮紙に高貴な文体のグレコ語が書かれ、神々の印が押されている。敢えて言うならばこれは神から警告だ。セナムは神々の加護を受けている」
本気で言っているのか、と言いたくなったが、私は言葉に詰まった。アントンはまっすぐな男だし、政変に巻き込まれてルチェシリアの各地を放浪するなど苦労したのだ。彼が再び誇りを持ち、職務に励んでいるのに水を差すようなことが言えるだろうか。
この話題はそれ以上続かなかった。しばらくの沈黙のうちに管理局へと向かい。手続き後、問題もなく入国手続きを終えた。翌日は観光向けの場所を案内してくれるとのことでその日は解散となった。アントンの家に泊まることもできたが、先ほどのアントンの話を聞いて少し恐ろしくなり、宿屋へ泊ることにした。宿屋だからといって羊皮紙を貼られないわけではないだろうが、なんとなく人の家に泊まるよりはいいと思った。
逮捕される『悪魔』以外はすべて善人ということを街の人々は信じ切っているようで、夜の街中で女性が一人で歩いているのは珍しくなかった。宿屋の応対もとても良く、部屋も広くて、ベッドもふかふかだった。
翌日、宿屋を出て待ち合わせの場所に行ってもアントンは来なかった。教会の鐘の音を聞くとこれ以上は待てないと思い、昨日アントンに教えてもらった彼の家へと向かった(住所を街の人に聞きながらではあったが)。
第五都市区というセナムの中心部に近い区画にあるアントンの家の扉には羊皮紙が貼られ、警備隊員が扉の前にいた。私は慌てて事情を聴くとアントンは『悪魔証明書』により逮捕されたという。私は理由を尋ねるが。
「彼は悪魔とされたのだから悪魔である。ゆえに逮捕された」
「罪状は?」
「これから出てくるだろうさ。悪魔なんだからな。なにかしら出てくるだろう」
なんという話だろうか。さらに話を聞こうとするが、警備隊員は眉をひそめた。
「貴様、善人なのになぜそんなに疑問を持つんだ。悪魔は悪魔だ」
「しかし、昨日までは善人だったんでしょう。アントンは」
「上手くだましていたんだろう。まったく、証明書がなかったら大変なことになっていた。それより、そういえば、貴様、昨日アントンといっしょにいたな。もしや、貴様も悪魔か?」
警備隊員の脅しに驚いて私は慌てて否定し、フランシアから来た者だと言って証明書を出して、ようやく解放された。
ため息をつきながらアントンの家の前から立ち去り、広場の大木の傍で休んでいると、山羊のような角をした十四歳くらいの黒髪の少女が来た。目の色は珍しく金色である。陽光を浴びる黒いドレスがなんとも怪しげな雰囲気を出していた。
「どうしたの、悪魔の家になにか用でもあったの?」
「旧友の家だったんだ。彼とは今日会う予定だったんだよ」
私は疲れもあって思わず言った。すると、少女は首をかしげる。
「良かったじゃない。悪魔になにかされたかもしれないのに。命拾いしたのに、どうして悲しそうなの?」
「当たり前じゃないか。旧友だったんだ、彼を何とか助けたい」
「無理だよ」
少女ははっきりといった。私は言葉に詰まった。僕の表情の何が面白かったのか分からないが、少女は白い歯を見せて笑った。
「私はエル。あなたの旧友はこれから総裁府で手続きが終わると処刑されるわ。私、知っているの。私だけじゃないわ、この街みんなの常識よ」
「おかしいと思わないのか、あの紙だけで人が処刑されるなんて」
「あの紙じゃないわ。悪魔証明書よ。悪魔は処刑すべきよ。善人のためにね」
「紙だけで分かるなんておかしいとは思わないのか、この街の人は」
「そうよ。分からないの。紙が貼られていない間は無事だから。衣食住は完備しているし、財産も保証されているから。ねぇ、なのに、なにがおかしいと思うの? 誰でも平等なのよ。まあ、誰でも差別される可能性はあるんだけどね」
エルはそう言うと、意地悪そうに笑った。私は彼女から底知れない恐怖を感じた。
「それではこの街は平等じゃないのか?」
「いいえ、平等よ。みんな見た目で差別しないでしょ。羊皮紙のあるなしで判断するだけ。あなたたちの国よりも容易に分けているわ。だから、誰でも差別できてしまうのだけど」
エルはそう言うと、うふふ、と妖艶さえも漂わせて笑うと私から距離をとった。
「あなたも祖国でこの国のことを語るといいわ。平等と信じて疑わない差別的な都市の話をね」
少女は高らかに言うと、いつの間にか私の前から消えていた。
私は翌日、セナムを出て、そして旧友が処刑されたことを知った。