芸術暴論 なる
使用お題:「悪魔」「鞠」「鑑賞用の魔法」
ドアーを開けると数人の男女が円卓を囲むように座っていた。
私はドアーに近い一つだけ空いていた椅子を選び、そこに腰掛けた。
誰もが黙りながらそれぞれの出方をうかがっている様子だ。その雰囲気に飲み込まれて 私も息を呑みながら、いつ開催されるのかと心を焦らしていた。
部屋は窓がなくほぼ密室といってよかった。六人でもう一杯になってしまう広さで、中央に円卓。とんだ円卓の騎士だった。なぜ私がここに招待されたのか、そもそも招待した男がここにいないのはどういう道理なのか、誰にも問いただすことができないまま、部屋の重い空気を吸い込む。
見据えると小ざっぱりとした割に神経質そうな若者、初老で眼光鋭い男性、黒髪を腰あたりまで伸ばした綺麗な女性、髭を生やして女遊びに慣れたような若者、和装の中年女性、この五人に私を加えた六人であった。誰もが押し黙っている。私と同様に彼らもお互いに関係性がないようだった。こんなことで何をしようとするのか。あるいは私だけが意図を知らず、彼らは虎視眈々とチャンスをうかがっているのか。
そんな疑心暗鬼にとらわれていると、背中のドアーが開いて、私を招待した件の男が入ってきた。皆の視線が一斉に男の方へ集まる。
「やあ、みなさんお集まりですね。お忙しいなかでご足労いただきありがとうございます。お待たせしてすいません」
「どういうことだ。もう一時間以上も経っているぞ」初老の男性が苛立った様子で言った。
「もうしわけありません。全員が集まってから始めなくては意味がないかと思いまして」
男の言葉で、皆の視線が私に集まる。
たしかに最後にこの部屋に来たのは私だ。私が皆を待たせたという格好になるということか。
「ちょっと、これはいったい・・・」私が問いただすより先に、男は言葉をつないだ。
「さて、本日お集まりいただきましたのは他でもない、芸術とは何か? これをみなさんにとことんまで語り合ってほしいと思い、各界の代表者をお招きしたわけです」
「芸術?」どういうことだ?
「そうね。どれが最も芸術と呼ぶのにふさわしいものか、白黒つけてやろうじゃないの」私の疑問など吹き飛ばすように黒髪の女性が息巻く。どうやら私以外は目的を知っていたらしい。
「望むところだ。負ける気はしないけどな」髭の遊び人がニヒルな笑いを浮かべる。
「おお、みなさん、いい心意気ですね。それでは始めましょう」こほん、と男は一つ咳をついた。
「芸術とは何か? 悪魔の作り出した所業とも言える、人類に許された表現活動。長い人間の歴史の中で数多の芸術表現が生まれました。この中で何が最も優れているか? さあ、議論をはじめてください!」
「まずは僕から」私の隣に座っていた神経質そうな男が口を開く。「何と言ってもこの中で最もこの部屋に待たされたんだ」と言って私のことを睨みつける。勘弁してくれ。
「僕は断然、詩だと考えるね。かねてより人類の救済の役割というのは宗教が担ってきたわけだけれど、ではその宗教を広めるために何が使われただろう? 言語だ。その原始的な、言語というツールから生まれたのが詩であり物語だ。叙事、叙情、あらゆる事象や心象を描きだしてきた。素晴らしいと思わないか? それによって思想が生まれ、派閥となり、そこから戦争にまで発展した。文明に最も寄与するのは言葉の力だと見て間違いないね」眼鏡を中指で上げながら男は言った。すると私の反対側で隣に座る老人が反応する。
「いや、それはどうだろう」老人が鋭い眼光をさらに鋭くして異議を申し立てる。
「儂にはそれは詭弁に思える。確かに言語というのは相手に対して最もストレートに届くツールとしての働きはあるだろう。しかし、言語を知らない人はどうだ? シュメール人がランボーを愛するか? そもそも伝わらないではないか。その点、儂が手がける美術はどうだろう。絵画、工芸、塑像あらゆる分野に行き渡る美術こそが最高の芸術である」老人は誇らしげに言った。
「ちょっと待って」次はその隣の女性だ。どうやら順番は時計回りになったらしい。私が最後という塩梅だ。このまま行くと私も芸術について一言なにか持たなくてはならない。
全く思いつかない、と焦っている間に女性はすらすらと喋る。「陳腐ね・・・そんなの誰だってわかることだわ。そんな当たり前の芸術論を言ったってつまらないじゃない。そんなの既存の価値観に胡座を書いているのと同じ。いつまでそんなカビの生えた美術にすがってるの? 芸術は現代において体感できるアートを生み出しているのよ。絵画だったり塑像だったりにとらわれないインスタレーション。それこそがこれからの人間によって芸術と呼ぶべきものよ」
「何を言うか」老人が憤る。
「あら、図星ですか?」女性が煽る。
「まあまあ」その隣にいた髭の男が二人をたしなめる。意外にも調停役らしい。「そんなカリカリしたって仕方ないじゃないですか。美術ねえ、確かに結構。でもどうです? 大事なものを忘れちゃいませんか?」
男は懐からタバコを取り出して火をつけた。「音楽ですよ、音楽。先生や彼女の言う美術は見ることが前提じゃないですか。その点、音楽は目が見えなくたって感じることができるんです。しかも詩のように文化的教養も必要ない。人類が遺伝的に備えている長調の明るさと単調の不安定さ。これは教養と関係なく感じ取れるプリミティヴなものですよ。つまりですね、人間と最も深く結びつくのは音楽なんです」
男は勝ち誇ったように言った。
「そうでしょうか」それは隣の和装の女性によって妨げられた。
「なんですか? あなたは何を推薦しているんですか? まさか和服とか裁縫とかってわけじゃないですよね?」
「私は香りです」女性は静かに言う。「私が指導しているのは香道、いわゆるお香を聞く、という道を生業にしています」
「香道ですか?」男は鼻で笑う。「それは芸術から一段落ちるような」
「そうでしょうか」女性は反論する。「香道というと確かに一般的ではないしピンとこないかもしれない。でも人にとって匂いほど生活に即しているものはありません。そう思いませんか? 例えば言語が不自由な人や文化圏の異なる人は詩の伝えたい意味がわかりません。目が不自由だと絵画の濃淡を見ることができません。耳が不自由なら旋律を聴くことができません。手足が不自由ならインスタレーションに触れることは叶わないでしょう? 悲しいことに匂いが分からない人も世界には一定数いるけれど、これらの障害を持つ人に比べれば圧倒的に少ないのです。日常生活におけるリスクもこれらに比べれば少ないですし、芳香というのは人を癒すことのできる最大公約数の芸術なのです」
「なるほど」私の後ろで立ったまま議論を聞いていた司会の男が拍手をした。「そういう意味では確かに芸術というのは悪魔の所業ですね。全ての人を救うわけではない。救いはするけれど全員のことは助けませんよ、という意味でね。では芸術とは何のためにあるのか? ところで私はこう思うのです。殺人こそが最高の芸術だと!」
突拍子もない発言に、そこにいた全員が息を呑む。
「聖書から描かれている行為、それが殺人です。人と人が生み出すことのできる最高の芸術。ここではその良し悪しを言っているのではないのです。理性を与えられている人間が、それをかなぐり捨てて本能的なものに行き着く。これこそが芸術なのです。中には人の皮を剥いで家具にしたり、切断した頭を鞠のようについて遊んだりと常軌を逸した行動を持つ者さえある。これこそが芸術たる由縁です」
全員が沈黙した。ベクトルが違っている。あるいはこの男に殺されるのでないか、という不安さえよぎる。もしかしてこの男は私たちを一堂に集めて殺そうとしているのではないか。
そんな疑心暗鬼に陥りそうになった時、男は笑った。「勘違いしないでほしいのは、私は殺人者ではないし、殺人は犯罪です。やってはならないことです。単純に芸術行為として考えている、というだけですから勘違いなきように」
皆の胸をなでおろす音が聞こえたような気がした。
「では、最後にあなたはどうです?」と私を指す。
「え? しかし私は」私は芸術などというものとは無縁に生きてきた。焦る。
「ここにあなたを呼んだのは他でもありません。あなたは料理人ではありませんか」
「料理?」
そこにいる全員が声を上げた。あれは芸術とは呼べんだろう。あんなもの、胃袋を満たせればいいだけの代物ではないか。食べ物にアートを求めるか? 美食家なんてものがいるが、あんなもの資本主義の豚だ。新自由主義の恩恵にさずかる奴隷だ。料理を芸術とは認められない。
そんな声が飛び交う。私はさすがに我慢ができなくなった。
そうだろうか。
本当に料理は芸術ではないか?
「そうでしょうか」
気がつけば感情が口から溢れ出していた。
「料理は芸術ではありませんか? けれど特定の人物が個のものを創造するという意味では芸術ではないでしょうか? 一子相伝どころか、その人しか生み出すことのできない料理がある。時には見た目や配色、匂いにだって気を配る。詩人が言語を文章にしたように、音楽家がメロディを楽譜に落とし込んだように、料理人は味をレシピに落とし込んだという意味では、芸術と呼んでもなんら差し支えのあるものではないのではないですか?」
皆が黙り込む。
「人を救うことが芸術に課せられた使命の一つだとすれば、生きるために必ず摂取しなくてはならない食事において、そこに味付けという名の魔法をふりかける料理は最高の芸術ではないですか?」
しばらく沈黙があった。
司会者の男が口を開く。
「なるほど・・・絵画や音楽と同様に料理を鑑賞する、ということですか。味付けとはさしづめ観賞用の魔法ですかな。やはりあなたを呼んだのは間違いではなかった」
全員が頷く。
確かに、料理は生きて行く上で最も大事なことの一つだ。そこには人類の叡智があり、人類の美学がある。まさにそれこそ芸術だ。
「では・・・」
「その芸術をひとつ、鑑賞しに行こうではありませんか」
司会者の言葉でその場が一気に和む。
「賛成!」
「さっきから腹が減っていたんだ」
「どんな芸術を鑑賞しようかな、楽しみだ」
「料理人さん、頼みますよ」
「魔法を浴びたいわー」
そうして空腹であるがゆえに偏屈になっていた芸術家たちは、それを満たすアートを味わいに、揃って部屋から出て行ったのだった。