眠り姫
──眠り姫──
おとぎ話。
遠い世界、誰も知らない国に永遠眠り続ける姫がいる。
歳も取らず、髪も伸びず、息もせず、食事もせず、痩せもせず、まるでたった今眠りについたばかりの姿。
もう百年以上も眠り続け、盗賊が拐おうとその美しい体を持ち上げようとしてもびくともせず、不届き者が我が物にしようと衣服を剥ぎにかかっても布切れ一枚捲ることもできない、触れることもできず、水を掛けても濡れることもなく、火を近付けても焼けもせず、時が止まったように眠り続ける姫。
そんな姫に恋い焦がれ、白馬に乗った異国の王子が遙々会いにくる。
そして出会いと共に愛おしさが溢れ、姫の了承もとらず口づけをする。
そして姫が目覚める。
それは運命。
二人幸せに暮らしましたとさ。
なんだそれは?
そんな姫はいない
ただのおとぎ話
飲まず食わずで生きられる訳がない
ただのおとぎ話
時が止まったように美しさを保つなんてありえない
ただのおとぎ話
何処の馬の骨ともわからない王子とやらの
口づけで目覚めるなんておかしい
ただのおとぎ話
少年は母からこの話しを聞かされた時、子どもらしいキラキラとした微笑みを浮かべ、話をさも面白そうに聞き、続きを催促しながら心の奥ではそう思っていた。
──ただのおとぎ話──
下らない
──ありえない!
だが、それから幾年も経たぬのに、少年から青年に変わる年頃に、そのありえない現実が目の前にあった。
眠り姫。
姫ではない、伯爵令嬢。
アイリス・ユークラリス
十日前。
事故で意識不明に陥ってから眠り続けている。
いや。
一度は死んだ。
そして蘇生した。
でも食事もしないし排泄もしない。
飲ます食わずなのに、眠りについた時から痩せもせず、そのままの美貌を保っている。
付き人リリとララが、毎日アイリスの体を拭きながら異常がないか確かめている。
いや、異常はある。
汗もかかず、拭いても垢もでないらしい。
タオルが汚れないという。
息はしているし、心臓も動いている。
それでもなんだか眠れる少女の周りだけ、時が止まっているように感じる。
いましがた姉が眠る部屋に入ってきた15歳。
グレイの髪、アンバーな瞳。
まだ少し少年のあどけなさの残る顔立ちだが、得も言われぬ色気がある。
その垂れた長い前髪から覗く瞳は憂いをおび、真っ直ぐに眠れる美少女を見つめる眼差しは哀しみに満ちている。
「ごめん姉様。僕のせいだ。
僕があんなこと願ったばかりに……。
ホント……馬鹿なのは……僕だった」
ベットの脇の椅子に腰かけ、手前にある姉の右手を両手で優しく包み、額をのせる。
閉じたアンバーの瞳から涙が零れた。
☆☆☆
八歳になるグレーの髪の少年は、〈眠り姫〉のおとぎ話を聞いた翌年に母から引き剥がされ、このユークラリス伯爵家に養子に出された。
跡とりになるという。
そこには娘がいたはずだ。
婿を貰えば済む話だ。
──なぜ自分が?
血がユークラリス家に近いから?
それは判る。
判るが、繰り返すが、婿を貰えば済む話だ。
少女に会った瞬間わかった
──この子は何かが足りない──
直感だ。
何がどう足りないのかわからない。
少し存在が希薄というか危うい感じがした。
可愛いし伯爵夫人にそっくりで将来美人になるだろう。
ただ、歳が若いせいか血が濃いためか少女に親しみは感じたが、恋慕の感情はわかなかった。
それは15歳になった今も変わらない。
いつしか親しみなんてものは〈あの日〉まで、消えてなくなっていた。
八歳の時の少年にとって、同じ八歳の少女は重荷でしかなかった。
たった一日早く生まれた少女は姉だから偉い言うことを聞けとばかりに、何処にもかしこにも連れ回された。
アランは読書が好きで、一人で過ごす時間が何よりの至福であった。
だが、姉は此方の事情などお構い無しだ。
いきなり断りもなく腕を捕まれて引っ張り回される。
いい加減うんざりしていた
「いい加減放って置いてくれ」
「構わないでくれ」
何度も懇願したが、聞く耳をもたなかった。
そして少女は異常だった。
伯爵夫妻と少年以外、顔が見えていない様だった。
十歳の頃、少女に専属の侍女見習いがついた。
緑の髪をしたリリという一つ年上の少女だ。
毎日側に居たのに伯爵令嬢は彼女のことがわからなかった。
「緑の髪をしているから、たぶん……リリ」
ピンクの髪の少女はよくこう呟いていた
「姉様、顔がわからないの?」
と尋ねたら
「顔がツルッとしている。お父様やお母様みたいに、光って目や鼻や口がない。ここに居る人みんな顔がない。何言ってるのかもわからない」
なんて恐ろしいことをいう
「あなたにはちゃんとある。あなたの言葉もわかる」
少女は微笑んだ
──こいつヤバいやつだ
少年は戦慄した。
そしてハッキリと理解した。
僕に一生この少女のお守りをさせる気だ。
☆☆
二人は順調に年を重ねていった。少女は美少女となった。だが、彼女の心は八歳で出会った頃から変わらなかった。
少年と少女の心の距離はどんどん離れて行った
「花が好き。蝶々が好き。猫も好き。犬はキライ。馬が好き。アランが一番好き。世界で一番好き」
アランは姉アイリスから恋愛ではない純粋な好意を向けられるたび思った
『僕は大キライだ。この世で一番キライだ。頼むから死んでくれ。僕の世界から消えてくれ。姉様』
☆☆☆
13歳になって間もなく
【白薔薇学園】に通うことになった。
やっと解放される。
くびきから放たれる。
アランはそう思った。
だが現実は甘くなかった。
アイリスも行くという
──絶対無理
学園は他の貴族の子弟も通う。
伯爵令嬢としてこの伯爵邸ではワガママできるが、学園は違う。
王族や公爵、侯爵などの身分の高い子弟も当然通う。
アイリスに彼らの顔を覚えられる訳がない。
そして精神年齢が足りず、勉学も覚束なく、礼儀作法もままならないアイリスに通える訳がない。
絶対軋轢を生む。
とても庇いきれない。
「無理です」
アランははじめて養父母の伯爵夫妻にたてついた。
夫妻は悲しい顔をしながら
「アランしか頼れる人がいない、アイリスを頼む」
と懇願された。
「わかりました」
と頷くしかなかった。
王様直々に特例として
〈アイリスの学園でのいかなる無礼を不問にする〉
通達が出された。
全貴族には根回しとして、その理由も合わせて早めに知らされた。
王命として
〈精神的に少しおかしいから、そのつもりで。くれぐれも目くじらを立てないように〉
砕けて書けばそんなところだ。
そして伯爵夫妻からはもうひとつ言葉をかけられた。
それはアランの一生を左右するような言葉だった。
「この学園に通う五年間でアイリスのパートナーを見つけるように。
そしてもしそれが叶わなければ、アラン、お前がアイリスのパートナー、婿となるように。
そして子を成し、このユークラリス家を盛り立てるように。
アイリスを幸せにしてほしい」
そんな事だろうと予想していたとはいえ、ハッキリ告げられると堪える。
ただ救いはある。
限りなくゼロに近いが、パートナーを見つければよいのだ。身分が釣り合って、あのどうしようもない馬鹿な女を嫁に貰ってくれて、そこそこ幸せにできるような人を。
本心とすれば、アイリスなどどこぞの体を目当ての好色家にでもあてがえば良いと思う。見た目だけはすこぶる上玉だから、それならすぐ見付かるだろう。
アイリスなど、視界から消えてくればそれでいい。
だが、それでは伯爵夫妻が許さない。
次期伯爵としての僕の誇りも許さない。
一応、ユークラリス伯爵令嬢として一定の幸せを与えてあげよう。
だから、あんなアッパラパーを少しでも愛してくれる物好きを探すしかない。
のっぺらぼうではなく、アイリスが顔を認識できる男が最低条件だ。
自分が婿になり、アイリスを娶るのは絶対嫌だ。
一生あの調子で引っ掻き回されるだろう。
それに子を成すのも抵抗がある。
そういう行為は文献で知識として知っているし、年相応の男子として興味もある。
でも、アイリスはありえない。
例え見た目、絶世の美女となっても、心が永遠成長しない子供のままの無邪気な女の子を、どうしろというのだ?
行為をしたとして、何をされてるかもきっとわからないだろう。もし子供が出来たとしても、いつものように走り回るかもしれない。
あんなのが妻として、子の母として、側に居続けるのはとても耐えられない。
それでも可能性にかけるしかない。
新しいパートナーを見つけるために。
白薔薇学園に行こう