奇跡と呼ばず何と呼ぼう
エステバンは、生まれた時から神官になることが決まっていた。
両親は[神聖マーリア教団]の熱烈な信者……というよりも聖女大好き人間だった。丁度、前聖女が亡くなってから百年目に新しい聖女が誕生するらしく、エステバンが25歳位で聖女が生まれる(赤ん坊とは限らない、成人で目覚める可能性大の)筈だから
「お仕えするように」
そう物心付く頃から教え込まれた。
そして聖女を補助する為に生まれた[神聖マーリア教団]の神官に成るべく、10歳の頃に教団に入信させられ親元から切り離された。
エステバンは三男で家の後継者にもなれないから、厄介払いも兼ねて……と言えば語弊があるが、とにかく聖女に仕える為に生まれて来たと教え込まれた。
月日は経ち……
大海を挟んだ隣国のフォラリス王国に聖女らしき人物がいるらしいと噂になり、皇太子殿下が隣国へ赴き聖女を連れて来た。
両親と一族の念願通り神官……通り越して神官長と成っていたエステバンは、『もうすぐ聖女様にお仕え出来る』と、感激を隠せなかった。
教団は帝国では12の教区に分けられていた。
ヴァチルは別格で教団の首都のようなところだから、教区には含まれない。
エステバンの第三教区は、帝国が誕生した地である。初代皇帝を選んだ聖女が共に手を携え、ここから大陸に覇を唱える広大な帝国を作り上げた。
そんな由緒ある第三教区にはエステバンが尊敬する教区を統括するヨハネス大神官がおられた。ヨハネスはエステバンを殊更可愛がり、養子縁組みして後継者に指名してくれた。
そしてエステバンは教区を更に三分割した[教地]の責任者たる神官長に23歳の時に選出された。そのエステバンが担当する第三教区の第一教地こそが、帝国と初代聖女の誕生した聖地である。
だから第三教区の住人達は[聖女誕生の地]たる誇りを持ち、聖女loveを貫いているらしい。
けれどマーリア教団に取ってはそれが足枷となっていた。教団の教義よりも聖女が上で、扱いにくい教区として有名だった。
それに第三教区は税収の実入りも少ない、寒く荒野が広がる荒涼とした土地である。エステバンはこの地に立つと何故初代皇帝がこの地から飛び出して征服戦争に明け暮れたか分かる気がした。
あまりに土地が痩せすぎて、初代皇帝を慕って集まった者達を養うには、外に打って出るしか無かったからだ。
でもそんな地に住まう者達は頑固で、心身共に強靭な者が多かった。聖女を誇りとし、聖女を女神の如く崇めていた。その反面[神聖マーリア教団]の信者というよりも聖女信者と断言して良いほどで、教団に取っては目の上のたん瘤のような存在だった。
例に漏れず大神官ヨハネスも、その薫陶を受けたエステバンも熱烈な聖女信者であった。
そして今日……。
皇宮に閉じ籠ってから三ヶ月して、ようやくヴァチルに聖女がやってきた。けれど帝国に上陸し奇跡を起こした聖女とは思えないほどに大人しかった。
エステバンが待機する、サンタ・マーリア大聖堂に現れた聖女は白いローブに身を包み、顔もベールで覆い隠していた。ただその目の醒めるようなピンクブロンドの髪だけが、鮮やかに聖女で有ることを示していた。
そして……何より信じられないのは、教団の対応だった。
聖女を迎えるのに居並ぶのは分かる。
階段に並んだのも段差があり、教団幹部の顔を、良く聖女に見て貰う為だと思っていた。
聖女が現れたら当然壇上に上げ、祭壇前で教王と握手でもして親密さをアピールするものと思っていた。
だが教王は何を血迷ったか聖女を聖女候補と貶め、衆目の前で聖女を馬鹿にして「教団に従うように」と強要した。
教王は頭がイカれたのか、教団は聖女あっての物なのに、それに気付かず聖女を自分達よりも下……あろうことか神官長のエステバンよりも下位の組織として扱う腹積もりのようだった。
エステバンは思わず第三教区のヨハネス大神官を見たら、父も困惑を隠せないでいた。これは事前に協議したのではなくて、教王フィリップの独断と独善らしかった。
教王フィリップは根回しの人で、決して無理難題を押し通す人では無かった筈だ。だが、聖女と相対する教王は明らかに礼を逸している。
確かにアイリス嬢は勉学が得意では無いのは有名だ。学園で断トツのドンケツなのは周知の事実。
だがエステバンからみれば、それまでの子供のような人格から目覚めて間もなく……今は五月も末だが、帝国へ足を踏み入れた二月でも半年しか経っていない。
勉強なんて出来ないのは、当たり前だ。
それなのに大勢の貴族達から歓待を受けて、聖女はしっかりと応対した。多くの人から聖女様の事を聞いたけど、『馬鹿』だとか『頭が悪い』とかそういう話は一度も聞かなかった。反対にいつも微笑んで、受け答えもしっかりしていて、将来皇后と成っても遜色無いだろうと話題だった。
もちろん皆は聖女が皇后に成っても、完璧さは求めていない。むしろ皇后職に現を抜かすくらいなら、ほどほどにして聖女業に邁進して欲しいのが、多くの信者の心の声である。
そしてパレードでアイリス嬢を一目見た何万人という帝国民達は、誰一人としてアイリス嬢を聖女であるとして疑わなかった。ピンクブロンドの頭髪にアメジストの瞳。そして天下第一の八頭身の美少女。
誰に聞いても聖女と信じて疑わないのに、一番信じるべき教王が[聖女候補]と蔑み、教団に仕えよと脅している。
教団こそが、聖女に仕えるべきではないのか?
エステバンはそう信じて疑わない。
そして教王との不毛な問答に痺れを切らした聖女が、階段へ向けて一歩、また一歩と足を踏み出す。すると聖女の動きに合わせて身体が押し出される。
まるで見えない壁でもあるかのように……。
神官長が何人か渾身の力で対抗して踏ん張っているが、何の障害にもならない。力自慢の聖騎士達も無力と化している。
たった一人、か細い少女が何事も無いかのように、階段を上がっていく……。
これを奇跡と言わず何と言おう!




