12.5話 閑話 あの日そして……その日のリリ
付き人リリが
アイリス様の死を目の当たりにして
死の絶望から
リリの半生をからめて
再生する物語です
───あの日───
あのアイリス様が宙に舞い。
【眠り姫】となったあの日。
私の心が砕けました。
あの事故は私の責任です。
アイリス様がまた走り回る気配がしたので、スカートの裾をたくしあげるその細い両手首を掴みました。
けれどアイリス様の不意打ちの頭突きにあい、私はその手を思わず離してしまいました。
それからすぐに事故が起きました。
私は空を飛ぶアイリス様を見た時、震えが止まりませんでした。
真っ逆さまに落下し、あの固い石畳に頭を強打なされた時、絶望が襲いました。
ゆっくりと仰向けに倒れる身体をお支えしようと、階段を転がるように駆けました。転び這いつくばりながら必死にアイリス様の元へ駆けました。
でも間に合わず、あの美しい愛らしいアイリス様の身体は地面に横たわってしまいました。
口元から血を流しピクリとも動かない姿に、私はお嬢様の死を覚悟しました。
鬼のような心持ちになり、その生命の有無を確かめました
─これはわたしのお役目です
もしかしたらこれが、最後のお役目になるかもしれないからです。
誰にも譲れません。
そして……。
動かぬ心臓。聞こえぬ心音。
見慣れた可愛らしいお顔のいつも私を呼んでくれた小さなお口からは、息が消えていました。
鼻からも、何も感じませんでした。
わたしはお嬢様の死を皆に告げ。その場にへたり込みました。
アイリス様への最後のご奉公でした。
私は死をもたらし死を告げた死神です。
あまりの衝撃に、涙も出ませんでした。
私にとってはアイリス様は人生の全てでした。
リリ・クローセット
私はアイリス様にお仕えするために生まれたのですから……。
☆☆☆
私はクローセット男爵家の長女として生まれました。
兄二人と妹二人の私も入れて五人兄妹です。
私が生まれた時、伯爵婦人のシェレイラさんにも妊娠の兆候があったようです。
それでもし生まれるのが女の子なら、年の近い私を側仕えとして奉公する事が決まりました。
つまりはアイリス様が生まれる前に、私はお嬢様にお仕えすることが決まっていたのです。
そしてシェレイラ様に女の子が生まれました。
シェレイラ様にそっくりなピンクの髪にバイオレットの瞳。
そして私の人生も決まりました。
物心ついた頃には私は、礼儀作法やお仕えするのに必要な様々なスキルを学びました。
初めてアイリス様にお会いしたのは、私が三歳の頃でした。9ヶ月違いの可愛らしい女の子がいました。
もうお人形さんみたいで、ピンクのドレスを着て、ホントに可愛い女の子でした。
私を見ると、二歳のお嬢様はヨチヨチあるいて私に抱きつきました。
私も抱き返しました。
私は幼心にこの女の子を守ると誓いました。
そして死ぬまでお仕えすると。
私は双子の妹が生まれるとその世話に明け暮れましました。母にお世話を押っつけられたのではありません。
メイドが付きっきりで、私は育児を学んだのです。
もしかしたら将来アイリス様にお子様が生まれるかもしれない。その為の布石。
もう十年以上も先の未来のお嬢様の赤ちゃんのお世話が、少しでも上手く行くように私も望んで頑張りました。
料理も洗濯も習いました。
お屋敷には料理を作る方も洗濯をする方もおられます。
でも、必要になるかもしれない。
私はでもやもしかしたらを積み重ね、この身にスキルを刻んできました。
伯爵邸に奉公したのは7歳の頃。
まずはメイド長のライザさんの下で、みっちりしごかれました。
私はお嬢様付きになると決まっていたので、ライザさんも相当気合いが入っていたようでした。ライザさんは見た目取っつきにくく、とても怖そうな印象でしたが、私には優しい人でした。
『間違いは、なぜそれが間違っているのか?』
根気よく指導してくれました
『そして良い所は、さらにどう工夫すればより良くなるのか?』
知恵を授けてくださいました。
そして上手くいけば、必ず誉めてくださりました。
ライザさんは何事にも理詰めで解釈し、そう行動しておりました。でも他の方にとってはそれはそれは鬼のように恐ろしい人に見えたことでしょう。
ライザさんはミスを許す寛容さはあります。でも同じようにミスを何度も繰り返す者に容赦はありません。間違いを根気よく教えても覚えず、ミスを繰り返しても改めない、そんなほんの少しの努力も怠る人には、鬼のよ……まさしく鬼として接しました。
学べる頭も理解力も有るのに学ばぬ者を許せぬようでした。
メイドになる方にも色々おります。少しでも多くスキルを取得しようと日々学ぶ者。どうせ腰かけだからと、日々無為に過ごす者。
私は幼少の頃から厳しく育てられました。
でも中には貴族のお嬢様として蝶や花よと甘い蜜で育ってきた方もおります。そんなお嬢様方がいきなり下働きとして奉公せよと放りだされたら、戸惑う気持ちもわかります。
でもそんな同じような環境にあっても日々を投げ捨てず、大切に生きておられる方も大勢いるのです。
日々は僅かな違いでしかありません。でもそれが五年十年と続けばその差は恐ろしい程大きく開きます。
私は日々の積み重ねの大切さを身に染みて学びました。
私はライザさんが大好きでとても尊敬しております。
私は毎日一時間くらい、お嬢様の遊び相手になりました。お嬢様はとても活発なお子様で、いつも走り回っておりました。じっとしていることが、出来ませんでした。
興味が向いたら目の前の積み木に眼もくれず、お庭を走る猫を捕まえようと飛びかかったり、次は芋虫を5分ばかり眺めているとそれをいきなり食べようとしたり、本当に本当に気が抜けませんでした。
お付きのメイドのお姉様方も毎日げっそりしておいででした。
けれど不思議と愛嬌があり、使用人の皆様はアイリスお嬢様が大好きでした。
でも、アイリス様は人の顔が覚えられませんでした。
毎日顔を会わせているのに、私の顔も覚えてくれませんでした。
けれどたまに私の名前を呼んでくれる日もございました。名を呼ばれる日とまるで私を他人のように接する日がございまして、それが不思議でなりませんでした。
ある日ふと気づきました。頭に被り物をしている時は私だと理解していないことに。試しに被り物をその場で取ったら、アイリス様は私を見てリリと嬉しそうに抱きつきました。
そしてたぶんですが、髪の毛の色で判断しているのではないかと思い至りました。それで髪の色だけではなく、全身緑色にしたらお嬢様もリリと分かってくださるのではないか?とメイド服(当時。今は侍女の制服)を緑色にしてみました。そしたら効果覿面でした。
ただ、会ってすぐ『緑のがリリ』と言われてしまうのが、玉に傷でしょうか。
私は九歳で侍女見習いとして、侍女頭アマンダさんの下に付きました。
侍女とメイドはあまり変わらないかな~と思っていたのですが、全然ちがいます。
どちらもご主人様。この伯爵家に奉公するのは変わらないのですが、メイドは基本的にお屋敷のお世話。侍女は個人のお世話みたいで全然違います。
そしてシェレイラ様には五人の侍女がついています。一人一人がプロフェッショナルで、皆高い能力を持ちながら、特に何か一つは物事に精通しておいでです。
例えば、紅茶。お菓子。ドレス。など
伯爵婦人のシェレイラさんはとても気さくな方で、冗談もよくおっしゃられます。ただ、時折この世の者ではないただならぬ雰囲気を醸し出す時があり、皆その間は時が止まったように静かになります。邪魔してはならない気がするからです。
私はシェレイラ夫人に一度も叱られたことはありませんでしたが、とても恐れています。何か人とは違うものを見ているような、全てを見透かされているような気がするからです。
侍女頭のアマンダさんはシェレイラ様の幼なじみで、御親友であらせられます。シェレイラ様の御趣味や食事の好みなど、何でも把握しております。シェレイラ様はよく
「私よりも私のこと詳しいのよ」
と笑っておられます。
侍女見習いとして、私はそんなアマンダさんに仕込まれました。
その頃、アラン様が御養子になられました。
アイリス様とはたった1日だけ誕生日が違います。
その僅か1日の為、アイリス様は姉にアラン様は弟になりました。そしてアイリス様はアラン様のお顔をご認識できるようでした。
アラン様はとても物静かで、何より読書がお好きでございます。暇さえあればご本を読んでおられます。
ただなんと言うか、あまり他人にはご興味無いようです。使用人の名前も頭が良いので直ぐに覚えますが、まずいないものとして扱われます。身の回りのことは全て、ご自分でやってしまいます。
して欲しいことがあれば、ただ指示するだけです。
事務的でそこに人としての温もりも冷たさもありません。使用人はただの道具に過ぎないのでしょう。
けれどアイリス様とは良く共に過ごしておいでです。
アイリス様が特に懐かれておいでで
「アランが一番好き。世界中で一番好き」
と付きまとっています。
アラン様は初めはすごく迷惑そうでしたが、今は諦めたのか私たちがするようなお世話もしてくださっています。きっと使用人に付きまとわれたり、指示をするのが面倒で、自分で出来る範囲のことはアイリス様を見てくれているのでしょう。
御食事中もアイリス様の口元を拭ったり、手が汚れれば拭いてあげたり。その為にいつも洗い立てのハンカチを10枚程も身につけておいでです。
端から見れば世話好きの良くできた弟さんに見えます。けれど私からみれば何処までも事務的で、愛や優しさや思いやりなど、人の温もりのようなものは感じませんでした。
言葉は悪いですが、機械的に処理している感じがいたします。
私は11歳でアイリス様付きの見習い侍女兼メイドになりました。侍女のお姉様が一人とメイドが一人の計三人で付きっきりでお世話をしました。他のお二人は私の指導係でもあります。
そして15歳で侍女となり、ララという侍女見習い兼メイドが付きました。先の先輩二人はアイリス様付きから外れ、ララと二人でお世話する事になりました。
私はララの指導係も兼ねています。
ララはなんと言うか天然で、規格外のところがあります。いろいろ言いたいことはありますが、今は〈指導のし甲斐がある〉に留めておきましょう。
そしてあの日の事故がおきました。
アラン様の懸命な措置でなんとかアイリス様の一命は取り留めました。
アラン様がシャツを脱ぎ半裸になったり、口付けをしたり、アイリスさまの羨まし過ぎる豊満な……コホン……お胸を触ったりした時は流石に顎が外れるかと思うくらい口をあんぐり空けてしまいました。
ただ必死でアイリス様を蘇生しようと試みているアラン様の姿は、初めて人間らしさを感じました。
アラン様の死んだような眼差しが、あの時はギラギラと美しく輝いておいででした。
そして……アイリス様の呼吸が回復した瞬間、蘇生を確認したアラン様が天を仰ぎ、笑いながら涙を流している様を見て、私も滝のような涙を流している自分に気付きました。
……そしてアイリス様は眠ったままでした……
不思議なことに食事もしないのに、痩せたり致しませんでした。毎日体を拭きがてら、ララとアイリス様の体の隅々まで調べましたが、何も異常はございませんでした。いや、それこそが異常でした。
天使や妖精のように美しいお姿のままでした。
いつしかお屋敷でアイリス様は【眠り姫】と呼ばれるようになりました。
日が1日1日と過ぎて行きました。
私は日々を積み重ねるたび、罪の意識に苛まれました。
『あの日あの時、私が頭突きにもめげず、しっかりと腕を握っていれば……』
幾度も幾度も後悔致しました。
私が代われるものならば代わって差し上げたい。
私の心は日々砕けていきました。
アイリス様には私とララが二時間交代で一人づつ付きました。
私がずっとアイリス様の眠り続ける姿を見るのが、耐えられなかったからです。
『もしかしたら今すぐにでもその美しい命が失われるのではないか?』
そう思うと気が休まる時がありませんでした。
死を告げる死神は二度とごめんです。
そんな日々、私を支えて下さった方がいます。
私事ですが、同じ屋敷に婚約者がおりまして、彼がアイリス様の元からボロボロになって戻ってくる私を励ましてくださいました。
今に思えば、周りの方々も、仕事もせず泣き崩れる私を責めもせず、温かく見守っておいでで下さいました。
私はそのお陰で自分をほんの僅か繋ぎ止めていられたのですから。
そしてアラン様の懸命な看病も、私の心が砕け散るのを繋ぎとめていたようです。
あの本の虫のアラン様が、献身的にアイリス様を見舞っている間、たったの一文字も本を読みませんでした。
朝から夕方まで、ずっと側においででした。
いつも優しくアイリス様の手を握られて、ずっと語りかけておいででした。
昔話や異国のお話。おとぎ話や不思議な話。そしてアイリス様との想い出など毎日毎日優しく優しく語りかけていました。
私はそのお姿に、砕け続ける私の心が砕けながらも癒されいくのを感じました。
でも、これだけは断言致します。
もしあのままアイリス様が目覚めず死に誘われていたのなら、私の心は砕け散っていたことでしょう。
そしてアラン様もきっと……。
☆☆☆
その日
いつもと同じ日常を繰り返していました。
アラン様は朝からアイリス様を見舞い。
そして夕方になりました。
私はアラン様に
「アラン様、アイリス様のお着替えをもって参ります」
と告げました。
それはもうすぐアイリス様の体を拭くお時間ということ……。
〈面会時間はもうすぐ終了〉の合図でもあります。
私はララと合流し、湯の張った容器やタオルなどの準備をするため部屋を出ました。
急げば5分もかかりませんが、アラン様に二人きりの時間を過ごして戴きたくて、いつもゆっくり準備を致します。
……この僅なひとときだけアラン様は……
……アイリス様と二人きりになれます……
私は10分を目安にアイリス様のお部屋に歩みを進めました。
私はタオルやお着替えなどを持ち、ララは湯の張った容器をもっています。
私はドアを開けました。
アラン様がアイリス様を覗き込んでおります。
その体がなぜか小刻みに震えておいででした。
私とララはそのただならぬ気配に、手に持った備品類を足元に置き、すぐにベッドへ向かいました。
アイリス様が泣いていました。
閉じた瞳から、涙が後から後から湧いて溢れて零れ落ちていました。
私もララもアラン様も暫く呆気に囚われ、身じろぎもできず言葉も出ませんでした。
私は震える声を絞り出しました
「アイリス様!」
ララも震えていました
「おじょお!」
そしてアラン様
「……ねえさま……」
その献身的な愛の日々を捧げたアラン様の呼び声を、まるで待っていたかのように……。
……アイリス様がゆっくりとゆっくりと目を開かれました。
私の砕けた心は、いつしか湖のように広がる歓喜に浸り、その砕けた落ちたパーツが一瞬で元に戻りました。
いいえもっと清らかに美しく潤いました……
そしてアラン様とアイリス様おふたりの
もはや切り裂き得ぬふたりの愛のお姿に
ちょっとだけ
ほんのちょっとだけ
羨ましいと思っちゃいましたっ!
てへっ!!
閑話集の方に入れるつもりが間違った。
暫くこのままで……。




