眠り姫への接吻
一人蚊帳の外。
根を張った木のごとく立ち尽くしていたアラン。
キッと表情を引き締めると、弾かれたように駆けた。
冷静になれ
冷静になれ
アランは自らに言い聞かせる。
『僕しかいない』
この絶望的状況からアイリスを、助けることができるかもしれない。
アランは死せる姉の脇にたち、見下ろしている。
アイリスはまるで、ただ眠っているよう。
顔は美しいままで、傷一つない。
ただ血の一筋が流れているだけ
ふー
深呼吸をする。
まずはかがんでハンカチで血を拭う。
白いハンカチが赤く滲む。
それからアイリスの頭頂を触る。
頭蓋骨は折れていないようだ。
もしかしたら頭部に損傷があるかもしれない。
だが、それは後の事。
今はこの失った命をどうにかすることだ。
辺りを見回す。
仕方ない。
アランは躊躇せずシャツを脱ぎ半裸になった。
リリは呆気にとられ、アランをみている。
アランはシャツを丸めそれをアイリスの頭を持ち上げ、首の下に置いた。少女の顎が少し上がり、喉仏が上になり首が真っ直ぐになる。
アイリスの鼻をつまみ、口づけをした。
リリは目を見開き口をあんぐり開ける。
☆
ユークラリス伯爵は目を疑った。
いきなりアランが半裸になり、死せる娘に口づけをしたのだ。
『貴様!何をしている!』
思わず怒鳴りつけようと身構えた。
だが、アランの面差しにただならぬものを感じ、声に出すのを押し止めた。
成り行きを見守ることにした。
すぐに後悔した。
口づけを終えたアランが娘の胸に両手を置いたのだから。
☆
アランは胸部に圧をかけ、上下にリズミカルにマッサージする。
数十回繰り返し、また口づけをする。
また胸部マッサージ
口づけ
胸部マッサージ
繰り返す
『これでいいのか?』
アランの心に疑問がもたれる
異国の医学書に載っていた
《人工呼吸》と
《心肺蘇生》だ。
やったことは勿論ない。
フォラリス王国にはこんな蘇生法ない。
知ったのも三日前、この伯爵領に来る途上の馬車の中、ひっきりなしに話しかけるアイリスを、無視して読んだ本の内容の模倣だ。
まだうろ覚え、効果があるのかもわからない。
でも今、アランが死せるアイリスを救う術はこれしかない。
アイリスを助けたい。
このまま死なせてしまったら、絶対自分を許せない。
自分のことはいい。とにかく生き返ってくれ!
もし叶うなら
──僕の人生すべてを捧げる──
何度目だろうか?
口づけをして、自分の息をアイリスの肺に送る。
胸部が膨らむ。
萎む。
反応がない
『駄目か』
諦めるな!
もう一度口づけをして………
かはっ
小さく痙攣をして、アイリスの呼吸は回復した。
胸部が緩やかに上下する。
すかさずアランはその胸に頬を寄せ、心音を確める。
ドックンドックンドックン
『……生きてる』
アランはほっとして脱力。
その場にへたりこんだ。
──はっ……ははははは──
『……良かった…本当に良かった』
いつの間にか泣いていた。
生みの母と別れる時も泣かなかった。
思い返せば物心ついた頃から初の涙であった。
嬉し泣き。
それもはじめてだった。
見計らったように、複数の慌ただしい足音が聞こえた。
屋敷から使用人達が駆け付けたのだ。
そして……。
☆☆☆
夕光が窓際の少女を照らしている。
僅かに上下する胸。
生きてはいる。
けれど十日前の事故のあの日から目覚めない。
【眠り姫】
いつしか屋敷ではこう呼ばれるようになった。
食事も排泄もしないで痩せもせず《あの日》のままの姿。
──奇跡の存在──
アイリス・ユークラリス
アランは毎日、朝から夕まで姉の部屋で過ごすのが日課となっている。少しでも変化があれば……と期待してみるが、今日も変わらず一日が暮れようとしている。
「アラン様、アイリス様のお着替えをもって参ります」
アイリス付きの侍女リリが頭を下げる。緑の髪が目の前を通り過ぎ部屋を出ていく。
この後、リリとララが手分けして、アイリスの体を拭き、着替えを行うのだ。
アランが同席するわけにはいかない。
本日はここまで、という合図でもある。
でも彼女達が来るまでの10分に満たない時間は、姉と二人きりになれる。
「……姉様」
姉の右手を両手で包み話しかけた
「また、明日来るから。
もうすぐ新学年になるね。
心配しないで、僕は学園始まっても、ここにいるつもりだよ。
姉様の側にいるから。
でもまた学園に行きたいよ。
姉様と二人ぼっちでもいい、今度は心から楽しめるような気がするんだ」
届かぬ思いかもしれない。
でも話しかけずにはいられない。
唇に目がいく。
人工呼吸を思いだし少し赤面する
『眠り姫か……』
おとぎ話の眠り姫は王子の接吻で目覚めた。
ふと、その可能性について思考する
『ない、ないな。あるわけない』
接吻くらいで目覚めるなら、医者はいらない。
子供だって少し考えればわかる
でも……
もしかして……
イヤイヤ、ないないないない
首を振って否定する
『……何を考えてんだ』
風が拭いてカーテンが吹き込む。
アランは風で乱れ額にかかったピンクブロンドの髪を、優しくなで整える。
また視界に小さな赤い膨らみがはいった。
くちびるが艶やかに濡れている。
もう目が釘付けになっている。
誰もいない二人きり。
胸の奥から愛おしさが溢れてくる。
アランは顔を近付け、優しく、限りなく優しく……
────接吻をした────
柔らかな感触と温もりを感じる。
名残惜しそうにくちびるを離す
「やっぱり……おとぎ話だよね……」
ちょっと気まずそうに気恥ずかしそうに呟く。
「?………姉様?」
眠り姫の閉じた瞼から涙が一筋、ツーっと流れた
『まぼろし?』
そう疑ったのも一瞬だった。
少女の両の瞼から、止めどなく涙が溢れこぼれだした
「失礼します」
着替えと体を拭く為のタオルと湯の張ったたらいを持って部屋に戻ったリリとララ。アランのただならぬ気配に、手に持った備品類を足元におき、ベット際まで駆け付けた。
「アイリス様!」
「おじょお!」
「……ねえさま……」
その呼び掛けに答えるように
アイリスはそっと目蓋を開いた。
アラン編
眠り姫でぶっちゅで目覚めるはずが……。
空からインスピレーション降って来ました!
アラン。
ただの優しい弟から
闇と光が垣間見える
いい男になったね!
 




