16
渡良瀬葵。
祖母が東欧の出身らしいのだが詳細は本人も知らない。
血を継いだ彼女の髪は美しいプラチナ色をしている。
母親から魔女として教育を受け
それを守り、決して他人を傷付けない。
魔女である事実を隠すつもりは無く、だからと言って自慢するような事でも無い。
小学5年。何処から聞きつけたのか、男子生徒がそれを知り
1人が2人、3人と彼女を誂う男子が増える。
「魔女なら魔法を使ってみろ。」
母の教えを守り、無闇に人前では使わない。
口で言っているだけなら怖くも無いと無視し続けた。
しかしその男子を中心に複数の男子が彼女を取り囲んだ。
幼い安易な発想だ。恐怖を与えれば魔法を使うだろう。
事実、渡良瀬葵は恐怖を感じた。
そして防衛本能に従った。
1人は軽傷。2人重傷。1人重体。
彼女は一切手を出していない。
取り囲んだ者同士が殴り合いを始めた。
彼女は「怖かったので何も見ていない」としか答えられない。
女子1人に男子4人。そもそも正当防衛にすらならない。
少年たち自身も揃って「お互いに殴り合った」と言った。
「あいつが先に」「こいつが先に」と言い合い、結局仲間内のケンカとして処理される。
彼女は何事も無く解放されるが、学校ではすぐに噂が広がった。
中学に進むが状況は何も変わらない。
孤立したまま1年が過ぎる。
碓氷薫が声を掛けたのはそれから間もなくだった。
「学校なんか行かなくていいから勉強はしなさい。高校は面倒見てあげるからって言われた。」
「ゴメンなさい。私」
昔の通り名を暴露した藤沢藍は声を詰まらせた。
「気にしなくていい。悪いのはソイツらだから。」
「うん。でもゴメンなさい。本当に。」
「わかったからお前が泣くな。」
渡良瀬葵は隣に座る藤沢藍の頭を撫でながら慰める。
僕はこのときようやく渡良瀬葵の口数が少ない本当の理由を知った。
その夜はこの話があったからそのまま解散する事になった。
「アンタ、そんな昔の事いつまで気にしてないのでしょ?」
鏑木リナが渡良瀬葵に声をかけ、彼女は黙って頷く。
「それなら貴女も落ち込む理由にはなりませんね。」
鏑木カナが藤沢藍を慰める。
2人共イイ子だな。
夕食を終え、団らんを楽しみ、それぞれが各部屋に戻る夜。
僕は母屋でお風呂に入り、それから工房へと戻った。
ドアを開けると台所で藤沢藍が1人座ってコーヒーを淹れていた。
「飲みますか?」
うわああ。うんありがとう。
「薬品や危険物があるから鍵を掛けなさい」と紹実さんから言われている。
だからこの部屋から出るときは例え母屋に行くだけだとしても必ず施錠をしている。
それなのにどうやって。て前にも聞いたが面倒だからと答えてもらえなかった。
「壁から抜けて来ただけですよ。」
僕の疑問を察したのか自分から応えてくれた。
壁抜けって、どうやって?
「魔法ですよ。魔女なら判るでしょ。」
僕は魔女じゃないっての。
「どうぞ。」と彼女はコーヒーを渡してくれる。
あ、うん。ありがとう。
大きな机の前に座る。
彼女も台所から椅子を持って移動した。
そのまま座るかと思ったら初めてこの部屋に来た時のように
熊のぬいぐるみを抱き寄せてから座った。あれ?でも棚の上にはある。
「寂しそうだったので持って来ました。」
しばらくはお互い何も言わずただコーヒーを啜っていた。
「本当に知らなかったんです。」
ファミレスでの渡良瀬葵の件だろう。
「不覚です。男子に泣いている姿を見られるなんて。」
見てないよ。ちょうど外を見ていたから。
ジロリと僕を睨む。
「そう言う事にしてあげます。でも恩を売ったとか思わないでください。」
思わないよそんな事。本当に見て無いんだから。
むしろ指輪を守ってくれる事に感謝している。恩を感じるのは僕の方だ。
「それこそ余計な事です。ただの交換条件ですから。」
「渡良瀬さんにも辛い事を思い出させてしまって。余計な貸を作ってしまいました。」
彼女は借りだなんて思ってもいないよ。
「どうしてあなたにそんな事が言えるんですか。」
気にするなって言ってたじゃないか。彼女は言葉の重みを誰もよりも知っている魔女だよ。
藤沢藍はまたジロリと僕を睨む。
「全く本当に気持ちの悪い。」
気持ち悪いのか。
「失礼しました。気味の悪い人のが正確ですかね。」
何か違うのだろうか。
藤沢さんは最初から、今も僕の事を指輪の付属品くらいにしか思ってないよね。
「それ以外の何だって言うんですか。」
いやその、少なくともクラスメイトとか。
「私はあなたが信じられませんね。どうしてそんな簡単に信用できるのか。」
僕は信用しているわけではない。
疑っていないだけ。
他人から関わられた事が無い僕は、他人を信用するとかしないとか以前の問題。
逆に聞きたいよ。どうして藤沢さんは誰も信用しようとしないのか。
少し、イジワルな聞き方をした。
彼女は僕だけにではなく、他の誰にでも敬語を使う。そして距離をとる。
「私は嫌われて当たり前ですから。」
嫌ってなんてないけど?
「あなたMですか。やっぱり変態ですね。」
何を言い出すか。
「散々キモイと言っているのに好きとかオカシイでしよ。」
好きとは言っていない。
数々の悪態も蔑みも、それが本意ではないと勝手に感じていた。
だが逆に彼女からは一切の好意をも感じた事は無かった。
僕に淹れてくれたコーヒーは彼女なりの「お詫び」でしかない。
「勝手に部屋に入ってごめんなさい。これで許してね。」だ。
まあ藤沢さんはそんな変態でキモくてオカシイ奴の指輪守らないとなんだけどね。
「ふん。」
また沈黙の時間が流れる。
彼女は机の上の回路図を見始める。