小さな村人
畑の茶色い土の表面を、夏の強い日差しが照りつけている。たまに吹く風は生暖かく、まさしく夏真っ盛りであることを主張している。
時折、そんな空を鬱陶しく眺めながら、少年は汗を垂らしながらも固い土にクワを打ち付けている。手にある豆は遠の昔に潰れ、厚い皮となっている。日々の畑仕事のせいか、少年の体つきは逞しい。
「おいアーク、そろそろ休憩にするぞ。飯の時間だ。」
「分かった父さん。直ぐに準備するよ。」
アークと呼ばれた少年は、近くで同じようにクワを振っていたボロ衣服を纏った父に返事をする。その男は顎にヒゲをはやし、髪はボサボサであるが働き者の父親だ。
アークは振り返り、少し後ろで畑仕事をしている少女に叫んだ。
「ニーナ、ご飯にするってさ。」
「えぇ、分かった兄さん!」
三つ編みを振り上げる勢いで顔をあげ、こちらに笑いながら少女が答える。その姿はまだ成人には及ばず、まだ10年の人生経験しか無い。
そして3人で草むらの上に座ると、草で編んだバスケットからパンと木の水筒を取り出し口にしていく。いつもの黒くて硬いパンは食べづらいし顎が疲れる。そして、ふと思い出すのは特別な日、年に2回だけ食べることの許された『白いパン』や具の入ったスープだ。
(あれは美味かった。次に食べられるのは誕生際か・・・まだまだ先だな。)
アークが物思いに耽っている間に、気づけば食事が終わっており、直ぐに仕事が再開される。
しばらくし、太陽が山脈に沈みかけ空の青が闇に染まってくる頃、
「今日はここまでにするか。これ以上は暗くなって無理だな。アーク、ニーナ帰るぞ。」
父の合図により仕事が終了し、俺たちは3人並んで村へと戻っていく。
夜になると台所で鼻歌交じりに料理をしていたニーナから声をかけられる。
「はい、父さん兄さん。ご飯ができたよ。」
質素な家には寝室と台所兼居間しか存在しなく、居間の中央にある古い木机の上には黒いパンと、わずかな草の味と小さく少ない具の入ったスープが並ぶ。それを3人で味わって食べる。
「今日のスープは畑の裏で採れた新鮮なやつなんだよ。そうそうハイメから聞いたんだけど、隣で昨日カエルが見つかったんだってさ。もし私が見つけたらスープに入れてあげるね。」
「そうか。期待しているぞ。父さんもお前たちの為に魚や山菜をなるべく探してみるからな。そしたらニーナ、また今日みたいに美味しい料理を作っておくれ。」
「うん任せて。きっと美味しい料理を作ってみせるね。」
「うん、ニーナのご飯は美味しいし期待しているよ。それに僕も父さんを手伝うよ。」
「はっはっは、そうか、アークにも期待しているぞ。それにしてもニーナは本当に家事が上手いな。これならきっと将来は良いお嫁さんになるな。」
その言葉にニーナの顔が赤くなるのが分かった。
普段の幸せな食卓、それはアークにとって宝石箱の宝のようなものだった。毎日の仕事は大変だが家族がいるし楽しいこともある。村人の少年にとっては十分に幸せな生活、こんな日々がずっと続くだろうとその時のアークは漠然と信じていたのだ。
-----------------その日が来るまでは---------------------
それはある晴れた日であった。
突然、馬に跨った鎧姿の兵士がやってきて、村人を集めて言った。。
「我はこの地を治めるブレント辺境伯爵様の名を受け参じた。数ヶ月後に我がバルーム王国はジルバーン帝国と戦争を行う。しかし兵士の数が未だ足りない。そこで聡明なるご領主様は、この村からも兵を出す許しをお前たちに与えてくださった。お前たちは有り難く12日後、勇敢なる15名の者を選抜しジルバークの町へと送るのだ。」
その言葉をただ静かに、兵士の姿が見えなくなるまで聞いていた村人たちは皆、顔を暗くした。
その日から数日、夜な夜な村長の家で話し合いが行われ、村には絶望の色が充満した。
そして、ある日の深夜であった。会合から帰った父はえらく悲しそうな顔をして、大事な話があると言い居間に子供を集めて言った。
「アーク、ニーナ、今夜の話し合いで俺が戦争に行くことが決まった。」
その一言で、ニーナが目に涙を浮かべ嗚咽したような息をする。
アークも悲しそうな父の顔をしっかりと見つめるが、視界に映る光が揺れる。
ある程度は覚悟をしていた。誰かが行かなくてはならなく、この小さな村から出せる人員は限られていたのだから。
「そうか、父さんに決まったんだね。もしかしたらと思っていたけど、本当にそうなるなんて残念だよ。」
「すまない。ただでさせ母さんのいないお前たちに苦労をかけていたのに、今度は俺まで・・・」
アークの知っている記憶の中で、一度も泣いた姿など見せたことの無い父が、目から涙を流して言った。
「本当はな、お前たちにもっと良い生活を送らせてやりたかった。アーク、お前が継ぐまでにもっと畑を良い状態にして譲りたかった。ニーナ、お前の結婚式に参加するのが俺の夢だった。でもな、俺が無事に生きて帰れるかは分からないんだ。だから・・・アーク、後のことは全てお前に任せる。お前は俺にとって自慢の息子だ。ニーナを頼んだぞ!」
父の言葉にアークの視界が更に滲む。
「分かったよ父さん。後は全て僕に任せてくれ。ニーナは僕が守るよ絶対に。それに、父さんはきっと、いや絶対生きて還ってきてよ!!」
アークは目に決意を込めて、力強く言い放つ。その心の中に『絶対ニーナを守る』『父は絶対帰ってくる』と願いを込めて。
しかし世界は、現実はどこまでも残酷である。人生は希望通りになんて動かない。むしろ、裏切られる場合が多い。
-----------その後、アークの父親が帰ってくることは無かった-----------
数ヶ月後、アークは一生懸命に働いていた。ニーナを幸せにするために、いつか父の代わりに妹の結婚式を見届ける為に。
最初、父さんを含む村人数人の死亡が知らされた時、村は悲しみに包まれた。夫を失った女性は狂ったように泣き叫び、子供たちからは言葉が消え、死んだような空気が村を覆い尽くした。
それでも税を納めるため、生活するためにはいつものように仕事をしていかなくてはならなかった。僕たちは日々の忙しい生活の中で、絶望を少しづつ克服していったのだ。
そのような中にあって特にアークは誰よりも早く気持ちを切り替え働いた。畑仕事の合間に森を少しずつ開墾し、少しでも収穫量が上がるよう努力した。真っ暗になった月明かりの下、畑で遅くまで仕事をし、時にそのまま寝てしまうこともあった。
そんな懸命に働く僕を、心配そうにしながらも妹が助けてくれた。本来は僕が守らなければならないはずなのに、それでも『たった一人の家族だから』と畑以外にも家事全般を引き継いでくれた。
そのかいもあり、僕たちの生活は少しずつ豊かになった。例えば・・・
「わあ!兄さん本当に良いの。こんな高そうなもの?」
少し心配そうに、けれど嬉しそうにそう言った妹は、真っ直ぐに伸びた髪に綺麗な髪飾りを付け、穴や継ぎ接ぎの無い服を身に付けたまま、居間でクルッと回っていた。
それは定期的に来る行商人から購入した、街で出回る中古の服とアクセサリーだ。中古と言ってもボロボロでは無い服など村では上等な部類に入る。
「ああ、ニーナも女の子だろう。折角だから綺麗に着飾ったほうが良いよ。」
「お、女の子って・・・・ねぇ、兄さん。私きれい?」
ニーナは慣れない格好に恥ずかしいのか、頬を赤く染め、小さな声で探るように上目遣いで聞いてくる。
「ああ、綺麗だよ。ニーナは世界で一番に綺麗な女の子だよ。」
ニーナの口がポカンとあき、顔全体を真っ赤に染め、目を丸くしたままアークを見つめている。そして、
「えっ、あ、ううん・・・・ありがとう兄さん。」
顔を隠すように下を向きながら言うと、小走りに寝室へと戻ってしまった。
「・・・まぁ、農民には慣れない格好だからな、少し恥ずかしいんだろうな。でも、あれぐらい着飾れば、直ぐに良い相手も見つかるだろう。そうしたら僕は、僕は父さんとの約束を守れる。」
妹の様子を他所に、アークは自分の決意を新たにした。
そしてしばらくは、再び彼にとって幸福な生活が続いた。
・・・しかしそれがいけなかったのか。それとも何かの力が働いたのか。不運にも再びアークに不幸が舞い落ちる
---------ニーナが行方不明となった----------
「ああああああああぁぁぁぁぁ・・・・ああああああぁぁぁぁ・・・・」
暗い家の中、台所はしばらく使われていないのか蜘蛛の巣がはり物が散乱しており、居間にいたっては割れた食器に壊れた家具が散乱している。
居間に座ったアークは頭を抱えて奇怪な声を出し続けた。
それが既に20日間にも及んでいた。
『ドンッドンッ』 ドアを叩く音がする。
「おいっ!アーク、大変だ。辛いのは分かっている。お前がショックで数日もそうなっているのもな。でもな、ニーナが見つかっ--------」
ドアの外から聞こえる声が最後を言い終える直前、家の扉が吹っ飛ぶ勢いで開け放たれる。
「ああ、やっと開けてくれたか。それで・・・・って・・・アーク、お前大丈夫か!?」
アークの頬は窪み、目は腫れ黒ずみ、髪は所々引きちぎられていた。それはまるで亡者のようであった。あまりの姿にアークを見た村人が息を呑む。
「ニーナ、ニーナが見つかったって!!どこだっ!!!どこだっ!!!」
村人に掴みかかり、ギョロリと目を向けるアークが掠れた大声を振り絞って叫んでいる。
「あ、あぁ落ち着いてくれ、いいか、まずはしっかりと気をもていいな。それがな、町外れに『掃き溜め』があるだろう、そこで今朝----------------っておいっ、まてっ!最後まで聴け!行くなっ!」
アークは村人の口から知っている場所が出てくると、まっ先に、今にも倒れるほど全力で走っていく。その背後から村人は必死で叫んだ。
「おい、待て、待てって・・・・・・チッ、不味いな、あの状態でニーナの様子を見た日には、あいつどうなることか・・・」
アークは必死に走った。途中何度も脚を取られ転びそうになりながらも、持てる力を振り絞って全力で走った。早く妹に会うために。早く妹を安心させるために。早く、早く・・・・
そうしている間に、目的のところに近づく。
そこは、『掃き溜め』と呼ばれる場所であった。村からでる汚物を集めたり捨てたりする場所である。
目と鼻の先には数人の村人が見える。皆、同じ方向を何かに驚いた顔で見つめている。その内の一人がアークに気づき顔を驚愕に染め、口に手を当てて叫ぶ。
「アーク、来てはダメ!」
何を言っているんだ。妹に合うんだ。そしてまた、幸せなあの頃に戻るんだ。それで、俺は妹を幸せにするんだ。そして父との約束を必ず守るんだ。
アークは必死に村人の見つめていた方へ飛び込んだ。
途中、何人かの叫ぶ声がしたようだが、気にする時間などない。早く、早く・・・・
ついに、やっと、妹と・・・・
そしてそこには、
--------全裸で横たわる傷だらけの妹の死体が捨てるように放置されていた----------
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ#$%&%$#””$%#”///」
アークの視界が消えた。
----------------数十日後-----------------
視点の定まらない目で、亡霊のように畑と家を行き来するアークの姿があった。
最初は必死に慰めるように声をかけていた村人達も、今ではただ哀れむような表情で遠くから少年を見るだけであった。
それでも、アークと親しい村人で話しかける者もいた。
「おいアーク。たまには俺の家で食事しないか?お前だって一人でするより良いだろう?」
仕事帰りの道端で話かけられたその声に、アークは不思議そうな顔を向けると、やせ細り凹んだ表示を向け、ニヤリと口を吊り上げて答える。
「えっ一人?何を言っているんですか大丈夫ですよ。妹が待っているので。早く帰って食事を作らないと・・・」
「・・・・そうか、可哀想に・・・・」
アークはトボトボと引きずるような足で家に入ると、直ぐに台所でスープを作り始めた。そしてパンと暖かいスープを2人分、木の板に乗せ寝室へ運ぶ。
「ニーナごはん出来たよ。今日も兄ちゃんが頑張って作ったよ。」
そう言って、ベッドに腰をかけ、膝に乗せたお盆からパンをひとちぎり取り、ベッドに横たわる者へ運ぶ。
そこには、アークが買った服に、ネックレス、ブレスレットを身に付けた、『白骨死体』があった。
「どうした?今日もあまり食べないな。そんなんじゃ元気にならないよ。」
アークは頭蓋骨の口にパンを当て、その中に入れる。
既に何度繰り返したことか、頭蓋骨の中には腐ったパンが溜まっている。
「そうか。美味しいか。じゃあ兄ちゃんも食べるな。」
それからアークは死体の横で食事を取りながら、それと会話する。
村人から見てアークは可哀想な少年であったが、それでも彼自身は違っていた。
彼の中ではニーナと再会でき、毎日一緒に暮らしている。そしてそれは以前と同じように変わらない生活を彼に与えていた。
だから彼はそれでも幸せだった。彼の中では家族と一緒に生活しているのだから。
だからだろう。彼はこの生活が続くことを願ったのだ、今度こそはと。
最後の不幸が訪れるまでは・・・・
不幸とは重なるものである。
人は平等ではない。
生まれつき裕福である者、生まれて直ぐに死ぬものなど、決して平等などではないのだ。
ただ、その少年は不幸が重なっただけだろう。
だからして、これは決して珍しい話でも無い。
何処にでも起こりうる不幸の一つに過ぎないのだ。
---------その年、村を飢饉が襲った-----------
何日も雨が降らなくなり、土地は乾き、作物は枯れていった。
動物達も水を求め、遠くへ移った。
その結果、村に子供は10人もいなかったが、すぐに女の子が消えていった。数日毎に来る商人の荷馬車には『物』より『人』が増えたのだ。
次に老人が消えて行き、さらに成人女性が消え、村から全ての女性と老人が消えた。
残った男たちも骨と革だけになっていた。道端には死体が転がっていた。
もはや、そこで動くものは虫と僅かな動物ぐらいであった。
「・・・・・」
アークもその内の一人であった。
家の寝室のベットに横たわり、横目で妹を見つめている。
「大丈夫・・・ニーナは僕が守るよ・・・絶対に・・・・ぜったい・・・に・・」
既に枯れ切っていたと思っていた目からは、どうしてだろう、何日も水など飲んでいないはずなのに、既に何度も涙など出しきっていたはずなのに・・・・
雫が目元に溜まるのだ。
「うっ・・・・うっ・・・・ごめんニーナ・・こんな・・弱い・・兄ちゃんで・・幸せに・・させて・・やれなくて・・」
既に骸骨のように骨が浮き出て、虫がわいている身体、そのどうしようもなく動かない腕に最後の力を振り絞り、アークはそっとニーナの頭を撫でる。
「本当・・に・・ごめん・なさい・・ごめん・・なさい・・ごめん・・・」
しだいに視界が暗くなってくる。もう夜が来たのだろうか。なんだか何時もより早く暗いように感じる。それに既になんの感覚もない。
それでも、アークにはそこにニーナがいることが分かる。
「僕に・・力が・・あったら・・・」
それ以上、彼は動かなくなった。静かな静寂が部屋を包む。
誰もいなくなり死体が広がる村。それはまるで死後の世界のようであった。
旅人がそこを通ればなんと思うだろうか?冥府?それとも・・・・『魔界』・・・・
村の隅、小さな家のベッドに横たわる白骨化した死体の首、そこには赤く綺麗な石が嵌められたペンダントが飾ってあった。アークが彼女の為に贈ったものだ。
普段はただの綺麗なペンダントである。
息絶え力を失った彼の腕は、彼女の顔の骨からズレ落ちペンダントに触れる。
そして、さらにその上に、彼の目に溜まった人生最後の涙が一粒だけ降り注いだのだった。
それは何処にでもある話し。
数ある不幸の一つであり、決して珍しいものではない。
そして、本来ならその話もここで幕引きである。
しかし・・・・
どこから、いつからいたのだろうか。家の窓に留まった一羽の鳥が部屋を見つめていた。
そして、静寂に包まれて動く者のいなくなった部屋の中、人知れず、ニーナであった者の首にある石、その血のような真紅の石から小さな光りが漏れていたのだった。
<大変><とても><ありえないくらい> 面倒でしょうが・・・
『感想』『評価』をお願いします。
それがないと面白い文は書けないのですよ。