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『エリーゼのために』


「屋上遊園地跡にて」


 とあるデパートの屋上遊園地。幼い頃のわたしは、母親の買い物中、祖母に預けられて遊んでいました。今日、親戚との食事、という用で、久しぶりにそこへ行きました。遊園地がなくなっていたのは、もう知っていました。わたしが小学校へ上がった頃にはもう、なくなったのを聞いていたのだと思います……あるいは違うかもしれないけれど……、そんなふうに記憶しています……


 ただ、その場所はやっぱり以前と変わらず、変わったのはただ、遊具がなくなっていたということだけで、緑色の柔らかい床面ゆかめんから、懐かしいという感覚が湧き起こってくるのでした。記憶というものはたしかなものではなく、どこかで印象が変わったり、なにかの勘違いを引き起こしたりすることもあるのですが、わたしにとってはそれが真実かそうでないかは本当にささいなことで、ただただ「懐かしい」と思えるだけで、胸が、くきゅう……、となるのです……




『エリーゼのために』


 屋上遊園地のことは、以前にも思い出したことがありました。音楽というものは、人の記憶と結びつく……


 それは、汽車の遊具が走るときの音楽でした。「とぅるとぅるとぅ、とぅとぅるとぅー、とぅるるー、とぅるるー……」ベートーベンの『エリーゼのために』……この曲名を知ったのは最近のことですが、わたしはこの有名な音楽を聴くと、幼い頃の屋上遊園地の汽車の記憶が、ぼんやりと……光景というよりも、あそこで流れていたという事実としての記憶が……頭に浮かぶのです。そうしていつまでも、長いことわたしの頭には、ただでさえ残りやすいこの物悲しげなメロディがリピートされるのです……




「記憶から、創作へ」


 今までこの思考の旅において、わたしは何度もわたし自身の創作について、思いを巡らせてきました。今回は、うつしくないのではないかと思いつつ、この場でそれをさらしてしまおうと思いいたりました。この掌編は、このサイトの他のユーザさまの活動報告にて、出されたお題……たしか、音や音楽に関する、といったようなお題だったと思います……におこたえして書いたものですが、投稿作品ではないため、ここでさらしてしまおうと……、本当に、「心象ラビュリントス」と題したこの作品の中に、できあがった結果を入れ込むことがはたしていいことなのか、悩むところでもありますが……、わたしはただの悩める人で、それによって思いとどまったり、そういう合理的な人間ではないのです……



 ***


 小学校 2年生のときだった。


 僕は母さんと、エマちゃんとエマちゃんのお母さんと一緒に、動物園に来ていた。

 みんなでお昼を食べた後、


「ここで待ってなさい」

「離れないでね」


 母さんたちにそう言われたのに、僕はエマちゃんの手を引いて、その場を離れてしまったんだ。早くパンダが見たくって。



 僕はパンダに夢中だった。だから、いつからかエマちゃんの手を握っていないことに、なかなか気がつかなかったんだ。

 その後、エマちゃんがいないことに気がついて、「どうしよう」と思って振り返ったら、母さんたちの姿が見えた。僕は怒られると思って、怖くなって逃げた。走って逃げた。

 エマちゃんと一緒じゃなきゃ、怒られるなんて嫌だから……そんなことを思ってた。



 休憩所みたいなところがあって、そこには動物の形をした乗り物がいくつかあった。お金を入れると音楽が鳴って、動くしくみだ。


「きゃ……」


 近くでかすれた声がした。そっちを見ると、何かを抱えた人影が、遠ざかっていくのが見えた。僕は後を追った。

 でも、その声のした場所には、ピンク色の小さなポシェットが落ちているだけだった。


 後ろから、音楽が聴こえた。

 知らない男の子がパンダの乗り物に乗っていて、楽しそうに、笑っていた。





 ***


 幼い頃の記憶が、なぜこのような、悲しい物語になってしまったのか。それはわたしの過去にたいするナイーヴさのほかに、やっぱり『エリーゼのために』という音楽の効果もあるのでしょう。……あの音楽は耳に残る。いつまでもいつまでも、長いことリピートされる、優しく悲しい旋律……あれは、まさにラビュリントスです……

 わたしはショパンが好きですが、甘美な、あるいは情熱的な音楽というものは、人をえさせるものだとも思っています。現実から遠のいて、空想に身をゆだねるような、酔ったような感覚……、わたしはそういうものが好きです。最近書いた『藤棚の下で』という掌編にも、それに近い感覚が現れているかもしれません。今日はこのくらいで終わりにしたいと思います。

 2018/5/3 梶生モットシボ郎

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