「線路の空想カワウソくん」
「線路の空想カワウソくん」
わたしが幼いころ、自動車や新幹線の窓から外を見ているときにやっていた遊び……塀のうえかどこかを、なにかのキャラクターが走るのを想像する……それをふと思い出して、やってみることにしました。あのころはゲームのキャラクターだったけれど、今度は……、カワウソ。たぶん、今日どこかで、だれかがカワウソの話をしていたのを聞いたからだと思います。どういう話だったか、というのはわからないけれど。とにかく、そのカワウソくんが、わたしの乗っている電車のとなりの線路、レールのうえを走るのです……
ちゃいろい……くろっぽいカワウソが、電車に合わせてちょこちょこたったと走ります。ドジっ子で、たまにおいていかれて、わたしの視界からはずれたりしますが、すぐに戻ってくる。そうやって駅までたどり着くと、ホームへのぼって、見知らぬ人の靴のにおいをかいだり……まるで人工の映像のような、キャラクターらしい、どことなくぎこちないしぐさをします。人の恰好を見て、「すごいモノトーンルックだなあ」と思ってみたり、ジャンプして、しっぽで人の顔をはたいてみたり……そんないたずらをやって、ようやくホームからころげおちて、電車が発車するとまた、合わせて線路を走るのです……
ところがこの遊び、はじめにルールを決めておかないと、とんでもないことになります。なにせ、となりの線路にも、電車という現実がやってくるのですから。ちょこちょこたったと走っている、ちゃいろくかわいいカワウソくんが、突然現れた現実の光と音にかき消されて……、わたしはショックを受けました……
はじめ二回は、ご都合主義で、すぐに復活したカワウソくんが戻ってくるといった対処をしていたのですが……、わたしはひらめいた。カワウソくんが、電車を切り裂きながら進めばいいんだ、と。もちろんこれは、単なる想像の遊びであって、実際に電車が大変なことになるわけではない。けれど、梶井基次郎の『檸檬』が好きなわたしだから、このやりかたが気に入らないはずはなく、すぐにはまってしまいました。カワウソくん、つよい……
そろそろ疲れた……そんなとき、次に着いたホームが、カワウソくんの線路とわたしの乗った電車を分けました。つまり、あいだにホームが入ったのです。これまで、わたしの乗っていた側のドアは開かなかったのだけど、このときはじめて……遊びをはじめてから、はじめて……目の前のドアが開いたので、これを機に、カワウソくんはホームから、わたしの乗っている電車へ入ってきました。そうして中吊りの広告を見つけると、そのなかに入りこみ、飲み物を持ったイケているタレントさんに、同化してしまいました。わたしはやれやれと、いつのまにか空いていた座席へすわり、つかれた眼を、休めるのでした……
***
家へ帰ると、しろとうすもものぼけの花がたくさん咲きほこっていて、その姿があまりにも堂々としていたので、「あんたを迎えるためじゃないよ」とでも言われたような、小憎らしいほほえましさを覚えました。今日はこのくらいで終わりにしたいと思います。
2018/3/14 梶生モットシボ郎