第二の刺客?
「剣聖殿はいらっしゃるか?」
明くる日の朝、カーシとはまた毛並みの違った者が現れた。
言葉使いは勇ましい男のもの、声は低めだがか細きもの、そんな二面性を持つ響きに俺は覚えがあった。
であるから、受付をしていたノーラが呼びに来る前に、直接俺はその顔を拝むことにする。
彼女が以前俺に勝負を挑んで来たときにも、同じような台詞で訪ねてきたものであった。
その時はもう俺の左腕は機能しておらず、仕方なく断念したのであるが。
勝負といっても胸を借りに来た程度で、死合ではなく試合という意味である。
しかしながら模造刀とはいえど、俺には手に取ることさえ困難なことは言うまでもない。
「ああ、確か『リンデ』だったよな?」
女性にしては短めに切りそろえた赤みがかった髪、そんな軽装備の剣士である。
何でもどこぞの剣道場の娘らしく、幼い頃から男兄弟と同様に育てられたとのこと。
その顔立ちにしては体格が良い方で、下手をすると俺よりも頑丈かもしれない。
一見迷宮への挑戦者とも判断できるが、それにしては小奇麗な姿をしている。
それが剣士としての正装であり、いつも身なりを整えておくのが家訓であるそうだ。
「おお、覚えていてくれたか。もう何年も昔に、たった一度会っただけなのだが」
そういえばこの間、カーシが奴の息子のために彼女を雇っていたとも言っていた。
俺が断ってから間もない頃の話だそうだが、今も指南しているのだろうか。
それはともかくとして彼女なら俺よりも剣術の教え方は遥かに上である。
しかし、教え子がアレなら彼女もあの性格はどうしようもなかったのだろう。
「それはまぁ、女剣士は滅多にお目にかかれるわけじゃないからな」
俺は思った通りのことを告げたが、それだけが彼女の印象ではない。
俺の知る限り、彼女のようなタイプは自身の肩書きの前に『女』と付け加えられることを嫌う。
しかし彼女はそれに眉一つ動かさないどころか、自分でも『女流剣士』と称するのである。
それが謙遜なのだか器が大きいのかは知れないが、そういう意味では気持ちのいい人物である。
「まさかとは思うが、また俺に挑戦しにきたというわけではあるまい?」
「なんと、勝負が出来るようになったのか?」
そしてこの弄り易い性格ときたもので、直ぐに飛びついてきた。
「誰も可能とは言ってないさ」
彼女のしょげてしまった時の目が、子犬のそれにそっくりである。
だからついつい意地悪を言ってしまう。
「そいつは済まなかった……」
彼女の予想通りの反応で、俺は変な笑みをこらえつつ話を進める。
「で、何か用があって来たんだろう?」
俺はもう少しそのつぶらな瞳を眺めていたかった。
「そうだった。勿論挨拶に参上したのだ」
しかしながら彼女も剣士の端くれ、切り替えも早い。
「本来なら昨日のうちに済ませておくつもりだったが、予定が変わってしまったのだ」
彼女は意味ありげにこちらを見つめている。
「何かあったのか?」
特に興味があるわけではなく、一応社交辞令的に俺はその続きを催促した。
「言い難いのだが、正直に申すとお主のせいだ」
どうやら藪蛇だったようだ。
言い難いと仰せながらも彼女はさらりと結論を述べる。
「昨日私はカーシ殿とこの街に着いたのだが、ここまで言えばわかるな?」
「ああ、つまり俺が奴を怒らせちまったので、出るタイミングを失ったってことか」
「その通り、あれから大変だった。氏はお主の話はしたくないと言って頑なになっておられたし、私も雇われている身だから放ってもおけないしで、散々だったのだ!」
彼女を目の前にしていると忘れそうになるが、あくまでも彼女の雇い主はカーシであり、その息子の剣術指南役なのである。
彼女は一体どこまで俺と彼等の険悪な関係を知っているのだろうか。
愚直な彼女であれば、自分が世話になっている雇い主の味方をするかもしれない。
しかし今の反応を見る限り彼女はそれについてあまり知らされていないことが予想出来る。
そんなことを考え巡らせながら、いつのまにか俺の目は彼女を見つめ返していた。
それに気付いた彼女は咳払いをして、少々興奮気味の自分自身を正す。
「別にお主を責めるつもりはないが、一応恨み言代わりとして伝えておく」
声を荒げてしまったことを恥かしく思っているのだろう。
彼女が顔を少し赤らめている様に俺は無性におかしくなって、それが堪えきれなくなった。
「あははは、それは災難だったな」
「笑い事ではなかろう!」
流石に彼女も遺憾に思ったようで、再び声を荒げる。
「それは悪かったな。じゃぁ、そろそろお引取り願おうか?」
「あ、いや、気分を害したのであれば謝る」
俺のやや冷ややかな対応で、自分でも強く言い過ぎたと覚ったのか彼女は直ちに訂正する。
「別にそういうわけじゃないんだが、用事はもう済んだんだろう?恨み言も十分に伝えきっただろうしな?それとも俺の恨み言を聞いておきたいか?」
そう言って俺は彼女に片目を瞑ってみせる。
「あ……う……」
そこには、再び子犬の目をした女性剣士がいた。
彼女も、その教え子がしでかした俺への粗相の話だけは聞いているのだろう。
多少の責任は感じているようであった。
彼女は一通りの剣術指南を終えたので、サミエの店で暫く用心棒代わりを勤めるとのこと。
雇い主が同じであるので、そこに何の不自然もないといえばそうなのだ。
サミエは変わらず弁当を用意してくれるので、自動的にリンデもそこに加わり、男一人に対しての女性三人というある意味不自然な昼食風景となっている。
両手に花どころか、周りに花と言っても過言ではないような気がしてきた。
生物学的に男の端くれとしてこの状況は嬉しくないと言っては嘘になるが、裏で手をこまねくのはあのカーシである。
手放しで微温湯に浸かっているわけにはいかない。
女三人の関係も良好で、サミエも男の用心棒を携えるより、同じ女のリンデがいた方が何かと安心なのだろう。
変な監視役がいなくなったのもあり、隣の店からは和気藹々とした雰囲気が滲みでている。
ノーラも剣士を目指す者として話が合うらしく、リンデにも剣術をみて貰う約束をしているようだ。
カーシがリンデを連れて来たのも、そういう目論見があってのことかもしれない。
しかしリンデは良い意味でも悪い意味でも、そういう器用なことは出来ないだろう。
こうしてまた他人とは言い難くなった人物が、俺の手の届く範囲に増えることとなった。
それに比例するかのように、どうしようもない不安が募っていく。
しかし俺にはそれらを払拭するような気分にさせてくれる女性がいる。
そう、ボスのことである。
久しく疎通が無いからと言って彼女の怒りを買うことは考えられないが、今少々気弱となっている俺は夢遊病のように彼女を訪ねるのであった。