王城探検
「フッ! ハアッ! セイッ!」
夜明け前の瑠璃色の空の下、城の中庭に一人の少年の声が響いていた。
少年は剣の素振りをしているようだが、不思議なことに彼の手には何もない。しかし、彼が手を振る度に、空気が裂ける音がし、目の前の空間が揺らいでいた。
「そろそろ夜明けか」
少年――真羅は、空を見上げると手を下ろした。そして、彼が手を放すと、地面に何かが刺さり穴を開けた。
「今日で十日か……」
真羅たちがこの世界に召喚されて十日が経っていた。
真羅は夜が明ける前に、日課である鍛練を行っていた。朝に鍛練をすることは、真羅が幼い頃に母に言われて始めたもので、本来なら毎朝行っていたのだが、最近は召喚のせいで鍛練を行う暇がなかったのだ。
実は、真羅の母は我流だが剣の腕もかなりのもので、真羅は剣術も母から教わっていたのだ。朝に剣を振るのは母の影響である。
本日は調べ物が一段落したため、十日振りに鍛練を行っていたのだ。剣は一週間振らなかっただけでも鈍るものなので、真羅はそれを取り戻すため普段より早く起きて鍛練を行っていたのだ。
「そういや、この後も訓練があったな……戻るか」
真羅は先ほど地面に刺さった見えない何かを右手で引き抜くと、まるで剣の鞘を掴むように左手を腰に添えて軽く閉じた。
そして、不可視の何かを鞘に収めるように左手の中に入れていった。左手の中には水色の魔法陣が浮かび上がっており、何かはその中へと消えていった。
「この一週間、よく勇志たちは付いて来れたな……まあ、召喚の影響だろうが」
この一週間、勇志たちはグランの戦闘訓練に付いて行くことができていた。
真羅は初め、勇志たちがこの訓練に付いて行くことは難しいと思っていたが、今のところ誰一人欠けることなくついて来れていた。正直、初日で大半の者が脱落すると思っていたが、その予想は見事に裏切られた。
最初の訓練の後は、全員打っ倒れて行動不能に陥っていたが、次の日に誰も筋肉痛になることなく、普通に訓練場に来ていたことから、身体能力だけでなく回復力も上昇しているようだ。
「それにしても、皆物覚えが良いな。まだ一週間なのに、そこそこ形になって来てる……これも召喚の影響か?」
実は、真羅が一番疑問に思っていることはそれで、クラスメイトたちは実戦はまだ無理だが、実力だけなら正規の訓練を受けたこの国の一般兵を上回る力を身に付けている。
たった一週間で正規の訓練を受けて来た軍人を上回ったのだ。さすがは救世主と言ったところか……
「魔術まで使えるようになって……ズルいよな………向こうの見習いのひよっこたちが哀れに思えるな」
魔術というものは、そう簡単に身に付けられるものではない。真羅でも、魔術をものにするのは数年かかった。それを勇志たちは一週間足らずで使えるようになったのだ。異世界召喚というのは恐ろしい。
(まあ、俺の場合は習うのが早過ぎたせいか……)
真羅が魔術を仕込まれたのは、まだ物心付く前だったので、すぐに使えなかったのは当たり前のことだ。というよりも、その年で魔術を使えるようになっていることの方が異常なのだ。
「まあ、これくらいできないと、魔王なんて夢のまた夢だな」
そう呟き肩を竦めると、真羅は踵を返して中庭を後にした。
空には丁度、朝日が昇り初め、夜明けを知らせる薄明りが漏れていた。
「ふぅ~。今日も疲れた~」
訓練が終わり、勇志が汗を拭いていた。初めの頃は歩くのがやっとだったのに、今ではピンピンしている。他のクラスメイトも動けないほど消耗している者はいない。
「さすが勇者……」
「んっ? 何か言った?」
「いや、なんも……はぁ~」
真羅はクラスメイトたちを見て溜息をついた。
一週間でこれとは、彼らを見てると幼い頃から鍛練している自分がバカらしくなってくる。
「大丈夫かい? 顔色が悪いけど」
「問題ない。寝不足なだけだ」
そう言って、真羅はもう一度溜息をつく。
「まあ、いいや……この後ってもう訓練ないよな」
「うん。今日は魔法の訓練がないからね」
「そうか……寝よ」
真羅は眠そうに目を細めて欠伸をした。
「え? こんな昼間から寝るの?」
「だってやることないし、城の外だって出れないだろ?」
「確かに……やっぱり外に遊びに行けないのは辛いね」
勇志は残念そうに肩を竦めた。
真羅たち救世主が召喚されたことは、まだ公には知らされていないため、城から出ることはカルストフに禁止されているのだ。恐らく、救世主たちが戦争での切り札として、十分に活躍できる力を身に付けてから公表するつもりなのだろう。
「まだ、城の中だってよく分からないのに、王都に出ても迷うだけだろ」
真羅が何気なく呟くと、勇志がハッと何かを思いついたように顔を上げた。
「そうだ! 城の中を探索しないかい? 城の中なら自由にしてもいいって言われたし」
「城の中か、別に構わないが……………寝たい」
真羅は最後に本音を漏らしたが、勇志にはそれが聞こえなかったようで、笑顔で話を続けた。
「じゃあ、さっそく行ってみようよ。正直、訓練場と食堂しか分からないし」
「……ああ………元気が有り余ってるな。少し前まで動けなくなってたのに………はぁ~」
元気な勇志を見て、真羅は呆れ気味に溜息を吐いた。
元気いっぱいの勇者様は、そんな真羅の様子に気付くことなく、笑顔で訓練場の出口に向かって行った。
真羅も眠そうな表情のまま、勇志の後を追って歩き出した。
訓練場を出てから数分後、真羅と勇志は王城の廊下を歩いていた。
「この城って結構広いよね。まあ、外から見たことないから、全体がどうなってるのか分からないけど」
勇志は興味津々な様子で、廊下の窓から中庭を見下ろした。
「そうだな。結構歴史ある国みたいだからな」
「えっ? 歴史? なんでそんなこと知ってるんだい?」
勇志が不思議そうに首を傾げた。彼は召喚されてから、戦闘と魔法についての座学しか教わっていないので、この国や世界の歴史については知らないようだ。
「暇な時に図書室で調べたんだよ」
「そうなんだ……って、図書室の場所知ってるの?」
「一応、城の中は一通り調べてある」
真羅はどうでもよさそうに答えたが、勇志は驚きで言葉を失う。この十日間は訓練や座学で自由にできる時間はほとんどなかったので、彼が驚くのも仕方のないことだろう。
「んっ? なんなら知ってる場所、案内してやろうか?」
「…へっ?…ああ、じゃあ、頼むよ」
「分かった。じゃあ、まずは図書室から行こうか」
そう言って廊下の奥に歩いて行く真羅の後を、我に返った勇志が追いかけて行く。
「この先の突き当りが図書室だ。中に司書の人がいるから、もし知りたいことがあったら訊くといいぞ。んっ? 向こうに誰かいるな」
真羅が説明するのを司書に丸投げしようとしていると、図書室の前に人影を見つける。
「ほんとだ。あれは…城のメイドさんかな?」
どうやら、召喚により強化された勇志の目にも見えたようで、すぐに正体を見破った。人影の正体はメイド服を着た少女たちで、図書室の掃除をしていたのか手にはモップを持っている。
メイドたちがこちらに気付くと、勇志は彼女たちに爽やかな笑顔を向ける。すると、彼女たちは顔を赤らめて声を上げた。
「えっ!? 勇者様!」
「どうしてここに!?」
メイドたちはイケメン勇者様の笑顔を見てパニックを起こしているが、その元凶である勇志は彼女たちの心情に気付かず、その問に親切に答えた。
「図書室に行こうと思って来たんですけど、図書室はここであってますか?」
「「「はい! 図書室はそこです!」」」
少女たちは見事に声をハモらせて言うと、顔を赤らめたまま廊下を走って行った。
勇志はその様子を不思議そうに眺めていると、
「顔が赤かったけど体調を崩してたのかな?」
心配そうに的外れなことを言い始めた。
鈍感な勇志の様子を見て、真羅は呆れ気味に溜息を吐く。
「はぁ~。お前ってやつは……普通に考えてみろよ。世界を救う勇者様が目の前に出たら、誰だって緊張するだろ?」
真羅もまた微妙にズレたことを言う。
「そうかな? 僕は別にまだ何もしてないんだけど……」
「確かに実感はないかもしれないが、お前は勇者なんだ。分かりやすく例えると……そうだな……世界的に有名な芸能人が目の前に現れた。って感じじゃないか?」
「なろほど……だから彼女たちは赤くなってたのか」
真羅は勇志と違って鈍感というわけではないが、魔術一筋で恋愛などには全く興味がないため、彼女たちの心情を正確には理解できなかった。そのため、最大の原因が、今まで数え切れないほどの女を落としてきた、勇志の爽やかな笑顔だということに気付けなかったのだ。
「そうだぞ。少しは世界の救世主っていう立場を考えた方がいい」
「そうだね。気を付けるよ……って、真羅も救世主でしょ!」
「あっ……そうだった」
こうして、女心を微塵も理解できない二人は仲良く図書室に入って行った。
数時間後、城の探索を終えた二人は王城のテラスに向け歩いていた。そのテラスは先ほど探索の途中で見つけた場所で、見晴らしが良さそうなのため休憩を兼ねて向かっていたのだ。
「やっぱり広かったね」
「ああ、全部見て回るのはできなかったけど、大体の場所は分かっただろ………ふぁ~」
真羅は相変わらず眠そうだが、勇志は満足げな様子だ。
そのまま、他愛もない話をしながら歩いていくと、数分でテラスにたどり着いた。そして、テラスに入ると真羅が見慣れた三人の少女たちを見つける。
「どうやら、先客がいたみたいだな」
「えっ? 真羅君?」
真羅の呟きに反応して振り返ったのは、彼の幼馴染の詩音だった。彼女の声にテラスにいた他の二人の少女もこちらの方に振り返った。
一人は、黒髪のポニーテールがトレードマークの結衣で、真羅たちに気付くと手を振った。
「あっ! 勇志に真羅! 二人も城の探検してたの?」
「ああ、そうだよ。んっ? マリアさんも一緒なのかい?」
もう一人のマリアと呼ばれた少女は、金髪に青い瞳の少女で、顔つきはどことなく日本人に似ているが、どう見ても純粋な日本人ではない。体形はメリハリとした女性らしい体つきで、背も女子にしては高く、真羅より少し低いぐらいだ。そして、首元には十字架のアクセサリーを着けている。
「ええ、お二人もお城の探検ですか?」
金髪の少女は微笑みながら軽く会釈をした。
「ああ。見回って疲れたから、このテラスで休憩しようと思ってね」
「そうですか。奇遇ですね」
そう言って微笑む彼女の名前は、マリア・アステラルといい、イギリス出身で日本人のクォーターらしい。彼女は去年、日本に引っ越して来た転校生で、学校では異国の美少女として有名な少女である。
「まあ、みんなこの世界に慣れてきたんだろう」
真羅と勇志は話しながら近くの椅子に腰かける。
「そうですね。初めは皆さん混乱していたようですけど、今は大分落ち着きを取り戻してきましたからね」
「マリアさんは初めの頃から結構落ち着いていたように見えたけど……大丈夫だったのかい?」
「ええ。日本に来たときに生活環境がガラリと変化した経験があるので、比較的冷静でいられました。それと、私のことは呼び捨てで構いませんよ」
マリアはそう言って微笑んだ。勇志と並ぶと美男美女のためそれだけで絵になってしまう。
だが、その二人の隣では、
「俺は…もう眠い……お休み~」
真羅はついに限界がきたらしく、そのままテーブルに倒れ込む。
「えっ!? ここで? そんな所で寝たら風邪引くよ」
真羅の突然の行動を詩音が止めようするが、すでに手遅れで……
「すぅ~すぅ~」
「はやっ! 寝るの早過ぎるよぉ~」
そんな二人の様子を見て、勇志たちが笑いだす。
その後、真羅はそのまま本格的に眠りに入ってしまい起きなかったので、勇志が身体強化の魔法を使って部屋に運び込むことになったのだが、真羅がテーブルにしがみついて中々放れなかったので、結局、勇志はゆっくり休むことができなかった。