魔術師の変質
草むらから飛び出したのはの赤黒く血塗られた刃のような角を持つ獣型の魔物。
通常であれば取るに足らない相手だが、消耗している今の真羅は反応が遅れてしまう。
「ガルッァッ!」
背中の少女を庇うように振り返った真羅の頭部が、魔物の凶刃に晒される。
「シンラーッ!」
レイルシアが真羅の名前を叫ぶが、時すでに遅し。魔物の刃角が真羅の顔面を切り裂いた。
「あん?」
真羅は自身が魔物に切り裂かれたことを理解するが、ここである違和感を抱く。
「あれ?」
ここでレイルシアも同じ違和感に気付く。
顔面を切り裂かれたはずの真羅だが、傷痕が存在せず流血も全くしていない。
自身の状態を覚った真羅の行動は早かった。
『――爆ぜろ』
短い一節の詠唱。
真羅が放った破裂の魔術により、魔物が爆散する。
「ここまで消耗してたか……」
真羅は粉々になった魔物の骸を見ながら独り言ちる。
この程度の相手を察知することに遅れたこともそうだが、彼からしたら頭部への攻撃を受けれなかったことの方が問題だ。
(肉体を保てていなかったとは、俺もまだ未熟だな)
この程度の事態への対応が遅れてしっまったのは原因を自身の未熟さだと決めつけてしまうが、実際は本能的に避けるまでのないの攻撃なため動かなかったのだ。
勝手にショックを受けている真羅だったが、そこにレイルシアが心配そうに駆け寄ってくる。
「シンラ、大丈夫なの?」
「うい」
レイルシアが斬られたはずの真羅の頭部を見ながら彼の身を案じるが、当の本人は気の抜けるような適当な返事をする。
「本当に大丈夫なの? ブレイドウルフの角が完全に頭に当たってたように見えたんだけど?」
「あー、あれってそんな名前なのか」
レイルシアの心配をよそに、真羅はもはや原型をとどめていない魔物を眺める。
魔人族や闇の精霊が使役している魔物だったら警戒が必要だが、どうやらこのブレイドウルフはこの森に生息している魔物のようだ。
「俺は大丈夫だ。運良くすり抜けたからな」
真羅は周囲への警戒しながら物理的に在り得ないことを返答する。
「すり抜けたって……魔法もなしにそんなことどうやったの?」
レイルシアも真羅が魔術を使用すればそのくらいはやってのけると考えているが、今回は完全な不意打ちだったため魔術の類いは使用していなかった。
にも関わらず、物体をすり抜けるという神秘を発現させたのだ。彼女の疑問も尤もである。
「俺は“変質”してんだ。さっきのは肉体を維持してなかったらすり抜けんだ」
「変質? 肉体を維持?」
真羅からの言葉にレイルシアが疑問符を浮かべる。
「魔術師の変質。よくある現象だろ。こっちの魔法使いたちにはないのか」
「そんなこと初めて聞いたよ……」
「そうなのか。こっちだと変質は珍しいのか。分かった、説明するよ」
真羅にとってはありふれたことであったのか、意外そうに思いながらもレイルシアに説明を始める。
「“変質”っていうのは、そうだな……簡単にいうと、魔術の使い過ぎによる身体の変化だな」
「魔法の使い過ぎで変化?」
「正確に言うと、神秘に触れ続けることによって起こる肉体の変化のことだな。例を挙げると、水関連の魔術を得意としている者がその魔術を自らに宿し続けることで、身体自体が水になってしまう現象だな」
「え、精霊でもないのに身体が水になっちゃうの?」
大自然の化身である精霊がその姿を変化させることは在り得ることだが、生物である人間がその身体を別のモノに変えてしまうことなど通常ならば在り得ないことだ。
「水は例えだが、まず初めに変化が起こるのは身体の末端だな。特に眼や耳などの神秘を見たり聞いたりする部位が初めに変質することが多く、眼の変質により何らかの能力を宿した場合は魔眼というな」
先天的に魔眼を持つ者がいるが、大多数の魔術師の持つ魔眼は後天的に発現させたものであり、魔術の行使等の影響によって眼が変質することで得ている。
「恐らくだが、この世界の亜人も精霊という神秘を近くに接し過ぎたことで変質して生まれた種族だろう。実際に見たことはないが、人間と亜人の見た目の違いで最も多いのは耳の部分だろう?」
「……確かにそうだね。エルフや獣人たち亜人はみんな耳の形状がことなっているよ」
真羅の言ったように、人間族と亜人族の外見的な違いで最も多いのは耳の形状であり、亜人族は皆人間族とは耳の形状が異なっている。
「だろうな。話を戻すが、変質は身体の末端から起こるが、その後も神秘に触れ続けることで他の部位も徐々に変化していく」
「身体が変化してしまっても生きていられるの?」
「いや、手先や皮膚の一部とかならともかく、全身が水と石とかになったら生きていけないだろ。だから変質が進みが深刻な者はその症状を抑えるように治療したり、変化しても生きていられるように自身を改造したりするが、対処方は変質した内容によるな」
変質といってもいきなり全身が変化してしまうようなことはあまりない。変質は身体の末端から少しずつ起こっていくため、生命活動に支障が出る前に通常ならば対処することが可能だ。
いきなり半身や全身が変質してしまうこともあるにはあるのだが、そういう場合の大半は水や石など自然物ではなく、獣や昆虫などの別種の動物のような姿に変質することが多いため、変質の起こり始めで命を落とすことは滅多に無い。
「俺の変質の場合は少し弄れば生きていけるものだったから、その症状を抑えずに進めていったんだ。だから普段は人間としての構造、肉体を魔術で維持しているんだが、気が抜けると変質によって変化した本来の状態に戻ってしまうんだ」
「本来の状態?」
「そう。俺の本来の姿は水や大気にように形がないものだから、肉体を維持してなければ物理攻撃は効果がないんだ。まあ、元が人間だから人間の形が一番安定するのは確かだけどな」
「シンラの本来の姿って?」
「それは今はやめておくよ。俺の根幹に関わるものだからあんまり気軽には話せないんだ」
自身の本質など出会ってから間もないレイルシアに話すのはさすがに躊躇われる。
真羅にとっては秘密というほどのことでもないのだが、簡単に他者に教えるようなことでもないのだ。
「ボクはエルフの隠れ里からあまり出たことがないけど、長く生きてるエルフの魔法使いの間でもそんな現象は聞いたことはないよ」
「さすがに魔法をただ使い続けたぐらいでは起きないよ。長年身体に魔術を取り込み続けていたり、精霊を体内に宿し続けでもしない限りな」
真羅が不敵に笑う。
その姿はまるで自身境遇を嘲笑っているようにも見える。
「ちなみに身体に変質が起こった者を魔術師の間では“変質者”っていうんだ……あ、一般的に使われる意味での変質者ではないぞ。その意味では魔術師なんて皆、変質者だからな」
真羅は冗談交じりに言っているが、魔術師にとって変質というのは、その変化が起こるだけ魔術に身を捧げたということであり、彼らにとっては大変名誉なことして扱われている。
変質者は一般社会に出れば化け物として扱われることは明らかだが、魔術師からすれば畏敬の念を抱かれるほどの誇らしいものとなっている。
「変質って辛くないの?」
レイルシアが率直な疑問を尋ねる。
真羅はなんてことはないように語っているが、実際に身体が変化してしまったら何らかの弊害が出るはずだ。
「身体が変化していくからな。俺の場合は変質が進んで行ったときはめっちゃ痛かったぞ。なんせ、身体が人間とは全く別のモノになっていくんだからな。でもそんな痛みは感じなかったってやつもいるし、辛いかどうかは人によると思うぞ」
「いや……痛みとかもそうだけど、心情的に別のモノに変化していくって何ともないのかな?」
「……ん? いや、別に身体がちょっと変わるぐらい何とも思わないが?」
魔術師にとって身体を弄ることなど特段珍しいことでもないため、真羅にとっても変質したことは多少誇らしいとは思っても、悲観的な感情は懐いていない。
「……そうなんだ。人間って異物を嫌って排除する傾向があるって聞いていたから……」
「あー、まあ、一般人ならそうかもしれないけど、魔術師なんて異物しかいないからな。憧れることはあっても、変質しただけで排除はないな。魔術師なんて向こうの世界じゃ数が少ないから、排除なんて掟を破らない限りあんまないかな」
地球における魔術師という者たちは、この世界の魔法使いと比べても圧倒的に数が少ない。この世界では魔法使いなどその辺を探せばいくらでもいるが、地球の魔術師たちは先の大戦の影響で大幅に数を減らしてしまっている。
魔導連合が主体となって若い魔術師の育成に力を入れているが、それでも彼らが育つには時間が掛かるし、霊力の薄い地球での魔術行使の難易度は高い。今後もこの世界の魔法使いの数を上回ることはないだろう。
そんな状況で魔術師の数を減らすわけにもいかないため、魔導連合が定めた掟を破ったとしても余程のことがない限り、処分ではなく生かしたまま封印されることが多い。
「変質といえば、この子……リアだったか? 始めてみた時は耳が変質した魔法使いだと思ったが、エルフってことは生まれつきこの耳なんだな。向こうじゃ、尖った耳なんて珍しくないならな」
「あれ? キミのいた世界にエルフはいないよね? それなのにエルフ耳を持つ人間がいるの?」
「ああ、さっきも言ったが耳の変質は起こりやすいからな。魔術師の中じゃ変わった形状の耳は多いんだ」
変質によってまず初めに変化するのは眼と並び、耳であることが多く、地球の魔術師の中では耳の形状が通常と異なる者は珍しくない。
真羅が背負っているリアに関しても、彼女を始めてみた際に耳が変質した魔法使いと認識しており、その認識のせいで彼女をエルフに結び付けれなかった面もあるのだ。
「エルフ族については文献とかで知ってはいたんだがな。人類種の中でもっとも長命で、魔法等の知識が深いってことは調べてたけど、外見的な特徴は盲点だったな」
真羅は召喚後の王城で過ごしていた際に、訓練をさぼって城内の書物を読み漁っていることが多かったため、エルフなどの亜人族についても調べていたのだが、城の書物には写真や精巧な絵などが載っているわけではなかったので見た目に関しては大まかなイメージはできても調べようがなかったのだ。
「あ、ほらっ。村が見えてきたよ」
お互い話しながら歩いていたが、ようやく村らしき灯りが見えてくる。
真羅は遠見の魔術を使用して灯りの発生源を覗き込む。
「あれか。なんか武器を持った人影が何人か見えるな」
村の入り口では槍を持った三人の男が周囲を警戒していた。
この距離では向こうからは真羅たちは見えていないようで、こちらに気付く気配がない。
「闇の精霊の襲撃があったからね。今は警戒態勢なんだよ」
先ほどの常闇の精霊が元凶であった瘴気が村の近くまで迫っていたのだ。レイルシアとリアが先行して対処しに来ていたが、村の方も守りを固めていたらしい。
「なら解決したことを伝えないとな」
「そうだね。ようやくみんな安心できるよ」
笑みを浮かべるレイルシアの隣でリアを背負い直すと、真羅は村に向けて歩みを進めていった。




