神秘を追い求める者
祝! 令和!
無貌の闇に黄昏が浮かぶ
異端なる魔人は 夜の帳と共に現れる
彼の者の道を妨げてはならない
立ち塞がりし者は 須らく虚無なる海へと還される
彼の者の姿を見てはならない
深淵を覗きし者は 須らく混沌の底へと呑み込まれる
神秘に魅入られし魔人は 今日も何処の闇へと舞い降りる
彼の魔人は“異端者”
真なる理を追い求めし者
「火球」
小手調べに下級の魔法を編む。
真羅から放たれた火球は、弧を描きながら闇を纏う女に迫っていく。
「光矢」
火球が着弾する前に、真羅の指先から閃光が放たれる。
放たれた光の矢は、文字通りの閃光の速さで、先に放った火球に追いつき、ほぼ同時に女に着弾した。
「無駄よ」
火球と光矢は間違いなく、彼女を捉えたはずだが、ダメージが入った様子はない。
(やはり、低位の魔法は効かないか……)
しかし、このようなことは、真羅にとって想定通りのことだ。
高位の神秘に対し、低位の神秘は成り立たない。そんな魔術法則は、見習いでも知っている基礎だ。
(だが、妙だ。神秘の位格差が原因なら、魔法は着弾する前に術式が解けて消滅するはずだが……)
――低位魔術崩壊。
つまり、高位の魔術を前して低位の魔術が成り立たないのは、高位の魔術により低位の魔術の術式が解け、魔術自体が崩壊していまうために起こる現象だ。
しかし、今起こったものは、それとは異なる。
魔法自体は術式が解けることなく、闇の女に確実に直撃したのにも関わらず、彼女には一切の影響が出ていないのだ。
(そこにいるのにまるで存在を感じられない。だが気配を断っているとは根本的に違う。まるで幻に攻撃しているようだ……)
そこにいるはずなのに、存在感がまるでない。自然体なのに、認識ができない。一瞬でも目を離してしまえば、もう捉えることができないのではないかと錯覚してしまう。
しかし、もしも今見ているものが幻ならば、魔眼で見分けることができる。彼女が真羅でも見抜けぬほどの高度な幻影を作り出せるのなら話は変わっていくるが、もし仮に幻影を攻撃したのならば、魔法は直撃せずにそのまますり抜けるはずだ。
「なら、試してみるか……」
真羅はボソッと呟くと、懐から取り出した一発の弾丸を魔銃に装填する。
「あら? 何をしようとしてるのか分からないけど、私に魔法は効かないわよ」
闇の女が不敵な笑みを浮かべながら、真羅に警告する。
先ほどの騙し討ちをしたときとは異なり、彼女は闇を衣のように纏っている。
その正体は真羅の魔眼を持てしても、解き明かすまでには至らない。しかし、彼女もまた真羅も実力を計り兼ねているようで、向こうからは仕掛けてくる様子はない。
湛えている不敵な笑みは、余程、魔法の対応に自信があるのだろうか、それとも先ほどの趣向返しのつもりかもしれない。
「……ああ、分かっているさ、そのくらい」
同じく不敵な笑みを浮かべ、真羅は悠々と魔銃を構える。
『――彼方なる赤雷よ』
――ガチッ
静かに唱えられる呪文。
引き上げられる撃鉄。
黒く輝く銃口が、女の額に向けられる。
『――魔を破却せし赤雷』
顕言と共に、撃鉄は落とされた。
銃口から火花と共に、鮮血が如き“赤い”稲妻が放たれる。
「――ッ?」
文字通り稲妻の速さで迫りくる赤雷に、闇の女は目を見開く。
驚くのも無理はない。何せ、赤雷はこの世界の魔法ではなく、異世界の魔術によって編まれたモノだ。
“賢者”シュケルによって編み出された魔術、“万物を射抜く赤き雷”。
距離という概念を打ち破り、どんなに離れた地点に居ようとも、全ての障害をすり抜けて標的を狙い撃つ稲妻。大魔術一歩手前の階位Ⅶの高位魔術であり、一魔術師が大規模な儀式なしで行使できるとされる魔術の中では最高峰の術。
弾丸には予め、大半の術式を内包させてあるため、魔銃を用いることでこの魔術をたった二言の呪文で発動できる。
二節の呪文で行使するのには、余りにも高度な魔術は、今度こそ確実に闇の女の心臓を捉える。
標的を捉えた赤雷は、獲物を貪る獣のように彼女の全身に広がっていき、闇を晴らさんとばかりに周囲ごとその赤き雷光で照らした。
「ん?」
妙な違和感を覚え、真羅は数歩距離を取る。
赤雷は確実に命中した。闇の女を焼き尽くした瞬間も、その見開かれた魔眼が確かに捉えた。しかし、手応えだけはまるでない。
銃で狙い撃ったのに手応えというのも可笑しいが、放った術が異様なほど軽るかったのだ。
「当てても効かないのか……」
「――その通りよ」
何気なく呟かれた言葉に、雷光の中から返事が返ってくる。
「――暗淵」
呪文か、単なる呟きかは分からないが、女の声が赤雷により生じた暴風に乗って真羅の耳に届く。
そして次の瞬間、雷光が何かに吸い込まれるように消失する。
(シュケルの赤雷が呑み込まれた?)
目の前で起こった光景に、今度は真羅が目を見開く。
遥か彼方さえ撃ち抜く稲妻が、いとも簡単に破られた。さすがの真羅もこれには驚きを禁じ得ない。
魔術が破られることや効果が今一つである可能性は想定していたが、こんなにも呆気なく破られるとは考えていなかった。
(いや、赤雷が破られたのは驚きだが、これでヤツの正体は確定した)
未知との出会い、神秘の解明。その双方を得られたことにより、思わず笑みが零れる。
「あら? 自分の魔法が破られたのに笑うのね」
その魔術を破った張本人は、何事もなかったかのように愉快そうに佇んでいる。
浮かべられた笑みには嘲りも含まれているが、他人の魔術に頼るなど、慣れないことをした真羅の落ち度である。
「……一つ聞く。今の雷は何処へ行った?」
笑みを抑えきれない真羅は、確定した事柄を確認するべく、敵である闇の女に問う。
「さあ? 何処に行ったと思う?」
しかし、女は笑みを湛えたまま、問いを返してくる。
「もう無くなった。闇に呑まれた時点で、術式は完全に解けている」
返された問いに対し、真羅は澱みなく答える。これは術を放った彼自身が最も分かっていることだ。
「へぇ、よく分かったわね。正解よ」
「……なるほど……はっきりした」
彼女の答えを聞き、真羅は確信を孕んだ笑みを浮かべる。
その口角が吊り上がった笑顔は、夜闇に浮かぶ三日月を連想させるが、何故か得体の知れない不気味さ放っている。
「あら、何がかしら?」
浮かべた笑みが変化したことに気付いた女は、愉快気な表情のまま訝しむように目を細める。
「貴様の正体だよ。――“闇の精霊”さん」
「――ッ」
わずかに女の顔が引き攣る。しかし、それも一瞬のことで、すぐに彼女は愉快気な表情に戻る。
――闇の精霊。
この世界の神話に登場する魔神の眷属。
かつて女神とその眷属である光の精霊たちに敗れたと伝わっているが、神話や御伽噺でしか語られていない存在ため、不明な部分が多く詳細は謎に包まれている。
この世界の人々は、魔人族を除いて、女神とその眷属である光の精霊たちを信仰している。
これを元の世界で例えるなら、光の精霊が“神”に仕える天使にあり、闇の精霊はその敵対者である悪魔に該当するだろう。
あくまで神話に登場する存在であるため、大半の者の認識としては、“神話の時代に撃ち滅ぼされた悪しきモノ”であるため、現在はもう存在しないと考えられている。
しかし、真羅はこの目の前にいる女が“闇の精霊”であると確信している。
「……白を切って無駄のようね」
真羅の確信に満ちた笑顔を見て、闇の女は――否、闇の精霊は、観念したように息を吐く。
「そうよ。私は偉大なる闇の魔神の眷属。光の眷属たちが“闇の精霊”と呼ぶモノ」
改めて自らの正体を明かした彼女は、両手を広げ、自身の存在を見せつけるように、その禍々しき闇を放出した。
無造作に放たれた悪意は、瘴気を纏った歪な獣のような形を成して、付近の草木を巻き込みながら真羅に襲い掛かる。
「――っ、おっと」
襲い来る獣から逃れるべく、真羅は地面を蹴って距離を取った。
彼女からすればこんなものは攻撃ですらないのだが、真っ当な生物からすれば、脅威以外の何物でもない。これは真羅も例外ではなく、先ほどまで末端の闇ならともかく、この濃度の闇を受ければ彼でもただでは済まない。
(予想よりも霊格が高い。まあ、想定の範囲内ではあるが……)
真名は分からないが、この精霊は相当に霊格が高い。これこそ、地球の神話で出てくる主神クラスの神霊にも勝るとも劣らないほどに。
そもそも魔術界で言う精霊とは、世間一般に精霊と認識されているモノとは異なり、神や悪魔、天使や妖精などの総称として“精霊”と呼んでいる。
精霊は、原則として肉体を持っておらず、霊体として存在している。霊体として存在しているということは、霊力の濃い場所にしか生息することができないため、現在の地球では大半の精霊がその姿を消してしまっている。
この精霊だが、霊格が高いモノほど濃密な霊力を有しているいるのだが、裏を返せば、高位精霊がその存在を維持するには、霊力の非常に濃い場所が必要になるということになる。
レイルシアもそうだが、彼女たちほどの高位精霊が平然と実体を持って存在している辺りは、さすが異世界といったところであり、地球では考えられない現象である。
(霊力は神秘的法則を成立させる重大な要素。そして、精霊はその霊力の塊。つまりは霊力が意志を持って行動しているのと変わらない……)
真羅は思考する。
霊力は魔術を成立させるためには欠かせない要素だが、それが意志を持っているとなると、また話が変わってくる。
“魔術”という現象は、魔力を術式として編み、霊力を介して世界に干渉することで成り立つのだ。その霊力が魔術の術式を拒んでしまえば、もはや魔術は成り立たない。精霊の恐ろしいところはそこだ。
しかし、術式が正確で精密であるほど、理への干渉が容易になるため、霊力の“干渉の仲介を行う”という役割の重要性が低くなる。つまりは霊力が希薄な場所での魔術行使には、術式の精度が重要となる。
これらのことから考えると、高位精霊に魔術を通すためには、精霊の意志を捻じ伏せるほどの“質”と、精霊の存在に左右されない“精度”が必要となる。
つまり――
「何の問題もない」
そう、真羅は断言する。
質と精度。それらは切っても切れぬ仲であり、魔術の正確さと精密さを高めることは、魔術の質の向上において必須事項だ。
ようは、この問題を解決するためには、より階位の高い魔術をぶつければ良いのだ。
(とは言っても……赤雷より上となると、もう大魔術しかないが……)
シュケルの赤雷は、階位Ⅶ。階位Ⅷ以上は大魔術の域であり、そう簡単に発動できるものではない。
そもそも、大魔術の行使は、単純な呪文詠唱だけでは難しい。術式が複雑で膨大過ぎるため、大規模な儀式や希少な触媒が必要になってくる。
「私の正体を見抜いたのは褒めてあげるけど、知られたからには、もう生かしては置けない――」
しかし、この闇の精霊はそんな時間はくれないだろう。
現在進行形で闇を展開し続けている彼女は、何やら意味深気な笑みを浮かべる。
「――でも……私、貴方のことをとても気に入ってしまったの。ここで殺してしまうのは惜しいわ」
「へー。そりゃどうも」
真羅は心にもないお礼を口にする。
「だから――私の契約者になりなさい。そうすれば、貴方をこのまま生かしてあげるわ」
「――はっ」
闇の精霊から出された命令に、真羅は思わず失笑を漏らしてしまう。
精霊とは、その土地や地域に根付くモノであり、本来は決まった形などない、自然現象や概念の化身だ。
発生した場所での信仰により、その存在の“形”を保ち、霊格を高めていくため、精霊はその土地から離れることはできない。
だが例外として、肉体を持つ生物と契約をした場合、その契約者の魔力によって存在を保つことが可能になるため、外へ旅立つことも可能となる。
だが、この闇の精霊は、レイルシアとは異なり、この土地に根付いている精霊ではない。大方、人間たちを喰らって精気を補給しながら、この精霊の森までやってきたのだろう。
魔力の高い真羅は、彼女から見たらとても都合の良い絶好の獲物だ。
「断る。お前が俺の契約精霊になるならともかく、その逆はない」
きっぱりと何の躊躇いもなく、真羅は闇の精霊の誘いを断る。
異世界の精霊は、喉から手が出るほど欲しい存在ではある。しかし、彼はあくまでも魔術師だ。
精霊とは利用するモノであり、利用されるモノではない。
契約者と契約精霊。これだけ聞くと利害が一致しているように思えるが、真羅はあっさりと切り捨てた。
「あら? フラれちゃったわね。 貴方は賢い人間だと思ったのだけど?」
「ほざけ。こんなこと端から分かっていただろうに」
「ふふっ、そうね……」
出会ってから間もない二人だが、互いの大まかな人となりは見極められていた。
真羅が契約を拒むことなど、この精霊は訊くまでもなく分かっていただろう。
「……もったいないけど――貴方はここで殺すわ」
――殺気。
夜闇のように深く、濃い。氷のように冷たく、鋭い。それが津波が如き勢いで押し寄せてくる。
総毛立つような感覚に襲われ、思わず首筋を手で押さてしまう。
自身の首が繋がっているのかすら曖昧になるほど、明確な死の警鐘。
「まあ、仕方ないな」
しかし、真羅の頭は冷静だ。
こんなことは分かり切っていた。
相手は邪悪な高位精霊。ああいったモノは必ずと言っていいほど、他者の不幸を最大を喜びとしている。そして、邪魔なモノ、気に入らないモノには、一切の容赦もなく襲い掛かってくる。
今さら驚くほどのことではない。
(これで向こうも本気で殺りにくる)
魔術師が構えるは、心臓に近い左手。
彼女の殺気に応えるように、妖しげな魔力を滾らせ、自らの魔眼に不気味な輝きを灯す。
「殺す前に教えてあげるわ」
妖艶な仕草で下唇を撫でると、闇の精霊は冷たい笑みを湛え、自らの誘いを蹴った不遜な男を睨みつける。
「私は、“常闇”。女神の眷属とは違い、名を持たない闇の化身」
名を名乗る。否、名を持たぬ精霊は、その身に湛えた力でその存在を示す。
「闇の精霊に名前という概念はないの。あるのは、その定義と存在のみ」
「……」
名とはその者の存在を示すもの。
信仰の対象である精霊がそれを持たないということは、本来なら在り得ないことだ。
しかし、彼女が言っていることは嘘ではないと、魔術師の直感がそれが訴えてくる。
(名前を暴いて、神秘性を堕とすのは無理だな。しかし低位精霊ならともかく、高位精霊なのに名前がない……)
神格を持たなくとも、信仰されるモノに名がないなど、地球では在り得ない。神でも悪魔でも、人の認識の外にある高次存在を定義するうえで、名前というものは必須だ。
そもそも、認識不可能な高次存在だからこそ、名前をという型に当てはめて、自分たちが認識できる段階まで低俗化させるのだ。そうでなければ、信仰なんてできないし、宗教というシステムが成り立たない。
この精霊は地球では在り得ない存在だ。つまり――
(――未知の神秘)
元より彼が求めるモノなど分かり切っている。
相手が未知の精霊なら、それは真羅にとって絶好の獲物だ。
「ははっ、ハハハッ!」
真羅は笑う。
悪意と殺気を纏う、闇の化身たる彼女に。
この未知との遭遇に歓喜する。
「――ソーマ」
一頻り笑い終えると、真羅はおもむろに口を開く。
「それが俺を示す名であり――」
レイルシアの時とは異なり、魔術師としての名を告げる。
すなわち、この行為が意味することは――
「――お前を暴く“魔術師”の名だ」
――確固たる宣戦布告に他ならない。




