結社の魔術師
今回は少し長めです。
また、真羅たちが異世界召喚された後の地球での話になっています。
静寂に満ちたこの場所に、一つの足音が響く。
日の届かないこの通路では、各所に吊るされた小さな魔術灯たちが仄かに道を照らしている。
ここはこの世の何処にも存在しない地。
――――魔術結社、“神秘の記録”の本拠地。
正確にはこの世のどの実数域にも存在しておらず、物質界とは異なる座標に造られた虚数空間に存在している魔境。
そんな妖しげで胡乱な路を一つの人影が歩いていた。
「こんな時期に招集か……」
周囲に溶け込んでしまうような漆黒のローブを身に付けているせいで、その表情は窺えないものの、何気なく吐き出された呟きから、この者が女性であることが分かる。
しかし、それ以外のことは全てぼんやりと朧気になっており、その姿が曖昧になっている。
(またあいつら顔を合わせるのか……)
重い溜息が吐き出される。
どうやらこの女性はこれから何者かと会う予定のようだが、そのことを心底億劫に感じているようで、その足取りまでもが吐き出された溜息のように重い。
こんな場所に足を運んでいる以上、彼女が魔術師であることは違いない。そして、これから顔を合わせる者たちもまた、彼女と同類であろう。
(というか、ツルギやアイマはいいとして、クレンやローシは来るのか? いや、来ないでくれると嬉しい)
女魔術師はこれから集まるであろう面子を思い浮かべて、もう一度重たい溜息を吐く。
いくら同じ結社に所属し、同じ目的のために行動しているとはいえ、全員の思想や道程が一致しているわけではないので、反りが合わない者や相性の悪い者が出てしまう。
ただでさえ、魔術師というものは変わり者が多い。いや、多いというよりも真っ当な道から踏み外れた変人しかいない。
「はあぁぁぁぁぁ~~~~」
三度目の溜息が吐き出される。
ローブにより表情は窺えないが、その身に纏う空気は明らかに重く、「憂鬱だ」という表情をしていることが容易に想像できる。
(でも、久々にソーマと会えるんだ。あんな連中のためにこの貴重な機会を手放してたまるか!)
女魔術師は憂鬱な気持ちを切り替えるために、この招集に応じた目的を再確認する。
変人揃いとはいえ、中には気の合う者や好感を持てる者は存在する。
彼女にとっては、まさに真羅がその一人であり、今回の招集は彼と会うことだけが目的だといっても過言ではない。
(だけど、ソーマが来るならユリも来るよな……)
何とも言えないような唸り声を漏らす。
別に彼女は詩音のことを嫌っているわけではない。むしろ、真羅を除いた場合、本日集まるであろうメンバーの中では、唯一好感が持てる人物だと思っている。
しかし、それと同時に、詩音は彼女の想い人である真羅に最も近しい者でもあるのだ。
(人柄は好ましいし、魔術の腕も優秀だが、やはりソーマにくっついているのだけは見逃せない)
詩音の魔術師としての姿勢は、結社の同胞として敬意を覚えているが、真羅と行動を共にしていることだけは気に入らない。
「はあー。ズルい」
思わず溜息と言葉が漏れてしまう。
(というか、お幼馴染とか反則……)
肩を落としたまま、如何にも憂鬱そうな足取りで通路を歩いて行くと、目の前に古惚けた扉が現れた。
女は扉の前に立つと、フードを深く被り直し、意を決したように扉を開く。
「――私だ、入るぞ」
名乗ることもなく、ごく自然に入室すると、巨大な円卓が彼女を出迎えた。
円卓の周囲には複数の席が設けられていて、すでに数人の先客が腰掛けていた。
(私は五番目か。ソーマはいないようだな)
先に来ていた人数と真羅がいないことだけを確認すると、その者たちと顔を合わせることなくフードを被ったまま席に着いた。
「――ヨーコ。お前にしては早かったな。」
向かいに座っていた男が不意に声をかけてくる。
「ああ、ツルギか。いたんだな」
「いたんだって……」
ヨーコと呼ばれた女魔術師の言いぐさに、茶色のコート羽織った男――橙刃は呆れたような溜息を吐く。
「それより今日の集まりは何なんだ?」
「さあ? 俺も知らされていない。 まあ、大体の想像はつくけどな」
「んっ、どういうことだ? 何を隠している?」
「……」
ヨーコが問い質すも、ツルギは口を噤んだままそっぽを向く。どうやら、彼に答える気はないようだ。
それよりもツルギはどこか疲れ切ったような表情をしている。
答えないというよりも、言いたくないといった心情のようだ。
「いう気はないか……まあいい」
ヨーコはどうでも良さそうに机に突っ伏す。
こういう顔をした者は、大抵何か面倒事を抱えている。無理に聞き出したところで、ロクな情報は出てこない。
無言の時間が続く。
誰も口を開こうとはせず、静寂がこの場を支配する。
しかし、この永遠に続くようにも思えたこの静寂は呆気なく破壊された。
「ヤッホーッ! みんなー、お待たせ!!」
勢いよく扉が開けられ、一人の少女が現れる。
「魔法少女マギアちゃん、ただいま参上!!」
魔法少女と名乗った彼女は、ごく自然な動作で宙に舞い上がり、空中で高速回転しながら開いていた席に突っ込んだ。
その際にたまたまその近くに座っていた、仮面の男が巻き添えをくらう。
「……相も変わらず煩い奴だ」
マギアが突っ込んだ席のちょうど向かいに座っていた、目隠しを付けた白髪の若い男が呟きを漏らす。
「むー。うるさいとはなんだ、フレザ! マギアちゃんはこの息苦しいこの空間をただ壊してやっただけだぞー!」
可愛らしく頬を膨らませるマギアを見て、白髪の男はこめかみに青筋を立てる。
「我が眼前から消えろ。キサマがいるだけでこの場が煩くなる」
「むう~。なんだとー、この白髪中二野郎めー」
二人が言い争いをしていると、先ほど飛んできたマギナに吹き飛ばされた仮面が立ち上がる。
「マギア! いきなり何しやがる!」
立ち上がった彼はズレた仮面を直しながら、言い争いをしているマギアに怒声を上げる。
「あれっ? クレンいたの?」
「居たわッ! 初めから! というか最初に来たわ!」
「キサマら。今すぐ口を閉じろ。もしくはこの部屋から出ていけ」
三人が言い争いを続けているも、誰も仲裁に入る気配はない。
彼らにとってこれは見慣れた光景なのだ。
(ソーマ。早く来ないかな)
不毛な争いを続ける三人を尻目に、ヨーコはぼんやりと入口の扉を眺めている。
他の二人もどうでも良さそうにそっぽを向いている。
「――相変わらず、ここは騒々しい」
突然、先ほどまで誰もいなかった席から声が響く。
「……お前も相変わらず、神出鬼没だな」
ヨーコが扉を見たまま振り向きもせずに、新たに現れた者に声をかける。
すると、誰もいなかった空席に、突如として人型が浮かび上がった。
「それはそうだ。何と言っても、私は霞だからな」
椅子の上に現れたブリュムと名乗った女は、何故か自慢げに胸を張る。
「何を自慢げにその薄っぺらい胸を張っているんだか……」
「――なっ!?」
ヨーコがぼそっと呟いた言葉に、ブリュムの顔が引き攣る。
「……うーん。ヨーコ……いま、何か言ったかい?」
顔を手の平で覆い、有無を言わせないプレッシャーを放ちながら訊ねる。
「ああ。何でそのまな板を自慢げに晒しているのか疑問に思っただけさ」
ヨーコに物理的な圧を持った殺気が放たれる。
「なんだ? いきなり」
「はははっ。そっちこそ、見もせずにまな板なんて言葉が出るのかな?」
「見るまでもなく貴様の胸は薄っぺらなまな板だろ」
――ブチッ
ブリュムの中で何かが千切れる。
「おい……私を見ろ。淫乱狐」
「絶壁なんか見る価値ないさ」
どうでも良さそうな声音とは裏腹に、ヨーコは挑発するように、ブリュムとは比べるのも馬鹿々々しくなるような豊満な胸をさらに強調するように腕を組む。
「あはっ! そっちこそ自慢か? というかなんだそれは? そのローブでも隠しきれてない破廉恥な無駄肉は?」
ブリュムは歪んだ笑みを湛えながら、ヨーコの豊満な胸を指差し、魔力とは明らかに異なる力を発動させる。
「ほう?」
不気味な薄ら笑いを浮かべたヨーコが、初めてブリュムの方を向き直り、被っていたフードを外す。
「ヤるか? 道士女」
晒されたヨーコの頭部には、狐のようなケモ耳がひょこっと生えていた。
しかし、その可愛らしい見た目とは裏腹に、彼女の口角は凶悪に吊り上がり、まるで捕食者を彷彿とさせる凶暴な雰囲気を纏っている。
「……」
その挑発に対して、ブリュムは無言で応え、仙気を纏った掌をヨーコに向けて突き出す。
「……」
ヨーコも対抗するように、妖気を込めた指先をブリュムに向ける。
まさに一触即発といった状況。
しかし、マギアとフレザとクレンの三人は先ほどから言い争いを続けていて、ツルギとその二つ隣の席に座っている眼鏡をかけた少女は、各々巻き込まれぬように防御の魔術を展開して傍観を決め込んでいる。
残念ながら、この場を治める者は誰もいない。
ヨーコとブリュム。二人の力が同時に放たれ、まさに激突するその瞬間――
「やめろ」
両者の間に、何者かが割って入る。
二人の放った仙気の弾丸と妖力の閃光は、その者の掌に受け止められ、そのまま握り潰される。
「ここは会議を行うための場。喧嘩がしたいのなら余所でやれ。そっちの三人もだ」
相当に威力があった力を平然と受け止めた隻眼の少年は、暴れていた五人を睨みつける。
「チッ。来たのか、マグナ」
フレザが忌々しそうに、マグナと呼んだ隻眼の少年を睨み返すも、それ以上のことは何もせずに乱暴に席に座る。
他の者たちも、フレザが腰を下ろしたのを皮切りに、争いを止めて大人しく席に着いた。
「さて。ちらほら欠員がいるようだが、そろそろ集会を始めさせてもらう」
マグナは空席を確認すると、そのまま席の前に立った。
「おい、まて」
しかし、ここでフレザが怒気を孕んだ声を上げる。
「なんだ?」
「なんだ、じゃない。何故キサマが仕切るんだ? それにまだ半数近くメンバーが来ていない」
フレザはマグナが仕切ろうとしていることが気に食わないようで、目隠しでは隠しきれないほどの鋭い眼光を放っている。
今回集まった者たちには、上下関係はなく皆対等だ。それにまだ、空席が七つほど残っている。過半数を超えているとはいえ、集会を始めるにはまだ足りないだろう。
「……この時間になっても来ないなら、今いない者はもう来ないと考えた方がいい。欠員が出るのはいつものことだ。それにこの中では、私が最も階級が高い。この場では私が仕切るのに適しているだろう」
フレザの問いに、マグナは淡々と答える。しかし、彼の顔には「何を当たり前のことを聞いているんだ」とでも言いたげな、呆れの表情が浮かべられていた。
「答えになってない。今回は緊急招集だ。欠席は余程の事情がなければ許されない。それに今回招集されたメンバーの中で最も階級が上なのはソーマだ。ヤツが来るまでは待つのが無難だろうが」
フレザの言う通り、今回の会議は緊急のものであり、欠席は原則禁じられている。そして、このメンバーの中で最も階級が高いのは、賢士級である真羅だ。
この状況で会議を始めるにしても、彼の到着までは待つ必要がある。
「ソーマなら来ない」
「あっ? どういうことだ?」
マグナの答えに、フレザは円卓に乗り上げて訊き返す。
「ソーマが行方不明になった……いや、これならばいつものことだが、今回はこちらから観測できない外界に跳ばされた。それもユリとその周りにいた十数人の一般人を含めてな」
「「「「「はぁっ?(えっ?)」」」」」
予想外の内容に、フレザだけでなく、周りにいた者たちまで声と上げてしまう。
この場で声を漏らさなかった者も、その表情は驚愕や疑問といったものが漏れ出ている。
「今回の議題はそれだ。ソーマやユリだけでなく一般人まで、神秘事件に巻き込まれた。それも状況から考えると、内側からではなく外側から……つまりは未知の外界からの干渉だと考えられる」
議題を明かされた途端、今まで邪険な雰囲気を発していた者も含めて、皆が一斉に真剣な顔になり、各々の意見を出し合い始める。
「外界からの干渉だと? そんなことが在り得るのか?」
「確率は低いが在り得ないことではない……しかし、その干渉してきたモノは何だ? その存在も目的も見当がつかない」
「いや、目的は分からないけど、干渉してきてモノは恐らく人型の知性体だろう」
「どうしてそう言い切れる? 我らでは想像すらできない未知の化け物の可能性だってあるだろう?」
「俺はこの間、実際に穴が開いた場所を調べてきた。そして、そこには魔力と術式の残留が確かにあった。式はもう読み取れなかったが、あれは間違いなく、俺たちと同じ“人”の手によるものだった」
「では目的は? 別世界の人間によるものならどうしてこの世界に干渉したんだ?」
「偶然か、あるいは目的物がたまたまここにあったのか……ともかく、明確な標的があったわけではなく、該当したものが、偶然この世界にあったのだろう」
「確かにその可能性は高いが……いや、それではまだ薄いな」
「薄い? 何がだ?」
「“繋がり”だ」
「ん? それってどういうこと? わたしにも分かるように言ってよ!」
「“因果”のことだろ。何事にも於いても、必ず何らかの形で結びついている」
「目的に該当するものがあっただけじゃ足りない。世界っていうのは、数え切れないほどあるんだ。並行世界までを一つの世界線と定義したとしても、異なる世界は無限にある。今この時だって新しい世界が生まれて、また別の世界が滅んでる。そんな中からここに干渉したんだ。他にも何か原因があるはず」
「単に座標が近かったんじゃないか? 同じ人型知性体がいて、似たような環境で文明を持って、目的に該当するものがあって、位置が近い。これだけでも十分可能性としてはあり得る」
「私も同じ意見だ。似たような種族と文明があって、世界座標が隣接しているのなら、繋がる可能性はあり得る。まあ、時間の流れなどは異なるだろうが」
「ちょっとー! わたしを置いてけぼりにしないでよー!」
「やっぱり世界座標が関係している線が高いな。だがそれでは――――」
魔術師たちが論争に熱を出す中、それを静観していたマグナは、静かに溜息を漏らす。
「やはりこうなったか……」
知識欲の塊と言っても差支えのない魔術師たちの前に、彼らの好物を出せばどうなるかなど考えるまでもない。一部例外はいるが、大半の魔術師なら同じ反応をするだろう。
本来、結社の集会の目的は情報の共有や交換なので、このまま放置しても問題ないのだが、今回に関しては例外に中る。
「今回の件、ソーマの捜索はなしだ」
全員が一斉に押し黙り、視線をマグナに向けた。
「盛り上がっているところ悪いが、この件は何者であれ干渉を禁じられている。この招集はそのことについてを知らせるためのものだ」
「――おいおい! こんな前例のない事態を黙って見過ごせってことかよ!?」
クレンが声を荒げて抗議する。真羅たちの身より、自身の好奇心を優先させているのは、彼の性質を鑑みれば仕方ないことかもしれないが。
他の者も声にこそ出さないが、皆不服そうに顔を顰めている。
「……大魔女の命令だ。我らではどうしようもない」
この一言で、皆が一斉に顔を引き攣らせて硬直する。
この結社に限らず、魔術世界において、“大魔女”という言葉は絶大な力を秘めている。何せこの名は、世界最高峰の女魔術師であるマギステルの別称だ。もしも彼女に歯向かうなどという愚行を行えば、即座に塵一つ残さずに消し去られるだろう。
「大魔女の命で直接的な干渉は出来ない。しかし、今ある情報を整理することぐらいは許されるだろう……一先ず、ソーマとユリの抜けた穴をどうするかを決めよう」
全員明らかに落胆した表情を浮かべているが、マグナの案に反対する者はいない。
「取り敢えず、二人についての情報をまとめる。まずはユリからだ」
マグナは周りの返事を待たずに、用意していた資料を取り出して読み始めた。
「ユリ――治癒や解呪が専門の術師で、階級は修士。この“ユリ”という通称は、日本語で“治癒の理”から取られていて、本名は天崎詩音」
「――って、おい! 本名は明かしちゃマズいだろ!」
マグナが何の躊躇いもなく、詩音の本名を出したため、ツルギが慌てて止めに入る。
神秘の記録に所属する魔術師は、本名を曝すことを禁じられている。例外的に本人が自ら判断で明かすことは認められているが、他人の本名を勝手に明かすことは許されていない。
そもそも通称とは、結社のメンバーとして正式に認められた際に、魔術王から直々に与えられるものであり、魔術結社“神秘の記録”のメンバーの証である。そしてこの通称は、自らの真名を隠すだけでなく、“魔術師としての名”としても機能する。
――“名とはその者を示すもの”という言葉の通り、魔術王によって見定められたその者の魔術師としての性質を元に名付けられているため、本人の本質を示す言霊となるコードネームがこの魔術師の通称である。
「今回は異例の事態だ。別にこのくらいは良いだろう。それにここにいる大半の者は、見習い時代からの付き合いだ。今さら本名を出すぐらい、何の問題もないだろう」
「まあ、それはそうだが……規則は規則だし――」
「別に結社内から気にすることもないだろう。そもそも、通称貰う前はみんな本名で呼び合ってただろ」
「それを言ったら元も子もないような……」
「えっ? マギアちゃんは知らないんだけど!」
「新入りは黙って聞いてろ」
この中の半数以上の者は、見習い時代からの付き合いだ。当然そのころには、魔術師としての名などはないので、皆本名や適当な仇名で呼び合っていた。
一部の入りたての新人は例外だが、幼少期からの知り合いなのだから、今さら本名を隠したところで特に意味はないだろう。
「名前などはどうでも良い。そして、ユリの抜けた穴も、さして気にするほどのものでない。問題はソーマだ」
先ほどから不機嫌な様子のフレザが前置きもなしに切り出す。
実際問題、真羅の抜けた穴は結構な大きさだ。早急に何か対策を取らねばいけない。
「フレザの言う通りだ。やはり、彼が消えたのは痛い。今までも消息不明になることは多々あったが、仕事はきっちりこなしていた」
フレザの意見にツルギが同意する。
真羅は何かと事件ばかり起こしていた問題児だが、それらの問題をはいつも自力で解決していたし、結社や連合での仕事もしっかり行っていた。
彼が請け負っていた任務は、並の魔術師ではとても手に負えない過酷なものばかりなので、代役できる者は限られてしまう。
「彼の行っていた任務の大半は、“賢者”でなければ受諾することすらできない。それこそ我らではどうしようもない」
この中で最も階級が高い者はマグナだが、その彼でさえ階級は導士級であり、賢者の域には届いていないため、真羅の代わりを務めることはできない。
ちなみに“賢者”とは賢士級の魔術師の別称であり、第五位の階梯に当たる。第三位以上は完全に人外魔境の域なので、実質、第四位階梯の英士級が魔術師にとって最高位の階級であり、賢者の称号を得られる魔術師も本当に一握りの天才だけだ。
余談だが、第六階梯の導士級の者を“魔導士”。英士級の者は“英傑”と呼ばれる。
「確かにな。そっちについては上の奴らに任せるしかあるまい」
「ああ、任務の件は置いといても問題はない。そしてこの際だ。彼についての情報を皆でまとめよう。ユリはともかく、彼は謎が多すぎる」
マグナはこちらが本題だとでもいうように話を切り替える。
実際、任務の調整は幹部たちが決めることなので、ここで話し合ったところで意味はない。
「いいのか? 本人がいないからって……」
「問題ない。むしろ、彼がいないからこそ、この話をするべきだ」
「しかしよぉ。一応、ソーマは仲間なんだぜ……」
珍しくクレンが躊躇うように頬を掻く。
魔術師にとって、己の情報を秘匿するのは決して欠かしてはいけない行為だ。
神秘を秘匿する理由は、過去に行われてきた魔女狩りなどの弾圧を避けるためとされているが、実はまだ裏に本当の理由がある。
神秘というものは人々に知られるだけで、神秘性が損なわれる可能性が高く、一部の限られた者だけが認知することでその価値が保たれている。もしこれが世間一般に広まってしまえば、それは“神のみぞ知る秘密”ではなく、“誰もが知る常識”となりその神秘性は完全に失われ、それは神秘として成立しなくなってしまう。
それと同様に、己の魔術を他者に知られるというのは、その術理を相手に解き明かされてしまう可能性があり、その魔術師にとっては致命的な痛手に成り得る。
――解き明かされた神秘など、もはや神秘たる資格はない。
敵対している者ならともかく、それを同じ結社の同胞に行うといういうのだ。いくら自己中心的な魔術師といえど、良心というものがわずかにでもあるのならば、そのようなことを行おうとなどは考えもしないだろう。
「仲間だからこそだ。知らな過ぎるというのも問題だろう。それに彼はあまり隠すということはしていない。ならば、今ある情報をまとめるぐらいは許されるはずだ」
「まあ、確かにそうだが………」
真羅は魔術の一般世間への秘匿や自身の秘術の管理などは行っているが、他者に術を見せることは全く躊躇わずに行い、出し惜しむことはあまりない。
「異論がないなら進める……とりあえず身元からだな。 ――ソーマ、疑似精霊を創る固有魔術を扱う、賢士級の魔術師。本名は、神威真羅」
「へぇー。そんな名前だったんだ」
「マギア。お前、知らなかったのか……」
一名だけ知らなかったようだが、この結社に所属している魔術師ならば、大抵の者が真羅の本名を知っている。何故なら――
「――この結社の幹部である幻想級の魔術師“リオウ”と、伝承級の魔術師“セイラ”の間に生まれた子であり、大魔女の一番弟子でもある」
そう、彼はこの結社『神秘の記録』の幹部であり、“霊王”の二つ名で呼ばれる真河を父に持ち、魔闘技の達人であり、“破壊の戦姫”の異名で知られるセイラを母に持っている。
魔術師の間では知らぬ者はいないと謳われるほど高名な二人の魔術師の間に生された子なのだ。結社内で真羅のことを知らない者など、新入りを除けば皆無と言っていい。
それに加え、今まで誰も弟子を取らなかった大魔女が、初めて取った弟子でもある。世界最強の魔女の弟子だ。知らない方がどうかしている。
「あの二人の血を引いてるうえに、最強の魔女の弟子……まったく、世界は不平等だ」
フレザがつまらなそうに愚痴を漏らす。
しかし、その言葉には憧れや嫉妬といったものはなく、何処か同情の念が含まれていた。
「その境遇を羨ましいと思う奴は、ただの大馬鹿だな。“大魔女の唯一の弟子”というのが成り立つのは、ソーマが“努力し過ぎた天才”であるからだ」
大魔女に弟子入り希望者は、それこそ星の数ほどいたが、全員三日以内には確実に脱落している。
大魔女に魔術を教授されるということは、それだけ過酷であり、常人どころか一流の魔術師だって耐えることは叶わない。
しかし、真羅はそれを成し遂げた。
それを成せたのは、彼が天性の才を持ち、その才を際限なく磨き続けているからこそであり、ただの努力を惜しまなかった天才では、その域に至ることは到底不可能だ。
「そうか? アイツは天才っていうより、秀才って方が正しいと思うが……」
「――? 何故そう思う?」
ツルギの不意な呟きに、ヨーコが首を傾げる。
「何故って……アイツは“魔術オタク”なんだぜ? バカと天才は先天的なものだが、オタクと秀才は後天的な努力によるもの……。確かにアイツの才能は化け物じみてるが、魔術師としては欠陥持ちだ。それを努力と別の才で補ってるんだから、“天才”じゃなくて“秀才”だろ」
彼の言う通り、真羅は魔術師として欠陥がある。
現代の魔術師たちは、霊力の薄くなった世界に対応するため、体内に魔力回路という器官を持っている。この魔力回路は、霊体内を循環している魔力を肉体に引き出して留める機能を持っていて、魔術師はこの器官を用いることで霊力の薄い状況でも、魔力の制御や感知することができる。
魔力行使に於いては必ずしも必要というわけではないが、あるとないとでは魔術の精度が大きく変化してしまう。そのため現代では、この魔力回路の質や性能が、その者の魔術師としての素質や資質そのものとされている。
しかし、真羅には生来、魔力回路が備わっていない。つまり、彼は魔術の素質や資質を端から持ち合わせていないのだ。だが、それにも関わらず、真羅はそれを努力と好奇心で補い、現在は魔術師としては規格外の実力を得ている。
馬鹿と天才は紙一重というが、オタクと秀才の違いも紙一重だ。
「なるほど、そういう解釈もできるのか……だが、その欠陥以外は、間違いなく天性の才だ。天才でも間違ってはいないだろう」
「まあ、そこらへんは見方によるよな……」
天才か秀才か。共通の認識として、真羅が魔術師としての実力は凄まじい。これさえ理解していれば、どちらなのかという問いは無意味だ。
「ん? そういえば、何でセイラさんは結社の通称がないんだ?」
「………彼女はもともと『魔境十字団』に所属していた魔術師だ。それがリオウ殿と結ばれてこちらに転属したが、その頃にはすでに名が知れ渡っていた。そのため通称の意味がほとんどなく、本名のまま活動している」
ブリュムがふと疑問に持ったことを口にすると、傍にいたフレザが呆れ気味に説明をした。
この場に集まった者たちの世代では知らない者も多いようだが、当時このことは結社内外でも大きな話題になった。
何せ、三大魔術組織の一角であり、最大の武闘派集団である『魔境十字団』のでも屈指の実力者であったセイラが、同じく三大魔術組織の『神秘の記録』に引き抜かれたのだ。二人の恋仲については外には漏れなかったが、この出来事は当時の魔術師たちを震撼させるのに十分すぎるほどの大ニュースだ。知らない方が珍しい。
「その話はいい、続けるぞ。 ――十二歳で学士級となり、翌年にはもう修士級に昇格。その後も数々の功績を成していき、その貪欲に魔術を習得していく姿から、付いた二つ名が“神秘喰らい”――」
「――そしてその裏で付けられたもう一つの異名が、“異端者”」
マグナの話を遮り、ドヤ顔のクレンが割り込んでくる。
普段なら誰も気にせずにシカトするか、力尽くで黙らせるのだが、今回に限っては無視しできない者がいた。
「――え? あの“異端者”がソーマ!? あの所属も正体も不明で、数々の魔術事件の現場に現れては色々荒らしまくる、限りなく黒に近い灰色の魔術師がッ!?」
ヨーコが思わずといったように、クレンに詰め寄った。
「――って、お前! 知らなかったのか?」
クレンが意外そうに問い返す。
この“異端者”の正体については、魔術師の間でも謎に包まれているが、結社内では割と有名な話である。
その正体にご執着しているヨーコが知らないとは、思ってもいなかったようだ。
「あれはアイツがソーマとしてではなく、個人で活動していたときに付けられた名だからな。まあ、だから審問会の連中も知らないがな」
“異端者”の正体は、教会や異端審問会の者たちが躍起になって探っているが、未だにその正体を突き止めることができていない。
余談になるが、少し前に大魔女が戯れで、それとなく真羅の情報を教会に流したのだが、プライベートの彼はそう簡単に尻尾を出さないため、証拠を掴むことは不可能に近い。神秘関連の事柄にさえ、巻き込まれなければの話だが――。
そもそも彼がソーマとして活動しているときは、ローブと仮面を身に着けているため、その素顔を知る者自体が少ない。
「ソーマが、“異端者”……そうか……」
二つの名を交互に呟きながら、ヨーコはドサッと椅子に体を投げやった。
余程、この事実に衝撃を受けたらしい。
「……続けていいか?」
度々と話を遮られたマグナは、苛立ちを隠そうともせずに冷ややかな声音で問う。
「続けるって……それ以外にアイツの情報なんてあるのか?」
しかし、その話を遮った張本人は、不思議そうに首を傾げて問い返した。
実際、ここにいる者たちの知っている情報などこの程度のものだ。幼い頃から付き合いのある者ですら、このくらいのことしか分かっていない。
「本名、血筋、立場、異名。これだけか……。表向きに公開されている功績なら分かるが、せめて魔術特性や専門の系統ぐらいは知りたいな」
「特性はともかく、専門は精霊のはずだ。疑似精霊を使役してるし、本物の精霊とも契約してる。というよりも、精霊の保護は私たちの仕事だ」
“神秘の記録”の《魔導連合》における主な役割は、神秘の保護と保管であり、当然、その大半がこの世から姿を消した精霊たちの保護もこの役割に含まれている。
真羅の成した功績の中には、精霊の保護に関わるものが多々あり、彼自身も複数の精霊と契約している。
「あの“魔術オタク”が精霊と契約してるのは知ってるけど……契約してる精霊を傍においてるのは見たことないな」
「そういえば、“学園”の警備の方にまわしてるって聞いたことがある」
正確には学園の警備ではなく、妹の護衛につけているのだが、この場でその事実を知る者はいない。
「なら、調べるなら学園か……どうせ手掛かりなんてそれくらいしかないしな……」
「同感だな。契約者が消えたせいで、精霊たちが暴走する恐れもある。早いうちに行った方がいいだろう」
ようやく言うべきか、自分中心の魔術師たちにしては早かったと言うべきか分からないが、一応の方針はまとまってきた。
「じゃあ、まずは学園にいるはずの契約精霊の調査からかな。それでいいか? マグナ?」
いつの間にか復活していたヨーコが、呆れと苛立ちが入り混じったような顔で沈黙しているマグナに問いかける。
「……好きにしろ」
マグナはその一言だけ呟くと、もう話は終わりだと、そのまま部屋から出て行ってしまう。
どうやら、これ以上は無駄だと悟ったようだ。
いくら彼が優秀な魔術師でも、この個性的なメンバーをまとめるには役不足のようだ。
「まったく、愛想のない奴だな!」
「まったくだね!」
会議をかき乱した張本人たちが、マイペースに笑い合う。
「今回はこれでお開きか。じゃあ、行きたいやつは各自で勝手に調べるってことでいいよな?」
「ああ、もうそれでいいだろ」
今にも飛び出していきそうなヨーコに、ツルギは呆れ気味に溜息を吐く。
他の者たちも各自で勝手に解散していく。
この光景は決して特別なことではない。
内容はともかく、この魔術師たちのとってはいつもと変わらない日常。
真羅たちがいなくとも、彼らの在り方は何も変わらない。
彼らは何時如何なる時でも、自らの目指すモノに向かって歩み続ける。
魔術師とはそういう存在なのだ。




