銀の星
いつの間にか三年経っていた……。
魔術師としての名ではなく、このレイルシアという少女には自身の本名を名乗った。
本来ならば、魔術師として行動している際は、決して明かすことのない真名。
別に深い意味があるわけではない。ただその方が良いと直感的に思っただけだ。
この銀色に輝く星には、真の名を告げるのが正しいと。
「シンラ……うん、聞き慣れない響きだけどちゃんと覚えたよ! シンラ!」
「そうか、それは良かった。よろしく頼む、レイルシア」
互いの名を確認するように呼び合うと、真羅はレイルシアの前に立ち、先ほど弾き飛ばした竜を睨みつける。
「さて、そろそろ来るみたいだ。レイルシア、アレを浄化することできるか?」
「う~ん、ちょっとキビシイかなー。でも少し時間をくれれば、あのドラゴンを浄化し切れるぐらいの光を溜めれるけど……」
「分かった。どのくらい必要だ?」
レイルシアは時間稼ぎを頼むことに罪悪感を感じて口籠ってしまうが、話し半ばでそれを理解したを真羅が何の躊躇もなく囮役を引き受けた。
「四十……いや、三十秒で何とかする」
「了解。そのくらいなら問題ない」
そう応えながら、真羅は不敵な笑みを浮かべ、立ち上がった竜の頭上に向かって跳び上がる。
「合図は俺が出す。そのときに撃て」
「えっ、ちょっと!」
突然の行動と命令にレイルシアが驚きの声を上げるも、真羅は構わず竜の頭上で魔術を紡ぎ始める。
「もう少し寝てろ」
真羅が重力に逆らい空中で静止すると、彼の前方に魔法陣が編み上がり、そこから無数の魔弾が竜に降り注ぐ。
その無数の魔弾は着弾と同時に爆発し、体勢を立て直したばかりの竜を再び地面に沈める。
「――ガアアアアァァァッッッ!!」
しかし、竜も黙ってやられるだけではない。
怒りの咆哮を上げて、真羅を切り裂こうとその刃の如き尾を振るう。
『――術式変換、位相転換』
しかし、真羅が呪文を呟くと魔法陣の図柄が変化し、振るわれた竜の尾を容易く弾き飛ばす。
「――ッ?」
尾を弾かれた竜は、その際に覚えた違和感に困惑する。
自身の尾が魔法陣に触れた瞬間、そのまま魔法陣をすり抜けてしまったのように、全く手応えを感じることなく弾かれたのだ。
『――封鎖』
竜の意識が自分から逸れた隙に、真羅は新たな魔術を放つ。
詠唱と共に竜の周囲に無数の小魔法陣が浮かび上がり、その中から現れた白金の鎖が竜に絡みつく。
(無駄に大きいヤツだ)
しかし、巨体を誇る竜の動きを完全に抑えることはできず、竜は頭だけを動かして真羅に狙いを定めると、大きく息を吸い始めた。
「“竜の息吹”か……」
真羅は竜の次の行動を察すると、腰に提げていた鉄製の剣を抜刀し、宙を蹴って竜に飛び掛かった。
『強化付与――』
呪文を呟きながら竜の正面に躍り出ると、そのまま竜の右角に狙いを定める。
『――光輝』
詠唱を終えると、剣に金色の光が灯った。
神聖な光が付与された剣は、吐息を放とうとしていた竜の右角に叩きつけられる。
しかし――
「まあ、こうなるよな」
輝く剣は竜の角に激突すると、その衝撃に耐えきれず刀身が粉々に砕け散ってしまった。
だがその一撃は凄まじく、付与された魔術の効果と重なって、人間の膂力で出せる限界を明らかに超えていた。竜を切断することこそ敵わなかったが、ブレスが放たれる直前に口を強制的に閉じさせ、その放出を妨げられた炎が口内で爆散し、内部からの大ダメージを与えることに成功する。
(やはり、この竜の鱗にはオリハルコンが含まれているな……特に角の部分は純度が高い)
しかし、真羅はダメージを与えたことよりも、竜の分析に意識を集中させていた。
何せ、彼の目の前では、剣に付与されていた浄化の効果により竜の頭部の瘴気が撃ち祓われ、その炎のように輝く赤銅色の甲殻が露わになっていたのだ。
真羅は一目で見抜いていたが、この竜の鱗に含まれているのは紛れもなくオリハルコンであり、言わずと知れたこの世で最も硬い合金である。
生物の身体に神秘合金が含まれていることには驚きだが、ここは異世界なので向こうの世界の基準と比べるのは間違っているだろう。
「あと……十秒」
レイルシアが力を溜め切るまで残りわずか。
真羅は振り返ることなく彼女の状態を確認すると、口内が爆発した影響でふらついていた竜に向き直る。
(背よりも腹の方がオリハルコンの純度が低い。 それに瘴気の発生源は恐らく……)
真羅は先ほどの一撃により竜の体質と瘴気の性質を把握したようで、上半身を拘束していた鎖を解いて、両足に鎖を集中させることで地面に固定し、残った鎖を竜の首に巻き付ける。
しかし、竜もただ黙ってされるがままになるのではなく、その強靭な生命力で先ほどのダメージから立ち直り、怒り心頭をいった様子で暴れ狂う。
「無駄だ、暴れるな――」
だが、真羅もその程度では動じず、全身に身体強化を重ね掛け、首に巻き付いている鎖の束を掴む。
「――黙って弱点を曝せ」
真羅は抑揚のない冷淡な声を吐き出すと、鎖を掴んだまま暴れる竜の後方に跳び出した。
「―――――ガアァァ!?」
下半身を固定された状態で首を後方に引っ張られた竜は、無理やりエビのように上体反らしをさせられ、胸部から腹部にかけてを強制的にレイルシアに曝す形になってしまう。
「いまだッ!」
竜をその姿勢のまま頭部を空間ごと固定すると、空に向けて光球を放ち、その打ち上げた光球を追い越す速度で空に跳び上がった。
「おまたせ!」
合図代わりの光球が打ち上がったと同時に、後方ではレイルシアの光が溜め終わっていた。
「悪しき闇よ。我が星の前に消え去れ!」
白銀の光が銀の少女を中心に溢れ返る。
「――――“銀星の光砲”!」
レイルシアが両手をかざすと、流星の如き白銀の閃光が竜に向かって解き放たれた。
――――――ッ!!!???
声にならない絶叫が上がる。
先ほどまで光を呑み込まんと闇を撒き散らしていた竜が、闇を撃ち祓う白銀の光によって呑み込まれる。
その様を上空から眺めていた真羅は、まるで犯した罪を清算させられている咎人を見ている気分になったが、あながち間違ってもいないと苦笑する。
光が治まると、その場には変わり果てた姿の竜が仰向けに倒れていた。
纏っていた瘴気が祓われ、今まで隠されていた本来の姿である燃え盛る炎が如き赤銅色の鱗を持つ巨竜が現れていた。
(鎖まで消し飛ばしたか……やはり、レイルシアは――)
しかし、真羅が注目したのは竜ではなかった。
即興で行った空間固定はともかく、並大抵のものでは傷つけることすら難しい強固な鎖が、今の一撃で跡形もなく消し飛んでいるのだ。魔術によって断ち切られたり砕かれるすることは多々ある鎖だが、完全に術式が崩壊して消滅するなど初めてだ。
「シンラ! 無事!?」
レイルシアが大声を上げながら駆け寄ってきたため、真羅はいったん思考を止める。
「ああ、特に問題ない……そっちは?」
「うん! ボクは大丈夫だよ!」
「そのようだな」
レイルシアの体を改めて確認するが、霊基に異常はなさそうだ。先ほど渡した魔力の大半は使い切ってしまったようだが、体を維持する分には問題はないだろう。
「さて……この竜だが、まだ生きているようだぞ?」
「えっ! もう瘴気は祓い切ったのに!?」
「ああ、勘違いするな。別にこいつ自体に瘴気を発する能力はない。さっきも言ったが、こいつも被害者なんだよ」
理解できないといった様子のレイルシアに対し、口で言うより見た方が早いと、竜の胸部を指差す。
「――黒い水晶?」
その指差された竜の胸部には、黒く濁った水晶のような歪な玉が埋め込まれていた。
「そう。その濁った玉が瘴気の原因だ。まあ、誰がやったのかは分からないがな」
そう肩を竦めながら溜息を吐くと、真羅は竜の上に飛び乗り、右手に魔力を滾らせて魔闘技の構えを取る。
「――心貫」
音もなく神速の貫手が放たれた。
刃と化した手は、妖しく光る水晶を貫き、そのまま竜の心臓に突き刺さる。
「――雷破」
呟きと共に雷鳴が轟く。
掌から迸る雷が竜の心臓を焼き潰し、その全身を内部から破壊し尽くした。
「……」
響き渡っていた雷鳴が止むと、真羅は静かに突き刺さっている腕を引き抜いた。
「いくら硬い鎧を纏っていようと中身をズタズタにされたら終わりだろ?」
物言わぬ骸からは、当然返事がくることはなかった。
元より返事など期待していない真羅は、周囲に散らばっていた水晶の破片を手に取る。
砕け散ったにも関わらず、未だにその欠片は不気味に輝いていた。
(初めて見るな……)
今まで様々な神秘物体を目にしてきた真羅だが、この黒い水晶は初めて見るモノだった。
「倒したの?」
真羅は場を弁えずに水晶の解析を行おうとするが、今まで静観していたレイルシアが口を開いたため、大人しく欠片を懐にしまう。
「ああ。ほっといてももう動けなかっただろうが、竜種は生命力が高い。万が一復活して暴れられたら困るからな」
「そっか――ありがとうね」
「……気にするな」
真羅はレイルシアの感謝に対して素っ気ない言葉で応じると、竜の亡骸を改めて観察する。
内部の臓器は完全に破壊されているのにも関わらず、外部の甲殻には傷一つ付いていない。先ほど放った魔闘技も、水晶が埋め込まれて脆くなった箇所でなければ通らなかっただろう。
本来ならば血をサンプルとして採取したいところだが、先ほどの体内への電撃の熱で完全に蒸発してしまっている。
だが、成果としては中々に重畳だ。
なにせこの異世界に来て、初めて未知の神秘に直接触れることができたのだ。この水晶にはオリハルコン以上の価値と魅力がある。
「急にニヤけてどうしたの? 本当に大丈夫? もしかして今の戦闘で頭でも打ったのかい?」
無傷なのにレイルシアに安否を心配されてしまう。
どうやら、無意識のうちに口角が吊り上がっていたようだ。こういうことに関しては、どこか抜けているところがあるようなので、自重しなければならない。
「いや、思いのほかあっさりと倒せたからな。少し嬉しくなっただけだ」
本気で心配してくれているようなので、適当な理由を述べて誤魔化す。
たとえ本気で案じてしれようと、真実を告げてやるほど彼女のことを知っているわけではない。
「そっかー、よかった」
「……」
レイルシアは満面の笑みを浮かべ、純粋に真羅が無事であることを喜ぶ。
魔術師である以上、嘘をつくことに対しての抵抗はないのだが、こうもあっさりと信じられてしまうと、少々変な気分になる。
「それじゃあ、この森の危機も去ったことだし、改めて自己紹介するね」
汚れた服のすそを払って身形を整えると、無垢な笑みを浮かべて真羅に向き直る。
「ボクはレイルシア。この森を守っている精霊だよ」
そう、何の躊躇もなく自らの正体を明かした。
「精霊ともあろう者が、随分とあっさり正体を明かすんだな」
「むーっ。ボクとしてはもっと驚いて欲しかったんだけどなー」
真羅の反応があまりにも冷めていたため、レイルシアは唇を尖らせる。
「うー、でも仕方ないか。君はボクの正体なんて、とっく気づいていたでしょ?」
「まあな。そんな明からさまにピカピカして霊気を発してたら、自分は精霊ですって言ってるようなものだし。というか、隠す気があったのか?」
「えっ?」
思わずと言った様子で、レイルシアは間抜けな声を出してしまう。
得体の知れない真羅だが、その全てを見透かしたような態度から、自身の正体は気付かれていると考えていたが、まさか自分にその原因があるとは考えてもいなかった。
「髪の毛、まだ光ってるぞ」
真羅が未だに輝いている銀髪を指摘すると、レイルシアは慌てて自身の長髪を手に取って確認する。
そして、髪が銀色に燐光していることに気付くと、恥ずかしさからか顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。
「ああ、すまない。隠す気はあったようだな。でもその様子じゃ、隠蔽は苦手らしいな」
「――――ぐぅ」
痛いところを突かれ、レイルシアは項垂れてしまう。
本来、精霊は存在を隠すことに長けている存在であり、人前に姿を曝すことなど滅多にない。普通、精霊とは、常に巧妙に自身を隠しているものだ。
だが、この精霊レイルシアは、この精霊ならば誰しもが持っている、この当たり前のことを苦手としているようで。
「三下ならともかく、結構な高位の精霊なのに……珍しいな」
「――ッ!? わーんッ!!」
何気なく放たれた一言が胸に刺さり、レイルシアに止め刺した。
本人もこのことを相当に気にしていたようで、子供のように泣き出してしまう。
「おいおい、どうしたんだ、急に泣き出して? 幼児退行でもしたか?」
「――うるさいよ!」
「君、精霊だし軽く数百歳はいってるだろ?」
「むかぁー! 女の子の年齢を暴くなんて! 人として最低だぞッ!」
「そうなのか? それはすまなかった。数百ではなく千は入っていたか?」
「――ッ!? このっ、ひとでなしッ!」
「まあ、否定はしない」
怒涛の勢いで畳み掛けられたレイルシアは、ついに限界に達してしまい、泣きながら真羅の襟首を掴み、そのまま彼の頭をブンブンと揺すり始めた。
真羅には決してレイルシアを侮辱する意思などなく、純粋に思ったことを口にしているだけなのだが、その何気なく放たれた言葉は彼女の胸を深く抉ってしまう。
「うーッ、人が気にしていたことをッ、よくもッ!」
「そうか気にしていたのか……自覚があるのなら、早く克服できるように努力することをお勧め――いや、努力するべきだ」
「開き直った!?」
「ああ、あと、君は“人”ではなく“精霊”だろ? 高位精霊なら、それぐらいのことはできないとマズイ」
「分かってるよッ、そんなこと! とういか、なんでボクが責められてるの!?」
「そんなことは己が一番分かっているだろう? 自分の胸に手を当てて考えるといい」
完全に真羅のペースに呑み込まれ、レイルシアは涙目のまま項垂れてしまう。
もとより、真羅は他者に合わせるつもりなど欠片もない。
「うっぅぅ~。もういいよ。勘弁して~」
「ん? 何がだ?」
突然降参してきたレイルシアに対して、真羅は首を傾げて疑問符を浮かべる。
彼には本当にレイルシアを責める意志など微塵もないのだ。
「まあ、いいか。――――ところで話は変わるんだが、君はこの惨状を引き起こした原因に何か心当たりはないか? 関連することなら何でもいい。知っていることがあったら話してほしい」
「……本当に変わるね」
急に真面目な話をし出した真羅に対し、レイルシアは呆れと諦めの混じった溜息を吐く。
「変わる以前に、今はこの話をしないとダメだろ?」
「まあ、それはそうだけど………うん、分かったよ」
素性はともかく、今は頼りになる協力者ができたのだ。いつまでもこの状況で時間を無駄に消費するわけにはいかない。
レイルシアは気持ちを切り替えて、真羅に自分の知りゆる全てを伝える決意を固める。
「それじゃあ、話すよ。ボクの知る限りのことをね」
先ほどの泣き顔が嘘のように真剣な表情になると、レイルシアは静かに語り始めた。
三年で三十話ちょっと……これからはもう少しペースを上げれるように頑張りたいです。




