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瘴気の闇と魔術師の花


 瘴気に侵されつつある森の一角にて、異世界より招かれた魔術師は静かに行動を開始する。

 場違いなほど落ち着いた雰囲気を放つ彼は、傍から見ればとても戦いに赴く者には見えないだろう。しかし、これが彼の戦闘態勢。身に湛えた淀みなき魔力が、悠然とその事実を語っている。

 瘴気を撒き散らしている黒い靄は、ゆっくりと歩み寄ってくる魔術師を捉えると、まるで丸呑みにでもするかのように左右に広がって襲い掛かってきた。


「ふっ……」


 その餓えた獣の顎を彷彿させる動きに、真羅は思わず苦笑を漏らす。

 悪意により構成された瘴気の塊が、生き物のような動きをするなど、常人にとっては恐怖でしかない。この黒い靄を放った元凶(モノ)は、恐らくそれが狙いなのだろう。

 対抗する(すべ)を持たない者が、恐怖に駆られて竦んでしまえば、その結果は語るまでもなく、この闇に呑まれて終わる。

 これは敵を狩るためのモノではなく、弱者を嬲るためのモノ。それ故――


「俺の前では無意味だ」


 真羅は拳に魔術を纏わせると、襲い掛かってきた靄に魔拳を喰らわせる。

 拳を受けた瘴気の獣は、それこそ霞の如く容易く打ち砕かれてしまうが、その瘴気は健在であり、もう一度獣の顎を模ると、再び真羅に狙いを定めた。


(やはり単純な魔拳では効果はない……ならば)


 しかし、魔拳の効果が今一つなことは、初めから想定済みであり、真羅は特に焦ることもなく次の手に移る。


『――魔を断ち、邪を滅す』


 真羅は短い呪文を紡ぐと、右手で刀印を結び十字を切った。

 虚空に描かれた十字の軌跡は、神秘的な白金の光を放ち、闇に呑まれつつある森の一角を、その綺羅星が如き輝きで照らし出す。


「消えろ」


 輝く十字架の背後に佇んでいた真羅は、抑揚のない声で呟くと、そのまま十字の中心を軽く指先で突いた。

 すると、十字架から光が溢れ出して、襲い来る獣を飲み込むと、周囲に漂っていた瘴気ごと跡形もなく消し去ってしまう。 


「やはりな……神聖魔術は良く効く」


 瘴気を祓ったのにも関わらず、真羅の落ち着いた雰囲気は相変わらずであり、何事もなかったかのように、離れた位置にある黒い靄の本流を再び観察し始める。

 そもそも、今の実験(たたかい)の過程は、全て彼の推測通りであり、実際に瘴気を撃ち祓ってみても、特に気になる疑問もなかった。

 この黒い靄の元凶は不明だが、この手の瘴気や呪詛には神聖魔術が効果的だとういことも、初めから推測できていた。


 神聖魔術とは、読んで字の如く、神聖な魔術、聖なる魔術のことである。もともと、“悪しきモノを払う”という術は、地球の各地に存在していた。魔導連合が設立した際に行われた、魔術系統の見直しと、新系統の確立により、この手の魔術は統一され、一つの“神聖魔術”という新たな系統として定められたのである。

 ちなみに真羅が行使したのは、教会で受け継がれてきた魔術体系である悪魔祓い(エクソシズム)と、日本の魔術体系である陰陽道を基盤(ベース)にした、対邪霊を目的とした彼のオリジナルの術である。

 あくまで対邪霊用であるため、呪詛や邪気を祓うのには特化しているが、物理的な破壊力はほとんどなく、周りの木々には被害は出ていない。むしろ、瘴気が祓われて、朽ち果てかけていたものが、生き生きとした本来の姿に戻っていた。

 もっとも、それを行った真羅本人は、この森の動植物に対しては特に関心がないようで、何の躊躇もなくその正常に戻ったばかりの木々の上に飛び乗っている。

 

(魔術を使ったぐらいでは反応しないか。まあ、この程度の術で霊力(マナ)が変動するわけでもない。アレを惹きつける対象は、魔術師おれではない)

 

 真羅は木の上から周囲の様子を窺うと、何処か訝しむように靄を睨みつけ、先ほどの実験結果をつまらなそうに分析し出した。

 異なる世界で出会った未知のモノが、推測通りの結果を出すなど何の面白味のない。未知の神秘ならば、まだ見ぬ真実(けっか)ぐらい出して欲しいものだ。


「そういえば、さっきの“葉っぱ耳”ってどうなった?」


 真羅は今になって、先ほど靄の本流から逃げていた葉っぱのような形の耳を持つ女のことを思い出して、待機させていたラムルたちに訊ねる。


《やっぱり忘れたのか……》


《いつも通りと言えばいつも通りですね……》


《あはは! まったく、シンくんはうかっりさんだなー》


《……同意》


 まるでこっちも想定通りだとでもいうような四人に、真羅は心外だと溜息を吐く。

 一応、記憶の片隅には留めていたからこそ思い出せたのである。決して忘れていたわけではない。ただ、どうでもよかったから、覚える気がなかっただけだ。


《先ほどの女性なら、まだ黒い靄から逃げてますよ。しかし、このままではすぐに追いつかれてしまいそうですね》


「そうか……しかし、何で進行方向に逃げてんだ?」


 唯一まともに答えてくれたエルマの言葉を聞き、真羅は率直な疑問を口にする。 

 別に黒い靄がその女性を狙い追っているわけではなく、単に彼女がソレの進行方向へ逃げているから、まるで彼女が靄に追われているように見えているだけだ。そのため、単純に考えると、進行方向から逸れるように逃げれば、あの靄に呑まれる心配はない。

 真羅の眼から見ても、葉っぱ耳の女性が精霊のようには見えないし、何かアレを引き寄せるような特殊なモノを持っているようにも感じない。かといって、靄が自身を狙っていないことを見抜けないほど判断力が低下しているようにも見えない。

 となると、考えられる答えは――


「あの靄の進行方向に霊脈の(あな)の気配はないか?」


 黒い靄の進む先に彼女にとって大切な何かがある。そうでなければ、彼女はただの間抜けだ。

 恐らく、この先に霊力(マナ)の濃い土地――すなわち、魔力(エーテル)が噴き出ている霊脈の孔があるのだろう。

 そして、霊脈が通る土地というは、自然が豊かで人が集まりやすく、集落などが造られることが多い。また、霊脈の孔がある場所には、特に霊力(マナ)が濃く神秘性が高いため、神殿や祠といった神や精霊に関わるものが造られやすい。


《――っ、この先に霊脈の流れが噴き出ている場所があります》


《ちっ、人の気配もありやがる。たぶん、集落か何かがあるぜ》


「なるほど」


 エルマとラムルが霊脈と人の気配を捉えると同時に、真羅もまた霊脈を辿ってその噴出孔を発見する。


「あれに惹かれてたのか。それでアイツは急いで村に知らせに走ってると……」


 これで合点がいったと、真羅はほぼ確定した事実から、彼女の状況を推測していく。

 恐らく、あの葉っぱ耳の女性は、黒い靄のことをこの先にある村か集落に伝えるために、必死で走っているのだろう。そのため、あの靄よりも早く村へたどり着くために、村への最短距離を走った結果、靄に追われる形になっていまったのだと推測できる。


《あっ! 呑み込まれるぞ》


 真羅が情報を整理していると、ついに葉っぱ耳の女性が黒い靄に追いつかれてしまう。

 女は必死に纏わりつく瘴気を祓おうともがくが、すでに疲労困憊な様子で、すぐに呑み込まれてしまう。


「アレに捕まった以上、呪術や死霊術、心霊治癒なんかの心得がないと如何しようもない」


 真羅は何の感情も籠っていない声音で、ただ冷酷に事実を述べる。

 実際、彼はその葉っぱ耳の女性に対して、別にこれといった興味はない。地球には存在しない未知の種族という点で多少は関心があるが、現在優先しているのは黒い靄であり、その他に関しての優先順位は低い。


《で、どうする? オレは全然暴れたりないんだが》


《あー! あたしも遊びたい!》


 しかし、このままでは内側(なか)が煩くて、おちおち観察もしてられない。 


「……サンプルはもう手に入れた。あの瘴気はもう祓っても構わない。暴れたい奴は好きに暴れろ」


 真羅が不本意そうに許可を出すと、その暴れたい二人が待ってましたと言わんばかりに、霊体の状態で我先にと黒い靄へと突っ込んでいった。


「一番槍いただき!」


 どうやら、先に靄に突入したのはルビアのようで、内側から放たれた斬撃の煌きが、形なき瘴気の塊を真っ二つに斬り祓う。


「吹き飛べ!」


 一歩遅れて、少し離れた場所から金色の閃光が弾け出し、周囲の汚染された大地ごと瘴気を当た方もなく撃ち祓っていく。


「さっきの女は巻き込むなよ。情報が得られなくなる」

 

 葉っぱ耳の女性まで巻き込みかねない二人の暴れっぷりを見て、真羅は他人事のように投げやりな忠告を入れる。実際、死体からでもある程度の情報は抜き取れるので、女性の生死は然程重要ではない。

 人目を気にする必要がないこの場所では、真羅は押し目もなく本性を曝すことができる。この魔術師らしい“人でなし”の発想もまた、彼の本質が人ではないからこそである。

 普段の高校生活など一般社会に溶け込んでいる際に表に出すことはほとんどないが、このような神秘的災厄に遭遇してしまえば、彼の薄っぺらい化けの皮のなど簡単に剥がれてしまう。


「残ってる三人はそのまま待機しててくれ。祓い残しは俺がやる」


 そう言って、魔術師としての貌を露わにした真羅は、その黄昏の空を彷彿とさせる瞳で瘴気を見据えると、先ほど女性が呑まれた所へゆっくりと歩き出す。

 一切の戦意を感じさせないはその様は、戦いに赴くというにはあまりにも穏やか過ぎる。

   

「――さて、確か(はじ)めようか」

 

 顔からは人らしい感情は喪失し、吐き出される声から色彩が失われる。そして、それらと置き変わるようにして、その風貌からは得体の知れない不気味さが醸し出される。

 しかし、それとは裏腹に、その存在感だけは異様なほど希薄になり、黒い靄は真羅に対して一切の反応を示さなくなった。

  

「――火球(ファイアーボール)風刃(ウインドカッター)光矢(ライトアロー)


 歩きながら静かに呟かれた言葉は、全てこの世界の魔法の呪文であり、詠唱と共に真羅の周囲で、三種の下級魔法が発動する。

 詠唱は顕言のみでありながら、その精度は完璧と言っていいほど精巧で、寸分違うことなく靄の一点に命中した。しかし、


「この程度の魔法じゃ効果はないか……」


 放たれた魔法はそのまま靄に呑み込まれただけで、これといった効果は見られなかった。

 この世界の魔法において闇属性に対しては、光属性が有効であるとされ、次点では火属性もある程度は有効だとされている。また、水属性魔法の中には霧や靄などを発生させるものがあり、これらには風属性が有効という理論(じょうしき)がある。そのため、闇の靄たるこの瘴気に対して有効だと推測できる三属性の魔法を放ったのだが、効果は見ての通り今一つだ。

 真羅も初めからこの結果を半ば確信していたようで、特に気にすることもなく次の手に移る。


「――炎槍(フレイムランス)風斬(ゲイルスラッシュ)閃輝(シャインフラッシュ)


 一段階威力を上げた中級魔法を三種同時に放つも、これらも効果はイマイチで、先ほどと同じくそのまま呑み込まれてしまう。


「威力と出力を上げても変わらない……やはり問題は神秘の質だな」


 予め立てていた推測が確定に変わり、真羅は最後の確認に移る。


「――炎獄(インフェルノバーン)暴風(ストームテンペスト)聖光(セイクリッドレイ)


 この世界に於いては、発動させることができれば一流の魔法使いとされる上級魔法を、真羅は顕言のみの詠唱で三種類も発動させる。しかも、それらは単一ではなく、複数同時に現れている。

 ちなみに、異なる魔術を複数同時に行使することを“多重行使(ダブルキャスト)”といい、一度の詠唱で同じ魔術を複数発動させることを“重複詠唱(デュアルスペル)”という。

 これらは一流の魔術師でなければ扱えない高等技術である。


 放たれた三種類の上級魔法は、着弾すると瘴気を強引を吹き飛ばす。すると、靄が晴れた場所からは倒れ伏した先ほどの葉っぱ耳の女が現れる。

 

階位(ランク)はⅤ相当で祓えるのか……しかし、有効なのは光属性だけ。それ以外のは普通に呑まれたか……」


 光は闇を祓う。

 そんなありふれた定番の結果を前にして、真羅はつまらなそうに溜息を漏らした。彼としてはもっと未知(おもしろい)真実(こたえ)が欲しかったのだが、推測通りの結果に拍子抜けしてしまう。


「まあ、いいか。詳しくは彼女に訊けばいい」


 そう自分に言い聞かせるように呟くと、真羅は倒れている女性に歩み寄って症状を確かめる。


「……思ったより侵食が速いな。でもまだ余裕で間に合う」


 真羅は女性の頭を起こすと、近くの浄化された木の根に寝かせる。そして、懐から香炉を取り出して魔除けの香を焚き、靄に襲われぬよう周囲に結界を張る。


「エルマ、浄化用の杖を頼む」


《ふふ、分かったわ》


 虚空に現れたのエルマの杖を手に取ると、真羅はその先端を瘴気で穢れた地面に突き刺した。


『――清浄なれ』


 短い呪文と共に杖から翡翠の波紋が広がり、結界内に残っていた瘴気が完全に消滅する。

 瘴気が消えたことを確認すると、真羅は杖から手を放して女性の容態を診始めた。


「おい、意識はあるか?」


 意識を起こすように軽く頬を叩くと、女性から「ううっ」と弱々しい呻き声が返ってきた。


《この様子では、まだ当分は目を覚ましませんね》


「まあ、耐性がないようだからな。でも意識がない方が治療はしやすい」


 そう言って、真羅は女性が纏っている防具を強引に脱がしに掛かる。

 幸いにも革製の胸当ては、すでにボロボロだったため簡単に外すことができたが、下に着ていた衣服も同じようにズタズタになっていて、その白い肌がほとんど丸見えになっている。

 先ほどまで胸当てに隠されていて分からなかったが、その体はとても女性的で、その胸は身長と不釣り合いなほど育っている。普通の男ならば、理性が危なくなるような状況だが、真羅は微塵も興味がないようで、特に気にした様子もなく女性の顔を覗き込む。

 改めて間近で見てみると、女性は真羅と同じく十代後半ぐらいの容姿をしている。しかし、精神や魂の様子を覗いてみると、人間のものと比べると少々違和感を感じるので、少なくともこの世界の人間族とは、また異なった種族なのだろう。


(一応、血を視てみるか)


 この少女に大きな怪我はないが、森の中を走っていたせいか全身の所々に擦り傷があったので、真羅は魔術で外傷と治療しながら、流れ出ていた血を指で拭き取って、それを舌で軽く舐め取った。

 すると、彼の舌に描かれた魔法陣が不気味に発光し始め、まるで生き物のように付着した血液を吸収してしまう。


「やはり瘴気が混じっている。それに人間の血とは少し違う。共通の祖先から派生した人類種か……なら、勝手は同じでも問題はないな」 


 血から少女の情報を得ると、真羅は何の躊躇いもなくボロボロの服を引き千切った。すると、露わになった白い肌の一部が瘴気の影響で所々黒ずんでいた。

 

「穢れたのは肉体だけか……君は運が良い」


 意識のない少女から返事など返ってくるわけがないが、思わず真羅は言葉を漏らしてしまう。

 あの瘴気に()てられて影響を受けたのが肉体だけなら、適切な処置を施すことができれば特に後遺症もなく治療することができる。この場にその適切な処置を施せる者がいたことは、まさに不幸中の幸いだ。

 症状を直接確認した真羅は、少女の黒く変色した肌に手を置き、静かに呪文を紡ぎ出す。


『――光注ぐ(みち)。木々が謳い、花々は咲き誇る』


 詠唱に応えるようにして少女の体が光に覆われ、変色していた箇所から淡い翡翠色の芽が生え始める。少女から生えた芽は、燐光しながら見る見るうちに彼女を穢している瘴気を吸い取っていき、それを養分として成長していった。

 成長した芽は次第に蕾を付けていき、少女から瘴気を吸い切ると、まるで宝石細工と見間違えるような美しい翡翠の花を咲かせ、その花弁から周囲に光の粒子を撒き散らした。

 花々からあふれた光の粒子は結界の外まで広がり、瘴気により黒化していた植物に降り注ぐ。

 光に触れた植物は、瞬く間に浄化されていき、本来の姿を取り戻していった。


(こんな醜い瘴気(モノ)からでも、こんなに綺麗な花が育つ。 まったく……神秘っていうのは本当に面白い)


 神秘がこの世に体現する瞬間だけは、何度味わっても心が躍る。

 咲き誇る翡翠の花々を眺めながら、真羅は心底愉快そうに苦笑した。


《真羅さん?》


「……ああ、観賞に浸っている場合じゃないな。メインはこれからなのに」


 エルマの声により我に返ると、真羅は少女から生えた花を一輪だけ摘み、軽く指を鳴らす。

 すると、手に持っていた一輪を除き、役目を終えた翡翠の花々は一斉に散ってしまった。

 

「さて、俺の元凶の正体を暴いてくる。三人は適当に瘴気を抑えといてくれ。こっちには誰も手を出すなよ」


《ふふ、了解》


《はいっ、了解しました》


《わかった……》


 投げやりな命令が出されると、エルマ、フィル、ディアの三人は音もなく実体化して各々の得物を構える。

 彼女たちは通常の使い魔とは異なり、明確な意思を持っているため、自分自身で考えて行動することができる。細かな指示など必要ない。

 真羅は三人が戦闘態勢に入るのを確認すると、翡翠の花を少女の髪に挿し、羽織っていた外套を被せた。


(試練はこれからだ。存分に楽しむとしよう)


 この先にあるモノが必ずや自身にとって試練になることを確信し、真羅は浮かべていた笑みを不敵なものに変えて、ゆっくりと災厄の元凶に向けて歩き出した。

 




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