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未来へ

 

 物音により意識が覚醒する。

 重い目蓋を開くと、見慣れた天井が見える。どうやら部屋に戻った後、そのまま眠ってしまったようだ。


「うっ……」


 何か悲しいようで大切な夢を見ていた気がする。しかし、何故だか記憶に靄がかかっていて上手く思い出せない。


「おや? 目が覚めたようですね」


 夢だから仕方がないと思い出すのをやめて体を起こそうとすると、隣から声が聞こえてきた。


「おはよう、ローグ」


「ええ、おはようございます」


 星華が振り向きながら挨拶をすると、ベットの近くに佇んでいた黒衣の青年が丁寧に頭を下げた。


「相変わらずローグは礼儀正しいね。ゲデなのに……」


「ははっ。それはゲデにも礼儀正しい者はいますよ。人間だって性格はそれぞれでしょう?」


 目覚めてから早々に放たれた言葉を、ローグと呼ばれた青年は朗らかな笑みを湛えて受け流す。

 星華が言ったようにローグは、ゲデと呼ばれる精霊である。


 ゲデとは、権力を嘲笑う死神であり、アメリカに伝わるブードゥー教に出てくるロアといわれる精霊の一種である。その姿は黒いスーツと帽子を纏い、常に葉巻を蒸かしていて、口汚い下品な言葉遣いをしていると云われいる。

 しかし、その実態はどうだ……。このゲデのローグは礼儀正しい言葉遣いに、纏っているスーツには皺一つない。室内だからか帽子は脱いで机の上に置いてあり、葉巻の臭いも一切しない。

 初めて会ったときから、星華はローグのことを本当にゲデなのか疑っている。元々彼は、兄である真羅の契約精霊であり、護衛にとこの魔導学園に入学した際に兄が連れてきたのである。

 もうローグと出会って三年ほど経つが、未だにその正体についてはよく分からない。


「本当にゲデですよ。真羅(マスター)だって言っていたでしょう?」


 心を読んだかのように、ローグは自らの主の名を出して、それが真実だと主張する。本人からすれば、毎回礼儀正しいというだけで、自分の存在自体を怪しまれているようなものなので、このことについては地味に気にしている。


「まあ、疑ってもしょうがないか……。それより、私はどれぐらい寝てたの?」


「四十分ほどですかね……。しかし、マスターがあのような事態になってしまったのです。恐らくは相当に気を詰めていたのでしょう」


「まだ何もしてないんだけどな……」


 意地でも手掛かりを見つけ出してやろうと息巻いていた手前、何か行動を起こす前に眠ってしまったため、何だか情けない気持ちになってしまう。


「気にすることはありませんよ。この世界の外の問題なのですから……こちらからでは、どうしようもありません。それに責任を問うならば、彼の契約精霊でありながら、何もすることの出来なかった私たち(・・)にあるでしょう」


 ローグは自嘲するように苦笑を浮かべると、流し目で部屋の奥に視線をやった。その視線を追ってみると、先ほど聞こえた物音の原因を発見する。

 

 部屋の奥にある窓の手前には、三人の少女の姿があった。いや、より厳密にいうならば、銀髪と金髪の少女が取っ組み合いながら転がっていて、その傍らで黒髪の少女が丸まって眠っている。

 この状況だけでも混沌としているが、それに加えてその三人には、本来人間には存在しないはずのものが付いていた。

 銀髪の少女には、犬のような耳と尻尾。金髪の少女には、狐のような耳と六つの尾。そして、寝ている黒髪の少女には、猫のような耳と二つの尾が、それぞれ頭部と臀部から生えていた。

 

「さっきから視界の端で何か転がってると思ったら、ケモミミ三人組か……」


「ええ、あの三人でしたら、二十分ほど前にこの部屋に来ましたよ」


「えっ、そんなに前から?」 


 ローグが何気なく返した言葉に、星華は意外そうに声を上げて驚いてしまう。

 この三人が集まると――いや、正確には犬と狐の二人が揃うと、すぐに口喧嘩が始まり、最終的には取っ組み合いの乱闘に発展していく。二人ともなまじ強大な力を持っているために、仲介するのも難しく、いつも何らかの被害を周囲に出しているのだ。


「それにしては随分静かだったけど……何かの結界でも張ってるの?」


「はい。貴方が目覚める直前に取っ組み合いの喧嘩が始まったので、周囲へ被害を防ぐために結界を展開しておきました」


 この二人が喧嘩をしていた場所で呑気に寝ていられたのだとしたら、何らかの神秘的な処置を施していなければならないと、冗談混じりに思ったのだが、どうやら正解だったようだ。


「それでも、衝突の際の凄まじい音だけは防ぎきることができなかったので、その音で星華さんは目が覚めてしまったようですよ」


「そうなんだ……」


 初めに聞いた物音の正体を知り、星華は呆れまじりに立ち上がると、結界の中に頭を突っ込んだ。


湖珀(こはく)! 暮葉(くれは)! ストップッ!」

 

 星華が突如、横から魔力が込められた言葉(なまえ)を大声を放ったため、二人の耳がビクッと跳ね上がり、取っ組み合ったまま声の主へ顔を向ける。


「いつも言ってるけど、私の部屋で喧嘩しないでよ……ただでさえ、高位精霊の使い魔の制限は厳しいんだから、室内での戦闘なんてもってのほかだよ。……それで、今回は何が原因で始まったの?」


 すぐにでも戦闘を再開しそうな雰囲気だったが、湖珀と暮葉の二人は不機嫌そうにケモノの耳を揺らしながらも、大人しく星華の話に耳を傾けていた。

 どうやら悪気はあるようで、お互いに仲良く目を逸らしながら、


「「だってこの女狐(雌犬)が!!」」


 同時にお互いを指さしながら叫んだ。


「「誰が雌犬(女狐)だっ! このバカ妖狐(アホ犬神)!」」


「……」


 息ぴったりに罵り合うと、二人は再び取っ組み合いを始める。慣れている星華でも、さすがにこれは頭が痛む。ローグが慰めるように優しく肩を叩いてくれるのが、このいつ結界が壊れてれも可笑しくはない状況では気休めにもならない。


「……すやぁ~」


撫美(なでみ)はいつまで寝ているの!?」


 この衝撃の中、平然と穏やかな寝息を立てて丸まっている猫耳に、星華は頭を抱えて叫んだ。










 

「……で、何があったの?」


 ローグ(しにがみ)と無理やり起こした撫美(ねこ)の手を借りて、何とか湖珀(いぬ)暮葉(きつね)を落ち着かせた星華は、二人を部屋の隅に正座させると冷たく問い質した。


「えっとぉ……」


「それは……」


 気まずそうに歯切れ悪く口を開く二人に、星華は容赦なく凍てついた眼差しを向ける。


「「ううっ」」


 すっかり縮こまってしまった二人に、見かねたローグが助け舟を出してくれる。


「星華さん。今回の騒動は、先日のマスターの消失が原因です」


「兄さんの?」


「ええ、簡単に言ってしまうと、この件の責任をめぐって起こった言い争いが発端です」

 

「ああ、それで二人が互いにそっちが悪いって罵り合った結果、さっきの取っ組み合いの喧嘩になったと?」


 星華が再び二人に視線を向けると、コクッと同時に頷いて肯定した。何だかんだで、息がぴったりな犬と狐である。


「あまり二人を責めるのはやめてあげてください。湖珀と暮葉は、単にマスターのことを心配しているだけです。それに先ほども言いましたが、今回の件は、私たち全てに責任がある。二人だけが責められるのは、道理が通らないことでしょう」


 非常事態でもいつもと変わらない二人を生暖かい目で見ていると、それを咎と勘違いしたローグが、皆を代表するかのように真摯な様子で頭を下げた。

 しかし、星華は彼らを咎める気など全くない。真羅(あに)が消息不明になるのはいつものことだし、彼が外界に落ちてしまったのは、ローグたちの責任ではなく、ただの不幸な事故だ。

 それなのにこんな真面目な態度で謝られてしまうと、何だが可笑しくなってくる。


「ふふっ」


「――? どうして笑うのです?」


 いきなり笑い出した星華を見て、ローグはキョトンとした様子で顔を上げた。


「いいや。これはローグたちの責任じゃないし、誰かを責めるのだって筋違いだよ。だって、こんなこと想定しろって方が難しいし、それに巻き込まれたのなら、それは兄さんの自己責任だよ」

 

「……」


 返ってきた答えが想定外のものだったのか、ローグはしばらく目を据えて黙り込んでしまう。


「――意外ですね。私はもっとお兄さん(マスター)のことを心配しているのかと思ったのですが……」

 

 先ほどの発言に余程驚いていたのか、ローグは思わず死神特有の冷気を孕んだ低い声を漏らしてしまう。

 本の少し前まで、兄の身を案じ、何とかして彼を救出しようと息巻いていた彼女が、今回の不幸としかいいようのない件を、兄の自己責任を言い切ったのだ。これはローグからすれば、自身が咎められなかったこと以上に、困惑してしまうことだ。


「……心配はしているよ。でもね……兄さんはこの程度で挫けるほど弱くない。それはみんなも知ってるでしょう?」


 その問いに、この場にいる一同が頷く。


「だから、兄さんの身を案じる必要はないんだよ。そんなのすぐに杞憂に終わるから」

 

 虚勢と真が混じった儚げな笑みを浮かべる星華に、一同は黙り込んでしまう。

 言葉にこそしなかったが、彼女は自身の実力を正確に理解している。つまり、自分では彼の助けになることができないと分かっているのだ。


「……すいません。今のは失言でした。確かにマスターならしばらくすれば、何時ものようにひょっこり戻ってくるでしょう」


 ローグは頭を下げながら前の発言について謝罪する。星華の想いを汲むことができず、早とちりで彼女を傷付けるような言動をしてしまったことを気に病んでいるようだ。


「いいよ。今はただ私が未熟なだけだから」


 声音こそ普段と変わらないが、星華は儚げな笑みを湛えたままだ。

 彼女だって、本当なら今すぐにでも真羅の助けになりたいはずだ。しかし、今の自分では、それが敵わないこともよく分かっている。この儚げな笑みが何よりの証拠だ。

 本来、魔術師というのは、自身の心情を包み隠し、他者に一切の隙を見せず、相手の腹を読んで虚を衝くものだ。自分の心情が顔に表れてしまうなど、自身が半人前だと告げているのと変わらない。彼女は魔術師としては、まだ(・・)人間味がありすぎる。


「ん~? そうかな~?」


 ローグが返す言葉が見つからず黙り込んでしまっていると、先ほどまで眠っていた撫美がおもむろに首を傾げた。


「そんなにねぇ~未熟じゃあ~ないと思うよ~。だってぇ~魔導学校(ここ)じゃあ~一番だし~すごいと思うよ~」


 まだ寝ぼけているのか、非常にゆっくりとした口調で、星華を称賛する。まったく覇気は感じないが、その寝惚け眼からは、この言葉が嘘偽りではないことが確認できる。

 星華は少しの間、驚きで口を噤んでしまうが、すぐに撫美の眠たそうな眼を見据えて口を開く。


「すごくないよ。未熟なのは変わりないし、首席といっても初等部だから……ここでの成績なんて上に上がったらあんまり関係ないよ」


 星華もまた、嘘偽りのない言葉を口にする。一見すると謙遜にも聞こえるが、これは紛れもない彼女の本心だ。 

 魔導学校は、確かに魔術師見習いのためのものだが、ここの初等部は、主に七歳から一五歳の子供が集まっている場であり、日本でいうところの小学校と中学校に於ける義務教育に相当するものを兼ねているため、魔術以外の教科も多く存在する。それらは然程重視されていないが、当然のことながら、基礎教科は魔術を学んでいく上で必要不可欠なものなので、疎かにはできない。

 魔導学校は、初等部、中等部、高等部の部があり、それぞれが三学年に別けられている。しかし、初等部に関しては、日本でいう小学校と中学校の九年間の内容も、魔術の基礎と並行して学ぶのだ。そのため、普通の生徒は初等部を卒業するのに、五年から七年の時間を掛けているのだが、星華はきっちり三年でこの課程終え、現在はすでに、本格的な魔導が学べる中等部への進学が確定している。一般的な魔術師見習いと比べると、頭一つ以上に抜きんでているだろう。


「その歳にしてはすごいと思うけどな~」


 徐々に目が覚めてきたようで、撫美の言葉が通常(でもゆっくり)の速度に戻ってくる。


「確かに、今はまだ未熟かもしれないけど~この歳でこれだけできるなら、かなり伸びしろがあると思うよ~」


「……そうかな?」


 先ほど湖珀と暮葉の喧嘩を止めようとした際に、星華は何気なく行っていたが、ローグの編んだ結界の中に易々と頭を突っ込み、高位精霊を一時的に拘束するほどの言霊を放つなど、一人前の魔術師でもそう簡単にはできない。

 実際、星華の魔術師としての腕は、同世代の者たちと比べても些か以上に優れている。これは生まれ持った才能も含まれるだろうが、それ以上に努力を怠らず、魔術に対する姿勢がひたすらに真摯であることが大きい。

 ただ彼女は、目指す場所と相手が大き過ぎるがために、いまいち己に自信が持てていないだけだ。


「ええ、私もそう思います。貴女はいつの日か必ず魔術師として大成するでしょう。以前、マスターもそう言っていました」


「兄さんが? 私を?」


 信じられないといった面持ちで、星華はローグに訊ね返す。


「はい。確かにマスターは、誇らしげに貴方の技量と姿勢を高く評価していました」


「……」

 

 星華は無言でローグの瞳を見据え、彼の言った言葉が事実であることを理解する。


「そうなんだ……ふふっ」  


 尊敬する兄に認められていたことを知り、星華は顔を隠すように俯くと、はにかみながら笑みを浮かべる。その年相応の表情を見ていた四人も、思わず安堵の笑みを漏らしてしまう。


「イジイジしてても仕方ないね。いつものことだけど、私は今できることを一つずつやっていくことにするよ」


 自らの心情を今度は言葉で表して気を引き締めると、星華はおもむろに立ち上がって伸びをする。


「私はこれから図書館で色々調べてみるけど、みんなはどうする?」


 迷いを振り払い、どこか晴れやかな表情で、星華は彼ら契約精霊たちに訊ねる。


「私たちはマスターを探します。魔力の経路(パス)は途切れていますが、契約という縁は途切れていないので」


「そうそう、僕たちは魔力の供給がなくても、そんなに問題ないし。犬神の鼻は鋭いからね」


「私も耳と鼻には自信がある。必ずやご主人を探し出して見せよう」


「う~ん。そういうわけだから、そろそろ失礼するよ~」


「そっか、じゃあまたね」


 星華が軽く手を振って別れを告げると、四人は霊体化してどこかに消えてしまった。


「……急に寂しくなっちゃったな」


 静かになった部屋に見渡していると、先ほどの騒がしさが少し懐かしく思えてくる。だが、感傷に浸っている暇ない。これからやるべきことは山のようにある。


「追いついてみせるよ……いつか、必ず」

 

 今は遠くに消えてしまった兄への想いと、新たな決意を胸に抱き、星華は力強く歩み出した。

 

 次回から新章に入ります。 

……長かった。

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