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残された者たち

今回は現代での話になります。


 ――日本国内某所。

 とある高校の校門の前に一人の男が佇んでいた。


 この高校では数時間前まで学園祭が行われていたが、現在はそのイベントも終了している。すでに一般人の立ち入りは禁止されていて、校内には片付け作業に追われる生徒たちが忙しなく動いていた。

 

 そんなこの場に於いて、その男の格好はかなり浮いている。

 日が暮れてきたといえ、まだまだ暑さは柔らいておらず、生徒たちが半袖の夏用制服でいる中、男は仕立ての良い黒のスーツをきっちりと着こなし、その上から灰色のコートを羽織っている。シミ一つないシャツの首元には、きっちりと揃えられたネクタイがピンで留められている。

 普通ならこんな日にこんな格好でいれば熱中症にでもなりかねないが、男は汗一つ掻いておらず涼しげな様子で校舎の一角を見据えていた。


「……真羅(ソーマ)詩音(ユリ)の魔力が感じられない。けど、何らかの魔術の痕跡が残ってる」


 二人の名を組織での通称で口にすると、男は静かに溜息を吐く。

 

「二人なら心配はないだろうが、こんな所でこの規模の術を使うなんてどこの馬鹿だ」


 男は心底呆れたように目元を押さえる。こんな人目の多い場所でこれだけの魔力が残留してしまう規模の魔術を行使するなど、まともな魔術師のすることではない。いや、まともでもない魔術師でもこんな阿呆なことはしないだろう。


 言うまでもないが、魔力を当然のように感知しているこの男は魔術師だ。

 真羅と同じく魔術結社、『神秘の記録』に所属の魔術師であり、名を御堂橙刃(みどうとうば)という。

 ――結社での通称は、“(ツルギ)”。

 その名が示す通り、剣に関する魔術を扱う魔術師である。しかし剣と言っても、魔具や斬撃系の魔術を操るため、近接戦闘よりも遠距離での魔術の撃ち合いを得意としている珍しいタイプの魔術師だ。だがその腕は確かであり、二十五歳という若さで“|博士”の階級を得ている。

 一般的な魔術師が“博士”の階級で生涯を終えていることを考えると、この歳でその位階に至っている彼の腕がどれだけ優れているか分かるだろう。

 真羅たちとは同郷で年も近いため何かと関わることが多く、今回も何らかの異変を察知して彼らが通う学校にやって来ていた。


「仕方ない。調べてみるか……」


 何かを諦めたように再び溜息を吐くと、橙刃はコートを翻し校舎の入り口に向かって歩き出した。


 明らかに不法侵入だか、不思議なことに誰一人として彼を気に留める者がいない。というよりも、誰も彼の存在に違和感を感じていないようで、彼が視界に入ってもそのまま素通りしている。


 こうして魔術師(ツルギ)は正々堂々と校舎に潜入し、いとも簡単に目的の教室に辿り着いてしまう。


「ここか……ユリはともかく、ソーマが高校生なんてやれてるのか?」


 二人の身より真羅(もんだいじ)の普段の素行を心配するという場違いなことを考えながら、橙刃は半開きびなっていたドアを開ける。

 しかし、その室内はもぬけの殻で人っ子一人いなかった。


「ちっ、何なんだこれ……」


 一見すると片付け途中のただの教室だが、魔術師である彼の目には別のモノがはっきりと映っていた。


「残滓のくせにこんなに魔力が濃い。しかも時間が経ってるせいで、術式の跡がほとんど読み取れない」


 この教室に残っていたのは、極めて複雑な術式の跡だった。時間経過の影響で術式はすでに綻んでいる状態で、橙刃自身も術の解析は専門外なので現状ではこれが何の術なのかは知るすべがない。


「ソーマなら解析できるだろうが……いや、理解したうえで抵抗しなかったってことは、危険なものではないということか……」


 同僚の性格を考えれば有り得ないことではない。寧ろ害がないのなら嬉々として術を受けてしまうだろう。そう考えると頭が痛くなってくる。


「はあ~。面倒なことになってきた」


 橙刃は額を押さえて溜息を吐く。仮に真羅がわざとではなく本当に対応できなかったのならば、それはそれで問題だ。

 彼は結社内で魔術オタクと揶揄されるほど魔術に詳しく、魔術の解析に関しては彼の師である大魔女より上だと言われている。そのうえ、彼は馬鹿げたほど緻密で正確な魔力操作と術式構築を難なくやってのける凄腕だ。

 そんな彼でも対応できなかった術ならば、もしこの場に橙刃が立ち会っていたとしてもどうすることもできなかっただろう。


「まあ、取り敢えず調査するか」


 一般人が巻き込まれた以上、このまま放置するわけにはいかない。橙刃は綻びだらけの術式を写しを取ると、教室を出て近くにいた男子生徒に声をかける。


「そこの君。ちょっと教えてほしいんだけど、そこの教室にいた人ってどうしたの?」


「あっ、はい。そこの教室にいた人ですか?」


 訊ねられた生徒は、明らかに場違いな格好をした男を特に疑問に思うことなく質問に応じる。


「その教室は三年生の先輩たちが使っていたはずですけど」


「ああ、そうなのか。それでその三年生の子たちは今どこに?」


「少し前までいたんですけど……今どこにいるかは分からないです」


「そうか、ありがとう。引き留めてすまなかったな」


 特に違和感を覚えることもなく廊下を歩いて行く男子生徒を見送ると、橙刃はこれ以上一般人に被害が及ばないよう、この教室の周囲に人払いの結界を張り、室内の魔力を窓から外に吹き飛ばした。


「取り敢えず写しは取ったが、俺じゃあ解析は無理そうだな」


 先ほど取った複雑な術式の写しを見て、橙刃は思わず目元を押さえてしまう。こんなに複雑なうえ大部分が綻んでいるんでは、自身の魔術工房に持ち帰っても解析は困難だろう。


「結界は一時間ぐらいで解けるし、もう放置してもいいか」


 もう一度だけ室内を見渡すと、橙刃は踵を返して教室を後にする。そして校舎を出て校門から学校の敷地外に出ると、懐から携帯電話(アーティファクト)を取り出した。


「まったく、面倒ごとに巻き込まれてなきゃいいんだが……」


 携帯電話を操作しながら、連絡先にいるであろう得体の知れない魔女のことを思い浮かべ、再び頭痛を覚えた。






 ――魔術結社『神秘の記録』、本部の一室。

 魔女マギステルは携帯電話を耳に当てながら、送られてきた術式の写しを眺めていた。


「ふーん。そんなことがあったのか」


《そんなことって、アイツが全く対応できないなんて、一大事ですよ!》


 携帯から焦るように大声が響いてくるが、この魔女はどうでもよさそうに聞き流す。


「まあ、落ち着け。術式を見る限りこれはただの次元転移だ。別に死にはしないだろ」


《次元……転移? それってかなりまずいないじゃないですか!》


 さらに喧しくなった携帯を耳から遠ざけ、マギステルは心底めんどくさそうに溜息を吐く。 


「だいたいな~。対応できなかったのは、あいつが未熟だっただけだよ。そんな騒ぐことじゃない。こんなことを伝えるためにわざわざ私に連絡したのか?」


 幼子に道理を教えるかように話す魔女に、橙刃は電話越しからでも分かるほど怒気を放つ。


《アイツはアンタの弟子だろ? ソーマはアンタのことを信頼してるんだぞ。なのにアンタは真羅(・・)を見捨てるのか?》


 普段は魔術師としての名前(コードネーム)で呼んでいるのだが、彼女の冷淡とした態度に橙刃は思わず彼の本名を口にしてしまう。

 事実、真羅はマギステルを信頼していたし、彼女を師として尊敬していた。橙刃は幼い頃からその様子を見ていたため、このことだけは誰よりも理解していると自負していた。

 しかし、彼女に反省の色はなく、呑気に手元にあったワインを口に含む。


《おいっ、聞いてるのか?》


「あー、はいはい。分かったからさ~。取り敢えず……黙れよ、ガキ」


《――ッ!?》


 突如として込められた殺気に、橙刃は電話越しにも関わらず心臓を握られたような感覚に陥る。


「私がシンラを見捨てる? 何馬鹿なこと言ってんだ? これ以上ふざけたこと抜かすなら消し飛ばすぞ?」


 間接的にだが大魔女の殺気を浴びた橙刃は、自身が彼女の逆鱗に触れてしまったことを理解する。


「そもそも、私の唯一の弟子がこんなことぐらいで死ぬわけないだろ? つーか、詩音(ユリ)もいるなら暴走の心配もない。一体、何を心配しろっていうんだ?」


《……》


 マギステルの勝手なようでいて妙に説得力がある言葉に、橙刃は反論することもできず押し黙ってしまう。そもそも、言い返す以前に、彼女の殺気のせいでとてもまともに話せる状態ではない。


「ふん。もう切るぞ。現場の後処理はそっちでやっとけ」


 橙刃の返事を聞きもしないで電話を切ると、マギステルはグラスに残っていたワインを一気に呷った。


「まったく、ツルギも落ち着きのないヤツだ。少しは自分の後輩を信じてやればいいのに……」


 ワインを飲み終えると、マギステルは先ほどまでの殺気が嘘のように穏やかな笑みを浮かべ、豪奢なソファーに座り直す。


「しかし、ちょっと脅した程度であのビビりようとは、相変わらず肝っ玉が小さいな~」


 最強の魔女に殺気をぶつけられたら誰だって恐怖を覚えるだろうが、この場にそれを指摘するはいない。先ほどの殺気もだたのおふざけだったようで、今はケラケラと可笑しそう笑っている。

 そして、ひとしきり笑うと、部屋のドアの方に向き直り、


「盗み聞きとは趣味が悪いな」


 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべながら、軽く指を鳴らすとドアが勝手に開いていった。すると、奥から人影が静かに現れる。


「なーに、取り込み中のようだったからな。入室を遠慮しただけじゃよ」


 室内に入ってきたのは、好々爺じみた面持ちの白髪の老人だった。

 しかし、老人といっても衰えは全く感じず、しっかりとした足取りでマギステルの下に歩いてくる。


「しかし、真羅たちは随分と面白いことになっているようじゃな」


「ああ、次元転移に巻き込まれるとはな。もしかしたら、本物の異世界に飛ばされてるのかもしれないな」


 特に気後れすることもなくこの魔女と軽口を叩ける者など世界に数えるほどしかいない。そして、気軽に話しているこの老人も当然只者ではない。

 それもそうだろう。何故ならこの老人は――


「貴方はどう思う? 魔術王アルティマクス」


 そう、この男こそ、魔術結社『神秘の記録』の首魁にして、世界最高峰の魔術師。 “魔術王”アルティマクスその人である。


 世界に三人しかいない神話(ミュートロギア)級の大魔術師であり、この大魔女マギステルと肩を並べているこの老人は、穏やかな笑みを浮かべたまま対面のソファーに腰を下ろす。


「ふむ。その可能性も十分有り得るが……まあ、もしそうだとすれば、外界の神が関与しているじゃろうな」


「確かになー。次元の壁を破るんだったらそんな難しくはないが、世界と世界の間を越えさせるなんて、最高位の神霊じゃないと無理だよな」

 

 世間話でもするかのようにとんでもないことを話す二人からは、不安や心配といったものが全く感じられない。このレベルの魔術師になると大抵のことは笑い飛ばせてしまうようだ。


「うーん。神が絡んでるなら、自力で戻ってくるのは難しそうだな」


「ではどうする? 助けに行ってやるのか?」


 魔術王の苦笑まじりの問いに、魔女は不敵な笑みを浮かべ、


「まさか、行く必要なんてないよ。なんたって向こうにいるのは、私の自慢の弟子だからね」


 揺るぎない自信を込めた言霊で答えた。

 彼女には初めから“助ける”などという選択肢は存在しない。私は弟子をそんな甘くは育てていない。必要な知識と技術は全て叩き込んだ。ならば後は、ただ弟子を信じてやるだけで十分だ。


 そんな自信と確信で満ちた笑みを見て、アルティマクスも思わず笑いを漏らしてしまう。まさかこの魔女が、年端もいかない少年にここまで信頼を向けているのは驚きだった。


「ふっ、シンラだっていつまでも子供じゃないんだ。もう一人前の魔術師に成長してるんだよ」


「そうじゃな……そんなことも見抜けぬとはな。やれやれ、ワシもそろそろ引退する頃合いかな?」


 まるで心を読んだように笑う魔女に、彼も苦笑しながら心にもないことを呟く。

 すると、その言葉を聞き逃さなかった魔女は、不敵な笑みを意地の悪い笑みに変え、


「確かにな。いつまでも天辺で胡坐掻いてる老害は、とっとと退場するべきだろうよ」


 皮肉まじりの冗談を叩きつけた。

 しかし、アルティマクスは特に気にした様子はなく、「オヌシに言われたらおしまいだ」と、笑いながら肩を竦める。


「まあ、本当に引退するんだったら、シンラたちを無理やり連れ戻すがどうする?」


「ふん。ワシの心配より、自分の心配をしたらどうじゃ?」


「私だってまだまだ現役でいるさ。若者に負けてやるつもりもないしな。挑んでくるヤツは容赦なくぶっ飛ばしてやるよ」


 魔女の大人げない発言に、魔術王はこれからこの笑みを向けられる若者たちに同情してしまう。この長い時を生きる大魔女の不敵な笑みは、いままで幾多の魔術師の心をへし折ってきたのだ。これからそれが続くとなると、とても隠居なんてしていられない。


「引退のことはともかく、真羅と詩音のことは二人の身内に伝えてやってくれ。次元転移のことは我々が処理しよう」


「了解。身内――真河(シンガ)たちには私が伝えとく。まあ、兄がいなくなったなんて伝えたら、星華(セイカ)は助けに行こうとするかもしれないがな」


 マギステルは二人の家族が驚く姿を思い浮かべ、意地悪くクツクツと笑い始める。魔女と呼ばれる者は、基本的に他人の不幸を嗤う魔性の生き物だ。

 そもそも魔術師というのは、利己的で他者を食い物にする魔性だ。このくらいで咎めるような者はいないし、不思議に思う者もいない。


「……そこはオヌシが止めてやれ。彼女はまだ魔導学校初等部の生徒、無茶をさせるわけにはいかん」


「そのくらいは分かってるよ。でもシンラは十歳のときに次元の壁を切り裂いてたから、妹なら同じことしでかしても不思議じゃないと思っただけさ」


 冗談まじりに妙に説得力のあることを抜かす魔女に、さすがの魔術王も呆れ気味に溜息を漏らしてしまう。真羅のような魔人が大量発生していたら、本気で引退を考えなければならない。


「まあいいか。ではそちら頼んだぞ、マギステル。ワシは“連合”の執行部にこのことを伝えてくる」


「ああ、そっちは任せた。こっちもせいぜい驚かしてくるさ」


 邪悪な笑みを浮かべる魔女を尻目に、アルティマクスはローブの裾を正すと音もなく姿を消した。

 そして、一人楽しげに笑う魔女も、しばらくすると蜃気楼のように消えてしまい、部屋に残ったのは不気味な笑い声の残響だけだった。





 

 

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