襲撃、魔人族
砂煙の中から現れたのは、赤き竜。
分厚い鱗に鋭い牙と爪。翼はないが十メートルを超える巨体に鋭利な刃物のような尻尾を持っている。
一見するとトカゲを大きくしたもののようにも見えるが存在感が圧倒的で、禍々しい黄色い眼が生物の本能に直接恐怖を刻み込んでくる。
(……これが試練か?)
誰もが恐怖に支配されて身動き一つできなくなっている中、真羅は冷めた眼差しでつまらなそうに竜を見ていた。
まるで、期待外れだ。というように……
(いや……こいつじゃない)
真羅はニヤリと不気味に口角を吊り上げる。
(……こんな雑魚が試練なわけがない)
剣に魔力を流し、術式を纏わせる。
「来いよ……」
渇望と懇願が籠められた悍ましい声を吐く。
まるで、決して手の届かないものに、手を伸ばして掴もうとするように――――
「――どけ」
次の瞬間、目にも留まらぬ速さで剣が振られていた。
「――――ッ!?」
赤い竜は何が起きたのか理解する間もなく、二つに別れた。
「やはり、違ったか……」
一拍遅れて血が噴き出す。
返り血が外套を紅く染める。
周りは誰一人として真羅の動きを捉えることができず、突然真っ二つになった竜を呆然と眺めていた。
「……いったい、なにが……」
静寂した森に困惑した誰かの声が響く。
しかし、真羅の動きを捉えられた者はこの場に存在せず、その問いに答えられる者は誰一人いなかった。
「……レッドドラゴンが……何が起こった?」
逸早く我に返ったグランが声を上げる。声音が落ち着いているところは、さすが王国最強の騎士といったところだろう。
(赤い竜か……つい殺っちまったな……まあ、勇志たちじゃまだ荷が重いし、別にどうでもいいか。問題はあっちだな)
真羅は真っ二つにした竜の向こう側に見える人影を見据える。
(これ以上目立つのは困るな。この場は勇志に任せるか)
竜を斬ったのは気付かれていないはずだが、火球を斬ったことは全員に見られていたため、後で追及される可能性がある。魔術師であることを隠すためには、これ以上目立つわけにはいかないのだ。
真羅は皆がレッドドラゴンの亡骸に注目している隙に認識阻害の魔術を使い、こっそり勇志の後ろに下がる。
そして、周りに聞こえないように小声で勇志に囁き、人影の存在を伝える。
「向こうに何かいる」
「えっ?」
勇志は目を凝らし、未だ砂煙が上がっているレッドドラゴンの骸の奥に視線を向け、人影を発見する。
「みんなッ! 奥に誰かいる! 気を付けろ!」
その声に皆が我に返り、砂煙の中に意識を集中させる。
次第に砂煙が晴れていき、徐々に人影の正体が明らかになっていく。
「人?……いやっ、違う!」
勇志が反射的に剣を引き抜く。
砂煙の中から現れたのは人の姿をしているが、人間とは決定的に違うところがあった。
姿を現した彼らには、肌が病的に青白く、背中には黒い翼が生えていて、頭には角が生えている。
これは事前に聞いていた魔人族の特徴と一致している。
「あの魔人はッ!?」
グランが焦ったような声を上げる。
彼がこんな声を出すのは初めてだ。原因は恐らく、現れたのが魔人だったというだけではないだろう。
真羅は視力を強化し、魔人を見据える。
今までは砂煙で見えなかったが、どうやら魔人は数人いるようだ。そして、その先頭に立っているのは尋常ならざる武威を纏う男の魔人。
赤髪に赤い瞳、額には赤く鋭い一本角が生えている。しかし、その赤い双眸は見開かれていて、まるで目の前の光景が信じられないといった様子だ。
その原因は、真羅がドラゴンを叩き斬ったことだろう。
「レッドドラゴンが一瞬で……女神の使徒……これほどとは……」
彼の口から漏れた呟きは強化された真羅の耳には筒抜けだった。
どうやら、向こうに救世主のことは知られているようだ。国民にすら公表していないのに、どこから情報が漏れたのか……恐らく、召喚の際に出た膨大な魔力を察知したのだろう。
「全員下がれッ! ヤツは危険だ!」
森にグランの叫び声が響く。どうやら彼はあの赤い魔人のことを知っているようだ。
だが、そのせいで、彼の判断を誤らせる。
「下がるな! 囲まれてる!」
そのことに気付いていた真羅が声を上げる。
しかし、それと同時に周囲の茂みから魔物たちが飛び出してきた。
「うわっ!?」
グランの声を聞いて後退していた者が、突然の魔物の登場に驚きの声を上げる。
現れたのはゴブリンやオークといった、あらかじめこの森に生息していると知らされていた魔物だったが、肌の色や大きさが違う。恐らくは上位種か何かだろう。
しかし、問題はそれではなく、その数だ。パッと見渡しただけでも五十体以上はいるが、感覚を研ぎ澄ませて気配を探ると、魔人たちの後方にさらに数十体は控えている。
(ちっ、いるのは分かっていたが……使役されてるやつだったとは……俺もまだ未熟だな)
真羅は自身の失態に溜息を吐く。
周りに魔物がいることには気付いていたが、大して興味がなかったため無視していたのだ。しかし、よく見てみると洗脳や使役系の術が施されている。
魔人族が魔物を使役していることは、あらかじめ知っていたのに見抜けなかった。この事実は真羅に自身の未熟さを実感させた。
普段の真羅ならば、これぐらいの失態などなんとも思わないが、現在は今朝の夢のせいで少し感情的になっていた。
だが、このくらいで心を乱すほど、彼は未熟ではない。
「あの赤いの……強いな」
真羅は冷静に敵の力量を見抜いていた。
あの赤い魔人は他の魔人族と比べて別格に強い。彼が全身に纏っている武威と、身に湛えた濃密な魔力が、それを雄弁に語っている。
(まあ、赤いのだけじゃなくて、他の魔人も魔物も中々強そうだけど……)
赤い魔人の周りにいる魔人も魔物も決して弱いわけではない。クラスメイトの中で、まともに戦えるのは、詩音とマリアを除けば勇志だけだろう。
(さすがに剣一本じゃきついかな)
真羅は静かに剣を鞘に収めると、左手で口元を隠し右手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「キサマたちが異世界から来た女神の使徒だな?」
今までレッドドラゴンを見ていた赤い魔人がこちらに鋭い視線を向けてきた。よく見ると口元がニヤけている。今の光景を見て笑っているなら、そうとうな戦闘狂なのかもしれない。
「そうだ! お前は何者だ!」
周囲を確認していた勇志が皆を代表して前に出た。
真羅としては適当にはぐらかして欲しかったが、正義感の強い勇者様は正直に答えてしまう。
「オレか? オレは六魔将の一人、シャルア。キサマらを潰しにきた」
そう言うとシャルアと名乗った魔人は、強烈な殺気を放つ。
「うっ」
その殺気をもろに受けた勇志たちはたじろいでしまう。今まで普通の学生だった者が、このような純粋な殺気を受けるは初めてのことだろう。
勇志は脂汗を額に流しながらも剣を構える。
「やめろ! こいつは魔人族の幹部だ! まだお前たちには荷が重い!」
グランが切羽詰まった声を上げて勇志の前に出る。それに続き騎士たちも前に出た。
どうやら、本当にマズイ相手のようだ。もしかするとグランは、ヤツと戦ったことがあるのかもしれない。
「お前たちは逃げるんだッ! 奴らは私たちが引き受ける。その隙に後方の魔物を突破して王都に戻れッ!」
「えっ! そうしたらグランさんたちはどうなるんですか?」
「後から行く! 早くこのことを伝えるんだ! このままじゃ王都が危ないッ!」
王都が危ない。つまりそこに住む人々も危ないということだ。
ハッとそのことに気付いた勇志は、躊躇いを振り払うように踵を返し、後ろのクラスメイトたちの方へ向かい駆け出す。
「必ず伝えます……」
「……頼んだぞ」
勇志の呟きにグランは振り返ることなく応える。恐らく、彼は自分たちでは魔人たちに勝てないことをよく理解しているのだろう。
しかし、ここで退いたら人々の希望になる救世主たちを失ってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
グランは覚悟を決めたように剣を抜き、切っ先をシャルアに向けた。
「貴様らの相手は私たちアーセル王国騎士団がしてやる。お前たち! 絶対にここは通すなよッ!」
「「「おうッ!」」」
騎士たちはグランの声に応えると一斉に剣を抜き、魔人たちに向かって行った。
しかし、
「逃がすと思うか?」
シャルアは嘲るように笑うと、魔力を高め赤い瞳をさらに深紅に染めていき、呪文を唱え始めた。
「――燃え盛る地の憤怒よ。天へと昇り、大地に降り注げ――――メテオフォール」
顕言が放たれると頭上に大量の燃え盛る岩石が出現し、真羅たちに向かい降り注いでくる。
「避けろッ!」
グランがシャルアに斬り掛かりながら叫ぶ。
シャルアが放った魔法は、かなり呪文が簡略されているが、込められた魔力の量から考えると、上級魔法とやらに匹敵する威力を持っているだろう。それをたった三節の短い呪文で発動させている彼は、魔将の名に恥じない技量を持っているようだ。
「うわっ!? 隕石!?」
誰かが悲鳴を上げる。クラスメイトたちは状況が理解できず混乱しているため動くことができなかった。
真羅はさすがにマズイと思い、口元を隠したまま呪文を唱えようとすると、それより先に後ろから詠唱が聞こえてくる。
『――主の威光は災禍を祓う』
呪文を切り詰めた顕言のみの一節詠唱。
光の膜が頭上に展開され、降り注ぐ隕石と次々を逸らしていく。逸らされた隕石は周りを囲んでいた魔物に落ちていき、確実に数を削って行った。
「こいつは神聖魔術……マリアか」
魔力の流れを辿ると、白い修道服のようなローブを纏ったマリアが白い魔杖を掲げていた。
その姿はまるで神に愛される聖女のようだ。いや、実際に教会の神聖術師なので、聖女といっても何も問題はないだろ。
「さて、俺も動くか……」
真羅は周囲を見渡し現状を確認する。クラスメイトたちは相変わらず混乱していて、その場を動けずにいる。
魔人たちの方を見ると、グランたちが応戦して食い止めていた。技術こそ騎士たちの方が高いが、元のスペックが魔人族の方が高いため若干押されている。その中でも特にシャルアは、技術も身体能力もグランを上回っているため、すぐに突破してくるだろう。
認識阻害の魔術をかけたまま真羅は、後方で障壁を展開している詩音の元に向かう。
「詩音、無事か?」
「わぁっ! 真羅君? 驚かさないでよ」
薄紫色のローブを着た詩音が声を上げて振り返る。
「すまん。これ以上目立つとさすがに面倒だからな」
「確かにそうだね。でも竜を一刀両断にしたのはびっくりしたよ」
「……やっぱりバレてたか」
「うん。でも剣を振ったのは見えなかったから皆にはバレてないと思うよ」
詩音がイタズラっぽく笑うと、真羅はバツが悪そうに引きつった笑みを浮かべる。付き合いの長い彼女には筒抜けだったらしい。
「まあ、それはどうでもいい。これ以上は騎士団がもたないから本題に入るぞ」
真羅は詩音に自分の策を伝える。かなり一方的に話されているが、詩音は戸惑うことなく平常を保っている。
魔術師というのは想定外の事態には強いものだ。
「……分かったよ。でも真羅君は大丈夫なの?」
「問題ない。というより、そっちの方がやりやすい」
「まあ、真羅君なら負けることもないだろうけど……」
「こんなのいつもと比べたらなんてことはないだろ……それとこれを」
真羅は懐から七色に輝く水晶のようなものを取り出して詩音に渡す。
「これは魔晶石。いや、精霊石?」
「正解。俺の造った疑似精霊が宿ってる。念のため渡しとくが、できるだけ使わないでくれ」
「うん。気を付けてね。私はマリアちゃんに伝えに行くから」
「おう。そっちもな」
マリアの正体は、あらかじめ詩音にも伝えておいたので問題はないだろう。このことを話した時は、予想通り、何で話さなかったのかと責められたが。
詩音がマリアの方へ走って行くと、真羅は勇志の元へ向かった。
「勇志! 大丈夫か?」
先陣を切って魔物と戦っている勇志を見つけると、真羅は剣を抜刀し加勢する。
「僕は大丈夫だよ。そっちは?」
「俺は問題ない。だが、他のヤツは混乱してる」
真羅は動けないでいるクラスメイトたちを一瞥して、襲いかかって来た魔物を蹴り飛ばした。
勇志も真羅が一瞥した先を見て、クラスメイトたちが混乱して固まっていることに気付く。
「みんなのことを忘れるなんて……僕は一体何をやっているんだッ!」
勇志は自分を責めるように悔しげに顔を歪める。感情的になってしまい、肝心な仲間のことに気が付けなかった自分自身に怒りを覚えているようだ。
真羅はその様子を見て溜息を吐く。
「………もし自分を責めたいんだったら後にしてくれ。今はこの状況をなんとかするのが先だ」
自分を責め始める勇志を励ますわけでも慰めるわけではなく、真羅はただ客観的な自分の考えを述べた。
親友が傷ついているのにこんな言葉をかけるのは薄情者にしか見えないが、真羅は勇志のことをよく知っているので、敢えて慰めの言葉をかけなかった。慰めたところで彼の為にはならない。
「そうだね。ごめん……今は目の前の敵を倒そう」
勇志は気持ちを入れ替えるように頬をバシッと叩く。
そして、再び彼の瞳に力強い意志の炎が宿る。
真羅は早くも立ち直った勇志の瞳を見てニヤリと笑う。
「ああ、そこでだ。俺に考えがある。うまくいけば団長たちも助けられる」
「本当かい? それはどんな――うわっ!?」
二人が話していると先ほど真羅が蹴り飛ばした魔物が飛び掛かって来た。
そのとき、
「「――――聖なる領域」」
聞こえてきた顕言と共に周囲に透明な壁が出現する。
その壁が現れると同時に、周囲にいた魔物が弾かれるように吹き飛んだ。
「これは、光属性の広範囲防御魔法?」
「へえ~。さすがだな」
突然のことに勇志は驚くが、真羅は初めから分かっていたように感心した声を出す。
真羅たちの後方では、詩音とマリアが杖を掲げてこの世界で習得した魔法を展開していた。
これはあらかじめ詩音に頼んだことなので、真羅は特に戸惑うこともなく話を続ける。
「勇志。時間がないから簡単に説明するぞ」
真羅は作戦を手短に話す。その話を聞いた勇志は不安そうに真羅に問い返した。
「本当にそれでいいのかい? その作戦で一番危ないのは真羅じゃないか……」
「この中で一番逃げ足が速いのは俺だ。俺以外にこの役は務まらない」
「でも……」
勇志は言葉を詰まらせる。この中では真羅の足が最も速いことは、勇志も理解している。しかし、親友が最も危険な役目を負うのは納得できなかった。
だが、真羅は不安など微塵も感じさせないような不敵な笑みを浮かべる。
「お前がちゃんと道を切り開いてくれれば何の問題もない。奴らは俺に任せておけ」
「はぁ~。分かったよ、みんなにも伝えとく。僕たちが道を作るから、そっちは頼んだよ」
自信満々の真羅に勇志の方が折れた。親友が危険な役目を負うことになるが、皆を助けるには現状これしか方法がないことは、勇志も分かっていた。
「あっ、訊き忘れたけど、氷魔法使えるやつっているのか?」
「氷魔法か……?」
真羅がふと思い出したように尋ねると、勇志が少し考え込むように顎に手を当てる。
氷魔法は、水属性魔法に分類されている魔法で、最低でも中級魔法以上のものしかなく、水属性の者にしか扱えない高度な魔法だ。そのため、この世界では使い手の少ない希少な魔法という認識がされている。
この場で使うわけにはいかないが、真羅も属性魔術を一通り習得しているで、氷属性を持つ魔術も問題なく行使できる。
「えっと、たしか……詩音と氷室さんが使えたはずだよ」
「氷室…………ああ、氷室絵梨か……」
真羅はうる覚えのクラスメイトことを、記憶の奥底から引き出す。
確か彼女は、いつも自分の席で本を読んでいる、小柄でおとなしい眼鏡をかけた少女だ。話す機会がほとんどなかったため、特に真羅の印象には残っていなかった。
そんな彼女が氷魔法を使えたとは驚きだ。人は見かけに依らないらしい。
「分かった。彼女にさっき話した足止めのことを頼んでおいてくれ。詩音にはもう別の役を頼んであるから」
「分かった。じゃあ伝えてくるよ」
「ああ、頼む。無茶すんなよ」
「それはこっちのセリフだよ」
勇志は軽口を叩いて笑みを作ると、クラスメイトたちの所へ向け走り出した。
クラスメイトたちの元に着くと、勇志はすぐさま皆を集めて真羅の作戦を伝え始めた。
その様子を見届けると、真羅は魔人たちの方に向き直る。
「異世界の敵……魔人族………」
騎士団を嗤いながら追い詰めていく魔人たちを見据えると、真羅は不気味な笑みを浮かべる。
「そんなに遊びたいのなら――俺が遊んでやるよ……」
静かに冷たい声を吐くと、真羅は嗤っている魔人に向け駆け出した。




