異端者と聖職者
遅くなってすいません。 試験、つらかった……
召喚されて一ケ月がたった。
この日の朝、真羅は日課である鍛練を中庭で行っていた。
「フッ!」
今日も真羅はいつも通りに見えない剣のようなものを振っていた。その動きは堂に入っていて、一流の剣士と比べても何ら遜色がない。
真羅はしばらく鍛練を続けた後、手に持っていたものを地面に突き刺した。
「ふぅ~。今日はこのくらいにしとくか……」
そう呟くと、伸びをして手をほぐす。
「さてと」
真羅は軽く首を回すと、通路の側に植えられた木に鋭い視線を向け、
「見ててもつまらないだろ?」
と、低い声で呟く。
「気付いていたのですか?」
すると、突然、木が陽炎のように揺らぎ、その中から白いローブを纏った者が現れる。声からして恐らく女性だろう。
「逆に訊くが、どうして気付かないと思ったんだ?」
真羅が不敵に笑って訊き返すと、地面を指差し、
「それにこんなものまで用意して気付かない方がおかしいだろ」
「――ッ!?」
真羅が素っ気なく放った言葉に、白いローブの女が動揺する。
「どうしてですか? 完璧に隠蔽したはずなのに……」
「ああ。完璧に隠せていたよ」
真羅は笑みを浮かべたまま目を瞑る。
「だが、俺には逆効果だよ」
そう言って、真羅はおもむろに目蓋を上げて、双眸を露わにした。
開かれた彼の瞳は、夜明け前の空を連想させる、綺麗な瑠璃色に変化していた。
「なるほど……魔眼ですか……」
白ローブの女は納得したように呟いた。
魔眼――神秘の力を宿した魔術師の眼。
その身に多くの神秘を宿すことによって体の一部――目が変質して生じるものであり、能力は自らに宿した神秘によって変わる。魔術師というのは、それぞれ独自の魔術を持っているため、同じような能力はあっても全く同じ能力を持つ魔眼は存在しない。発動させる際に起こる瞳の色の変化も人によって違い、その者の性格や本質などが現れた色に変わる。
そして、それは高位の術師にしか顕れない変化であり、魔眼は高位の魔術師の証とも言えるものである。
真羅は白ローブの女を魔眼で見据える。
「正解……それで、なんの用だ? マリア・アステラル?」
「――ッ!?」
真羅の言葉に白ローブの女が固まる。
「……何故分かったのですか?」
白ローブの女は観念したのかフードを捲り素顔を晒す。
美しい金色の髪と青い瞳。彼女は間違いなく真羅のクラスメイトであるマリア・アステラルだった。彼女の青い瞳は、真羅を警戒するように鋭い眼光を放っている。
その様子を見て、真羅は呆れるように溜息を吐く。
「なぜって……こいつを見ればすぐ分かるだろ」
真羅はつま先で地面を軽く蹴る。
「この術式は向こうの世界の教会の奴らが使うものだ。こんなものを用意できるのは、教会の魔術師である君しかいない」
「……」
真羅の言葉にマリアが驚愕の表情を浮かべ、口を噤んでしまう。
「どうした? だんまりか?」
「……いつから気付いていたのですか?」
マリアは普段より低い声で真羅に問い質す。
「答えるとでも?」
「くっ」
真羅は不敵な笑みを浮かべたまま、左手をマリアに向けて突き出す。すると、左手の前の虚空に赤い魔法陣が浮かび上がった。
マリアはそれに反応し首に提げていた十字架を手に持ち構える。
そして、
「なんてな」
「え?」
真羅は手を下ろし魔法陣を消す。
マリアは突然のことで唖然とするが、すぐに表情を引き締めた。
「なんのつもりですか?」
「別に何も。ああ、いつから気付いてたか、だったな。初めて会った時からだよ」
真羅はつまらなそうに話を続ける。
「去年、君が転校して来た時に一目見て魔術師だと分かったよ。君の魔力の流れは穏やか過ぎる」
そう言って真羅は、普段は抑えている自身の魔力を解き放つ。 彼の魔力は、不自然なほど穏やかで淀みがなく、異常なほど濃密だった。
魔術師であるがため魔力に敏感なマリアは、真羅の魔力に晒され背筋が凍り付くどころか、全身が凍り付いた感覚に襲われる。
「隠してるのが丸分かりだ。詩音は騙せてかもしれないが、俺の眼は欺けないよ」
詩音が聞いたら間違いなく怒るようなことを平然と言い、真羅は魔力を制御して魔術を待機させる。
しかし、それに反応しマリアは構えていた十字架を真羅に向ける。
『――主仇なす者よ! 聖域 にて罪を贖え!』
真羅の耳に聞こえたのは、向こうの世界の言語。それは日本語ではなく、彼女の祖国で使われている英語での詠唱。
マリアの詠唱に反応するように、真羅の足元に魔法陣が出現し周りの景色が歪む。そして、真羅を取り囲むように小さな魔法陣が無数に現れる。
「良い結界だ。待機させた魔術が消し飛んだよ」
真羅は何故か嬉しそうに微笑む。
それを見てマリアは理解できないと表情を歪める。
「何故笑っているのですか? あなたならこの結界の意味を理解しているはずです」
「ああ、魔術が使えない……この結界は俺の魔術の発動を阻害するんだろ?」
笑みを崩さずに真羅はマリアの問に答える。
「ついでに、この小さいが俺の魔力を封じてる」
真羅は自分の周りに浮いている魔法陣を指差して魔術を撃とうとしたが、魔力が練れず不発に終わる。しかし、彼は笑みを崩さずに魔法陣を眺めている。
その様子を見て、マリアは少し苛立ったように声を上げる。
「この状況を分かったうえで、何故笑っているのですか、異端者?」
その言葉を聞き、真羅は笑みを消す。
そして、普段の彼からは想像できないようなぞっとする低い声で、
「……知っていたか」
これを聞き、マリアは再び全身が凍り付いたような感覚に襲われる。
しかし、神聖術師として鍛練してきた体は自然に反応し魔術を発動しようとするが、
「えっ?」
術式を編もうとしても魔力が霧散してしまい、魔術を発動させることができなかった。
「なっ! どうして私に!?」
マリアは動揺したように声を上げる。
「悪いが先ほどこの結界に細工させてもらった」
動揺している彼女に真羅は低い声で告げる。
「そんな……いつの間に?」
「結界が発動する前、魔術を編んだとき」
真羅は簡潔に答える。
先ほど彼は魔術を撃つふりをして、地面に仕込まれていた結界の術式を書き換えていたのだ。この男は、自分の魔術を編みながら他人の魔術に干渉するという馬鹿げた芸当を平然とやっていた。
「術者の魔術も阻害するように書き換えた」
この言葉でマリアは理解した。
この男は初めから、この状況になるように自分を誘導していたのだ。
「ああ、分かったみたいだな」
真羅はマリアの表情を見て不敵な笑みを浮かべると、横に手を伸ばした。
「こいつを見落としてたな」
真羅は地面に刺さっていた何かを掴み引き抜くと、その何かで自身の力を封じている周り魔法陣を容易く切り裂いた。
「これで形勢逆転だ」
真羅はその何かを肩で担ぐと、楽しそうに嗤った。
このとき、マリアは恐怖と共に理解した。
自分は決して手を出してはならないものを敵にしてしまったのだと。
私――マリア・アステラルは神堂教会に所属する異端討伐者だ。
教会の魔術師――神聖術師の家系に生まれ、幼い頃から神聖術という神の奇跡を学んできた。
優秀な神聖術師だった両親の才能を受け継いだのか、私は神聖術を習い始めてからすぐに頭角を現してきて、周りからは天才を褒め称えられるようになった。私も周りの期待に応えるように懸命に努力を続けて、メキメキと力を着けていった。
そして、私が一五歳になった時、教会に一人前と認められて正式な神聖術師として迎え入れられた。
正式な神聖術師として認められた私は、その後も着々と任務をこなしていき、着実な努力を重ねていった。そして去年、一七歳になった私は教会にある任務を与えられた。
それは、魔術結社、『神秘の記録』に所属していると思われる、とある魔術師の調査だった。
魔術結社、『神秘の記録』といえば、裏の世界では知らない者はいないほど有名な魔術組織だ。他の大規模な魔術組織と比べるとメンバーこそ少ないが所属している魔術師は凄腕ばかりで、魔術師たちの相互関係を計る機関である『魔導連合』では中核を担うほどの力を持っている組織だ。
また彼らは、本来なら誇るべきものである自身の名を、人前では名乗らずに活動してことでも有名で、大半の者は通称で呼ばれている。
かつて神堂教会と魔術組織は敵対関係にあったが、魔導連合が設立してからは、魔術師たちの表立った行動が無くなり、自らの存在を秘匿し始めたこともあり、現在は教会も連合に加盟している。
神の教えを守り殉じる教会と、神を蔑ろにし神秘を探究する連合とでは、価値観が著しく異なるため両者の関係はお世辞にも良好とはいえない。というより、裏では頻繁に衝突している。
そのため、この任務を伝えられた時は、特に疑問を感じなかったが、その任務の対象を聞いて驚くことになった。
その調査の対象は、《異端者》という異名を持つ魔術師で、詳細は不明だが年齢は私と同じでまだ十代らしい。異名のことも気になったが、自分と同じく十代という若さで正式な魔術師として活動していることが驚きだった。
聞けばこの魔術師は、かの有名な『神秘の記録』所属の凄腕の魔術師である、《破壊の戦姫》の弟子ではないかという噂が囁かれ、十歳前後という年頃で正式な魔術師として活動を始めたらしい。私も天才といわれていたが、十歳の頃ではまだ神聖術の基礎を一通り学び終えた程度だったため、その凄さは良く分かる。
その魔術師の名前は知られていないが、かなりの腕を持つ術師らしく、二つ名だけは知れ渡っていた。
魔術師、《異端者》が初めて姿を現したのは五年前であり、とある外法魔術師たちが起こした事件を禁忌審問会が動く前に、その当事者たちをたった一人で全滅させたといわれている。
その後も、大規模な事件が起こた際にたびたび目撃され、“その既存の原理を無視した奇怪な術”を操ることから《異端者》と呼ばれるようになった。
何故《異端者》が『神秘の記録』所属といわれているのかというと、その戦闘スタイルのためであり、原理不明の魔術はともかく、接近戦では変則的な魔闘技を操っていて、その技が《破壊の戦姫》に酷似していることから、正体も所属も不明だった《異端者》が『神秘の記録』所属しているのではないかと囁かれるようになった。
私は何故その者が調査の対象になったのか訊ねると、その魔術師は禁術に手を染めている可能性があると伝えられた。
禁術とは、文字通り禁じられた術のことで、この魔術は教会だけでなく『魔導連合』でも正式に使用を禁じているものだ。闇落ちし禁術に手を染めた魔術師は、外法魔術師と呼ばれ、彼らの大半は連合に加盟していない結社の魔術師で、教会と連合に加盟している組織の共通の敵である。
外法魔術師たちは、“魔術至高主義”という思想に従って行動していて、かなり過激な活動をしている。
魔術至高主義とは、「魔術師こそが至高の存在でありその他の有象無象は全て無価値なもの、そのため魔術師は自らの願いを叶えるためなら何をしてもいい」という考え方だ。
これは、古い時代の魔術師が持っていた思想を色濃く受け継いだものであり、現在の結社の魔術師もそれに通ずる思想を持っているが、自らは存在を秘匿するため目立つ行動はしていない。
しかし、外法魔術師は神秘の漏洩や自らの存在が公になることを恐れず、関係のない一般人にまで何のためらいもなく手を出す、欲望に忠実な危険な者たちだ。そのため、教会だけでなく連合からも敵として認識されているのだ。
話を戻すが、《破壊の戦姫》は日本出身といわれていて、教会の上層部は《異端者》が普段は普通の高校生として生活しているという情報を入手した。私がこの任務に選ばれたのは、対象と同年代なうえに日本人の血を引いていることから、この調査に適していると判断されたからだ。
確かに、外国からいきなり何の繋がりがない者が同じ学校に転校して来たら警戒されるだろう。しかし、祖母が日本人である私ならば日本に移り住んでも違和感は少なく、学年が同じなら対象に近づくことも容易だ。
私はこの任務を帯びると、すぐに日本に向かい調査対象が通っていると思われる高校に潜入した。
――――そして、私は、神威真羅と出会った。
彼の第一印象は、至って普通の高校生だ。私は初めて彼に会った時、彼が《異端者》だとは夢にも思わなかった。確かに彼は不思議な雰囲気を纏っていたが、特に怪しいところはなく、ごく普通の高校生だった。
しかし、事前に教えられた情報から彼が《異端者》である可能性が高かったため、私は彼を調査することにした。
彼の情報を集めるべく、私は彼と親しい者たちに接触した。その過程で、彼と親しかった天崎詩音が魔術師であることが分かった。
だが、二人はとても魔術師には見えなかった。
真羅はいつも眠たそうに授業を受け、休み時間はクラスメイトと雑談をして笑っている。その姿はどこにでもいる普通の高校生そのものだった。
詩音は誰にでも優しく、とても魔術師とは思えない少女だった。しかも彼女は、任務で正体を隠している私にまで、特に警戒することもなく笑顔で接してきた。
本来、魔術師というのは利己的で自分の願望に忠実な者たちだ。しかし、学校で見る二人はそれとは懸け離れていた。神聖術師である私から見ても二人は、自分を偽って役を演じているようには見えなかったし、ましては《異端者》などという怪しげな魔術師には全く結びつかなかった。
その後も、二人のことを詳しく調べてみたが、家の都合で海外によく行っているということ以外、特に怪しいところはなかった。
二人に出会って一年が経っても、大した情報は得られなかった。
そして、これ以上彼の情報を集めるのは無理だと諦め始めていた時、私はこの異世界に召喚された――。
目の前にいる神威真羅は正真正銘、魔術師だった。
それも、私より……いや、私が今まで出会ってきた全ての魔術師たちよりも遥か高みにいる化け物だ。
事前に話を聞いていたため、かなりの使い手であることは分かっていたが、ここまでとは想定外だ。
「んっ? もう終わりか?」
真羅は不敵な笑みを浮かべたまま、肩に担いでいた不可視の何かをこちらに向ける。
そのとき一瞬だけだが、彼の持っていた何かが朝日に反射して鋭い切っ先を見せた。
恐らく、彼の持っているものは、魔術で作り出した剣なのだろう。
「そろそろ誰か起きてくる時間だ……こっちも終わりにしよう」
真羅は笑みを消し、鋭い眼光を向けてくる。
それに対して私は、彼の実力の片鱗を見せつけられ、身動き一つできなくなっていた。それほど、彼と私の間には大きな差があるのだ。
まだ、この男の実力を正確に見極めたわけではないが、自分では敵わないことだけは理解できていた。
「消えろ」
そう低い声で呟いた真羅は、目にも留まらぬ速さで不可視の剣を振り下ろした。
私の目には、真っ二つに切り裂かれ鮮血を噴き出す、自分自身の体が映った。




