百鬼夜高へようこそ!
ぴぴぴぴ。
まどろみの中、iphoneのアラームアプリの音が聞こえていた。ぼくは大きなあくびをひとつして、布団の中から携帯電話に手を延ばす。が、当たりどころが悪くて、畳の上を滑って、手の届かないところに行ってしまったようだ。音が遠のく。
――起きるか。
山田はじめ。彼は布団からのそのそと起き上がりながら、彼は指折り数える。頭の中には共同食堂にデンと置かれている大型冷蔵庫の中身がまるまる記憶されている。
最近特に増えた魑魅魍寮の住民のスケジュールを把握している彼は、どれだけの規模の朝食をつくり、いくつのお弁当お作ればいいのか、寝ぼけた数えていた。
もともとは朝が苦手な方だったが、こう、頼られてはやっていくしかなく、いつしか慣れていった。
「ヒトーさんとまどかさんが朝から仕事で、おうまとねーさんと姦姦蛇螺、あとは尾裂課長か。夏姫さんは椿のところに泊まってくるって言ってたし。あ、楸がまたサボって入り込んでたな。昼食は――」
「もー、はじめくん、早い……」
布団の中からくぐもった声が聴こえてくる。まだ日が昇っていない時間だから仕方がない。とりあえずカーテンだけ開けて、布団を踏まないように部屋を出る。
「朝、何がいい。ともえ」
「ぃぁ。はじめくんの手料理ならなんでもおk……」
すぅすぅと寝息が聞こえてきた。山田はじめは欠伸をひとつ噛み殺しながら、共同食堂の電気をつけて、エプロンを結ぶ。
共同食堂の床で、日本酒の瓶を抱きかかえながら眠りこけている楸紅葉の姿があった。たしか昨日の夕食時にふらっと現れて『椿んちで飲み会だってさー。俺は呼ばれてないんだぜー。そりゃー、担当季節だから仕方ないけどさー』とラッパ飲みを始めた。
『だったら行きゃいいじゃん』とぼくが言うと、『サボってることがばれるだろー?』と、この街で一番、持ち場を離れたことがわかりやすい職種の人が叫んでいた。
「お、かみつきの少年じゃないか、はろー」
「しじみの味噌汁な」
「助かるわ、お兄ちゃん♡」
声だけ、楸 曼珠沙華のものだったが、二日酔いでそんな余裕もないのか、ダメOLのままで言われたものだから、ぼくはもう一度部屋から出るところからやり直したくなってきた。
「それにしてもマメだよな。いい主婦になれそう」
「そりゃどうも」
料理ももともとは苦手だったっけ。でも、母のすすめでこの魑魅魍寮で暮らし始めてから、めきめきと自活能力が身についてきた。母のもとでは毎食カップラーメンだったから、仕方ないのかもしれなかったけど。
朝食が必要な者全員分の味噌汁をぐつぐつしつつ、だし巻き卵を量産していく。それが終わったら、たこさんウィンナー。水筒に入れる用のパックも、下の棚から取り出して、ポットの電源を入れる。
「おはよー」
「あれ、姦姦蛇螺、早いですね」
のれんから顔を出したのは、少女の上半身に6つの腕、下半身は大蛇の異形の特異生物だった。6つの腕で器用に伸びをしながら、にょろにょろと席に着く。
「昨日の晩から筆が乗っちゃってさ。でも、六本の腕でタイピングするの逆にごちゃごちゃしちゃうかも?」
「おつかれさま。卵は生が良いですか?」
「そこまで蛇じゃないもん」
あの戦いは姦姦蛇螺はじめ怪異三人衆がいたからこそ勝てたようなものだ。それからは出雲に捉えられる前のように、この魑魅魍寮で暮らしている。
彼女が執筆している小説は、『朝までチェリーブロッサム!』のCM効果もあり、八百万ちゃんねるではわりと人気のようだった。いまは腕が六本あっても足りないと、ばりばりキーボードを叩いている。
「あ、はじめくん」
「なんですか」
「一人分、多いよ」
量産し始めただし巻き卵。たしかにそれは朝に計算をした数だけ作っていたのだけど、よくよく考えれば、姦姦蛇螺の指摘のとおりだ。数え間違いだ。
「……ぼくのお弁当用です」
「そうかい」
姦姦蛇螺は特に触れることもなく、頬杖×6をついて、ぼくを見つめるばかりだった。ため息一つ。
※
必ず帰ると約束をしたねーさんは、出雲から帰ってきたぼくたちを迎えることはしなかった。よほど時間がなかったように見えて、共同食堂の食卓の上には、小さなメモ帳に、二言だけペンで書かれていた。
『ごめんね、みんな』
『ほんとうにありがとう』
あの愉快なダメ管理人は、もうここにはいない。
※
「ぃぁ、はじめくん、それはまだ心の準備的なものが……。さすがに痛いょ、やめてほしいな」
「え、でも、したいし」
朝食を終えて制服に着替えて、いざ登校というところで、ぼくが背中に担いでいた大鎌を見咎められた。
「……イタすぎる。ラノベの主人公でもそんな真似はしないよ」
「ともえに何かあるといけないから」
出雲中央政府のそらなきとの戦いを経て、その監視体制は緩んだのだが、まだ末端までの命令系統がしっかりしているとは思えなかった。ましてや政府に殴り込みに行った面子なのだ、逆恨みをしている役人もいるかもしれない。
「お主の『神憑』なんぞなくても、わらわがどうにかするからよいよい」
ともえの髪がざわついて、狐耳のようなものが現れる。その瞳が金色に輝いて、声音が変わる。『鬼斬り』稲荷いの。そらなきの一撃で存在を失いかけた彼女は、ともえと共に尾裂課長の管狐となることを選んだ。
「そらなきに対してまだ怒りが収まらないのじゃな。なんなら己の鎌で殺してやりたいとさえ思っておる。わらわはともかく、わらわが受肉させていていたともえまで、存在を失い、尾裂の使い魔扱いになったのじゃからな」
大鎌を握る拳に力が入る。あの戦い、三下にともえとの最終必殺奥義こそ打てたものの、肝心のそらなきには、何も対抗できなかった。狐狗里での戦いと同じく、ともえ一人すら守れなかった。
「じゃが、その気持だけでともえはどうにかなっちゃうくらい悦んでいるのじゃぞ。ほら、いまだって表に出てコン」
制服の肩をぽんと叩かれる。
「お主はただの高校生でよいのじゃ」
※
「わらわも料理くらい憶えようかな、ほら、はじめ君の負担も減るし」
「ともえ、一人称が侵されてる」
「こんこん」
※
「はーい、授業はじめるわー」
何の気なしにノートを広げていたら、どこかで聞いたことのある声がして、ぼくたちは顔を上げた。教卓には、真面目そうな眼鏡をかけた女性がひとりと、西洋の甲冑めいた存在が並んでいた。
「ヒトーさん!?」
「お姉ちゃん!?」
「はいはい、お二人、そこ座って。『ひょん』なことで特別講師に呼ばれたの。ほら、わたしもともと山田教授のもとで特異生物学専攻していたから、その分野の教員免許持ってるし」
てきぱきと授業の準備を進めていく。ああ、昨日の晩に、やたら小谷間まどかさんの上ずった声が聴こえてくると思ったら、ふたりでこれの練習をしていたのか。てっきりなんかそういうプレイをしているんだと思っていた。ちなみに隣のヒトーさんは荷物持ちらしく、特に口を開いたりはしなかった(口はないが)。
「小谷間まどかと言います。みなさんよろしく。これから12話――、じゃなかった12回をかけて、『魑魅魍魎講座』をやっていくから、よろしくね」
彼女は黒板に『魑魅魍魎』と書こうとしたが、二文字目くらいからぐちゃぐちゃしはじめて、やがて諦めた。こっちに向き直った彼女の後ろで、ヒトーさんが丁寧に『魑魅魍魎』と書いていた。
「この箱庭には多くの不思議な生き物たちが存在しているわ。彼らは時として牙をむき君達を襲ってくるかもしれない。わたしはそんなやつらから君達を守る為に地獄の底からやってきた正義の使者なのかもしれない」
「……」
「この世はわからないことがたくさんあるわ。ねえ、この教室には人間以外にも、『ドラゴン』だったり『リザードマン』だったり、あとは、『ドレイク』とか……、嫌に爬虫類が多いわね。いろんな生き物がいます。みんなは進化論は知っていると思うけど、その理屈じゃ、この状態は説明できない。でも、『魑魅魍魎学』を使えば体系的に理解ができるわ!」
その後、小谷間まどかは水を得た魚のように喋り始めた。いつもは寝ている『青龍』も顔を起こして聞いていた。あ、あいつ出雲で逢ったときにどっかで見た顔だと思ったけど、ここの生徒だったのかよ。何が四聖獣だ。
「通称『竜族』は爬虫類だから変温動物。だけど、みんなはわりと、ヒトみたいに恒温動物のように振舞っているわね。その秘密は、体内にあるガス袋。もともとは牙をこすりあわせた火花で焔を吐く仕組みだったけど、冷たくて動けないんじゃかっこがつかないから、自身の熱を担保するために使うようになったのね」
つらつらと喋り続ける小谷間まどかの講釈はやがてチャイムの音で遮られることになった(正確にはそれでも止まらなかったが、ヒトーさんが止めに入った)。
「あ、はじめくんとともえちゃん、2人には担任の『ヤマノケ』先生から言伝があるから。何の部活にも入ってないのはお前たちだけだから、早く入部届出せ、だって」
四聖獣のあいつ、なんかの部活に入ってるのかよ。
※
「で、どうする。はじめ君」
「うーん」
ぼくたちは基本的に帰宅部だった。それもそのはずで、ぼくは魑魅魍寮の食事係だったから部活をやるひつようもなく、ともえに関してはぼくと一緒に帰っていたから。
ゴールデンウィークには稲荷いのの事件が起こり、四季姫事件、そらなき強襲に始まる出雲攻略。ずっと部活なんて考える余裕もなかった。というか、百鬼夜高自体、あんまり意識していなかった。もしこの一連の騒動を、姦姦蛇螺あたりが小説にしたためた場合、百鬼夜高の中の話はほとんど出てこなかっただろう。
「意識するといろんな部活があるんだな、なんだよ、洗車道って」
「こっちには黒魔術部だって。『魔道士時代にようこそ!』って。こっちは白魔術、あ、ピンク魔術やビリジアン魔術まで!」
「ともえは何に入る?」
「お料理クラブかなあ。はじめ君は?」
ぼくは迷いながらも掲示板に貼られたあるポスターを指差した。それは興味があったにはあったのだけど、いままで料理やら戦闘やらで手が出せなかったものだ。
「……う。あ、でも、はじめ君が選ぶなら、まあ」
いろいろなことに巻き込まれ体質で、自分でこうだと選んだ機会はほとんどなかった。魑魅魍寮の管理は多少サボるとして、これからは自分のやりたいことをめいっぱいされそうな気がした。
ただの百鬼夜高の生徒として。
※
廃部寸前のその部活で人集めから始まって、四聖獣のあいつと意気投合したりしてなんやかんやで全国大会に出場したり、その部活を悪用して世界征服をたくらぬ博士と戦うようになったり、ときには学校の屋上でともえとサボったりするようなぼくたちの日常風景は、また別の物語。
あと二話。




