わたしは残酷だから、ここから先は何も手出しをしない。
ガルガンチュアの箱庭の大きさは、この魑魅魍魎が跋扈する世界で言えば、約五千万平方キロメートル強。世界としてはあまりにミニチュアであるが、移動しようと思うと、かなりの広大さを誇る。
「ぽぽぽー」
「あんたは気楽でいいねえ」
八尺様を頭に載せた姦姦蛇螺は、もう何時間も歩きっぱなしだった。もとい、這いっぱなしだった。なまじ大きな箱庭出なかったことと、長距離の移動にほとんど必要性がなかったことから、前科持ちの彼女が利用できる公共交通機関などなかった。
それに、八尺様も出雲中央政府に姿を隠している身であるから、あまり目立たないほうが良いとの判断で、ひたすらナメクジのように出雲に向かって這っていたのだ。
政府の混乱から、あやか市を出ても『他のどれでもない季節』なのは半変温動物として助かるところだったが、下級スタッフである彼らには魔法も使えず、物理的な距離だけはどうしようもなかった。
「しりとりしよう。たんぽぽ」
「ぽ」
「お わ り」
という謎の暇つぶしはもう百回を数えていた。
「ぽぽぽ」
0.八尺様が騒ぐのでそちらのほうに頭を向けると、そこに広がっていたのは田園地帯だった。その真ん中に、人型なのだが、異様なシルエットがひとつあった。
「くねくねさんだ。おーい、くねくねさーん!」
身体をくねくねさせているその白みがかった人型は、くねくねとこちらに近寄ってくる。姦姦蛇螺、八尺様と同じ、滅亡前の人類が生み出した欠陥品、特E生物。その容姿や特徴は、21世紀初頭にインターネット上で語られていた怪談と酷似しており、その名前が冠せられた。そして、遊園地へと運ぶバス『超巨大移動六脚都市ガルガンチュア』において、いわゆる『悪いことをしたら、姦姦蛇螺が襲ってくるよ!』『がおー』という役割を担っていたのである。
「かくかくしかじか! 久々に出雲でひと暴れしちゃいましょう」
「……(くねくね)」
「それじゃあ、いきましょう!」
と、六本ある腕を天にかざした姦姦蛇螺に対し、「ぽー!」「……(くねくね)」という賛同が入った。傍から見ればかなり異様な集団である、姦姦蛇螺と八尺様とくねくねさんのパーティの完成だった。
「……そろそろコミュニケーションが取れる仲間が欲しい」
「ぽ」
「……(くねくね)」
※
そのころ、すめらぎおうまは、四瑞の残された一匹『鳳凰』と戦っていた。
ちなみにこの大広間、反対側では山田はじめと小谷間ともえが合体技であの大きな霊亀を倒していた。振り返ってその様子を見つめていたおうまは、呆れてため息を着いた。
「強力なのはわかるけど、何もあそこまでしなくても……」
「果たしてよそ見をしている暇があるのか、皇の失敗作よ」
「ある。けど、ない。ほんの些細なミスもぼくには赦されないからね。無事に帰ると、約束したんだ」
極彩色豊かな翼を広げた方法が、上空からこちらを見下ろしている。そのオッドアイが嘲るように歪んだ。
「ほう、故郷に恋人でも残してきたか」
「恋人じゃない。彼女にはぼくより大事な人がいる」
拳を握る。そう、それはまだ幼いぼくでも理解できる『事実』だ。九十九の過去は知らない。けれど、彼女の瞳はいつだって違う世界を追っていたように思えた。
「でも、ぼくには彼女より大事な人はいないから」
必ず帰ると約束した。いまの覚醒した皇流の力と『鬼』の力を使えば、こんな配下の魑魅魍魎に手こずるわけもない。が、万が一ということもある。
腕を失ったり、角が欠けていたら。そんな状態で魑魅魍寮に帰ったら、きっと九十九は心配をするだろう。自分がそのような状態になったかのような辛い表情をするだろう。それは、いやだから。
「小さいな」
「なに?」
「小さいといった。そのような情に溺れて、復讐のために、千年の秩序を破壊するというのか。『鬼』め。そらなき様がどのような犠牲を払って、この出雲中央政府を立ち上げたのか――」
たしかに、そらなき――ぼくのご先祖様と、ぼくは対照的だった。ぼくの行動の中心にはいつだって九十九がいる。母様を殺されたことに対する怨みもあるけれど、それ以上に、このままでは魑魅魍寮が安心して住めない場所になるのが嫌だった。
それに対してそらなきは、穢見ルが言っていたことによると、千年前に秩序のために、恋をした少女をひとり犠牲にしたらしい。システムの安定化のためには必要だったというが、絶望と混乱の続く社会を『観測』したうえで、それはきっと辛い『選択』だったのだろう。
――でも、もう、ちがう。
もうそろそろヒトを信じてあげてもいいはずだ。
「小さいよ。ぼくらは小さいんだ。だけど、だからこそ守っていきたいものがあるんだ」
「なんて情けのない奴だ」
「なんとでもいうがいい。ぼくはそんなぼくを『信じている』。この『意志』は誰にも否定できるものじゃない。さあ、戦おう、鳳凰。この物理法則が『意志』に説き伏せられる世界で、どちらが強いか、決めようじゃないか」
九十九。
魑魅魍寮を出てからどれだけが過ぎただろう。この出雲の社と呼ばれる場所は、法則改変の影響が濃すぎて、時間感覚が薄れてしまう。
九十九、ぼくの恋は実らなくていいんだ。ただ、あなたがあそこにいて、のほほんとしてくれていれば、それでいい。だから、戦えるし、だから、帰るんだ。みんなで一緒に、賑やかな、あの魑魅魍寮へ。
※
もうiphoneの画面は滲んでしまって、文字列はよく見えなかった。わたしは画面においた指を離せないまま、口も動かせず、ただただ固まっていた。
何を話せば良いのかわからない。
何を考えれば良いのかわからない。
わたしの中に沸き立つ空虚で密度の濃いこれが、後悔なのか、歓びなのかすらわからない。ただただわたしは固まっていた。やがて、一定時間操作されなかった画面がブラックアウトする。
「なに、これ……」
わたしの人生で一番といっていいほど回転した頭脳が導き出したしょうもない言葉だった。『観測』はした。ああ、これが穢見ルのいう『正しい観測』なのだろう。わたしはずっと眼を背けていた。
でも、『理解』がまったくできない。
「それが何か『解釈』するのはあなた次第よ、九十九」
共同食堂のテーブル、対面に再び穢見ルが腰掛ける。『件』は閉じられたまま。時計の秒針のカチコチという音が、頭に響き始める。
「わたしは残酷だから、ここから先は何も手出しをしない。『観測』をしたものに課せられる義務は、『解釈』、そしてそれを受けて『選択』をすること。ガルガンチュア(はこにわせかい)の交接はまもなく終わるわ。あなたの得意技の先延ばしも、きっと通用しないでしょうね」
「……どうしてもっと早くに」
「それはわたしの台詞。尾裂課長の四季姫事件の件にあなたはなんてコメントした? 察してくれると期待していたけれど、十話経っても二十話経っても、なにもしないまま!」
主人公。舞台。
穢見ルはそういった言葉を多用する。きっとこれが『物語』だとするならば、いま、わたしにスポットライトが当たっているのだろう。テーブルのiphoneを見つめたまま、凍りついているわたしが舞台にぽつんと在るのだろう。
「……」
顔を上げると、既に山田穢見ルの姿はなかった。
『つくものことは好き。大好き。だから、ぼくがここに帰ってくる理由になっていて。ここでのほほんと待っていてくれれば、それでいい』
不意に、おうま君が旅立つときの言葉が脳裏に響いた。
やっと、くねくねさんが出せました。




