そう、この子がこの魑魅魍寮の住人の最後のひとり、『鬼』
前回のあらすじ。従兄弟のパジャマくんかくんかしようと思ったら、座敷童にバレた。
「二階は基本的に女性が住んでいます」
ぎしぎし言う階段を登りながら、手の中のひょん君がそう言った。
「たしか柊さんは201号室だったっけ。って、わたしは101号室なんでしょ? 女性、女性!」
「自分が一階に住んでも安心できるような管理をしてくれ、との先代の意向です」
「ぐぬぬ」
二階の廊下はわりかし掃除が行き届いているようだった。と思ったのもつかの間、明らかに向こうの方の扉の前が雑然としている。廊下に無数のゴミ袋が積んであるし、Amazonらしきダンボールもうず高く詰まれている。あそこは一階で言うところの管理人室の真上、即ち201号室、憂姫さんの居室である。
「なんか納得」
「でしょう?」
とりあえずそこから見ていくことにする。ネームプレートには『ひいらぎ♡ゆき』と書かれており、アイコンは雪だるま。その隣には自撮りしたらしい画像のシールが貼り付けられていた。なんか童貞を殺しそうな服を着ていた。吹き出しが描かれており、『勝手に入ったら必ず殺すにゃん』と書かれていた。
「おお……」
「あんまり中には入ったことないんですが、なんかものすごいパソコンと電子機器に囲まれた部屋でしたね……。いろんなキャラクターのクッションとかグッズも雑然と置かれていて、腐海というかなんというか」
「若干、親近感を憶えそうな内容ね……」
わたしも元彼氏と半同棲みたいなことをしていたが、絶対に開けてはならないとしたクローゼットの中はそりゃあもうすごいことになっていた。『腐』海とはよくいったもので、薄い本が積み重なってタワーになっていたり、何かの拍子で買ってしまった模造刀とかテニスラケットが封印されていた。
「入ると殺す。うん、わかる。100パー殺される、やめときましょう」
彼女は基本的にこの部屋にこもっており、『八百万ちゃんねる』だとか『Faithbook』に入り浸っているのだという。夜中に奇妙な声が中から聴こえるらしいが、なにそれこわい。しかしオタクだということがわかって嬉しい気もした。今度、お話をすることがあれば、こちらのサブカル事情について聞くとしよう。
二階の突き当りが、この憂姫さんの201号室。202号室と204号室は空室らしい。203号室にはネームプレートは掲げられていなかったが、ひょん君曰く、ここには誰かが住んでいるそうだ。最近越してきたばかりでまだネームプレートが出来ていないのだという。
「また気が向いた時に憂姫さんが作ると思います」
「あの子が作ってるの!?」
「しっ。ここの住人はこの時間眠っていますから、お静かに。憂姫さんすごいですよ、こうパソコンに向かって、鉛筆みたいなやつで書き書きってしてます。ここの住人ですか? それは出逢ってからのお楽しみということで」
ちなみに三階はまるまる空いているそうだが、半分はベランダというかバルコニーになっており、残りの二部屋はぶちぬきで、宴会用に取ってあるらしい。
「その分、家賃が入らないということでは?」
階段を昇り、誰もいない三階でわたしはそう尋ねた。
「まあ、いいんじゃないですか、こういう部屋があっても」
「巨大な生物が越してきたときに使うとか?」
「どうやって三階まで昇るんです?」
「空から、来るとか」
「まあ、在り得ないわけではないでしょうけど、かなり位階の高い生物ですよそれ」
階段を二段降りて、一息つく。
整理をすると、一階には管理人他男性二名(+座敷童)、二階は女性が二名、三階はなし。つまるところ半分以上の部屋が死んでいるというわけだ。せっかくだからがっぽり稼ぎたいのに、これは辛い。もう少し住人を増やすためのいいアイディアはないものだろうか。
「こちらが管理人室です」
「おじゃましますー、って誰も居ないか」
と冗談を言いながら入ると、誰かいた。「ふぇ!?」とびっくりしたような声を上げて、ベッドで漫画を読んでいたらしいショタが飛び跳ねた。ここに来ての更に追い打ちでショタとはこの世界を作った奴はかなりわかっていると思いつつ、わたしは管理人で、ここは管理人室――、ひょん君はマスコットキャラクターだからここにいていいとして、この男の子は誰なのだろうと、そしてすげえ可愛いな、と頭の中のスーパーショタコンピュータが回転していた。
「だ、誰……なのじゃ?」
少年はまだ10歳かそこらだろうか。大きなクッションを盾にするようにして、こちらを覗いているし可愛い。ふるふると震えている。よく見れば、短い髪を押しのけて、額の二箇所に突起物がある。あと極度の人見知りなのか、顔が真っ赤だ。
ああ、これは小さなころにお伽話で見たようなとってもメジャーなキャラクター。いや。でも。わたしの中の記憶の糸が警鐘を鳴らしている。わたしはこの世界に来てから、その種族に関する情報を得たことがあるはずだ。たしかそれは――、特異生物自立支援法に関するニュースだ。
最後に紹介されたのは、『鬼』。古今、この国ではもっとも有名でもっとも力を持っていた特異性物の一族だったが、ある事件をきっかけに激減し、いまでは完全に絶滅してしまったようだ。
「そう、この子がこの魑魅魍寮の住人の最後のひとり、『鬼』。すでにこの国では――いえ、この世界では絶滅されたとされている特異生物。かつて神に最も近づき、そしてそれが故にある一族に滅ぼされてしまった種族。この子はまだ子供ですが、れっきとした『鬼』なのです。九十九さん、ここで管理人をするのならば、このことだけは絶対に覚えておいてください。この子は決して外の世界にバレてはいけないのだ、と」
ひょん君が嫌に神妙な面持ちで語る。鬼の子はぷるぷると震えている。わたしはそれほどひょん君がもったいぶる理由がまったくわからなかった。たしかに『鬼』といえば、多くの創作作品の中で暴力的なイメージで描かれることが多い。怪力乱神、三歩必殺、鬼の手。パッと思い出すだけでも、その創作世界の中で随一の影響力と存在感を持っているモンスター、それが『鬼』だ。
けれど。
ここは『魑魅魍寮』。異世界だ。デュラハンリーマンが許されて、『冬』という概念の八百万の神が許されるような世界なのだ。特異生物自立支援法、特異生物差別解消法、詳しいところまでは知らないが、彼に対する法整備は万全に整っている、はずだ。
「九十九さんの考えていること、わかりますよ。そしてそれは誤りです」
「え、『なにこのショタ可愛い』ということ? 誤りなもんですか!」
「マジでそんなこと考えていたんですか? ドン引きですよ」
鬼の子の震えが一層激しさを増している。
「『鬼』という特異生物は現行のあらゆる法体系から守られていないんです。想定がされていませんから。鬼は他ならぬ人の手によって、一匹残らず根絶やしにされた――、それがこの世界の基本原則、大前提なんです。この子の存在はこの世界の常識をまるまる覆すものとなります」
無意識にわたしは一歩後ずさった。世界を覆す? てっきりニホンオオカミだとかトキのレベルのお話だと思っていたが、ひょん君の説明はわたしの想像をはるかに超えていた。人が鬼を駆逐したという事実。それはこんな小さな子ひとりすら許されないことなのだろうか。
あるいは――、こんな小さな子ひとりでもそれほどの影響力があるということなのだろうか。
「そんな……、でもどうしてこの子は魑魅魍寮に……。それってもしかしてわたしがここに呼ばれたことと関係があるわけ?」
「関係ないわけがないでしょう、だってあなたはフェッセン――げふんげふーん」
あからさまに怪しい誤魔化しをするひょん君に、わたしが冷たい視線を浴びせる。が、袖で顔を覆ったひょん君は続きを言おうとはしない。残念ながら困ったことに、彼が説明をしてくれないと、異邦人であるわたしは何も知ることができない。ましてや世界の根幹に関わるようなことなど。
自分が何者であるのか、そんなことすらわからない薄ら寒い想いをした。右の手のひらを開いては閉じる。世界を滅ぼす力がここに備わっている? あるいは世界の危機を退ける聖なる力がここに宿っている? 震えた。けど、不意に、気づく。前の世界でも自分が何者であるのかわかっていなかったじゃないか。それに、わたしはここで不労所得を得て、ぐーたら過ごすのだ。そんな妖怪大戦に巻き込まれるようなことなんてあるはずがない、なろう小説じゃあるまいし。
「ふぅ」
大きく吸って、自然に吐く。
「ごめんね、鬼の子さん」
わたしは彼が震えているベッドに近づいていく。
『鬼』。その単語がこの世界でどれほどの意味を持つのかはわからないけど、せめてこの魑魅魍寮の管理人であるわたしだけは怖がらないでいてあげよう。さっき無意識に脚を引いてしまった。きっとこの子は、本人の責めに依らない恐怖にいつも晒されてきたのだろう。だから、事情を知らないわたしだけは、ひとりの可愛いショタとして接してやらなければならないと思ったのだ。
「ひっ……」
頭を撫でると、人と変わらぬ体温を感じた。
「怖がらないで。大丈夫。君、名前は?」
クッションで口元まで隠しながら、顔を真っ赤にしたその鬼は、小さく呟いた。
「……おうま」
「おうま君ね。わたしは山田九十九、今日からここ、魑魅魍寮の管理人になったの。これからよろしくね」
握手握手、と手をひらひらさせると、クッションの隙間から小さな手を出してぎゅっとしてくれた。少々爪が尖っているくらいで、ほかは人間の子どもと何一つ変わらない。ひょん君が仰々しいことを言うものだから驚いてしまったのだけど、なんだ、ぜんぜん可愛いじゃないか。
握手をしていると、背後の扉からコンコン、という音がした。「ひぃ……!」とわたしはどこから出たのかわからないような声を出した。おうま君が怖くなくて、可愛いのはいいとして、ひょん君が言っていた、彼を隠さなければならないということは事実だ。黒ずくめの男二人にグレイめいて連れされるおうま君を想像して、わたしは、ベッドの前に両手を広げて立ちふさがった。
「おうま君はわたしが守る!」
バン、と開け放たれた扉の向こうには、どうやら扉を脚で開けたらしい憂姫さんの姿があった。相変わらず芋っぽいジャージ姿で、両手にはなにやら機器を抱えている。随分雑に持ってきたようで電源コードが床まで伸びている。
「ん、ああ、管理人さん?」
「ここには鬼なんていないんだから!」
「いるじゃない、少し鬼の子貸してね。これからゲームをやる約束なの。ね?」
「ふぇ……?」
わたしがキョドっていると、ひょん君が耳元まで駆け上がってくれた。「彼のことはこの魑魅魍寮全体の秘密だから、この内部では隠さなくていいですよ。いやあ、逞しかったです、なんでしたっけ。おうま君はわたしがまも、ふぐぅ!」
思いっきり握りしめたら潰れた蛙のような声を出した。
次回:第十話『山田九十九と人生で一番長い日』
次回で『魑魅魍寮へようこそ!』第一章が完結します。