その神に対する『畏れ』が『怖れ』に変わってしまったら?
――物語は遡る。
奇想天街、鎮守の森、四季社にて激しい戦いが繰り広げられているころ、ひとりの少年が魑魅魍寮で膝を抱えていた。10歳程度のみかけのその少年のおでこには、小さな角が2つ存在していた。
「……さむい」
ヒトーとまどかが深刻そうな顔をして飛び出していってから、共同食堂のゆきはまるで氷の女王のような表情で、ただ一点を見つめていた。共同食堂から玄関にかけては、溢れだした彼女の力の影響で凍りづけになっているし、そもそもこの家から出られないぼくは、管理人室で毛布にくるまって膝を抱えているしかなかった。
「つくも、おそいな」
もしかしたら、ぼくを置いてまた何か複雑な事件が起こっているんじゃないだろうか。とはいえ、外に出られないぼくには把握のしようがない。
前もそうだった。つくもが連れだしてくれたけれど、たぶんそれが原因で、あの狐に襲撃されることになった。つくももヒトーもはじめも戦ってくれた。ぼくを、隠し通すために。
「……どうして」
どうしてぼくは『鬼』なのだろう。いや、この世界には様々な種族のいきものが存在しているから、『鬼』であるということはいいとしても、なぜ、みんな、ぼくをいちゃいけない存在のように扱うのだろう。
何時間が経過しただろう。
ゲームはひとりでやってもつまらないし、ぼくはひたすら『鬼』がいちゃいけない理由を考えていた。ほかの『鬼』は殺されてしまったのだという。誰かに迷惑をかけたのだとしても、そこまでされるいわれはないだろうし、ぼくひとりいたところで、誰も恐ろしくなんてないはずだ。
「どうして」
「冥土の土産に教えてやろうかの」
数十回目のどうしてに呼応するかのように、そんな言葉が聞こえてきた。この口調は。蛇に睨まれた蛙のように、ぼくはゆっくりと振り返る。そこには百鬼夜高の夏服に身を包んだ少女がいた。
こたにまともえ。
その髪が頭の横で盛り上がって狐の耳のようになっている。
「ここにはいま山田はじめはおらん。九十九もヒトーもおらんし、柊はそれどころではあるまい。」
「ぼくをころしにきたの?」
「わらわは出雲中央政府から委託された『鬼斬り』じゃ」
ぼくは立ち上がった。
あのとき、魑魅魍寮が狐に襲撃されたとき、ぼくは何もすることができなかった。そのためにヒトーもつくもも傷ついてしまったのだ。
『今度はぼくがつくもを守るから』
そう誓った。
「いつじゃったか。この箱庭が『鬼』に侵略されたとき、この世界は本格的に崩壊の危機を迎えた。そのときわらわは出雲中央政府によって封印を解かれて、数多の『鬼』を斬った。魂絶しなければやつらの脅威は消えないのじゃな」
『鬼』。
ぼくは自分がそれでありながら、それがなんなのかを知らない。ただ額に二本の角の生えた、出雲中央政府がそれを怖れる存在。これだけ特異生物の権利が叫ばれているのに、まるで病原菌のように絶滅させられなければならない存在――。
「八百万の神々は知っておるな。知らなければ柊を思ってもらえればいいのじゃが、彼らは『信仰』を得るために『恵み』をもたらす。出雲中央政府もやっていることは同じで、規模が違うだけじゃな。『信仰』が失われれば、神々は容易に滅ぶ」
稲荷いのはにやりと嗤う。
「――では、『信仰』がマイナスになれば? 存在の消滅などというタイミングを飛び越えて、その神に対する『畏れ』が『怖れ』に変わってしまったら?」
それが『鬼』じゃ。
稲荷いのは告げた。
「『恵み』ではなく『災い』を与え、『信仰』ではなく『恐怖』によってかたちづくられる、堕ちたる神、それが『鬼』。加速度的に『恐怖』を吸収して強大になっていくその過程で、出雲中央政府がせっせと作り上げてきた『信仰』は根こそぎ失われていく。人々の『鬼』に対する恐怖は、『神』への信仰の喪失と同義じゃならな」
おちたる、神。
「ゆきのこと?」
「あやつはぎりぎりで神の領域を逸脱せなんだ。自分の中の『ヒト』が神たる『柊憂姫』を見捨てなかったからじゃ。が、純粋な神じゃったらおそらく『鬼』に落ちていたじゃろう。そして出雲中央政府が全戦力を持ってしてでも滅ぼしたじゃろうな」
「ぼくももともと何かの神様だったの?」
「そこで話は遡る、のじゃ。わらわがあのとき斬った『鬼』は、その世界の信仰を喰らい尽くした別世界からの侵略者じゃった。その世界の神々は滅ぼされ、その過程で『恐怖』を生み出すヒトも絶滅してしまった。そのまま飢えるだけの『鬼』たちは箱庭を超えて、こちらの世界の『信仰』を喰らおうとした」
ま、それは別の話じゃが――と、いのは続ける。
「お主はどうやら、この箱庭オリジナルの『鬼』のようじゃな。心当たりがひとつだけあるが、それは出雲中央政府が最も怖れている事態を引き起こすものじゃ。お主の存在はひとつの世界を揺るがすぞ」
「ぼくが……」
「わらわはこの魑魅魍寮の生活がわりと気に入っておる。が、お主のような地雷を抱えたままではおちおち昼寝もできん。状況が状況だけに、あのとき散歩を見つかったのがわらわであって幸運だったとすら思ってもらわねばならぬ」
稲荷いのは右手を掲げる。あのときの太刀『鬼斬り』はないようだった。右手が狐を思わせる体毛で覆われていき、爪が凶悪に伸びていく。
ぼくは彼女の背丈の半分もないところから、彼女を見上げる。拳を握り、奥歯を噛み締める。ぼくの中の何かが言う。抗わなければならないと。
「出雲中央政府『鬼斬り』稲荷、参る」
「魑魅魍寮『鬼』おうま」
瞬間、台風のような暴圧がぼくを襲った。稲荷いのの拳の一振り。神性存在と呼ばれ、ヒトーやつくもを軒並み倒していった、純粋な異次元の力。
が、ぼくの中の何かが言う。
抗え、と。
「すめらぎりゅう――」
迫り来るいのの拳に、ぼくは小さな手のひらを合わせていく。それは隕石を拳で受け止めるような暴挙であっただろうけど、ぼくにはそれが可能であることを識っていた。
「皇流結界術『八咫の鏡』」
ぼくの手のひらには青色の円環で編まれた力場が形成されて、稲荷いのの拳を何の衝撃もなく受け止める。受け流されて行き場をなくしたエネルギーが暴風のように部屋を荒らし回るが、ぼくが『八咫の鏡』を敷いたその平面よりこちらにはそよ風一つなびかない。
「青色……、じゃと」
この世界の法則に語りかけ、法則改変を促すコミュニケーションツールは光子。そのエネルギーが高ければ高いほど、法則は自らの非を認めて、術者の意志を尊重する。ぼくが展開している紫外にも及ぶ青紫円環はその最高峰のエネルギーだった。
さて。
殴られたならば、殴りにいかなければならない。
「皇流鏖殺術『天叢雲剣』」
ぼくは何をすればいいか識っていた。法則改変によって編み込まれた空間断絶の剣。それはいかな神性存在であろうと、圧倒的な物理的説得力で鏖殺する――、そんな、ちから……。
「いの?」
半ば頭に血が登っていたぼくだったが、目の前の光景を見て、不意に我に返った。左手に展開した『八咫の鏡』、掲げた右腕の『天叢雲剣』、2つの『擬璽』は、それに呼応するように霧のように消えていく。
「無礼を致しました」
「……どういうつもり」
数カ月前にぼくを殺そうとし、いまもなお神性の力を使って殺そうとした稲荷いのは、いまぼくの目の前で頭を垂れていた。いい加減な日常生活とはまるでちがう、厳格な、そう、まるで仕えるような。
「まさか再びお逢いできるとは思っていませんでした。こちらに越して以来、『おうま』というお名前に憶えはありましたが、なかなか近づくことが赦されなかったゆえ」
「……ふつうに喋って」
「のじゃ。では。その皇流の御業を見るまではまさか、とは思っていたんじゃが、わらわの推測は誤りではなかったのじゃ。あなたは、出雲中央政府の追い求める失われた皇子。仮初の皇子と対と為す、正統後継者」
「ぼくが?」
「母君のことは?」
「おぼえてない。気がついたら、ここにいた」
魑魅魍寮は、出雲中央政府からの認識が届かないシェルターであることは薄々気づいていた。誰かがここに赤子だったぼくを運びこんで、政府からは秘匿して育てようとした。
「これでようやく母君との約束を果たせるのじゃ……」
もう少し詳しく事情を聞きたかったのだけど、部屋に飛び込んできた小谷間まどかがそれをぶち壊した。
「ともえ、なにしてるの、憂姫ちゃんが外に出ちゃって! 追いかけるよ! あ、おうま君、無事だった? いのになんかされてない!?」
「だいじょうぶ」
割れたメガネが、何かぼくのあずかり知らないところで進行していることを示唆していた。が、どうやら慌てているようで、事情は聞けずじまいだ。いのは一瞬、狐の瞳でぼくを見上げ、「どうかこのことは内密に」と小さく呟いた。
「ぃぁ! ねーさん、おまたせ!」
狐耳のように盛り上がっていた頭頂部の髪はぱさりと下ろされて、ふつうの小谷間ともえの姿になる。うるさいほど元気な小谷間姉妹がどたどたと外に出て行ったのち、ぼくは魑魅魍寮に一人遺され、しばらく呆然としていた。
――出雲中央政府の追い求める失われた皇子。正統後継者。
知らず知らずのうちに識っていた皇流の秘儀。手のひらを見つめるが、いまはただの歳相応の子どもの手のひらだった。八百万の神々を、ひいては信仰を司る出雲中央政府の皇子が、なぜ信仰を貶されて恐怖を戴く『鬼』に成り果てているのか、ぼくには何もわからなかった。
次回:四季神編(後片付け)一段落




