『神頼み』さ
「ヒトーさぁん!?」
柊憂姫の殺意が巻き起こした8月の猛吹雪がようやく止み、小谷間まどかはモノ言わぬ鎧を見つけて、駆け寄った。
ここに来るまで、『ただの人間』である彼女にとっては、大変な道のりで、何食わぬ顔で吹雪の中を進んでいく柊憂姫に置いて行かれていたのだ。吹雪が止んで走って行くと、四季社はほとんど瓦解しており、憂姫と尾裂課長に見つめられて、夏姫さんが眼を醒ますところだった。状況は一切わからなかったが、どうにも声をかける雰囲気でもなく、おろおろしていたら、大切なヒトが倒れているのを見つけた。
「ヒトーさん? ヒトーさん!?」
その硬い肌に触れるが、いつも感じる僅かなあたたかみはそこにはなかった。8月の猛暑、憂姫の雪、純粋にその温度を熱伝導率によって反映した、ただの金属の感触だった。
「……『箱庭の魔女』の力なら」
そう思って、心臓マッサージよろしくその胸に触れてみるが、いつもはそこに浮かび上がる魔女の紋章は輝かず、まったくもってただの金属だった。
「『鎧殻装着(ヒ、ヒトーナイズ)』! 『覚醒聖鎧符化』! ああ、もう……!」
叫んでみるが、彼は応えてくれない。雪が溶け始めてぐちょぐちょになった地面に座り込んで、わたしはその冷たい感触に触れながら泣きじゃくった。
まだ伝えていないこともたくさんあるのに。
一緒に行きたかったところもまだあるのに。
「ぴーぴー泣くな」
「だれ?」
創英角ポップ体で『秋の神様!』と書かれたTシャツを着ているから、きっと秋の神様なのだろう。紅葉色の明るい髪、タイトなジーンズ、片手には煙草。背負ってきたデイパックからは『大魔王』の瓶が飛び出している。
「楸紅葉。この奇想天街の秋の神様だ、どうだ、驚いただろう」
「すっごいボロボロですけど、大丈夫ですか?」
「だいじょばないが、そこの鎧よりはマシだろ」
楸と名乗った秋の神様はヒトーさんの傍らに跪いて、手のひらを当てている。
「あ、あの、そのヒト、っていうか、鎧はヒトーさんと言ってですね。鎧に見えるかもしれないけど、実は動いている、そう、デュラハンでして。でも、いまはただの鎧になってしまって……」
我ながら何を言っているのかわからないが、そもそもわたしには何が起こっているのかわからない。(わたしが挿入っていない)ヒトーさんが倒されるならともかくも、ここまで無力化されるのは想像ができなかった。
「ヒトーだろ。ヒトー=ヴァン=フェッセンデン。知ってる知ってる。昔、ちょっとお世話になった」
「……元カノ?」
「ちがうちがう! ある『施設』でたまたま一緒だっただけだ。さて、『神尽き』を打たれた訳だな、ヒトーは」
楸が端的に説明をしてくれた。
あらゆる法則改変を無力化する大鎌。対八百万を想定した四季裁の最大の武器。ヒトーはもともと適当な鎧に魂を定着しているだけだから、それで解かれてしまったのだろう、ということ。
「ということは、はじめ君が?」
「『神憑』という人格に支配されていたのさ。あの大鎌を持てば誰だってそうなる。非情なる八百万殺戮マッシーンになっちまう」
「聞くべきことがたくさんありすぎてパニクっているんですが、ヒトーさんはもともとヒトだったんですか」
「俺も伝聞で聞いただけだがね。けど、そうとしか思えない。もっともオリジナルの魔女がいたころだから、かなぁり昔だとは思うけど」
特異生物ですらない、魔女の産物。魔女という言葉は山田教授のもとにいたころに何度か聞いたことがあったけれど、もはや神話のような信憑性のない話だった。
「ヒトーさんがもともと人間で、魔女が魂を鎧に定着させた。でも、『神尽き』で魔法(法則改変)を無力化された。ってことは、ヒトーさん死んじゃったんですかぁ!?」
「ところがどっこい」
カポ、と楸はヒトーさんの兜を外した。そこに小さな青い火の玉のようなものがある。いまにも消えそうなほどにまたたいているそれは、きっと『魂』と呼ばれるものなのだろう。
「魔女が法則改変したのは、『死者の魂を拾い上げること』と『魂を鎧に定着させる』こと。『神尽き』が触れたのは鎧であって、魂でない。前者は無効化されなかったんだ」
「そうなんですか! ということはあとは魔女を探せば、ヒトーさんは元通りになるというわけですね!」
「だが、魔女なんてどこにいる?」
神話レベルの産物。わたしは何故か『箱庭の魔女』の紋章と共鳴を起こせるが、意識的にその力を行使できるわけではない。いわば既存の魔法の『強化』であって、魔法自体を行使しているわけじゃない。
山田九十九、寮の管理人の顔が浮かんだ。たしか『観測の魔女』だと――。
「しかし、この世界にオリジナルの魔女はもういない! そうだろ?」
楸は芝居がかった風に立ち上がり、こちらを振り返る。
「そういうときは、どうする? さぁ、あの堅物に恋人がいるなんて今世紀最大の驚きだけど――、愛するものを救わなければならないが、その手段がまったく失われているとき、君は何をするんだい?」
「え、えっと、キス……?」
「ちがう」
恥ずかしさを殺して言ってみせたのに、真顔で一蹴された。
「『神頼み』さ」
楸がヒトーさんの甲冑の胸に手を当てると、淡く紋章が浮かび上がった。けれど、わたしには何故かわかる。それはあくまで残滓のようなものであり、ヒトーさんの魂を定着させるには至らないほど弱々しいものだ。
「ここに描かれている逆三角形の∇(ナブラ)、これはもともと適当な鎧に死者の魂を定着させるためのものだ。紋章ならば、術者が死んでも発動し続ける。かつて『観測の魔女』が穿った紋章」
しかし、ヒトーさんに刻まれた魔女の紋章はそれだけではない。
「さらに『箱庭の魔女』がそれに上書きを加えている。これにより、ヒトーには『箱庭の魔女』の子孫を守り続けるという紋章に縛られることになった」
いくつかの魔導的な装飾は付け加えられているが、観測の魔女が刻んだ∇を活かしつつ、その右肩には2と小さく付け加えられている。∇の二乗――、ラプラシアン。フェッセンデンはここに来て、ラプラスの力を利用することにしたのだ。
「そうして2人の、しかもオリジナルの魔女の呪いを受けた彼だが、随分いろいろなところをさまよったようだ。そこで起動不能になる度に、さらなる力が付け加えられている。もっとも魔女の紋章に加筆するなんて普通の術者にはできないから、まわりの外縁紋章の力だけどね」
楸は何重にも描かれている円環の一部分を指差した。
「これとか何に見える?」
「男根のメタファー?」
「ちがう」
また一蹴された。
「これはヒトーの防御力に寄与している。ただの金属にしては異様に耐久力があるだろ? それはこの外縁紋章が発動して、臨戦状態になったときに硬化しているんだ」
やっぱり男根のメタファーじゃないか。
「聞いた話では、『オニャンコポン』とかいう異国の神様に施されたものらしいけどね。他にも無数の絆が、彼の胸には刻まれているのさ」
「オニャンコ……、それは何のメタファーなんです?」
「どっかの偉い天空神らしいけど、あんまりよく知らない」
大学院で特異生物を研究していたわたしでも、はじめて聞くような名前だった。いったいどこを彷徨っていたのだろうか。
「……わたしの知らないヒトーさん」
「だけど、さすがにここまで追い込まれたことはなかっただろうね。『施設』で一緒だった時に色々聞いたけど、さすがにそこまでは聞いたことがない。これは魔女の紋章そのものに手を加えないといけない」
楸はヒトーの頭部と胸のプレートを四季社の中に運び込んでいった。
「いくぜ?」
その瞬間、楸の秋の力が四季社を通して増幅されるのがわかった。局所的に絞っているのか街には影響がないようだったが、まだ雪を被っている鎮守の森の木々は、一時的に紅葉していくのがわかった。それはまさに魔法そのもの。
「秋の、神様……」
「そうさ。奇想天街が秋の神様、楸紅葉。その能力は『活かす力』、ヒトーにはお世話になったからな、イカす能力を大サービスだ」
胸プレート中央に2人の魔女が刻んだ∇。楸はその指先で、Δを描いていく。重なるように。それは線分が結ばれたとき、新たな意味のある像を見せる。
『✡』
「六芒星?」
「お、詳しいな。これは竹編みの『籠目』とも言う。魔除けの意味もある、実りを司る神様が彼に与える『生きるための紋章』。魂を鎧に再定着させて、さらなる呪いを与える」
「生きるための……」
「もしかしたら百年後も千年後も、あるいは人類が滅んだとしても、生き続けなくちゃいけなくて恨みに思うだろうが、そんときゃ俺はいないから勝手に苦しんでくれ」
紋章。それはかたちに残す『意志』。それが世界に対して影響力を及ぼすとき、術者がいなくとも、法則はそれを解釈する。宇宙が滅んで、法則そのものが息絶えるまで、それはきっと続くのだろう。
「……ヒトーさん」
それはとても残酷なことかもしれない。いずれにせよ、ただの人間であるわたしには、それを想像することもできないが。でも、ヒトーさんがそんな目に遭おうとも、いまのわたしは、彼がまだそばにいてくれて、嬉しかったのだ。
「まどか……? ああ、メガネが割れていますね。また、買いに行きましょうか」
兜がカタカタと動いて、懐かしいあの声が聴こえた。わたしは思わずそれを抱きしめて、頬ずりをした。なんというか、この状態って、ヒトーさん身動きがほとんど取れなくてマスコットみたいだ。
「楸さん、ありがとうございます!」
「おーよ。ただまぁ、今日は頑張りすぎた。俺はとにかく寝続けるから、起こさないでくれ。ヒトー、おっす」
「楸か。そうか、これはお前が」
「あんまり女の子を泣かせんなよ。恩に感じてるなら、椿の家に運んでくれ。俺はしばらく起きないから」
といって、その気まぐれだけど面倒見のいい紅葉髪の神様は、リュックから飛び出た日本酒をひとしきりラッパ飲みしたのちに、イビキをかいて眠り始めた。
男根は熱い内に打て




