冬の八百万、憂姫といいます。柊憂姫。
「あのほら、怯えないで? 怖くないから、ね?」
「怖くない人は電子レンジに向かって死ねとはいわない……」
前回までのあらすじ。わたし、山田九十九(22歳)は異世界に来てボロアパートの管理人になったんだけど、ついつい殺意が溢れちゃったところを見つかって、大慌て。てへ。さて、歯の根が合わないほどカチカチと震えているこの女性になんと声をかけるべきか。
ここは就活で死ぬほど練習した面接を思い出すことにしよう。
「はじめまして、山田九十九と申します。座敷童のひょん君に紹介されて、今日からこの魑魅魍寮の管理人にならせていただきました。何かとご迷惑はかけると思いますが、何卒どうかよろしくお願いしますね」
ぺこり。
内心でガッツポーズを決めていたわたしだった、少女の顔色は変わらない。
「に、二重人格なのかしら……。コワイ。っていうか、そんな話聞いてないし、強盗なのかも……」
少女はジャージのポケットからiphoneめいたスマホ(この世界にもあるのだ)を取り出して、明らかに警察関係機関に電話をかける素振りをした。異世界に来て半日足らずで警察のお世話になるわけにはいかない。っていうか、この世界でわたしの身分を証明するものが何もないのだ。死ぬ!
「ちょ、ちょっとまって!」
「来ないで!」
慌てて急に近寄ったのがいけなかった。ぐぬぬ。引くも押すも出来ない。ひょん君の援護も期待できない。いっそこんなに怯えているのなら、このまま脅して黙らせるという方法もあるが(ちょうど台所に包丁もあるし)、それでは今後の管理人生活という名の不労所得生活を円滑に進めることはできない。
仕方ない、最終手段だ。
「近づかないで! も、もしもし!? もしもし!?」
「ほんとに待って! 家賃を負けたげるから!」
わたしの渾身の叫びが魑魅魍寮中に響く。
「どれくらい?」
「いちまん」
「……、もしもし?」
「さんまん……」
すると目の前の少女はにっこりと微笑んで、「そうですか、よろしくおねがいしますね♪」と共同食堂に入って来た。見ればスマホは通話モードでない。こいつ……。
「冬の八百万、憂姫といいます。柊憂姫。201号室です」
自己紹介をしながら、その憂姫さんはこちらに一瞥もくれることなく、台所の下の棚を開けては、どん兵衛めいたもの(以下、「どん兵衛」という。)を取り出して、妙に手慣れた感じで粉末を撒いてポッドのお湯を入れはじめた。後入れ派だ。箸と天ぷらを重しにして、スマホで3分間を測りだす。
「前の管理人さんから聞いていました、新しい管理人さんが来るということ」
待ちきれないとばかりに机に顎を載せて、どん兵衛を見つめている。
「どんな方かと思いましたが、優しそうな人でなりよりです。仲良く出来そう。家賃の件、今月文分から適用してくださいね? 共益費は含みますよね?」
「は、はん! 家賃? 負ける? なぁにそれ?」
怯えられるのは問題だったが、舐められるのはもっと問題だ。管理人としての威厳に関わる。明らかに早い段階で最終手段を使ってしまったことを悔やみつつ、わたしは精一杯の虚勢を張った。憂姫はどん兵衛からこちらに視線を動かして、スマホを操作した。
『ほんとに待って! 家賃を負けたげるから!』
「録音済みー」
「ま、負けるの、200円くらいだし……」
『さんまん……』
完全に言い逃れができない状況である。せっかくの不労所得生活が最初の最初で躓いてしまったと思うとともに、この柊憂姫とかいう女性には余計なことは言わないでおこうと、脳内の『魑魅魍寮完全管理マニュアル』に一項目追加することとした。
しかし、この魑魅魍寮、座敷童ショタと親戚ショタ、そしてデュラハンリーマンと、嫌に男性ばかりで(ショタ二名と無機物鎧なのでむさいとはいわないが)、若干不安に思っていたのだ。よくわたしが読むような薄い本では、脅されて身体を強要されて手篭めにされるお話を見る。ショタショタ逆ハーレムといえば、聴こえはいいが……。ほんとに聴こえはいいな!
そんな懸念をしている中での、この201号室の少女の出現で、わたしは少しだけ安心をしていた。しかも同い年くらいで、どん兵衛を愛食しているようで(しかも狐の方だ)、ずるずると食べているあいだもスマホ弄りをやめない。見れば、まとめサイトを見ているようだ。
「ま、まとめサイトなんてものがあるの!?」
「『八百万ちゃんねる』、知らないの? 土人?」
いつのまにかわたしが入り浸っている某掲示板が400万倍の進化を遂げていた件。彼女のスマホを覗き見ようと思ったが、すぐに隠されてしまった。が、一瞬だけ画面を見ることが出来た。左上の電波の部分には、人魂めいたアイコンが五つ並んでいた。
しかし収斂進化とはよくいったもので、ひょん君の『隣人の世界』ということもあいまって、この『特異生物』と呼ばれる生き物以外はまんまわたしが元いた世界のようだ。まるで箱庭にひとつ異物を放り込んで、影響を見ているような……。
――不意に『観測の魔女』という単語が頭をよぎる。
「急に親近感が湧いてきたわ。それで憂姫ちゃんは――」
「『柊さん』でしょ、ずずずっ」
親近感たちが全力で撤退していく。
「……柊さんは、何の妖怪でしたっけ、雪女?」
どん兵衛の細切れになった麺をいちいち箸でつまんでは口元に運びながら、首を横に振られた。しかしわたしの脳内のランプの魔人めいたあいつは『それって雪女?』って言っている。
羨ましくなるほど綺麗な長髪は真っ白で、肌の色も美白化粧品のCMで見るようなものほど白くて綺麗。指も細くて、全体的にスリム。芋っぽいジャージじゃなくて、白い着物でも着ていれば、完全に絵本で見るような雪女だろう。いまどん兵衛のスープ飲み干したけど。
だん。プラの器をテーブルに叩きつけて、キリッとこっちを振り向く。
「言ったでしょう、冬の八百万! 八百万の神! つまるところ、神様!」
「神様がカップ麺なんか食べるものですか」
「食べるの!」
ずびずばと彼女はスマホを叩いて、Wikipediaめいた画面を表示させた。八百万の神々。わたしもアマチュア小説に影響されて興味を持ち調べたことがあったが、そのときに見た内容とはぜんぜん違う。厳密には特異生物ではないそうだが、法的には特異生物に準じた取り扱いを受けるのだそう。
「そんなことも知らずによくここまで生きてこれたわね、異世界から来た人みたい」
「おおぅ」
異世界から来たことは口止めされている。
「なんでもずっと引きこもっていたみたいだから、その辺疎いのね。義務教育レベルだけどさ」
「ぐぬぬ」
しかし思い当たる後付理由はそれくらいしか思いつかないので、鬼の形相で頷いた。ちくしょう。図書館かどっかにいってこの世界の常識を余すところなく理解してやろうと心に誓った。調子に乗った憂姫は、箸を指揮棒めいた動きをさせて解説を続ける。
「付喪神、簡単にイメージできるのは――、飛頭さんにはもう逢った? そう。正確には違うけど、あれが鎧というモノに宿った付喪神なの。一方でわたしはいわば概念に宿った付喪神のようなもの。人々の、自然現象に対する畏れを骨とし、信仰を血液とする」
なんとなくだが、近所の寂れてしまった小さな神社を思い出した。
「自分に似せて神が人を作ったかどうかは知らないけれど、この世界では人がいなければ神々はもう存在できない。畏れという縦糸と信仰という横糸がわたしたちを編んでいるのよ、わかった?」
「でもそれにしても冬なんて世界レベルに広い概念がこんなところでぐーたらしてるのも……、いくら春とはいえ」
「この地区の、冬の神様だからね」
「ちいさっ!」
「失礼な!」
失礼なというには、わたしも随分失礼な目にあっていると思いますが……。
「そういえば、神様に家賃を値切られたのか……」
「出雲政府から給付金は出るんだけど、いろいろしてると足りなくなっちゃってね。夏の夏姫ちゃんはそのためにコンビニでバイトしてるくらいだし」
スマホを見せられる。Facebookによく似た画面で――、Faithbookって書いてあった。異世界とはいえ、訴えられそうなネーミングだ。そこの夏姫さんとやらのページには、日に焼けて快活そうな少女が映っていた。ページを捲るたびに、万里の長城での写真だったり、飲み会での写真だったり、サーフィンをしていたり、随分アクティブな性格のようだった。
「さて、ごちそうさま。部屋に戻るわ」
憂姫はどん兵衛の器を洗って、プラのゴミ箱に放り込んだ。箸はさっきわたしがつけておいたたらいに放り込む(ということは誰かが毎回洗い物係をやっているのだろう。)。あくびをしながら彼女は冷蔵庫を開けてコーラの2リットルペットボトルと、戸棚から芋けんぴの袋を取り出した。首をごきごき鳴らしながら、ジャージ姿で裸足の彼女は共同食堂を出て行く。
「それじゃ、これからよろしくね、管理人様」
「は、はい」
どっからどう見てもニー◯の立ちふるまいであった。本人は冬の八百万の神様だと言っているが、ただ髪が白いだけのニ◯トなのではないだろうか……。だらしなさそうだし、仕事してない感が凄い。この世界で◯ートだったらしいわたしが言うことでもないだろうが。
「ふぅ……」
随分いろいろなことがありすぎて、疲れてしまった。異世界、魑魅魍寮。抱えていたしがらみはもう気にしなくてもいいものの、早くこの世界に慣れていく必要がある。
とりあえずいまの段階での住人は、座敷童のひょんに、デュラハンリーマン飛頭さん、従兄弟のはじめくんに、冬の神様の憂姫さんの四人ということになる。外から見た限りではボロッボロのアパートで空き部屋も多そうに思えたが、住人はこれで全員なのだろうか。というか、引き継ぎくらいしてもらわないと困るよ、叔母さん……。
次回:山田九十九とはじめくんのパジャマ(仮)