じゃからお主は阿呆なのだ、この馬鹿弟子が!
「わたし、貴方に逢えてよかったわ。ねえ、知ってる? ひまわりの花言葉は『私はあなただけを見つめている』。貴方はわたしにとっての太陽だった」
「もういい、喋るな」
「……ずっと見つめていたかったなぁ」
冷たくなっていく妻、尾裂ひまわりの最後の言葉だった。私はいまでも憶えている。その手の温もりも、失われていった刹那さも。
『そんなもの吸ってたら身体を悪くするよ!』と子どもに叱られていた煙草だったが、文福刑部卿の一件以来、本数が増えていた。焦り、があるのかもしれない。
天網恢恢相談支援事業所の事務所の二階、いまは従業員は出払っている。ヒトーと小谷間は出て行ったきりだし、そのほうが都合がいい。四季裁である山田はじめからの連絡を待っているところだったが、それもどうやら期待できない。
「……まだか」
焦ってもしかたがないということは頭ではわかりつつも、それでも念願の仇が打てるとなるとじっとしていられなかった。
ヒトに恵みを与えることによって対価として信仰を得ている神々が、ヒトに牙を剥くとはどういうことか。本当に前触れのない大災害だった。きっとたっぷりと蓄えた信仰を使って、蟻の巣にじょうろで水を流すかのようないたずら心を発揮したのだろう。
最後の一本にしようと胸ポケットに手を入れるが、箱は空になっていた。しかたなく、いま吸っているものをフィルターぎりぎりまで燃やしていく。
煙草。
秋に咲くその植物、ナンバンギセル。別名『思い草』であるそれは、先立った愛する人の墓に生えてきた草を加工しその煙を吸うことで悲しみを紛らわせたのが始まりとする伝承を持ち、「あなたがいれば寂しくない」「私は孤独が好き」「秘密の恋」という花言葉を持つ。
――コンコン、コンコン。
窓ガラスが微かな音で叩かれる。その向こうには細長い狐の妖怪。私がこの奇想天街中に放っていた管狐の一匹だった。
「見つけたか」
二度、コンコンと窓をノックし、肯定の意を示す。わたしはようやくあの冬神に届く足がかりを手に入れたと、ネクタイをきつく締め、事業所を後にした。
そもそもの発端である『朝までちぇりーぶろっさむ!』。この街の春神が八百万ちゃんねるで放送しているアマチュアラジオだったが、彼女は、禁断の恋に悩む大切な友人――、すなわち禁忌を犯した八百万の神々の話題を挙げていた。春神さえ捉えられれば、冬神への足がかりが判明する。なにしろ罪を犯して匿っているのは春神のほうなのだ、余計な抵抗はできないだろう。
きっかけは何度も聞き直した『朝までちぇりーぶろっさむ!』の例の回。よくよく聞いてみると、後半部分の一部で彼女が「静かにしてくれないかな……」とぼやいているところがあった。
そのあたりを詳しく解析してみると、聞き覚えのある奇妙なノイズが確認された。なにかの集合住宅。それに遠くで聴こえる救急車のサイレンのドップラーも候補を絞る切り札となった。春神とこのノイズの声紋を覚え込ませて、管狐を放った。
「つばき、ちぇりーぶろっさむ?」
その管狐は仕入れた情報を耳打ちしてくれた。とりあえずは五穀豊商店街の方向に向かいながら、報告を聴く。
引っかかったのは、あの奇妙なノイズ。そのアパートでは有名で、昼夜問わず泣いている特異生物『バンシー』だった。一度隣人トラブルで駆けつけた時があって、聞き覚えがあったのはそのときの記憶だろう。たしか「万死に値する!」とか言われたっけ。
その隣の表札には『椿桜姫』と手描きで書かれたものがあり、管狐が天網恢恢相談支援事業所の戸籍情報データベースにアクセスしたところ、椿桜姫という読みの女性にヒットしたのだ。
ここまでくれば間違いはない。八百万の神々、特に四季神は、その冠する季節に纏わる苗字や名前を名乗ることが多い。
――ん?
私の中に小さな違和感が生まれたが、すぐに管狐が追加で耳打ちする情報に掻き消えてしまった。
街中に放っていた管狐が戻ってくる。もともとイヌ科で嗅覚に優れている狐は、私の独特な煙草の匂いを目印にしているのだ。里の者達は香草を使うことが多いのだが、私はある特殊な煙草にしており、よく稲荷師匠に小言を言われていた。
「その煙草はわらわは好かんのー」
そうそうそんな感じで――、と嫌にリアルに再生された師匠の声に振り向くと、息を切らせた女子高生がこちらを見つめていた。
小谷間ともえ。この春の終わりから、この天網恢恢相談支援事業所でアルバイトをしている。小谷間まどかの妹であり、何の因果か、『神性存在』であるはずの稲荷師匠をその身に宿している女子高生だ。
五穀豊商店街のメインストリートからは外れた飲み屋街。真夏の真っ昼間では通る人影はあまりない。そういえば、『居酒屋ぽっぽ』のある、あの八尺様暴行事件のあった場所だ。
「どういうつもりじゃー、尾裂」
「春神の居場所がわかりました。尋問をします」
「何を訊くのじゃ?」
「あのラジオで言及されていた、罪を犯した八百万の神の居場所です。天網恢恢相談支援事業所としての義務でもあります」
小谷間ともえの瞳が猫のように細まり、手に持っていた学生鞄を地面に落とした。春に比べて長くなった髪を、手首のゴムで後ろに縛り、こちらを見つめる。
「私怨を義務にすり替えるんじゃないぞぇ」
「……知っていたんですか。ならば、なおさら」
「なおさら、わらわは止めねばならぬな。お主を。師匠としても、天網恢恢相談支援事業所のアルバイトとしてもじゃ」
「何故です」
おかしい。稲荷師匠は何かを含んでいる。
私の過去の話は山田はじめか小谷間まどか当たりから聞いたとしても、『鬼』が絡んだ事件でもないのに、師匠がこんなに干渉してくるのはおかしかった。
彼女は私を止めようとしている。いつか、里を抜けだしたあのときのように。
「“ちょ、ちょっと、いの! 尾裂課長に事情を話すんじゃ――”、あのな、ともえ。こやつは言って聞かせて分かるような子じゃないのじゃ」
「そうですね。あなたはいつも殴って教えるタイプでした」
里を抜けだしたときから、いつかこういう日が訪れることを頭のどこかで予想をしていた。もっとも受肉をしてアルバイトで入ってくるとは思っても見なかったが。
スーツのベルトにつけた管狐の竹筒に触れる。ひとつ、ふたつ……、一本だけ空の筒があり、まだ帰ってきてないやつがいることがわかる。だが、たかだか女子高生に憑依している彼女を仕留めるのに、これで十分過ぎるほどだろう。
それにこちらには『最終兵器』もある。
「一度も勝てずに泣きべそかいてた尾裂が、いまさらわらわに勝とうとしておるのか?」
女子高生の姿をした彼女が、あの特徴的な笑みを浮かべる。猫のような瞳孔に、狐のように鋭く邪悪な笑み。私は――、ぼくは、あのときの脅威が目の前に立っていることに、ああ、そうだ、これは恐怖じゃない。それをようやく打倒できるという喜びだ。こころの内の『少年』は両の拳を握りしめて、あの神性存在を睨みつけている。
「あのときと同じだと思ったら大間違いですよ、稲荷師匠。ぼくは外の世界で多くのことを学び、多くの人間に出逢いました」
「じゃが、ひとつ見つめると視野が狭くなるのは治っとらんようじゃ。それは一途という美徳ではあるかもしれんが、お主の身を滅ぼすものじゃ」
「目的が果たせるなら、こんな身、滅んでもいいですが?」
「じゃからお主は阿呆なのだ、この馬鹿弟子が!」
稲荷が地面を蹴って間合いを詰め、ぼくはベルトに挿した竹筒を彼女に向けて向かい撃つ。
※
「……ずいぶん走り回りましたけど、どこにいるんでしょうか、尾裂課長」
「電話にも出ませんね」
魑魅魍寮で柊憂姫に事情を話し、そして彼女が知っている事情を聞いた、ヒトーと小谷間まどかは炎天下の中、彷徨い歩いていた。とりあえず事務所に戻ったものの留守であり、とりあえず様子を見るために、鎮守の森に向かおうとしているところだった。
小谷間まどかはアラミタマートの駐車場でへたりこんで、額に浮かんだ汗を拭った。
「ヒトーさん、ちょっと休憩しませんか。身体が持ちません、アイスをですね」
「ん、あれは」
「尾裂課長の管狐!」
どこかで迷子になっていのか、ふよふよと身体の細長い狐の妖怪が商店街の方向へ向かっていくのが見えた。わたしとヒトーさんはお互いに頷き合い、それを追いかけることにした。
【鎮守の森】
◯山田はじめ:四季裁『神憑』に憑依され夏姫を殺すため暴走中。
◯姦姦蛇螺:ヒトーの命を受けてはじめと交戦するが、敗北。
◯山田九十九:夏姫のもとを訪れていたが、はじめと遭遇。『観測の魔女』の力で真意を知り、山田穢見ルの力も借りて交戦するが、敗北。
◯山田穢見ル&ぬらり&ひょん:山田九十九に力を貸すが、敗北。
◯楸紅葉:今回の事件の発端。山田はじめの前の立ちはだかる。
◯榎夏姫:尾裂と交わった四季神。祈祷中。「なんか外が騒がしいなー」
【五穀豊商店街】
◯尾裂課長:冬神の大災害に妻子を殺され、今回の『ヒトと交わっている神』は冬神だと信じ込んでいる。そうとは知らずに夏姫と交わっている。春神のアパートを特定、尋問に向かうが、いのに邪魔される。
◯小谷間ともえ(稲荷いの):山田はじめから事情を聞き、嗅覚を活かして尾裂課長を止めに向かう。
◯ヒトー&小谷間まどか:柊憂姫から事情を聞き、尾裂課長を止めに向かう。
◯椿桜姫:今回の事件の発端2。アパートで休日を満喫中。「なんか外が騒がしいなー」
【魑魅魍寮】
◯柊憂姫:ヒトと交わった結果生まれた半神の忌み子。強力な力を有しており、母親が処断された時に暴走、甚大な被害をもたらした。出雲政府に対するシェルターである魑魅魍寮に引きこもっている。母を殺した四季裁を憎み、復讐を果たそうとしている。




