あなたと同じ『山田』の姓を受けし、穢れを見る者。
前回のあらすじ。
どうやら魑魅魍寮には人間も住んでいるらしい。この右も左もわからない異世界で、(別世界の人間だから直接面識はないとはいえ)見知っている従兄弟のはじめくんに出逢えてよかった。
※
まどろんでいく意識の奥底で、浮かんでは消えていく泡沫を数えていた。
不意に気がつけば、わたしは妙な山の中にいた。一本の山道が見渡せないほど遠くまで前後に伸びており、数百数千では効かないほどの朱の鳥居がそこには並んでいた。むせかえるほどの濃霧、提灯で照らされているこの道以外は溶け落ちそうな暗闇で、一歩後ずさると脚を踏み外しそうになる。わたしはとりあえず上へ上へと歩き出した。
「わたしは――」
生きているのか、死んだの、か。
これまで22年間生きていたわたしの人生。辛かったけど、楽しかったこともあんまりなかった人生だった――。『けど』ってなんだ。ほんとうに人生なんてろくなもんじゃねえ。それにしても最期に拝むことが出来た世界はなんだか楽しそうだった。随分粋な神様なのだと思った。あんな可愛いショタに、可愛いショタ、不労所得に、真面目そうなデュラハンリーマン。うん、良い世界だった、と思う。
どのくらい歩いたのだろう、息が上がってきた頃に、階段の上に小さな人影が見えた。リン――と澄んだ鈴の音が聴こえる。
「誰……?」
「待ってた、でも、いまじゃない」
鈴の音よりも澄んだ声音。二人を分かつ霧が晴れると、腰まである黒髪の少女がこちらを見下ろしていた。朱の着物の袖には大きな鈴がついていて、これが鳴ったのだとわかる。右手には黒い表紙の古書を携えており、とあるページで開かれていた。
「――『観測の魔女』、あらゆる世界の事象に巻き込まれてしまったあなたの運命には同情する。けれど、哀れみはしない。あなたにはあなたの役割があるんですもの」
首をかしげる。しかし、彼女はそれを意には介さない様子だった。よく似合う和装ゴスですね、中二病かなにかですか、いまさらラノベでもそんなコテコテの意味深な台詞ありませんよ、とわたしの中のコメディ担当が突っ込んでいたが、とてもそんな空気ではない。
というか、彼女を認識してから、わたしの脚は石になったように動かない。
「いまはまだ時が満ちていない」
「あなたはいったい……?」
小柄な少女はわたしのその質問にひとつ頷き、黒い表紙の古書のページを一枚めくり、眼を落とした。からん、ころん、少女が階段を降りてくる。細い素足に履かれた下駄の音、それに袖につけられた大きな鈴が催眠術めいたリズムを奏でる。
九段下まで降りたところで、少女は立ち止まる。ここなら目線は同じくらいだ。少女はまるで猫のように瞳孔が引き締まった眼をしており、まばたきもせずにまっすぐこちらを見つめている。ふふ、と笑った。
「あなたと同じ『山田』の姓を受けし、穢れを見る者、『山田 穢見ル』。ばいばい、山田九十九さん」
そう彼女は告げ、両手でわたしを突き飛ばした。
あまりのことにわたしはバランスを崩し、腕を伸ばすが宙を掴むだけ。無慈悲な重力に抗えぬまま、背中から落ちていく。『山田 穢見ル』と名乗った少女は満足したようにパタリと黒い表紙の古書を閉じた。その表紙に白いインクで書かれていた文字が、この世界におけるわたしの最後の記憶となった。
即ち、亻に牛――。
「くだん……?」
※
――変な夢を見ていたような気がする。
いまだにぼーっとする頭で、起き上がる。腕を枕にテーブルに突っ伏していたようで、若干右腕がしびれている。あと羞恥心のかけらもないほどの量の涎がテーブルに広がっている。琵琶湖か。ああ、よくわからない出来事の連続だった。いまわたしがいるのはどの世界なんだろうか。
寝ぼけ眼のまま、いつもの癖でポケットの中のiphoneを取り出す。随分長いあいだ放置をしていたようで通知欄は見たことがないほど埋まっていた。指でスライドしていくとほとんどがTwitterのリプライ(ツイ廃だったわたしのアカウントが不穏なツイートを最後に止まっていたから心配されていたようだ)、いくつかオンラインショップからの迷惑メール、そして元彼氏からのLINE。届いた時間は今朝の九時過ぎ。新入社員としてのわたしが出勤していないことにでも気づいたのだろうか――。
「って……」
頬をバンバンと叩く。
九時!? 九時だって!? 他のTwitterのリプライもヘタしたら数十分前のものまである。iphone左上のアイコンには、新生活を見越して買ったPocket WiFiの無線LANを受けているマークがしっかり表示されていた。
「ここは魑魅魍寮じゃ……、わたしは少なくとも朝の七時にはこっちの世界にいたのに……」
慌てて周りを見回す。生活感の溢れる共同食堂だ。雑多な小物が多く置かれており、台所にはさっき食べて洗ってない器が水に浸かっている。テレビでは『あなたの嫌な過去食べます』というキャッチフレーズともに、獏がバクバクと何かを食べているアニメーションが踊っていた。
こっちの世界。魑魅魍魎が跋扈する世界。
iphoneに眼を落とす。震える手でスライドしてロックを外し、とりあえずTwitterを開く。『数秒前のツイート』の表示。スワイプすると、かつての世界と同じように違和感なく更新がされる。適当なニュースアカウントを見てみても、わたしの記憶に無い情報が更新されているから、夢というわけでもないだろう。
「この携帯だけは前の世界と繋がっている……?」
昨日の晩からずっと放置をしていたから、もう電池が数%しか残っていない。いろいろと検証したいことはあるが、とりあえず充電が先決だ。わたしほどの廃人となると常にiphoneとPocket WiFiの充電ケーブルは持ち歩いている。
「問題はここの規格が合うかどうかなんだけど……」
そこは『隣人の世界』という表現を信じるしかない。はじめくんのように設定にズレが出てしまって、71Hz・定格108Vとか意味の分からないことになっていないことを祈りつつ、共同食堂内のコンセントを探す。電気を使っているテレビがある以上、この世界観でもコンセントはあるはず。性質上穴は二つ(か、三つ)であろう。プラグの形状が合わなければ針金で無理矢理に接触させればいいし、問題は電圧と周波数だよなあ、とゴキブリのように探しまわっていたら、電子レンジの隣に見つけた。
どうやらプラグの形状は合致する模様。あとは挿入すだけ。
「ナムサン!」
ヴィー、ヴィー。充電マークがきちんと灯った。ほっと胸をなでおろし、Pocket WiFiも充電ケーブルを繋ぐ。さて。Twitterはともかく、このLINE。もうあの世界とは完全にサヨナラしたと思っていたんだが、まさかこんなことになってしまうなんて。ひょん君に事情を聞きたいところだけど、シャワー前から何処かへ行ってしまったようだ。
ごくり。
もうあんなやつは関係ないとは思いつつも、このLINEの一件からは目が離せなかった。もやもやする。ドッキリだったって言ってほしい。常識的に考えれば、エロゲーじゃないんだし、寝取られることなんて現実には存在しないのだ。だってみんな礼儀正しい日本人なのだから。ああ、そうだ。きっと、そうだ。
この世界からあちらに帰れるかわからないけれど、ひょん君をゲロまみれかなんかにすれば帰してくれるだろう。千と千尋でも猫のあれでも帰れたんだ。出勤初日から欠勤したことはなんて言おう。まあ、いいや。クビになっても養ってもらえばいいだけだ。
「えいや」
指をスライドさせると、元彼氏の名前のアカウントが開かれる。
『九十九へ。ごめんな。大丈夫か?』
「死ね!」
「ひぃっ……!」
ついつい溢れだしてしまった殺意にiphoneを握りつぶしそうになる。ところでいまの怯えた声はひょん君のものと違っていたような気がする。声のした方向に顔を向けると、ストレートの白髪が綺麗な女性が柱に隠れるように震えていた。
「電子レンジに殺意を向ける知らない人がいる……」
寝起きなのだろうか、ジャージ姿のその女性は、消え入りそうな声でそう呟いた。
次回:山田九十九と働かない冬の神様(仮)