魑魅魍寮へようこそ!
魑魅魍寮の管理人、山田九十九さんは最近なんだか元気がない。
山田はじめ君が作る食事もあんまりたくさん食べたりしないし、暇さえあれば自室で寝込んでいる。おろろろろすることもよくあるようで、本格的に心配だ。座敷童の『ひょん』。彼女をこの魑魅魍魎が跋扈する世界に導いた存在、彼がいのによって斬られたことで、彼女は深い喪失感から抜け出せずにいるようだ。もともと打たれ弱いところもあったようだけど。
「ねえ、魑魅魍魎が跋扈する世界なんだから幽霊くらい居るでしょう?」
「何を言ってるんですか、山田さん」
目の下にくままで作って、彼女はいまも部屋に閉じこもって横になっている。おうま君も気の毒で、あれだけ殺されそうな目に遭いながら、今度は母親代わりの山田さんが塞ぎこんでしまうなんて。
あの事件以降、わたし、小谷間まどかと、妹小谷間ともえはこの魑魅魍寮に一時的に住まわせてもらっている。山田九十九が呈示した宿泊料はなかば法外なものだったが、再び『鬼斬り』のいのが暴走するリスクを考えたら、それを止められる唯一の存在である山田はじめくんの近くにいるのが正解には違いなかった。それにヒトーさんと一緒に暮らせるし。
「おや、まどかさん、お休みになられないんですか」
寝間着のまま共同食堂でスマホを見つめていたところ、お風呂から上がってほかほか湯気の上がっているヒトーさんがそう話しかけてくれた。わたしが丸洗いをしてからというもの、その気持ちよさがわかったらしく、最近はちゃんとお風呂に入ってくれている。当然、天網恢恢相談事業所に新しい戦力が二名入ったことによって、ヒトーさんの負担が減ったことも大きい(その戦力のうち一名のうちにいる存在が課長を脅したのも大きい)。
「どうも眠れなくて。それに、九十九さんに話したいこともあって」
「明日も仕事ですから、あまり夜更かしはしないでください」
「はい。ヒトーさんも」
ヒトーさんの寝付きはかなりいいようで、おやすみの挨拶をしてからすぐに直上のわたしの部屋に寝息が聴こえる。歯軋り――、というか鎧軋りとでもいうのだろうか、隣で寝ることになったらかなりの覚悟を要するような寝方だった。一度うなされていることがあって、そんなこともあろうかと、床に開けておいた覗き穴で見てみたところ、魔女の紋章が輝いていた。ヒトーさんの存在はまだわからないことだらけだ。
「ヒトーさん、お風呂上がったー? 次わたしなんだけどー」
と、はじめ君の部屋からお風呂セットを携えた妹が出てきた。学校の制服から着替えて、いまは地味なスウェットである。家では下着同然の格好をしていたのに、さすがに同級生の男子と同じ部屋では恥ずかしさもあるのだろう。
「ちょっと待て」
「ぃぁ?」
「ともえはお風呂が異常に長いから、ぼくが先に入る」
ぷー、っと頬を膨らますともえと入れ替わりで、はじめ君がお風呂に向かった。彼はこの魑魅魍寮の家事のほとんど全般を取り仕切っている。お風呂掃除に洗濯にアイロンがけに料理に皿洗い。手伝える範囲で手伝おうとはしているのだけど、彼には彼なりの美学があるようで、「あ、それはぼくがやるんでいいス」といっててきぱきこなしてしまう。将来、きっといい主夫になるだろう。
はじめ君がお風呂に入って、とたんにこの共同食堂には沈黙が訪れることになった。この共同食堂には大きな木のテーブルがあって、そこから顔を上げたところには古めかしいテレビが備え付けられている。そのとなりには謎の神棚があって、いかにも田舎のおじいちゃんちって感じだ(実体験したことはないけど)。
「で、いつまで隠れているの?」
わたしはその神棚に声をかける。中で驚いたようにゴトゴト音がして、ひょこっと顔を出したのは、ミニチュアの烏帽子に和装の少年だ。
「あなたがひょん君ね、座敷童の」
「君は――、あぁ、『ぬらりん』の。因果が因果を呼ぶというわけだ」
ひょんっとテーブルに音もなく着地した座敷童は、本当に手のひら程度の大きさしかない。わたしをこの世界に連れてきた座敷童は姫君めいた姿をしていた。彼は山田九十九担当なのだろうか。生意気そうな顔をして、聖徳太子が持っているようなあの棒のようなやつをわたしに突きつけた。
「どうして気づいた?」
「観測の魔女を舐めないで――、というのは冗談で、あの置き手紙、あれだけの偶然が重なっていのに遭遇したというのに事前に書き残せるようなものじゃないわ。それに、いの曰く、あなたは誰かの使い魔。再構成は可能」
「それでもこの魑魅魍寮に戻るとは限らないでしょ」
「魑魅魍寮の座敷童なのに、他にどこに行くというの。それにここ数日、夜中に起きだすと、あの神棚から小さないびきがするんですもの。気づくなという方がおかしいわ」
「……ぐぬぬ」
「それに、九十九さんがあんな状態では、あなたも放っても置けないでしょう」
ひょんはゆっくりと管理人室の方を見やる。そこには憂姫の書いたアイコンで『傀』と可愛らしく書かれている。人と、鬼。あらゆる世界から拒絶され、出雲政府によって絶滅させられた『鬼』という種族。そして、幼いころにここに連れてこられたわたしとはちがい、大人になってから連れてこられた『異物』、山田九十九。
「それで、いつまで隠れているんですか?」
「それは――、ちょっと無理やり出てきたものだから、なかなかいい出しづらくて。穢見ルにもかなり無理を言ってしまったし、いまさら顔を出してもって感じもあって。魑魅魍寮にあれだけの混乱を招いたのは、ぼくが原因でもあることだし」
「だから神棚に隠れていたんですか」
呆れた。わたしは彼の首根っこを掴んで立ち上がり、共同食堂から出て、管理人室のドアを乱暴にノックする。返事も聞かずに扉を開ける。山田九十九は布団にくるまって横になっており、それをおうま君が心配そうに座って見つめていた。
「だれ……?」
共同食堂の灯りが眩しいのか、布団から顔をひょこんと出して眼を細めている。わたしの手のひらの上の小人さんは気づかれない程度にため息を一度ついて、大きく息を吸い込んだ。
「ぼくは座敷童の『ひょん』! 座敷童の帝ということで、人はぼくを童帝と呼ぶのです!」
「ひょ……」
山田九十九は眼を丸くして飛び起きる。表情は完全にフリーズしていて、だらしなく口も開いたままだ。夢ではないことを確かめるように、頬をつねり、反対側のほほをつねり、頭を叩いて、眼をこする。
「ひょん君!」
「九十九!」
「おろろろろろろ」
筆舌に尽くしがたい再開の光景だったが、端的に説明をすると、ひょん君がゲロまみれだった。
「へ、へへ、なんだか懐かしいですね、これ」
笑ってる。キモい。
「これで帰らなくてすむのね!」
ゲロまみれになったひょん君を抱きしめる山田九十九。帰らなくていい。いつかMarlboro、もとい、ワルロボを吸いながら言っていたことは本当だったのか、とわたしは気づく。座敷童を失えば、この世界との繋がりを喪う。
帰らなくてすむ、という九十九の言葉に、ひょんはぎりりと歯軋りをしていた。彼女は大喜びで気づいていないようだったが、わたしは見逃さない。この世界に連れてきたというのに、なぜ? あの別離も、この再開も、穢見ルとかいう存在の手のひらの上なんだろうか。
――ともかく。
「おうま君、お風呂まだだったよね? ひょん君と入ってきなよ」
と声をかけると、彼は頷いて、ひょんを人差し指と親指で汚物のように掴んでお風呂場に向かっていった。山田九十九は緊張の糸が完全に弛緩しきったのか、大の字になって布団に横たわっている。
「よかったですね、九十九さん」
「あー、よかったよー、まどかさーん」
「それでもうひとつ、お話があるんですが」
わたしは寝間着のポケットから押印された書類を二枚、提出する。多少迷いはしたが、デメリットに対してメリットのほうが大きいということは、この数日の暮らしでわかったことだ。わたしはともえを守らなければならない。わたしがしてしまった外法の責任はきちんと、取る。
「お、こころを決めてくれた!?」
「はい。ここに住まわせてください」
魑魅魍魎ではないから割引家賃ではないものの、この数日の体験宿泊は本当に楽しくて、ともえも活き活きとしていた。きっとあのアパートに戻ったところで、いつ自らの中のいのが暴走するか気が気でならないだろう。ともえは家賃のことを気にしていたが、そこは自ら天網恢恢相談事業所で働いて補填をするというかたちで落とし所とした。
「じゃ、敷金礼金を――」
「まだ取るんですか!?」
「じゃあ、サービスだよ。同郷のよしみでさ」
「ありがとうございます」
彼女はすっかり元気になったようだ。
「これで空き室全部埋まったなぁ、不労所得生活の幕開けだ」
「空き室って、女性フロアがまだ一室ありましたよね。たしか姦姦蛇螺でしょう?」
「お、よく知ってるね」
「ヒトーさんに聞きました」
3日前に殺されかけたことは言わないでおく。
「でも、姦姦蛇螺は出雲政府の懲罰で鎮守の森に封印されているんじゃ?」
「わたしも逢ったことはないんだけど、夏には帰ってくるってさ」
「……まじですか」
あの日、姦姦蛇螺が暴れたことを尾裂課長が出雲政府にチクっていなかったのだと気づく。きっといのに脅されてそれどころではなかったのだろう。そもそもいつから封印されていたのかはしらないが、刑期が終わるのは思ったより近くて、わたしは爪を噛んだ。それまでにヒトーさんをもにょもにょもにょ……。
「それまではあの人の部屋使っていいよ。六本腕と大蛇スタイルに最適化されちゃってるみたいだけど」
「結構です。アパートの引取は来週の土日にでも。少し騒がせますが」
「いいのいいの。気にしないで」
口元のゲロを拭いてドヤ顔の九十九さんは立ち上がって、わたしに握手を求めてきた。
「それじゃ、これからよろしくね。魑魅魍寮へようこそ!」
※
「ねえ、あのさ、この世界に来ると生理とかなくなるのかな?」
「はい?」
※
そしてページはめくられて――。
鳥居が立ち並ぶ、狭間の世界。半ば無断で九十九のもとに逃げ出した使い魔に呆れつつ、和装の少女は階段を降りていく。階段の左右には、数え切れないほどの桜が植えられており、満開に華を散らしている。
「ばーか」
『件』。
未来を予言して死ぬ妖怪の名を冠した、黒い表紙の古書。それを片手に少女は階段を降りていく。山田の姓を刻まれし、穢れを見つめる者。猫の瞳孔のように開いたその眼で、少女は外界を見渡していく。
――春が、終わる。
次回から、四季神編。
これにて全九十九話予定の折り返しです。はじめての連載形式でここまで続くとは正直思っておりませんでした。すべて読者のみなさまのおかげです、ありがとうございます。
以前にpixivで柊憂姫の話をアップしたんですが、途中かけで終わってしまいました。ようやくそのとき考えていた物語を走らすことができそうで、わくわくしています。




