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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第四章:天網恢恢相談支援事業所へようこそ!
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こ、恋人なんていままで一度も……

 「あ、あのののの、尾裂おさき課長? わたしそろそろ帰らないと」

 「もう少し付き合え」


 はて。わたしはなんでこんなところにいるんだろう。

 薄暗い照明の中で、ピシっとスーツを決めたバーテンダーさんがカクテルをシャカシャカしている。わたしはといえば、なんという名前だったか忘れたけど、綺麗な青色のお酒をちびちびと飲んでいる。課長の隠れ家だそうで、お客さんは他にいない。出されたおつまみも、小さな皿にちょこんと乗っているだけで、いったいこれっていくらなんだろうと安月給のわたしは考えてしまう。


 薄暗闇の中で、課長は煙草に火をつけた。その横顔はなんだか凛々しくて、いくも口うるさい課長とのギャップなのか、なぜだかドキドキしてしまった。きっと初めて入る、バーというものの空気に飲まれてしまっているのだ。落ち着け、わたし。


 「小谷間は、恋人とかいるのか?」

 「ひゃい!?」

 「素っ頓狂な声を出すな。結婚適齢期だろ。そういう予定があるなら、把握しておかないとな」

 「……いいいい、いませんがなにか?」


 カクテルグラスを持つ手がぷるぷると震えている。課長はここの常連らしく、いわくなくてもバーテンダーさんがおつまみやお酒を出してくれている。オフィス以外で課長とふたりきりになるのははじめてだ。いつもわたしの近くにはヒトーさんがいてくれた。


 そうだ、ヒトーさん。

 小谷間ともえ(稲荷いの)と山田はじめ君のアルバイト試験こと、『鎮守の森の姦姦蛇螺』事件。結局のところ解決したのはヒトーさんのお手柄で、いつのまにやら二人はどこかへ消えてしまっていた。

 

 きっと魑魅魍寮に帰ったのだろうとヒトーさんが探しに行ってくれたが、わたしは課長に捕まって、この事件にかかった旅費や給付費の手続きの事務が待っていた。一時間近く書類とエクセルと格闘しながら、「これで勘弁して下さい」と課長の印鑑を貰って、ついでに課長の車で送ってもらえることになって――。


 「あの、ちょっと。こっち違いますよ? 五穀豊商店街のほうじゃなくて……」

 「一杯付き合え」


 と言われて、商店街の裏路地の暗がりにある『いなBAR』に入ったのが、一時間ほど前だ。 雰囲気に流されるままにカクテルを飲んでしまい、ほとんどが沈黙で、話題が続かない時間を過ごしている。たしかに奥さんはいないとは聞いているけれど、わたしなんて地味な女を捕まえて、どうしようというのだ。


 ※


 「あの、課長? 特異生物総合支援法で定められている――」

 「酒の場で堅苦しい話なんてしてくれるな」

 「……え、っと。神無月には、すべての特異生物が出雲政府に集まりますよね。そのときって天網恢恢てんもうかいかい相談事業所は何をしているんです?」

 「長期休暇だ。社員旅行があるぞ」

 「やった!」

 「出雲にな」


 ※


 「こ、恋人なんていままで一度も……」


 ヒトーさんの関係性はきっとまだそうは呼べない。


 「そうか。いないのか」


 課長は何を思ったか、そう呟いて、紫煙を吐いた。わたしはついに沈黙に勝てなくなり、「わ、わたし帰りますね。今日はありがとうございました!」と言って立ち上がろうとした。――が、1%のアルコールですら酔ってしまうわたしは気づいていなかっただけで、もうふらふらで、その場で倒れそうになってしまう。それを課長がさっと腰に手を回して受け止めてくれた。


 「あ……」

 「小谷間は空回りすることも多いが、よく頑張ってくれている。俺も小谷間のおかげでいつも助かってると思ってる」


 ああ、それはちょっと反則かも。


 「そ、そんな、わたしだっていつもヒトーさんに頼ってばかりで――」

 「ヒトーの話はしてない」


 ぐっと、接触している手の圧が変わる。


 「それともヒトーが好きなのか、小谷間は」

 「え、えええぇ、っと。そんなんじゃなくてですね、」


 眼がぐるぐると回る。自分がいまちゃんと思考できるのかどうなのかまったく判断ができない。この胸の高鳴りも、いま自分がピンチだからなのか、アルコールに沈んでいるのか、それとも大人な男な感じに溺れているのか、まったくわからないかった。


 「そんなんじゃない、か。安心した。じゃあ、俺にもチャンスがあるというわけだ」

 「えっ、えええええぇ!?」


 「ねーさん見つけたー!」


 鼻をひくひくさせながらBARの重い扉を開けたのは、小谷間ともえ、妹だった。その向こうにはヒトーさん。いつまでたっても帰ってこないわたしを待ちくたびれて、ともえの嗅覚を使って探してくれたのだろうか。こんな夜に、商店街にまで来て。


 「あれ、お邪魔だった?」

 「いいいい、いえ、これはあのですね、ともえさん!?」


 とりあえず課長からぴょこんと離れて、わたしはひとつ離れた椅子に腰掛ける。胸に手を当てるとまだバクバクしている。ヒトーさんが扉の向こうでこちらを見つめているが、無表情だからまったく感情が読めない。


 ともえは唖然としている課長にぴょこんと頭を下げた。


 「いつもねーさんがお世話になっております。これからはわたしとはじめ君もお世話になります」

 「君はクビだよ。あんな態度のやつを雇えるか。妖狐だかなんだか知らないが――」


 そこで、課長は口に咥えていた煙草をぽろりと落とした。


 「妖狐だかなんだか知らないが、じゃと?」


 ともえの黒髪がざわついて、頭に獣耳のようなかたちを作る。声も語尾ももはや単なる女子高生のものではない。『神性存在』。あの鳥居の世界に封じられた狐神のそれだ。金色の毛並みに鋭い爪の右手が、課長の手首を掴んだ。


 「よもやわらわのことを忘れたとは言わせんぞ、オサキ」

 「し、師匠!? 稲荷とうか師匠!?」

 「あの地獄の特訓の日々を忘れたというのならもう一度味あわせてやってもいいんじゃが?」


 課長が精霊飛蝗コメツキバッタのようにぺこぺこと土下座をするなんて、珍妙な風景がわたしの前に広がっていた。たしかに尾裂課長は特異生物ではなくそういう血筋の人間で、特別な場所で訓練したことで管狐の能力を得たとは聞いていたが――、それがまさかいののことだったとは。


 「こ・れ・か・ら・お・世・話・に・な・り・ま・す・の・じゃ」

 「は、はい、ヨロコンデ」

 「はじめ君もお世話になるのじゃー」

 「ヨ、ヨロコンデー!」


 課長の悲痛な叫びが、夜のBARに響き渡りましたとさ。

次回:全九十九話の折り返し。ゲストキャラは山田九十九さん。

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