さっすが『鬼』だね! 鬼に金棒とはこのことだ!
山田九十九。
わたしの人生はいつだって後悔の連続だ。
いつも大切なものに気づかないまま、それを喪う。例えば、子供のとき。あまり人付き合いが得意ではないわたしに出来た珍しい友達と喧嘩をしたまま、彼女は引っ越しをしてしまった。例えば、中学のとき。また珍しく出来た友達を信頼して冗談だと思って軽口を叩いていたら、いつのまにやら嫌われていた。
平々凡々なわたしの人生では、それは大事件で、そういうことが起きる度に『よし、次はそういうことがないようにしよう』と固く誓う。そして忘れた頃に、取り返しのつかないことがやってくる。
嵐のようなゴールデンウィーク。平穏極まりないこの世界での日常がかくして崩れ去り、稲荷いのという物理的脅威が発生した。魑魅魍寮の面々の活躍によってそれはようやく鎮火したのだが、ひょん君という取り返しのつかない犠牲を支払い、そしてわたしはあの世界に帰らなければならなくなってしまったようだ。
もう二度と帰るとは思っていなかった場所に――。
「もうやだ」
深夜の共同食堂、眠れなくなったわたしはとりあえず共同食堂で時間を潰していた。はじめ君の部屋で眠る小谷間ともえ(稲荷いの)の警戒も兼ねて。とりあえずこの経過をまとめて、なろうに投稿している異世界モノ風日記を更新していたところだ。
しん、と静まり返った魑魅魍寮。時計を見れば丑三つアワーだ。
「それで、あなたはどんな選択をするのかしら」
「穢見ル……?」
見渡してみるが、誰もいない。虫の声や、遠くヒトーさんのいびきが聞こえてくるくらいで、彼女の姿は伺えなかった。空耳だったのかもしれない。ひょん君は消え去る瞬間に、山田穢見ルを頼れといった。わたしはかつて夢の中で逢ったことはあるが、「いまはまだ時が満ちていない」と言われたきりで、それ以降あんな夢は見ていない。
鳥居が立ち並ぶ階段ばかりの場所――、稲荷いのもあの空間に封印されていたという。朱の着物に、大きな鈴をつけた少女。手には黒い表紙の古書。件と白抜きで書かれている。くだん。小さいころ天才テレビくん内のドラマで見た記憶では、たしか予言をする牛の妖怪で、予言をすると死んでしまう存在らしい。
スマホを見つめる。
LINNE――ではなく、LINEには彼からの着信やメッセージが一ヶ月経ったいまでも届き続けている。家族も、たまに。それらすべてを、わたしはまだ開けずにいる。向こうの世界とのネットワークの接続をするときは、たいがい日記を投稿しているなろうか、大きなニュースサイトくらいしか見ない。まとめサイトなどサブカル情報に触れても寂しいだけだ。最近は、どうも『妖怪』と呼ばれる存在が神出鬼没しているという話がちらほらと見えるが、きっと都市伝説か何かだろう。
たった一ヶ月前のことなのに、一年以上昔のことのように思えてしまう。
「はぁ」
「……つくも」
見れば、おうまくんが柱の陰に立っていた。青地に星の描かれたパジャマに、可愛いナイトキャップ。眼をこすりながら、おうまくんがこちらにとてとてと寄ってくる。
「どうしたの?」
「おしっこ」
「そっか。おねーさんと一緒に行こうか」
いままであまりこういったことはなかった。おうまくんはまだ幼いが、どちらかというと独りである程度やってしまうタイプの子供だった。こうして甘えてくるなんて珍しい。いのに殺されかけたことがそんなに恐ろしかったのか、それとも、多少はわたしに懐いてくれたのか。彼と手を繋いで引っ張ると、わたしの母性本能がきゅんきゅん疼いた。
「……強くなるから」
「ん?」
「今度はぼくがつくもを守るから」
「うん、ありがとう」
体温が少し高い小さな手でぎゅっと握られる。まだこんな小さいのに、『鬼』であるという宿命を背負っているばかりに、『鬼』という種族を狩る者がいるばかりに、こんなことを言わなければならなくなる。わたしは、ぎゅっと握り返す。君ばっかりにそんなこと言わせないよ。わたしもきっと強くなって、あなたを守るから。
――いつまで?
昏い笑みを浮かべた穢見ルが頭のなかで囁いた。
「うわ、おうまくんのおちんちん、王魔くんだね!」
「……」
「さっすが『鬼』だね! 鬼に金棒とはこのことだ!」
「……」
※
「斯くてページは捲られて――」
「これでよかったのかい、山田穢見ル」
無数の鳥居が並ぶ、境界の世界。血の池のように広がる一面の曼珠沙華。外界から隔離をされた、どの『箱庭』にも属さない世界だ。ここでは誰からも患われることもないし、客人が来ないかぎりはわたしはここで本を読んでいる。
「これでよかったのよ、ひょん」
和装の小人。ぴょんぴょんと石段を登り、わたしの腰掛けている鳥居のところまでやってくる。脚をぶらぶらとさせていると、円環を使って登ってきたひょんが隣に座る。『観測』で、いのに刺された傷はすっかり治り、破れてしまった服を繕うように、再び魔力によって編まれた『使い魔』のひとり。
「これで山田九十九との契約は破棄されることになった。ぼくが一度消滅した以上、再び編まれても、それは記憶が連続しているだけの別個体とカウントされる。もともとぼくか山田九十九の死亡で解除するようにしておいたのは、穢見ルの指示だ」
「どうしてこんな回りくどいことを? って思ってる」
「思ってる。九十九をこちらの世界に定着させたいのであれば、そんな条件を設定する必要もない。かと思えば、『鬼斬り』が襲来するだろうから殺されてくれだって?」
「痛かった?」
ぷりぷりと怒る座敷童に、くすくすと笑いが抑えられない。
「痛かったよ。痛かった。それにすごく馬鹿みたいだった。お馬鹿な勘違いで殺されたみたいだったよ。もしこれが小説みたいに記述されてる世界だったら、かなりイタくてマヌケな散り際だったと思うんですけど!」
「でも、指示はきちんと守ってくれたよね、ありがと」
烏帽子を取って、頭を撫でる。
「ひょんの犠牲は無駄にはならないから安心して」
「もう。穢見ルはいつも全貌を教えてくれないから、下働きは困るんだ」
「ごめんごめん。でも、これでやっと山田九十九に選択を強いることができる」
ページを捲る。黒の預言書。件の古書。わたしだけに読める、『わたしが記述した』未来の記録。『揺籠計画』――、まぁ、わたししかその全容を把握していない上に、相談する相手もいないから、命名に意味はないのだけど、わたしは密かにこう呼称している。
「それで。ぼくはいつまで此処にいればいいのさ」
「ひょんの出番はもう少し後。それまでにもう一つ、事件が動き出す」
ひょんは何か言いたそうだったが、いつも仄めかすだけのわたしに聞いても無意味だと思ったのか、深くため息をつくばかりだった。『使い魔』。座敷童をモデルに編みあげたひょんには、ある程度自分で自律した行動をしてもらわなければ困るため、ある程度の自由度は与えていた。だからこそ色々な苦労をかけているのだけど、しばらくはここでゆっくり休むといい。
「ところで穢見ル、今回の稲荷いのの襲撃はかなりぎりぎりのところで防がれたけれど、もし失敗したらどうするつもりだったのかい?」
「……どうしようね」
「おいおい」
ひょんは呆れ返って、鳥居から降りて階段を登っていく。『成功するまで何度でもやり直すわ』なんて彼に言ったら、どんな反応をするだろうか。さて、ようやく件の本は開かれたことのないページに辿り着くことができた。ここから先、何が起きて、ソレに対して山田九十九はどんな選択をするのか。
「……それにしてもまだメールは開かないか」
わかっていたことだったけれど、ネガティブで頑固な山田九十九に想いを馳せて、わたしは桜の舞う空を見上げた。まったくダメダメな人だ。『特E生物』の跋扈するこの世界で、彼女はどういう選択をするのだろうか。
「でも、『山田穢見ルを頼れ』って、指示にない台詞よね」
「それは。いきなりこんなことになったら、九十九が困ると思って……」
「わたしの『 使い魔』だったら、余計なことをしないの」
「……何を考えているんだか」
次回:さて、尾裂課長にぺこぺこと頭を下げる二人である。




