ゆるさない、ゆるさないよ、わたしはお前を『観測』した。
「嘘でしょ」
さっきまで元気にわたしを説教していた座敷童は、太刀に貫かれてぐったりとしている。多くの血が溢れ、投げ出された脚からはぽたりぽたりと滴っている。あちらの世界でもこちらの世界でも、誰かが死ぬところなんて見たことはなかった。ましてや刀で殺されるようなところなんて。
わたしは膝から崩れ落ちる。
「どうして」
「して、人間。わらわは『鬼』を探しておる。知らぬとは言わせん。さっき一緒におったじゃろう」
「……どうして」
貫かれたひょん君は、わたしの目の前で灰のように石灰化し、黄緑の光を放つ粒子となって風に舞っていき、拡散をしていった。それがどういう原理なのかはわからないが、かき集めたところでひょん君が戻らないということは理解できていた。狐少女が掲げる太刀に付着した血液は、まるでヒルが吸うかのように刀の中に吸収されていく。
「やつは生き物ではない。特異生物でもない。円環魔法で編まれた存在じゃ。いわば『魔女』の謂う『使い魔』に相当するもの。座敷童というのも嘘じゃ」
そんなことはどうでもよかった。それよりも目の前の生命が失われたことに対する怒りと空虚さのほうが頭のなかを埋め尽くしていた。わたしは彼女やひょん君の言うような世界の裏事情には疎いのかも知れないけれど、ひょん君が死ななければならなかった理由なんてないはずだ。
「答えぬのか、それならば仕方ない」
跪き、うなだれるわたしの首元に冷たい感触が走る。わたしも同じように有無を言わさずに殺されて、根絶やしと言っていた、この魑魅魍寮の人々も殺されてしまうのだろう。憂姫さんにはじめ君も、おうま君も。
――それだけは絶対に嫌だ。
わたしは魑魅魍寮の管理人なのだから。
「……なんじゃ?」
目の前が真っ赤に染まる。ふつふつといままで使わなかった脳の一部が湧き上がるような感覚が走る。自分の瞳孔が猫のように細まっていくのがわかる。唱えるべきは『Δ』の紋章。ラプラシアン。観測の魔女。意志が量子力学を覗き込むとき、黒猫は箱庭から解き放たれる。
「赫緑の円環じゃと!?」
振り下ろされた『鬼斬り』の一撃を、わたしの意志が編んだ円環が盾となり、斥力となり弾き返す。わたしのものではないはずの知識が囁く。意志を以って光子を操る。その物理法則干渉強度は、光子のエネルギーに他ならない。赤外、赤、緑とそのエネルギーは増し、青や紫外ともなれば、神話級の法則改変となる――。
「こやつ、魔女か」
「どこの誰かは知らないけれど、許さないよ」
わたしは立ち上がり、太刀を持つ少女に相対する。
「ゆるさない、ゆるさないよ、わたしはお前を『観測』した」
わたしの目の前に無数の円環が展開され、その中央部にはどれもラプラシアンの紋章が描かれている。この世界をかたちづくる『法則』そのものを説得し、捻じ曲げるだけの力。もはやわたしに出来ないことなんてひとつもないのだ。
「半覚醒の魔女、鬼の子、ひょんはいったい何を」
「ゆるさないゆるさない」
わたしの言葉に押されるように、無数に展開された円環たちは狐少女向かって突撃をする。法則すら捻じ曲げるエネルギー体そのもの。あの『鬼斬り』と呼ばれる神具すら弾き返した力だ。防ぎきることはできまい――。
「少し、舐めすぎじゃな」
が、狐少女はまるでガラスでも割るかのように、拳でそれを割った。紋章を破壊されて、この空間に定着できなくなった光子は、さっきのひょん君のように散り散りになっていく。少女の拳は、まるで狐のように毛が生え、爪が伸びていた。その眼はますます細く絞られ、わたしは『神性存在』というものの格を肌で感じた。
「さすがにあやつの創った『鬼斬り』では円環魔法は破れぬが、そもそもこのようなものは手品レベルじゃ。児戯に等しい。目覚めたての魔女など、神狐の敵ではないわ」
薙ぎ払うように、狐の腕を振り、わたしの展開した円環は一つ残らず砕かれてしまう。これじゃダメだ。もっとだ、もっと魔女の力を。わたしは識っている、この力のイドはもっともっと深いことを。ただ『観測』が出来ないだけで、これよりもっと多くのことができるということを――。
ピシリ、と脳内で何かがひび割れるような音がした。
「あ、あれ?」
「時間切れじゃ。ま、初覚醒でそこまで出来ただけ上出来じゃな」
太刀が振りかざされる。
わたしはさっきまで感じていた万能感がウソのように、夢のように、まったくの無力になってしまった。さっきまでのあの魔法、どこをどんなふうに念じればよかったのかすら思い出せない。振り下ろされる太刀に、咄嗟に手をかざすが、当然そんなもので防げるわけもなく。
「わらわに歯向かった罪、贖うが良いぞ」
ごめんね、ひょん君、うまくできなかったよ――。
――走馬灯なんて見ている暇はなかった。
「お怪我はありませんか、管理人」
金属のたわむ音が聴こえ、わたしはいまの一撃でこの生命を終わらなかったのだと気づいた。聞き覚えのある声がして、顔をあげる。2メートルを越す大柄な鎧が、わたしの前に立ちふさがってくれていた。
「ヒトーさん!」
「こやつ、デュラハンか。チッ、邪魔ばかりしおって」
もう一度太刀が振り下ろされるが、ヒトーさんの鎧に浅いキズを創るだけで致命傷には至らない。腰が抜けてしまったわたしはただただ間抜け面でヒトーさんを見上げるばかりだ。太刀をその腕に食い込ませたまま、彼はこちらを振り返る。
「間に合ったようでよかったです。早く寮のみんなに逃げるように伝えて下さい!」
バイザーが上げられると、そこには初めて見る眼鏡の女性が入っていた。
「……だれ?」
「いいから早く!」
次回:ヒトーさん、わたしとひとつになりましょう!




