鬼さん、こちら。手の鳴る方へ♪
山田九十九、22歳。
『ひょん』なことからこの魑魅魍魎が跋扈する世界に連れてこられて、魑魅魍寮の管理人となった。そこでは生ける鎧の『ヒトーさん』、従兄弟の『山田はじめ』君、働かない冬の神『柊憂姫』、滅びたはずの鬼『おうま』君、そして座敷童の『ひょん』君が住まう寮で、わたしは元いた世界で味わった苦痛を忘れ、この世界で不労所得を得ながら悠々と暮らしていくのだ、
――たった一ヶ月ではあったけど、わたしはそう信じていた。
世の中はそんなには甘くなかったのだ。
「九十九さん、いったいこれはどういうことですか」
「ごめん。ひょん君、でも――」
「でもじゃありません。その無知な行動がどれほどの結果を招くか……」
決して外にその存在を知られてはいけないという、滅びた種族、『鬼』。その最後の生き残りであるおうま君を見かねて、フードを被せて散歩に連れだしたわたしだったが、誰にも気づかれずにことを済ませようと思っていたのは、甘い考えだったようだ。帰るなり、ひょん君が玄関口で待っていて、わたしはお説教を食らう羽目になった。
「おうま、いまのうちに中に入ろう」
「うん、ただいまー」
おうま君ははじめ君と一緒に魑魅魍寮の中に入っていく。
鬼の特徴はすなわち角。敏感な二本のたんこぶのような突起部分だ。そこをフードで隠せば何の心配もないと思っていたのだが、アラミタマートで逢った夏姫さんにはいままでにないほど真剣な目つきで怒られるし、はじめ君にも呆れられた。当然、その禁を口酸っぱく言っていたひょん君は怒り心頭だ。
「だいたいひょん君だって悪いよ、どうして『鬼』を外に連れだしちゃいけないのさ。重要性を説くならその説明をきちんとしなきゃ。わたしには、おうま君は普通のショタにしか見えないし、危険性で言えば、デュラハンのヒトーさんとか、五穀豊商店街のユグドラシルさんとかのほうがよっぽど危険でしょ?」
「それは――」
「そこで口ごもる。『箱庭世界』とか『フェッセンなんちゃらの魔女』とか伏線張るだけ張っといて、あなたはきちんと説明するつもりがあるんでしょうね」
わたしはひょん君(身長は30センチもない)の和装の襟をつまみあげて、目の高さまで持ってくる。じたばた暴れるが、それで離すほどわたしは間抜けではない。ここらではっきりさせておかなければならないのだ。どうして『鬼』という種族はそこまで恐れられているのか。そしてひょん君はどこまでその隠された事実を識っているのか。それはきっとわたしがこの魑魅魍寮のある世界に連れてこられたことにも繋がっているような気がするから。
「『鬼』は滅ぼされたことになっている種族です。特異生物に準ずる分類を受けてはいますが、そもそも本質的に特異生物とはまったく異なります。この世界の外から現れ、この世界はそれを排除するために戦い、『鬼』は滅ぼされたことになっているんです」
「外から……?」
「そう、ちょうどあなたのように。外来種の喩えを出すのは陳腐極まりないですが、この世界は『鬼』の脅威に対して必死で抵抗をしました。もともと魑魅魍魎たちが平和に暮らしていたこの世界で、彼らに敵う存在などありはしませんでした」
ときは夕刻。黄昏時。またの名を逢魔ヶ時。
ひょん君の目は夕焼けの赤を受け、この世界とは異質なもののように見えた。
「そこで出雲政府は、かつて封じた『神性存在』を解き放って、『鬼』排除を条件として契約を交わしたのです。それは愚策でしかありませんでしたが、実質的にその方法しかありえませんでした。そしてそれは成功したかのように見えましたが、おうまが生き残っていました」
「おうま君が、外からの存在?」
「そうです。そして最近この地区では『神性存在』の気配が感知されているんです。それでなくとも 『鬼』を知られてはいけないのに、『神性存在』なぞに知られては、『箱庭計画』が――」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ひょん君。ますますわからなくなってるって!」
なぜだか見てはならない闇を覗き込んでいるような気がした。本当ならばこんなことなんか掘り下げずに、魑魅魍寮でのほほん暮らしているのが正解なのかも知れないと感じた。おうま君が外に出られないことからは眼を反らし続け、何も知らずに暮らしていくのが。
「そもそも『神性存在』って――」
「鬼さん、こちら。手の鳴る方へ♪」
途端に背後で見知らぬ声がして、わたしは背筋が凍りつく思いだった。おそるおそる振り返ると、時代錯誤な巫女服を身にまとった、狐耳に狐尻尾の少女がそこには立っていた。コスプレなのだろうか、腰には長い太刀を下げている。眼は猫のように瞳孔が狭まっており、わたしはこんな眼をどこかで見たような気がしていたが、思い出す余裕はなかった。
「――稲荷!」
「久しぶりじゃ。ひょんよ。座敷童みたいな格好をして滑稽じゃな」
「どうしてこちら側の世界に」
「それはわらわの台詞じゃ」
どうやら知り合いらしい。
「ところでさっき『鬼』の臭いがしたんじゃが、知らぬか?」
「し、しししし知らないですよ。鬼? 鬼ぃ? ファンタジーじゃあるまいし!」
わたしは全力で手と首を横に振ったが、その稲荷と呼ばれた少女からは冷ややかな視線をもらうばかりだった。
「九十九、こいつが『神性存在』。『鬼』を狙っている。下手なことを言うと君も殺される」
「は、はひ……」
ひょん君はいまだにわたしに吊り下げられている状態だったが、それを余裕で振りほどき、稲荷と面と向う。足元には黄緑色で編まれた円環が設置されており、その上に立っているため、目線の高さはあっていた。そこでようやくひょん君は、わたしに合わせてくれていたのだということを識った。
「『鬼』はあなたたちがすべて征伐したではありませんか」
「嘘を言わずに話をはぐらかす、相変わらず賢しいな。『鬼』がいるのは間違いないのじゃ。なんならそこの人間を拷問してもいいのじゃぞ、かつて出雲政府はそれだけの権限を我らに与えたのじゃから、我らは顕現したのじゃからな」
「……」
「もう手詰まりか?」
※
いつかこんな事態になるとは思ってはいたけれど、あまりにも早すぎた。
『神性存在』の妨害は当然『計画』には織り込み済みだったが、まだヒトーも覚醒していないし、山田九十九にいたっては魔女の自覚すらない。こちら側の戦闘能力は皆無に等しい。くそ、と毒づきたくなる。
――ぼくは裏方だから、こんな最前線は似合わないのにな。
「精神体のくせに随分と強気に出ますね」
「試してみるかえ?」
稲荷が『鬼斬り』の柄を握りしめる。
ぼくは薄っぺらい笑みを貼り付ける。落ち着け。あれは脅し以上の何ものでもない。彼女の目的は、ぼくから肯定的な証言を引き出すこと。
こちら側に顕現しているとはいえ、『神性存在』は一度出雲政府によって再度封印されたのだ。あの件のいる狭間の世界に。こちら側に物体として受肉をするためには、下等種族の身でその隠匿された事実を探り当て、さらには狭間の世界で穢見ルに悟られずに、生け贄をひとり用意した契約を交わす必要がある。
そんなことをするメリットのある人間なんて誰もいないし、そもそも『魔女』でなければそんなアクセスもできない。はったりだ。ぼくは胸のざわめきを感じながらも、『鬼斬り』の身が放つ怪しい光を見つめていた。
「ひょん。わらわとお主の仲じゃ、もう一度聞こう。『鬼』は――」
「稲荷も脅しが下手になった。ここには君の興味を引くものはいない」
「残念じゃ」
ぬるりと、『鬼斬り』の切っ先はぼくの身体を貫いた。
「へ?」
「いやあああぁあああああぁ!」
九十九の叫び声が耳元でうるさくご近所に迷惑だと注意をしてやりたいが、喉元からこみ上げてくる血液でうまく口が回らない。ごふ、と太刀に吐血が落ち、『鬼斬り』はまるで何年かぶりに餌にありつけたかのように怪しい輝きを増した。
「『神性存在』に騙るということがどういうことか、識っておろうに」
「……受肉を?」
「もうお主に語ったところでどうにもなるまい。根絶やしじゃ」
ほら。
裏方がでしゃばりすぎるとこうなってしまう。
不思議とはじめに感じた痛みは薄れていって、穏やかな気持ちが心のなかを占めていくようになる。それが生を終えようとするモノに対するせめてもの哀れだとでもいうかのように。心残りはあまりにも多すぎる。
ああ、そうだ。九十九にいい忘れていたことがあった。ぼくが死ぬことなんて想定していなかったから。針に糸を通すような確率だけれど、もし、この 『神性存在』という暴風雨の中から、おうまか君だけでも生き延びることができたら――。
「……九十九、穢見ルを頼れ」
「え……?」
「わりと楽しかった。それじゃ、ばいばい」
「ひょん!? やだよ……?」
あとであの『山田』を刻まれしものが補足をしてくれるだろうから、ここでは言わないけれども、九十九、君をこちらに転移させたのは他ならぬぼくの力だ。そのぼくがいなくなれば、わかるよね。魑魅魍寮に残した力が消滅するまでどれだけあるのかはわからないけれど、君が地獄と嫌ったあの世界に戻らなければならない時はそう遠くはないだろう。
そのときの君を顔を見れなくて残念だよ。
次回:山田九十九vs稲荷いの
コメディとはいったい。




