いいね。うちはきちんと言った。あなたはそれを聞いた。いますぐ帰って。
かくしておうま君とのはじめてのお出掛けであった。
ときは夕刻、およそはじめ君たち百鬼夜高校の生徒が帰ってくるような時間。わたしは魑魅魍寮から決して出してはならないとされていた最後の『鬼』であるおうま君にフードを被せ、その小さな手を引いて街に繰り出すことにした。
公務員としての就職を目前に控えた4月1日に、魑魅魍魎が跋扈するこの世界に転送され、いまはGWが終わって少しした頃。ほんの一ヶ月半しか経過していないが、基本的に魑魅魍寮を出ない生活をしている管理人のわたしは、同じく出られないおうま君と過ごす時間が多かった(柊さんも寮からあまり出ないが、あれは引きこもりという生物である)。わたしがショタコンであるのもあって、わたしはどうしてもおうま君と色々なものが見たかったのだ。
『鬼』がこの世界にどんな影響をあたえるのかは知らないが、こんなわたしでも襲えてしまえそうな小さく非力な子供である。何も怖れることはないと、わたしは考えていた。ただ、繋いだ手のひらはじっとりと濡れてしまっていた。
「おぉ」
「おうま君、これが五穀豊商店街だよ。人がいっぱいいるねえ。もうちょいフード被ろうね」
わたしたちが住んでいる街の中心部ともいえる商店街だった。ここを抜けてもう少し歩けば、はじめ君の通っている百鬼夜高にぶつかる。はじめ君が帰りがてらに食材を買ってくる商店街で、わたしも何か入用のときはここに脚を運んでいた。魑魅魍寮からは川沿いに歩いて、ヒトーさんの仕事場を曲がって数分。近くはないが、散歩だと思えば苦ではない距離だった。
「おいしい、なにこれ」
「リーさんの唐揚げ。美味しいでしょ。このガーリックが……、ってにんにく大丈夫?」
「うん」
「吸血鬼ではないか」
商店街に隣接している電車の駅が基幹的な駅なこともあって、この商店街はシャッター通りとは程遠く賑わっていた。特に駅の近くに行けば行くほど大きなゲームセンターやカードゲームショップ(憂姫さんはここに通っているのだろう)など、若者向けのショップが並んでいる。それに「狢の穴」「スイカブックス」「モエメイト」が一同に会しているのも非常にグッドで、わたしはこの商店街に用事があるときは、必ずそこを三箇所ともチェックしているのだ(あくまでサブの目的だ!)。
――とはいえ、そんな巣窟のようなところに、おうま君と一緒に行くわけにもいかず、わたしはとりあえずアラミタマートに向うことにした。食材を買うスーパーを抜けて、交差点の二郎系ラーメン店を抜けると、そこにある。
「ここに入ってみようか、って大丈夫?」
「人が多すぎ」
「そっか。夕飯時だし、多いかも。やっぱり慣れていないんだね、おうま君は」
ここに寄ったら、できるだけ大通りを避けてそのまま帰ろう、とおうま君の手を引いて、自動ドアをくぐった。ドアが開くと同時に特徴的な音楽が鳴る。
「いらっさいませー、あ、管理人さんじゃん」
「はろー、夏姫さん、芋けんぴみっつ」
ボーイッシュなショートカットのその女性は、榎夏姫という。夏という名前の通り、明るくさばさばした性格で、いつも元気だ。わたしの寮の二階に住んでいる柊憂姫とは大の友達(こんなエネルギッシュな子とあの引きこもりゲーマーが仲がいいなんて、意外だけれど)。人間型の特異生物で、人々の信仰と畏れを糧に形造られた『夏』の神様だ。
一度、憂姫さんのところに差し入れ等を持って来たときに、FaithbookやLINNEのアカウントを教えてもらった。それ以来直接的な交流はなかったが、SNSにアップされる旅行の写真や飲み会の写真を見て彼女のエネルギッシュさに憧れながら、こうして商店街に寄るときには顔を出すようにしている。
「芋けんぴ、好きだね。太るよ?」
「夏姫さんが薦めてくれたんじゃんかよー」
「はは、すまんすまん」
ここの芋けんぴは非常に有名で、特に憂姫さんがそのジャンキーと化している。たまに遊びに来る夏姫さんもその差し入れだけは欠かさないし、初めて逢った時の挨拶で貰ったのも芋けんぴだった。芋、油、砂糖、考えるだけでゾッとするメンツだったが、その背徳感が堪らなかった。
「それで? 今日は何のようなのさ。雑誌の発売日でもないし――、って、その子」
「そう、ちょっとお散歩ついでにね」
わたしの後ろに隠れていたおうま君がちらりと顔を見せる。夏姫さんが来るときにはほとんど部屋からは出ていないから、もしかしたら苦手意識があるのかもしれない。顔を真っ赤にして俯いている。その様子に、たはは、とわたしは笑ってみせたが、夏姫さんの顔からは表情が消えていた。
「何を勝手なことをしているの」
「へ? 夏姫、さん?」
わたしは突然肩を押されて、そのまま外へと連れだされた。表にある喫煙ステーション付近まで連れだされて、壁ドンされる。おうま君は怯えて切っていた。わたしだって怖い。こんな夏姫さんは見たことがなかった。
「いますぐ帰って」
「ど、どうして……」
「憂姫か座敷童から聞かなかった? その子は『鬼』の末裔なんだ、存在は許されない」
「そんなの、理由になってないよ」
「いいから。いますぐ帰って、その子を魑魅魍寮から出さないで。あなたたちがどんな被害に遭っても構いやしないけど、魑魅魍寮が、憂姫の居場所がなくなることだけは、うちは嫌なの。お願いだから、魔女だからって勝手なことをしないで」
おうま君と繋いでいる手。お互いに震えてしまって、汗もかいている。
――どうしてみんな、そんな『鬼』を迫害するの。
おうま君はただの小さな角が生えているだけの男の子じゃないか。商店街まで散歩をするくらい、それこそちょっと外に出るくらいいいじゃないか。わたしが魑魅魍魎のことを何にも知らないからって、馬鹿にするのもいい加減にしろ。
「あのね――」
「夏姫ちゃーん、レジ、レジ」
わたしは反撃に出ようとしたが、その途端、そんな気の抜けた声が店の中から響いた。店長のおじさんだろう。目の前の朗らかだったはずの少女は顔を歪めて舌打ちし、「いいね。うちはきちんと言った。あなたはそれを聞いた。いますぐ帰って」と釘をさして、アラミタマートへ帰っていった。
「……なんなの」
力が抜けてしまって、その場にへたり込む。『おーっす。なっちゃんだよー。お、平日の昼間っからカードゲームとは暇人どもが集まっているねーぃ。ほらほら、なっちゃんがお菓子を持ってきたよん。芋けんぴに芋けんぴに芋けんぴだー!』なんて言っていた少女と、本当にあれは同一人物なんだろうか。それともそこまでして注意しなければならないことがあるとでもいうのだろうか。
「……ごめんなさぃ」
「おうま君が謝ることじゃないよ。行こう。もう風も出てきたし、寒くなるから」
※
「結局何も買えなかったね」
「……」
「怒られちゃったけど、また散歩したいね」
「……つくもねーちゃん、ありがと」
初めて名前を呼ばれたことで、わたしはもうびしょ濡れだった(手のひらが)。
次回:山田九十九とおうまと山田はじめと小谷間ともえと、狐