夢にまで見た女子高生生活だよ~。チョベリグだよね。
「夢にまで見た女子高生生活だよ~。チョベリグだよね」
『うきうきじゃな、学校というやつか』
「そうそう! 愛憎と肉欲が繰り広げられるというあの!」
『ところでもう少し声は落としたほうがいいと思うのじゃが』
「あ……」と口をつぐんだのも遅く、一緒に登校している同じ制服の学生たちも、ゴミ捨てに出てきたおばさんたちも、みーんなの視線がわたしに集中していた。失敗失敗……。と思いながら、気にしない振りをする。
『いい加減その身体にも慣れたようじゃな』
こくりと、声には出さずに頷いた。
※
稲荷いの。それが、肉塊として生まれたわたしに身体を与えてくれた『神性存在』の名前だった。ねーさんが見つけてきてくれて、わたしを肉体を得ることを、彼女はそれを器に裡に住ませることを条件に、契約をしたのだ。ちなみに彼女の姿はわたし自身なのでまだ見たことはないのだけど、ねーさんが描いてくれた絵を見るに、狐耳のじゃロリ巫女って感じだった。というか、ねーさん、いやに萌え絵が上手だった。
わたしが肉体を得て一年間はリハビリの毎日だった。いままでベッドの上でチューブに繋がれて、「ぃぁぃあ」言っていた存在が、急に生えた腕でものを掴み、急に生えた脚で歩き、目も視えるようになったとなれば、それはもうおたまじゃくしが蛙になるほどの変化である。痛くなかったと言えば嘘になるが、元の肉塊に戻りたいとは絶対に思わなかった。
年度末を迎え、わたしとねーさんは四月に向けての新生活の準備をしていた。ねーさんは学校近くの会社にその知識を活かして就職を決め、事務員として働くこととなっていた。わたしはどんな手を使ったのか知らないが、或る遠い中学校を卒業したことになっていて、百鬼夜高という高校に入学することになっていた。そのための生活の場は、ねーさんのアパートに転がり込むかたちで、わたしたちの新生活は始まったのだ。
『わしも忘れてもらっては困るのじゃ』
いのはほとんど眠っているのだけど、たまにわたしの意識の表層に現れてきて、わたしの頭のなかだけで響く声で喋りかけてくる。だいたいその要求は、その引越しそばには油揚げは乗せないのか、だとか、まどかの作る味噌汁には油揚げが足りないだとか、全体的におキツネ様の食欲に関するものだった。
「ねーさん、わたしが学校なんて、大丈夫かな?」
3月31日の夜、小さな寝室でわたしたちは「リ」の字になって眠っていた。開け放した窓からは春の匂いがして、きっと動物としての本能なのだろう、胸が騒いだ。ほんの数ヶ月前まで、しかも生まれてからずっとの15年間ほど、誰とも喋れず何も見えず匂いだけを頼りとしていた肉塊だったなんて信じられなかった。
「……ともえなら大丈夫。わたしの自慢の妹だもの」
もうすでに眠っていたと思っていたねーさんの口が開いた。
「ほんとうに?」
「ほんとうよ、ねーさんが嘘をついたことがある?」
「……じゃあ、頑張る。おやすみ、ねーさん」
不安は消えることはなかったけれど、それに向かって一歩踏み出す勇気は胸の奥に灯ったような気がした。もっとも胸の奥では、狐娘がすぴすぴ寝息を立てながら『もう食べれないのじゃ……』なんてむにゃむにゃしていた。
「ねえ、ねーさん、ねーさんはいつからわたしのねーさんになったの?」
今度は寝息しか帰ってこなかった。
※
「あ、ごめんなさい。ぼーっとしていました」
わたしが通学路の途中で物思いに耽っていると、後ろから来た男子にぶつかられた。うちの百鬼夜高の学ランを着ている。その着慣れなさからしてきっとわたしと同じ一年生なのだろう。耳が隠れるくらいの黒髪で、さわやかな感じだった。背は小さくて、わたしと同じくらい。
咄嗟になんて返したらいいのかわからなくってどぎまぎしていると、少年はわたしの顔を覗きこんで、「無事そうでよかったです、じゃ」と言って、前へ前へ進んでいってしまった。わたしはといえば、その小さくなっていく小さな背中を見つめたまま、一歩も歩きだせずにいた。
――いの。
『どうしたのじゃー』
――学校って凄い。ほんとに転校というか入学初日に男子とぶつかるんだ……。
『は?』
――転んでパンツ見せたほうがよかったかな?
どうやらいのにはこのRomanが伝わらないらしく、頭に指を持って行ってくるくると回していた(わたしの頭のなかで)。百鬼夜高に向かって歩き出しながら、わたしは懇切丁寧にいま起こった『奇跡』について説明をしていたが、いまいち納得はしてもらえなかったようで、釈然としない顔をしていた。
お母さんが読み聞かせてくれた漫画はほとんどがこれ始まりで恋に落ちていた。
※
かくして、教室に入ると、その少年がいたではないか。
『あー、あのときの!』と叫ぶ勇気はなかったので、わたしは少しズルをすることにした。はじめの席順では男女それぞれ苗字の五十音順で並んでいる。彼は男子の列の一番最後、すなわち、よく漫画で主人公が頬杖をついているような窓際の最後尾である。
一方わたしは小谷間姓。お近づきにはなれそうもない。何度か彼の視界に無理やり入ってみたが、気づく様子もなく、話しかけるためには隣になることが一番だった。わたしの恋の教科書である少女漫画も不思議な力が働いて隣同士になるのである。
始業前に、彼がトイレか何かで席を外しているとき、わたしはわたしの座りたい席に座っている渡邉さんに声をかけた。
「ねえねえ、はじめまして」
「はい?」
「『お主は眼が悪くてあそこの席と変わってほしいのじゃろう?』」
「……はい」
静かに渡邉さんはそう返事をすると、荷物をまとめて、その席へ向かっていった。同じ手法で先生もやり込めれば何の問題もあるまい。わたしのこういう無茶な願いは、いのはよく聞いてくれた。『神性存在』というのだからもっとケチ臭かったり、無駄にプライド高かったりするのだと思っていたのだが、案外気前はいい。まるであとで見返りを要求するための布石のようにも思えた。
彼が戻ってきてしばらくしたころ、わたしは意を決して声をかけた。
「あの。これからよろしくお願いします。わたし、あんまり知り合いがいなくって。ともえといいます」
「え、ああ。よろしく。ぼくもこのクラスにはあんまり知り合いがいなくて困ってた」
運命の相手の少年は、山田はじめ君というらしい。
※
「不思議な匂いのする子だったなあ、山田君」
『もうあの男にホの字なのか、ともえは。交尾はいつじゃ?』
「もー、気が早いよ!」
『なんじゃ、つまらん。しかし、あの因果の絡まり方は興味深いが……』
「ん?」
『なんでもない。帰りにスーパーで油揚げを買って帰るのじゃ』
次回:おうまがどき!(2)