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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第二章:デュラハンリーマンと恋するOL
18/99

わたしがどれだけ今日を楽しみにしていたか、わかっているんですか。

 「ヒトーさん!」

 「はい、なんでしょう」

 「わ、わたしと今度のお休みにですね、映画を見に行きませんか!?」

 「映画、ですか」

 「ダメ、ですか……? いつもお世話になっているので、その御礼にと思って」


 ※


 ピロリロリン。

 ヒトーさんと合流した喫茶店を出る段階で、どこかで聞き慣れた音がした。


 「失礼」


 ヒトーさんが頭部のバイザーを上げて、中からスマホを取り出した。スマホをスタイラスペンでなぞって、彼はメールを開く。しばらく眺めて、カションとバイザーを下げて、わたしを見下ろした。


 「すみません、オフィスにいかなければ」

 「仕事のメールなんですか?」

 「はい」

 「……そうですか」


 前言撤回だ。ヒトーさんの表情が、わたしにはまったく読めない。このビジネスメールが入ったことで、ヒトーさんが困っているのか、それともよくわからない新人女と離れる理由ができてホッとしているのかわからなかった。冷徹な鈍色がわたしを見下ろしている。

 わたしは。

 わたしは――。


 「ヒトーさん、本当にお仕事に行くんですか?」

 「緊急の案件だそうなので」

 「わたしがどれだけ今日を楽しみにしていたか、わかっているんですか」

 「……」


 大学まで卒業して社会人になったはずなのに、ちょっと昂ぶると涙がぼろぼろ溢れてしまう。喫茶店のみんながたぶん痴話喧嘩か何かだと思ってじろじろ見ているのがわかる。普段のわたしだったら萎縮してしまうところが、いまはそれどころじゃなかった。


 「ヒトーさん、今日は何曜日ですか」

 「土曜日です」

 「そうです。それもゴールデンウィークの初日です。お休みなんです。仕事をする日じゃあないんです。ヒトーさん、わかりますか。そんなメール出すほうが間違っているんですよ。ヒトーさんだって映画楽しみにしていたじゃないですか」

 「ですが――」


 パァン。

 咄嗟に出た右腕がヒトーさんを引っぱたいていた。もちろん二メートルを超える巨漢であるから、ちびっ子のわたしの手が頬に届くわけもなく、胸板の金属板を叩いたに過ぎない。中は空っぽなので軽く反響した音がした。ヒトーさんがこれで痛がるとは思えないし、自分の手はもうヒリヒリしている。


 「ごめんなさい」

 「……」


 ところどころ煤けていたり汚れているヒトーさんの胸に刻まれている紋章が、わたしの体温でどくんと一瞬輝いたような気がした。無数に重なりあった円の中心には、∇の右上に小さく2,その隣にfと書かれているように見え、その上に無数に装飾が重ねられている。ラプラシアン。それは意志量子力学において『発散』を意味する。


 ――まさか。いや、そんなはずはない。

 大学院時代の記憶が脳裏をかすめたが、それ以上に、空っぽの頭に手をやっているヒトーさんが気になった。相変わらずの無言だが、あきらかに様子がおかしかった。まさかわたしのビンタが効いたというわけでもないだろうに……。

 一瞬輝いたその紋章はまるで幻のように消え、鈍色の金属板がそこにあるだけだった。


 「……思い、出せない」

 「ヒトーさん?」

 「……いえ、なんでもありません。心配をお掛けしました」


 彼は右手に持っているスマホにスタイラスペンを走らせる。少しして彼はバイザーを上げて、その中の空洞にスマホを放り込んだ。わたしの頭の上に、体温のない鎧の手が被さった。


 「急用があると返事をしました。もしこれで怒られたら、一緒に怒られてくださいね」

 「は、はい! 喜んで!」


  ※


 「それにしてもどうして急に」

 「なんと言いましょうか、あなたが似ているような気がしたのです」

 「……前に飲み会で言っていた女性にですか?」

 「それがよくわからないのです」


 ※


 『見てたよー、まどかさんグッジョブ!( ´∀`)b』

 という夏姫さんからのLINNEが入っていて、一気に死にたくなったわたしだった。


 ※


 電車に揺られるヒトーさんとわたしだ。

 ヒトーさんはその巨体故にいろいろな場所で注目を集める。そりゃあわたしは慣れているとはいえ、歩く西洋の甲冑だ。剣まで携えている(見せてもらったことがあるが、錆び錆びだった)。特異生物という存在は、古来から認知もされているし、近代では法的な整備も相まって社会参加が可能となった。それでも偏見や好機な眼差しというものは存在する。そのとなりを歩いていると、なんだかムカムカしてくる。ヒトーさんはすごいんだぞと両手を振り回して言いたくなってくる。


 ――でも、わたしも同じだ。

 彼に逢わなければ、きっとわたしも、物珍しく見ている側だったのだろう。実際そうだ。いまだって。特異生物という存在は、わたしたちとはちがう彼岸にいるのだとどこかで思っている。夏姫さんもヒトーさんも、街ですれ違う者たちも。

 恥ずかしい。


 そんなことを思っていると、ガタンと電車が揺れ、ヒトーさんに肩を支えられた。


 「ありがとうございます。あ、ヒトーさんってお幾つくらいなんですか?」 

 「幾つ、なんでしょうね。途中から数えるのをやめてしまったような気がします」

 「そうなんですか……」


 ヒトーさんは相変わらず謎が多い。家族構成だってわかっていないし、もともとヨーロッパからやってきたのだという話もどこまで信じていいものかわからない。履歴書上は天涯孤独で、特異生物を優遇する寮で生活をしていると書かれていた。なんでこんなところでサラリーマンをしているのか、いまだにわからない。


 「ヒトーさん、つきましたよ。行きましょう」

 「ええ」


 5月初旬、ゴールデンウィークに差し掛かる、少し汗ばむような陽気の中で、わたしとヒトーさんは遊歩道を散歩していた。夏姫さんの話では少し歩けば例の映画館があるらしい。わたしはさっそく見つけてしまったラブホテルのほうを見ないように、ヒトーさんとお喋りをしていた。


 「まどかさん、これからいく映画ってどういうものなんでしょう?」

 「えっと、わたしも夏姫さんに貰ったチケットだからよく見ていなくてですね、うーんと、異世界に召喚された全裸の男が村八分に遭う――、あ、これ来週からだ。今日やるのは、絶対に喋らない静寂サイレント魔女リティと箒が主人公のファンタジーものみたいです。絶対に面白そうですよ。見て損はないと思います!」

 「それは面白そうですね」

 「でしょう!」


 その後、噴水広場の出店で唐揚げを買って食べたり、コンビニに寄ったり、映画が始まるまでの時間、ゲームセンターでやれもしないゲームを眺めていたり、ヒトーさんが意外にも『ダンスダンス☆ゴージャス』というリズムゲーが得意だったということがわかった。まるで何かに操られているマリオネットのような動きで、流れてくる矢印を踏み抜いていた。なお、頭はわたしが持って画面に向けていたので、視線がブレなかったのも大きいのかもしれない。


 「……楽しいですねこれ」

 「なんか意外な一面が見れた気がします」


 ポケットの中のスマホがずっと着信で震えていたけれど、わたしは気づかないふりをしていた。ヒトーさんはすでに電源を切ったようで、わたしもそれに習って電源を切ることにした。いちばんやり取りをしたい相手はいま隣にいるのだから。会社からの数件の無言電話の表示が闇に消えた――。



次回:19話『或るOLの追想』

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