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魑魅魍寮へようこそ!  作者: 山田えみる
第二章:デュラハンリーマンと恋するOL
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ねえ、ヒトーさんのここ、こんなに硬くなってます。

 「ねえ、ヒトーさんのここ、こんなに硬くなってます」

 「そ、それは……」

 「隠したらダメ。わたしも恥ずかしいんですからね!」


 控えめなジャズが流れる中で、薄明かりの慣れないベッドの上で、わたしは顔から火を吹きそうなくらい恥ずかしい格好をしていた。貧素な身体でごめんなさいと頭の中で謝りながら、夏姫さんに聞いたあれそれを必死に思い出している。

 高校、大学、大学院(中退)と勉強一筋でやってきたわたしにとって、こういうことには興味こそあれ、別次元のもののように思えていた。こんな気持ちになることもないと思っていた。まだ高校生の妹に相談するわけにもいかないし、本当に夏姫さんに相談に乗ってもらえてよかったと思う。


 「ん、あれ、あれれ?」

 「小谷間さん――、いえ、まどかさん。無理しなくていいですから」


 とわたしの貧素な身体を抱き上げて、ゆっくりと――。


 ※


 「ねーさん、起きてー」

 「ひあぁ!?」


 飛び起きると、味気ない味気ない和室に使い慣れたお布団の中だった。薄明かりどころではなく、直射日光の朝日が顔面に降り注いでいる。手探りで眼鏡を探し、眼鏡をかけて、ひとしきり落ち込む。すごい夢だった。すっごい夢だった。


 「ねーさーん? 遅刻するよー?」

 「は、はい!」


 妹の声と壁にかけられた時計の示す時刻から、落ち込んでいる場合じゃないことを知る。慌ててパジャマを脱ぎつつ、お洋服の用意をしつつ、歯磨きをしていく。朝から下着を一枚ダメにしてしまったことを嘆きつつ洗濯槽に入れて、光の速さで出かける準備を進めていく。ちらちらと慌てるわたしを眺める妹の姿が目に入るが、にやにやしていた。


 「まさかねーさんがデートなんてねー」

 「そ、そんなんじゃないもぐ!」


 パンが喉に詰まって、慌てた妹が水を持ってきてくれた。


 「ゆっくり食べなよ、ねーさん寝坊すると思って時計ずらしておいたんだからー」

 「こら!」


 椅子に腰掛けて素脚をぶらぶらさせながら、にまにまとわたしを眺めている。わたしはといえば、妹がずらした時計の分数が一分であることを知り、必死で慌てていた。パンを食べたら顔を洗って、それから、それから。


 「変にお化粧とか力まないほうがいいと思うよ?」

 「それはお友達にも言われているから、大丈夫!」


 こういうときに慣れないことはするもんじゃないときつく言われていた。実は映画のチケットが渡せてからも、ときたま夏姫さんとはミーティングを繰り返していた。彼女のアドバイスは本当にためになったのだけど、二人して外に出て行く度にヒトーさんが何か配慮をするような素振りを見せるのが困りモノだった。


 「電車の快速で20分くらい。郊外なんだけど、映画館まで徒歩10分くらい。いい散歩になると思うよ。ふたりとも車は乗れないんだよね? じゃあ、その映画館の近くにあるレストランで晩御飯だ」 

 「ふむふむ」

 「それから駅まで夜景を楽しみながら、そのころには手をつないじゃないましょう!」

 「にゃんと!」

 「んで、ちょうどいいころあいのところに、特異生物御用達のラブホがあるもんで――」

 「ちょ、それは早いですって!」


 今朝の夢はどっからどうみても夏姫さんのせいだった。


 結局、ふつうの休日ではヒトーさんの仕事が終わらず映画に行ける時間がないということで、ゴールデンウィークのはじめに行くことになった。4月のはじめ、大学院での研究を辞め、あの会社に就職となり、得体のしれない巨体の鎧に出逢った頃はまだ肌寒かったのに、いまは汗ばむほどの陽気だった。だから気持ちは少し大きくなっているのかもしれない。


 いつもどおりの簡単な化粧をしたわたしは、気合を入れるために頬をぺちぺちと叩いた。


 「がんばれ、ねーさん、ふぁいとー。同僚だっけ?」

 「うん、せんぱい。あなたはどうなの? 念願の学校生活じゃない」

 「楽しいよ。お話を出来る人もできたし、人がこんなにいっぱいいるところはじめて!」

 「そうじゃなくて、好きな人とか」

 「まだ早いって!」


 妹は豆腐に味噌をぬりぬり塗りながら、箸で器用に食べていた。彼女はダイエットか何か知らないが、基本的にごはんやパンは食べずに大豆製品ばかり食べている。だから胸もそんなに成長するのだろうか。油揚げたっぷりの味噌汁に豆乳というのが彼女の定番の朝食セットだった。その割に朝以外はジャンクフードを好むのだから、よくわからない。


 「それよりねーさん時間いいの? 駅で待ち合わせでしょ?」

 「いっけない、それじゃいってきまーす!」

 「今晩中に帰ってこなくてもいいからね~」

 「もう!」


 ※


 「あの、待ちました? いえ、わたしはいま来たところで……」


 駅の集合場所から少し離れて喫茶店で、わたしは口の中でもにょもにょとセリフの練習をしていた。ちなみにいまのセリフは、冷静に考えれば、単純にわたしが遅れてきただけの失礼なやつである。失敗、失敗。砂糖を多めに入れたアイスコーヒーを飲んで動悸を落ち着ける。


 ピロリロリン。


 テーブルの上においていたスマホの音が鳴って、LINNEメッセージが送られてきたことがわかる。通知画面には『夏姫さん』と表示され、彼女らしい太陽のアイコンがポップアップする。


 『いよいよ本番ですね! 頑張ってください!』

 『ありがとうございます夏姫さん。頑張ります』


 頬が緩むのを感じながら、夏姫さんのことを思い浮かべる。名前のとおり夏を思わせる朗らかで天真爛漫な少女。不意にこのあいだ抱きつかれて胸を当てられた感触を思い出して、わたしはドキドキしてしまい、眼鏡の位置を直しながらコーヒーをすする。ヒトーさんに『しかし、小谷間さんはえのきさんと行った方がいいのでは?』と言われたことも思い出されて、頭のなかがパニクってしまう。もう、そんな趣味はないというのに!


 LINNEには、ヒトーさんのアカウントもあった。なんとなくデジタルに疎そうなヒトーさんがスマホを持っていることは意外だったが、どうやら住んでいる寮の管理人から持つように言われたらしい。そのおかげでこの一週間はヒトーさんにスマホの使い方を教える名目でたくさんおしゃべりができて嬉しかった。グッジョブ、管理人! 金属の身体ではスマホの静電式のタッチパネルが作用しないため、タッチペンをプレゼントすることも出来た。


 ヒトーさんのアカウントからのメッセージには、『テスト』『はい』『そうですね』『ではまた明日』という返信しか帰ってきていない。なんとなく彼の鎧めいた無表情を思わせる文面だったが、わたしにだけはその表情がわかっている。――、そういうことにしないと、なんか面倒臭がられている気がして無限に落ち込んでしまうのだ。


 そんなこんなLINNEの画面を眺めていると、夏姫さんのアカウントに新着メッセージがあった。


 『あなたの鞄の外のポケットにゴムを入れておいたから、いざというときは使ってくれ給え。1ダース入れといた』

 「い、いつのまに!」


 リアルで声が出てしまって喫茶店の中の人達の視線を集めてしまった。わたしはすいませんと謝りながら、そっと仕事とプライベート兼用の鞄のポケットを探ると、ビニール包装された四角い薄い物体の感触がした。パンパンに入ってた。初めて触るが、夏姫さんのそれは嘘ではないようだ。もう。


 『ところでヒトーさんってこういうの使えるんですか?』

 『あ……。まあ、頑張れ!>ワ<b』


 と投げやりな返事が帰ってきたところで、ぽんぽんと肩を叩かれる。振り返ると、まさにその当人が鎧を鈍い銀色に光らせながら、そこにいた。


 「おはようございます」

 「……ヒ、ヒトーさん、いつからそこに」

 「早く来すぎてしまったものですから、この喫茶店で待っていたのですが、急にまどかさんの声がしたものですから」

 「あ、ああ、そういう。すいません。おはようございます、ヒトーさん!」


 光の速さで鞄のチャックを閉めて、彼の方へ向き直る。オフィスでしかあったことがなかったから、プライベートのヒトーさんの姿ははじめて見る。が、そもそもが鎧で覆われていて、大して変わらない。さすがにあの不格好なネクタイはしていない。


 一方でわたしのほうも彼に初めて仕事着以外の姿を見せていることになる。変じゃないだろうか。ドキドキしながら髪を直し、眼鏡を直し、襟を直し、やっぱり髪を直して、なんだか高速で誰かにハンドサインでもしているんじゃないかってくらい色んな所に手を這わせた。


 「少し早いですが、行きましょうか。ヒトーさん」

 「ええ」


 ピロリロリン。

 店を出る段階で、どこかで聞き慣れた音がした。


 「失礼」


 ヒトーさんが頭部のバイザーを上げて、中からスマホを取り出した。なるほど。わたしたちのように服を着ていないのでポケットというものがないのだから、それはたいへん合理的だ。ん、ヒトーさんってもしかして全裸? というか、いつもネクタイ一丁だったってことかしら!?


 スマホをスタイラスペンでなぞって、彼はメールを開いたようだ。しばらく眺めて、カションとバイザーを下げて、わたしを見下ろした。


 「すみません、オフィスにいかなければ」

 「仕事のメールなんですか?」

 「はい」

 「……そうですか」


 前言撤回だ。ヒトーさんの表情が、わたしにはまったく読めない。このビジネスメールが入ったことで、ヒトーさんが困っているのか、それともよくわからない新人女と離れる理由ができてホッとしているのかわからなかった。冷徹な鈍色がわたしを見下ろしている。

 わたしは。

 わたしは――。


次回:まだ書き上がっていません。

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